眩暈 6



「ひとつ言っておきたいんだけれど・・・私は、あんたのことを別に特別だとか変な人間だとは思わないわ。」

せっかく訪れてきてくれたゼシカに対する俺の軽口など気にした風でもなく、けれども口に出すまで随分の葛藤があったのか早口でそう言う彼女に俺は驚いた。

ああ、神様

きっと敬虔な、そう教会が裏で何をやっているのかまったく知らないような人間ならそう天に向かって思わず祈ってしまいそうな心境。
俺は不真面目に神に向かい合っていたけれども、やはり敬虔な人間のように、そうやって神に向かって心の中で叫んだ。

俺は、自分が『売春』をしているという事実をある金持ちから知らされたとき(そんなことを自覚していなかったというのもよっぽどどうかしているけれども)やはりこんな風に

ああ、神様

と咄嗟に思ったものだ。
もっとも、今回は別の意味で、心の底から嬉しくて神に感謝をしたのだけれども。

「そっか、サンキュ」
そう言うと、ゼシカは決心がいるほどの言葉を吐き出したというのにちっともすっきりしていないような様子だ。

だから、俺は部屋に誘った。
こんな時間に女性を部屋に招きいれるなんて、お互いにどういう意味か十分に分かる年齢だ。
けれども不思議なことに、俺にはそのときまったくと言っていいほど下心はなかった。

女神に誓って何もしない

本当は(一応)聖職者たる俺が神に誓うなんて不敬なことは言うべきではないのだけれど、誰にでも分かりやすいそんな言葉で言うと、彼女は笑って、部屋に入ってきたのだった・・・

+++

俺は散らかすような私物もない一夜の宿の部屋にゼシカを迎え入れると、一脚だけの椅子を彼女に勧めて、ちょうど彼女の向かい側の窓の前に突っ立っていた。

そうすると彼女は『アンタもすわりなさいよ。』と言う。
座れと言われて俺は少しだけ戸惑った。
一人用のこの部屋で、ゼシカが今座っている椅子を除いて腰掛けることが出来るのは、やっぱり一人用の幅の狭いベッドだけだ。

彼女はなんとも思わないのだろうか?

ひどくいやらしいような気がしたけれども、必死に拒否するのも彼女に悪いと思い、「じゃ、遠慮なく。」と俺は平静を装ってベッドに腰掛ける。

ぎし

その乾いた木のきしむ音に、俺は多分条件反射なのだろう、微妙に居心地が悪くなる。

堅実や質素を旨とする修道院のベッドは粗末だった。
騎士団長であったマルチェロのベッドも、一般団員よりは多少まともだったけれどもやはり木製で、重さが加わると同じようにきしんだ音を出した。

ベッドなんてどこにでもあるのに、この音を聞くと思い出すのは必ずと言っていいほどマルチェロのベッドだ。

マルチェロのベッドで俺は沢山『愛された』

それは、途中から(俺がしていたことが『売春』だと知った瞬間から・・・きっとマルチェロが俺にしたことが『愛』なんてものではないと思い始めた瞬間から、)俺の心のバランスが崩れて、俺の脳内で自動的に『強姦』にすり変わったのかもしれないけれど。

本当のところは、実を言うと特にそのあたりの前後関係が良く分からなかった。
記憶は、自分の都合の良い様に勝手に改竄されていくという。

マルチェロに『愛されて』戸惑った自分もいたし、嬉しいと感じていた自分も確かにいたのだ。

それは俺のあいつに対する気持ち。

そして逆の立場から見たとき、それはどうなのだろう?
あいつが仮に、本心から俺を愛していたとして、俺が『誰構わず』男と寝ていたら、どう思うだろう?
自分の手の届くところで、一人のみならず、同時に沢山の男を相手にしていたら?
自分ものにならないのなら、どうでも良くなったのか?

あいつと離れてみて、そんな風に思えるようになっていた自分に少しだけ俺は驚く。


「静かね。」
「そうだな。」

自分から部屋に招きいれたくせに、いろいろなことを反芻して黙り込む俺に、ゼシカは穏やかに言った。

「なんか目が冴えちゃったわ。ごめんね、こんな夜に。」
「気にしちゃいないさ、ハニーのためなら一晩中起きてることなんてなんともない。」

そう言うと、ゼシカはフフフと可愛らしく笑う。

「・・・それに・・・俺があんな変なこと言ったから、驚いたんだろう?」

俺はそこできっと、二人の間のライン引きをしているのだと思う。

俺たちはただの旅の仲間。
それ以下でもそれ以上でもない。
時々時間を共有するだけだ。
ただこうやって話しているだけで、男女の関係なんてない。
哀れな俺の過去を彼女が哀れんで、話をしているだけだ。

「まあ・・・正直驚いたけれど・・・何回も言わせないでよ。別に私はそんなこと気にしない。
アンタはアンタだし。・・・ちょっと私も共感しちゃった分もあるし・・・」

ほとんど聞き取れないような語尾に、それでもしっかり聞こえてしまった俺は少しだけ不自然にそのあたりに視線をさまよわせて、どの部分に共感したのかはあえて聞かないで『そっか』と言う。

「・・・なんか今日はアンタといろいろ話をしたい気分だわ。」
「俺もさ。俺もハニーのことをいろいろ知りたい気分だ。」
「ちょっと・・・変な意味じゃないわよね?」
「あたりまえさ。これでも俺はエリートの聖堂騎士団員で紳士だぜ?」
「どうだか。」

そんな軽口の応酬に、少しだけ重かった空気が和らぐ。
どちらからともなく笑いあう。

こうやって、酒場とかそういう女の子たち(彼女たちを差別しているわけではもちろんない)以外に、普通に異性と笑いあうことは、俺にとって案外新鮮だった。

「さ、何を話しましょうか、お嬢様。」
そう俺が言うと、ゼシカは戸惑って「なんにしましょうか」と明るく言う。


本当は君に聞きたいことがたくさんあるんだ。
君も聞きたいことがたくさんあるんだろう?
だから俺たちは今、こんな時間に同じ空間にいる。

「・・・じゃあ俺は勝手に話すから聞いていてくれないか、ハニー?」

俺は全てをさらけ出してしまおうと思った。
なぜなら彼女のことをもっと知りたいと思ったから。

「俺を初めて『愛してくれた』人間は、この世で唯一血のつながった異母兄・マルチェロだった・・・」

そうして、俺は、自分自身の物語を再確認しようと、長い話を一方的に始めたのだった・・・







Next→