目の前にそびえるは孤独の城。
悠然と立つ姿はあくまで気高く、それゆえ一層ただ一人きりだった。
取り囲む軍はざっと十万、迎え撃つは七千弱。
貴いそれは、流れる時のうねりの中、後は燃え落ちるのを待つばかりの城だ。

「白光の君、お心積もりは。」
「いつでも来い、だ。」



ルフィ付きの侍に託ける。
その背を見遣り、ごちた。

なあ、ルフィ。
大将よ。
世を取る――あんたの望み、最後の砦があの城だとはな。
援軍のない孤独な城。
血を分けたあんたの兄が、背水の陣の采配を振るう城。






「強くなれよ、疾風。」
「痛み入ります。親方様もどうか健やかに。」
「・・・達者で。」
「はい、兄者も。」

ルフィが餞別に渡した大弓。
疾風を生むあいつの力で、ルフィとあいつが、おれとあいつが共に生きた証のひとつ。
負うて歩き出した背中は、いつしか見えなくなった。

別れの言葉は簡素だった。



とうとうと押し寄せる時のうねりの大きさに 気付く前のことだ。
おれたちとは違う、血で結ばれた兄弟。
その絆さえ、鮮やかにわかたれてしまうほどの、大きな流れに、気付く前。






白光、と声がかかる。
先ほど見送った侍が、再びおれの元へ来た。
いよいよか。
「親方様より、最後の御勅でございます。」
手にされたのは、一枚の紙。
「わかった。下がれ。」


はらり開いたそこにあるのは、破天荒なルフィらしい、荒々しく勇猛な字。

壱千壱百壱拾壱。
その七文字が踊っていた。


・・・最後の、勅と言った。



法螺貝が吹き鳴らされた。
刃の抜き音。
鬨の声が上がる。


緩やかな弧を描いた矢がひとつ、ルフィの配下の侍を貫いた。







月が、傾いていた。


吐き出した熱の名残に身を震わせながら、おれたちは抱き合った。
互いの肌を僅かでも離すと、もう戻って来られぬかのように、ひたり、身を寄せ合った。


ああ、別離が来てしまう。
やっと。
やっと触れ合えたのに。

おれの背できゅっと拳が握り締められた。


「また逢えるさ。」

どのように分かたれようとも、きっとまた。

散る黒髪の波を撫でながら言ってやると、丸い瞳はゆらり、おれを見た。


「――本当に?」
「ああ。」

まぐわうことを、契りを交わすというんだそうだ。

そう言ってやると、やっと少し笑んだ。


別離の夜。







城に近づく侍の前に立ちはだかるのは、最後の覚悟に身を固めたつわものどもばかりのようだ。
不利であった数々の戦、圧倒的な力をしても滅することなく生き延びてきた輩。
おれたちに微塵も引けを取らぬ、その動き。
落城を待つばかりの軍とは思われなかった。

その優れた戦いぶりは、流石ルフィの兄たる男の見事な統率のためか。

それとも。



「!」
「よけろ」「また来るぞ!」


――前線に立つものを守る、疾き風ゆえか。




まるで嵐、もしか流星。
城の頂近くより、緩く鋭く放たれた矢は、一点の謬もなく地上の侍を射抜いてゆく。



いまだ光らぬおれの片身は鍔を鳴らした。
最後の勅命は、壱千壱百壱拾壱。
まずは、南を攻め来る五拾参。


「ゆくぞ。」


止むことなく降り荒ぶ矢の中、おれは白く耀く刃を天に翻した。







「ゾロ」
「何だ?」
「ずっと、あんたに触れたかった。」
「おれもだ。ウソップ。」


想いを、遂げた夜。






斬る。
喧騒がおれを突き動かす。

斬る。
沈みゆく哀れな者の向こうには、降矢に倒れる同胞が見えた。

斬る。
矢の雨を避け、敵を求めて白き光は駈け続けた。
まるで修羅か。そうこぼす声は返り血となり次々とこの身に注ぐ。

斬る。
何ゆえか、感覚は決して鈍磨せず、より鋭敏に研ぎ澄まされてゆく。
何ゆえか。・・・その先に、求めるものがあるからだ。


この地を取ることに焦がれた大将ルフィに、おれは尽すと決めた。
そのルフィがおれに、最後の勅命を下した。
何故か、など。おれは知る由もなかった。
ただ.

おれが求めるものは。

焦がれたものは。




一閃。




空に浮いたは弐拾壱。
これにて全て。




ぽっかり空いた戦場に、配下の兵がなだれ込んだ。
陣を上げて攻め来た敵が、怒濤に呑まれ退いてゆく。

息を静め、もう鳴らぬ刃を白い鞘に収めた。
はらり、はらり、かすかに矢を降らす城の頂を見遣り、おれはそのまま足を踏み出した。







「ゾロ。」
「何だ?」
「また、逢えるよな?」
「ああ。」

誓うとも。
今宵、契ったお前に。
他の誰も呼ぶことのない、
互いの名に。

おれは涙を湛えた瞼に、宵果ての口づけをした。


別離の、夜。







入り乱れ、槍が、刀が 鎧を貫いてゆく。
城へ、城へ。
人の惨禍は力とぶつかり、いつしか大きな流れに巻かれていった。
またその流れもいつか、内堀を越え、扉を破り、大廊下をまっしぐらに進む。

人の流れという澪を、誰よりも速くとおれは駈けた。
速く、もっと速く。
ごうごうと滝の如き流れは、抗うことすらおぼつかぬ。

頂めざして、その流れは階をかけのぼる。


三つ目の階。
進む先を見遣った。







疾き風。



階の天辺から飛び降りてきたそいつは、
流れの只中、それでも一人立ち尽くして。

おれを見つけた。



わなと震えながら、それでも唇はおれが預けた名を紡いだ。
おれと同じように。






「逢えた」





勢い衰えることの知らぬ人の澪。

その中でおれたちは杭のようにとどまり、互いを抱いた。



「言っただろう?」
また逢えると。
時のうねりが城を打ち砕き、血の絆さえ別ったとしても。


「おれたちは、契りを交わしたのだから。」


そうだな、と笑って、あいつはおれに口付けた。
「本当に、そうだ。」
ぎゅっと、おれをその腕で抱きしめながら。






もう、離れないでいてもいいか?
そう問う声に、笑って応じた。

何処へでもゆけるさ。
おれは、最後の勅を果たしたから。

おれもそうだ、おれは疾風を捨てたから。

「勅さ。ある矢全てで違えることなく武士を打ち落とせと。」
その数、壱千壱百壱拾壱。
そう聞いて、ふたりで笑った。


「出来すぎだよな。」
「お互いな。」
ふたりで、笑った。

数多の矢を弓に番えた手を、同じ数だけ斬った手で、包んだ。
ひたすら殺め続けた、二つの手だ。



「ウソップ」
「ゾロ」


見交わして、ふたりで笑った。

業にまみれたその手も全ていとおしいと思う、おれたちは紛れもなく侍だ。
勅さえ尽きて、時の流れに立ちはだかり、それでも尚おれたちは侍だ。




また逢える、そう誓った宵と同じように、口づけた。
ふたりの侍が、もう二度と離れぬことを誓うように。

瞼から、あいつの涙はほろほろとこぼれてゆく。

ああ、恋とはかくもあたたかなものか。
額を合わせ、やわらかく二人笑んで、もう一度唇を触れ合わせた。


共にゆこう。
ああ、何処までも。
この業深き身の向かう、血を湛えた海の果てまでも。




疾風を生み出す愛しい腕が、静かにおれの首に回る。
その背を左手でぎゅっと抱き込む。


利き手は静かに連れ添うた片身に触れた。



名を、身を、ゆだねた。
おれたちは、想いを遂げる。








白い光が風を切った。








契 1徒花