lament
‐傷と抱擁‐
気づいた時には、おれは自分がその辺の大人を凌ぐほどに強いと思っていた。
戦い方なんてろくに知らない貧弱なチビのころから、どういうわけだかそうだった。
実際、結構おれは強かった。
おれは強かった。
かなえたい夢を持っていたから、そのために生き抜こうとしたから、おれは強かった。
だから、厳しい下働きにも、襲いかかる海賊にも、想像を絶する空腹にも、おれは正面から向かい合い、ひとつずつ乗り越えていったんだ。
クソジジイが全財産をなげうって買った船に、「バラティエ」という名前がついて2年が過ぎた。
海賊も、時には客までも平気でぶっ飛ばす荒くれコック共が話題を呼んだのか、どんな奴も唸らせる確かな味が功を奏したか、この海上レストランは確実に客足を伸ばしていた。
少しずつ、常連になってくれる客も出てきたし、ジジイやコック共を取材する酔狂な奴らも見かけるようになった。
おれはというと、皿洗いとジャガイモの皮むき、食材を切ったり干したりという基本作業から卒業して、スープ仕込みの勉強にやっと入ったばかりだった。
「こんのクソチビナス!コンソメから目を離すんじゃねェ!」
「何だよ!いちいち蹴っ飛ばすんじゃねえクソジジイ!」
「火を止めるのが遅い!何度言やぁわかるんだボケナス。ホレ、もっかい一からやり直せ。」
今日17回目の蹴り。
仕込みにかかわり始めてからその回数はいや増す一方だった。
といって、実際クソジジイが作ったコンソメを一口つけると、もうおれは納得するしかない。
そんなこんなでおれは3度目のコンソメに取り掛かっていた。
「オーナーゼフ!お客ですぜ。」
「あァ?」
「ほら、毎週この時間に来る、あの男ですよ。」
「・・・今行く。」
厨房を出るクソジジイの背中に「クソジジイクソッタレいつかハゲてしまえ」と3回心で呟いて、コンソメを火にかけた。
その男がいつからバラティエに来るようになったのか、おれは知らない。
いつからか、決まったこの時間にコースを一人で食べにくるようになったようだった。
身なりのいい、穏やかな目の男だった。
こんなクソやかましい店に、育ちのよさそうな野郎が一人でコース食ってるなんてかなり妙な客ではあるが、こっちはコック。とにかく食いたいなら食わせるまでだから、特に誰も気にすることはなかった。
毎週来てくれる客だから、クソジジイも最近はその男がくるたびに挨拶にゆく。
つってもへこへことへつらいに出向くわけじゃない。
「よく来たな。まあ、今日もゆっくり食っていけ。」
この程度だ。
男も無口な性質なのか、ジジイと男がそれ以上話すのを見たこともなかった。
今度こそ、とおれは慎重に見計らった上でコンソメの火を止めた。
味見し、ジジイとほとんど変わらない、文句なしにこれまでで一番という出来栄えに満足していると、後ろから声をかけられた。
「おらサンジ、それを12番にお持ちしろ。」
「おれがかよ!」
「当たり前だ!テメェのほか誰も持ってく奴ァいねぇんだ。」
「ウェイター辞めさせっからだろうが。パティのクソボウズめ。」
「いいからとっとと行け!」
しょうがねえなあ、とおれはエプロンを整えてから、注意深くコンソメのスープを白い器に注いだ。
12番では例の男が本を読んでいた。
失礼いたします、と一声かけ、器をテーブルに置く。
「ありがとう。」
初めて聞いたその男の声は、その容姿に違わずひどく穏やかだった。
本を鞄にしまい、男は静かにスプーンを取った。
おれの作ったスープを、常連のこの男が食う。
それはとんでもなく大きなことのような気がして、目が離せなくなった。
手元をじっと見つめていたら、ふと男と目があった。
「どうかしたのかい?」
そう尋ねられて、おれは我に返った。
すいませんと一言わびて、あわてて厨房に戻る。
「遅いサンジ!こっから戦争だぞ。」
飛んでくる声におう、とこたえ、臨戦態勢をとった。
スープとサラダを交互に盛り分ける。余力があればメインもデザートも持っていく。
2時間ばかりそうやって格闘したころ、クソジジイにおれは呼ばれた。
「常連さんのお帰りだ。お前も来い。」
クソジジイについてゆくと、12番に座っていた男がエントランスで笑っていた。
「ごちそうさま。おいしかったです。」
ジジイは何にも言わなかった。
おれはお見送りの意味もわからず、ぼけーっとそいつをみていた。
すると男は、おれに言った。
「あのスープは君が作ったんだね。丁寧な仕上がりだったよ。」
「は、」
にこりと笑いかけられた。
男の言葉は、すぐには理解できなかった。
「おら、ちゃんとお礼を言え、チビナスが。」
クソジジイの声に
「あ りがとう、ございまし た。」
と、混乱する頭で答えると、男はやはり穏やかににこりと笑った。
男が去ってからもしばらく、おれはその場を動けなかった。
おれが作ったスープ。
これまで何度も失敗したコンソメ。
これまでで一番うまくできたコンソメ。
「あの男も、コックなんだとよ。」
「え?」
「てめぇでビストロ持ってるそうだ。・・・週一回、お前に料理教えてやりたいとよ。」
頼んでみるか、というクソジジイの言葉に、おれは即答した。
おれのスープが、コックに褒めてもらえた。
きっと今なら、もっといろんなことが出来るようになる。
もっといろいろ作れるようになりたい。オールブルーにいる魚共、みんな美味く捌けるように。
迷うわけなんてなかった。
夏の日。ランチとディナーの移り変わる時間。
エントランスが炎のように赤く染まってゆくのを、おれは目を輝かせながら見つめていた。
希望ってヤツだ。
おめでたいと自分でも思うが、仕方ねェだろう。
本当に嬉しかったんだから。
徒花 II