眩暈 7
『俺は愛されていると思ったのさ』 あいつはそう言って、あいつにしては珍しくため息をついてから、暫くの間の告白を始めた。 彼の告白は、暴力とセックスと矛盾と憎悪と、そしてきっと愛情と、いろいろなもので構成されている。 物語は、長かった。 けれどもその内容は『異母兄』を軸に構成されているので、入り組んでいるわけではない。 なんで彼が悲しそうな顔で、けれども声を荒げることなく淡々と語り続けることができるのか、私にはなんとなく分かる。 愛されていた? それとも憎まれていた? きっと彼の中でその疑問はずっとずっと繰り返し渦巻いていたものなのだから、今更それを整理して他人に話したところで、激情にかられることはなかったのかもしれない。 もはやその疑問は彼の中で、新しくなく、考えつくされたのだろうから。 何度も彼の異母兄は彼のことを『愛している』と言ったそうだ。 そして二人は実際に床を共にして、戸惑いながらも快楽を与え合っていたという時期もあるそうだ。 彼が『愛情』を感じた瞬間は、確かにあったはず。 けれども確証が持てなくて、整理できなくて、それが『強姦』につながって・・・ねじれてねじれて・・・ 誰かが昔言ったそうだけれども、『愛情のないセックスはありえるけれど、セックスのない愛情はない』と。 私はその言葉をとても無責任だと思う。 その言葉はある程度、今の私には共感できるけれど、セックスをいきなり一方的に押し付けられた人間には、その相手が愛情を抱いているかどうかなんて良く分からないのだ。 ただ動揺するばかりなのだ。 宙ぶらりんは苦しい カラッポは苦しい その状況を改善してくれる答えを、私はまだ見つけることができない。 「・・・俺は今、遠く離れてみて、なんとなくあいつの俺にしたことの意味は分かるような気がする。理解は出来ないけれどな。 俺は、きっと俺が考えるほどあいつに憎まれちゃいけないんじゃないかな、とさえ思える。 だってどう考えても『溜まってるから』って理由で俺を狭い部屋に閉じ込めて、笑いながら俺に、一気に何回も何人もの相手をさせたやつらや、『かわいい子だ』とかいって、何人もの貧しい人にパンを買ってやれるほどの金を積んで刺繍入りの羽根布団の上で俺にしゃぶらせる中年男とは、・・・違うだろう?」 そう問いかけられて私は『そうね』とだけ応える。 べつに彼が私の答えなんて求めていないことを私は分かっていたけれど・・・ 「だろう?少なくともあいつは、最初は『愛している』っていって俺を・・・一応は優しく抱いてたんだ。 俺が・・・あいつしか見てはいけない、って言っていたマルチェロ以外の騎士団のやつらに輪姦されるまでは・・・」 「・・・」 「きっと俺は絡まってしまったのさ。 何が真実で、真実が何で・・・細い線がぐちゃぐちゃに絡まって、どこが始まりでどこが終わりで・・・解すのには時間がかかるし、もしかしたら解すことは出来ないかもしれないし。」 「・・・そうね」 私はまたそんな返事のような、相槌のような言葉で応えながら、足をぶらぶらとさせる。 「なんか変な話だったな。 ゼシカは一つだけ言っておきたいって言ってくれたよな、俺は別に変でもなんでもないって。 俺、その言葉が本当にうれしかった。そりゃあもう、飛び上がって天のいと高きところにおわす女神様にキスさえできてしまうくらいにさ。 俺は・・・こんな俺にさえ分け隔てなく接してくれるそんなゼシカをとても魅力的だと思う。これは心の底から思う。」 「・・・私なんか・・・」 いきなりの話に、戸惑う私にククールは言う。 「いいや、最後まで言わせてくれ、ハニー。 俺はゼシカみたいにステキな女の子を見たことないって最近思う。 だからこんな変な話をしてしまったのさ。 ・・・異母兄と『愛』を育んで、不特定多数の男相手に金で体を売っていた俺を、どう思う?」 言わせてくれ、と言っていたのに、急に問いかけられて私はさらに戸惑う。 けれども、私は言う。 「別に、さっきも言ったけれど私はあんたのことを変だとか、特別だとは思わないわ。 ・・・ねえ、あんたは・・・もう分かってるんでしょう? あんたは『私のこと』をなんとなく『分かって』いるからわざわざ自分の話をし始めたんでしょう?」 そうなのだ。 私は、途中から気づいていた。 なぜ、彼がこんな話をし始めたのか。 彼は、私が彼に抱いたのと同じ興味と親近感を、どこかで私に対して感じ取っているのだ。 だから彼は自分の全てを私に曝け出した。 「・・・ああ・・・なんとなくだけれど・・・でも全部は分からないし、もしかしたらそれはただの俺の妄想かもしれないし。」 「・・・多分あなたの考えたことは、大方当たっていると思うわ。」 「そっか・・・ゼシカもやっぱり『兄さん』?」 文章になっていないその問いかけに私は頷く。 「・・そうよ、『兄さん』よ。 私は彼のことが大好きだった。けれども・・・」 「言いたくなければ言わなくていいんだ。」 「ううん、ちょっとだけしゃべらせて。 私が一方的に話してるだけだから、聞いてくれていなくてもいいから・・・」 そうして私は、ククールの語りだしと同じような前置きをしながら、私が幼少時から悩まされていた物語を彼に語り始めたのだった・・・ 初めての相手は父親だった。 もし彼の言っていたことが真実ならば、彼は父親ではなくて、私の母親の夫という人だけれども。 彼があっけなく亡くなった後、私を抱いたのは兄さんだった。 実際に、兄さんも私も、お母様にそっくりだったから、異父の可能性があるにしても紛れもなく彼は『兄さん』だったと思う。 兄さんのことは大好きだった。 あんなことがあるまでは、誰にも、自分以外の女の子には取られたくない、と固く思っていたほど大好きだった。 彼は毎晩のように、私を、ククールの言葉を借りるのなら『愛した』・・・ 一方的であったけれど、それを兄さんの愛情だと私はどこかできっと信じていた。 そのときには、私を好きだといってくれる、『兄さん』ではない人も居た。 けれども兄さんの告白を信じるならば、兄さんはその人を塔から突き落として殺してしまった。 私はその告白を聞いたとき、異常なまでに愛されていると思っていた。 けれども、あの日・・・ メイドのハンナが半裸で兄さんにしなだれかかっているのを偶然屋敷の台所で見てしまった瞬間から・・・ きっと私は歪んだ 疎ましく思っていたはずなのに、兄さんに、特別に愛されているわけではないと自覚した瞬間に、私の世界は真っ暗になった。 彼のことを欲深いと思う 私自身を汚らわしいと思う もうこんな世の中に一秒たりとも居たくなかった。 けれども私には自殺をしようという勇気なんてなかった。 だから・・・私は私の中で『兄さん』という存在を殺そうと思ったのだと思う。 兄さんの好きな、地味な服装は辞めた。 兄さんだけを見つめる引っ込み思案な女の子は辞めた。 私は生まれ変わったはずだった。 私の心の大半を占めて、悩ませた『兄さん』という存在を私の中から殺した瞬間、兄さんは本当に死んでしまったのだった・・・ その日から、モヤモヤとした正体不明の罪悪感が更に大きくなった。 『死んでしまえばいいのに』とすら思った人間が本当に自分の目の前で亡くなってしまったのだ。 多分、優しい、けれども人間の心の機微をイヤと言うほど味わったことのない人間ならば『それは貴女の良心が咎めているからです。忘れなさい、それは偶然です。』、教会の人間なら『悔い改めなさい』と言うところなのだろう。 そんなことで解決できるのなら私の心はここまで酷い動悸を覚えない。 そんな私の醜い告白をククールは、じっと注意深く、ただ沈黙して聞いていたのだった・・・ Next→ |