おれの奇妙な天使




-もひとつの家-


"ゾロ"
呼びかける声が彼方から聞こえるような気がした。
"ゾロ、起きろよ"
"ぞろ"
愛しくて、いとしくて、どこか懐かしい声。
"ぞろぉ、おきろよう"
"ぞろぉ、ごはん できてるぞ"
"ぞろ、はんかち、おいとくぞ"

「ぞろぉ、おしごと おくれるぞ」


「・・・今、何時だ・・・」
「はちときゅうのあいだ」
「・・・・・」

幼い声を、反芻した。
はちと、きゅうの、あいだ。

「・・・何ィ!!!」





いつもの朝。
テーブルの上にゃ、千切ったレタスと夕べの残り(あっため済)、パンにはバター、グラスにミルク。
おれがいつもこんな調子だから、小さなウソップはすっかりレンジ使いのプロだ。
それだけじゃない。

「だめっ、ぞろ、ぎゅーにゅーもぜんぶ飲むの!」
「ハイハイ。」
「ハイはいっかい!」
「ほーい」

4つのちびすけが作った朝飯、多岐にわたる教育的指導。
どちらもとてもありがたくいただく。これがおれの朝。
いつものように時間はない。ミルクを一気に飲み干して、玄関を飛び出した。
右手にネクタイ、左手に小さなウソップの手。忘れモンは今日もなし。
かしゃんとなじみの自転車を表に出す。
「待たせたなウソップ。」
「へへ、おれはもうバッチリだぜ!」
ひとつ掛け違えたスモックのボタンをそっと直して、あいつを特等席に座らせた。
「よし、行くぞ。」
「おう!」
今日も特等席から、キャプテンのご機嫌な号令がかかる。
「行けーっ、チャーリー!」



4歳の一人息子のウソップと、新しいマンションに引っ越してきたのはついこの間。
仕事場のすぐそばに、保育園があるのを見つけたからだ。
母親はいないし、おれは一日中仕事だから、いずれどっかに預けなきゃいけなかったんだ。
それならこれまでみたいにシッターに来てもらうより、ともだちがいたほうがきっとこいつは気に入るだろうと思って。
クソ忙しい中、てんやわんやしながら、おれたちは引っ越してきた。
新しい場所、はじめての保育園。
ガキのくせにやたらこだわりの多いウソップが、環境変わって平気かどうか。
ちっとそんな心配もあったが、それは取り越し苦労だったらしく、今やおれの一人息子は、新しい世界の仲間たちと共に男の修行真っ最中だ。
仲間が出来て、ちょっと背伸びしたくなったんだろうな。
"ひとりで寝る"って言い出したときはちょっとショックだったけどな。



ここに来る前は毎日、そりゃあうるさかった。
やれ抱っこしろおんぶしろ肩車だ、やれおしっこだ風呂だ腹減っただ本を読めだ。
まあ、これも親父の仕事。出来るだけいっしょに遊ぶ。
何が楽しいって、いっしょにいるこいつがはじけたように笑うのが何より楽しい。
たかいたかいしてやったら、けたけたとそりゃあ楽しそうに笑う。
もっと喜んでもらおうとひくいひくいしたら、涙目のまま2時間口を聞いてくれなかった。
あれはちょっと参ったな。うん。
素直だと思ってたが、意外と気難しい奴なのかもしれない。
それはそれで、男としての見所もあるってことだ、うん。




甘えん坊で、さびしがりやで、泣き虫で、おっちょこちょいで。
明るくて、元気なこども。
けれどひとつだけ、気に食わないところがある。
いちばん悲しいことや嫌なことは、自分の中に閉じ込めて、絶対おれに言おうとしないところ。
一人でいる時間が長すぎたのか。
それともやはり、母親がいないせいなのか。
真っ赤な目して、びくびく震えて、それでも絶対に何も言わない。
何処で覚えたか、そんなところだけ妙にませた子ども。
おれのウソップは、そんな奴だ。


夜、ひとりぼんやりと過ごしているとき、小さな足音を聞くことがある。
なじみのでっかいくまのともだち抱えて、とぼとぼと廊下を歩いてくる音だ。
「どうした?」
扉を開けて迎えてやっても、ウソップは何も言わない。
「怖いゆめ、見たのか?」
ウソップは、絶対、何も言わない。

ぎゅっと、細い腕がぬいぐるみを抱きしめる。
そのまま、おれの寝床に連れてって。
「こっち来るか?」
そう言って、隣を空けてやると、おずおずと体を滑り込ませてくる。
「やなゆめみたら、ちゃんと言え。」
「べ、つに、」
ひょい、と腕を広げてやると、じりじりと身を寄せ、おれの胸に顔をうずめた。
ぽんぽん、背中を撫でてやると、きゅう、としがみつく。
いつものことだ。

「ぞろが」
「え」
「ぞろが、いなくなっちゃうゆめ」



おれがいなくなるゆめ。
何度も何度も、ウソップはそのゆめを見る。
心配しなくていい、絶対おれはお前のそばを離れないから。
何度そう言っても、どうしてもウソップからはなれないゆめ。
だからおれは、そのゆめを見た日には、ぎゅーっとぎゅっと抱き締めて、何度もキスしていっしょに眠る。
大丈夫、ここにいる。
そう言い聞かせながら。




大切で大切で、たいせつなおれのウソップ。
どこへ行っても、何があっても、おれは絶対におまえの味方だから。
それを信じて、好きなようにのんびりと、大人になっていけばいいと、ただそれだけを思う。




「ぞろ!」
迎えに行ったら、園の廊下のいちばんはしからエントランスまでかけてくる。
よたよたとまだ危なっかしいことこの上ないけれど、

"ばすん"

と、胸に飛び込んでくるたび、頬が緩んでしまう。
「おお、足速くなったな。」
「ウソップくん、今日はおともだちとかけっこしたら、一番だったのよね!」
「へへへ!」
先生の言葉に、どーんと胸張って笑う。
「へぇ、やるな。」
「見直しただろ、ぞろ!」
えらいえらい、と腕の中のちびすけの頭を撫でてやる。
照れたように、けれど誇らしげに笑う姿は、何処までも楽しそうで、おれはいつでも幸せになる。

「楽しかったか、ウソップ」
「おう、いっぱい遊んだぞ」
「ともだち、いっぱい作ったんだってな?」
「そうなんだ。るふぃだろ、なみだろ・・・んーと、えーと、6!
あと、こぶんが3。」
「ほぉ、もう大将か。」
「そうだぞ!おれ、えらいんだ。」

こいつがいっしょにいるんだ、そりゃあ連中も楽しかろうよ。
今夜も色んな話を聞かせてくれそうだ。
自転車漕いで夕暮れの街を駆け抜けながら、その楽しいメロディを思い浮かべた。







「なあ、ぞろ」
「ん?」
「ぞろとおんなじ名前のともだち、できたぞ」










徒花日曜、添い寝の朝