戯れの世界をきみに







まあ、ある程度の覚悟はしてたけどな。
それでもおれは、ウソみたいな奇跡を期待していた。







船は今日も押し寄せる波を乗り越え、グランドラインを進んでいる。
この海では、どこかの島の気候海域に入らない限り、気候は決して安定することはない。
つまり、時化だの高波だのに悩まされているうちは、上陸の望みもねェってことだ。
だからこそ、海が穏やかなときはおれだって期待にうずうずしてくるわけなんだけど。



「そんなうずうずしたってだめよ、あと1週間は上陸の望みはないわ。」
そんなおれたちの希望を美しく無残に砕くのは、いつだってこの才色兼備の航海士だ。

「ロマンがないヤツなだぁ、お前。」
「あんたねぇ、ついさっきまで大嵐だったじゃないの!」
そうそう、雹の中で稲妻と虹を見るっていう、久しぶりに盛りだくさんの嵐だった。

名残の分厚い雲から柔らかい光の筋がこぼれ始めている。
「おら、うだうだ言ってねえでどけよ船長。
ああんナミすぁああーん、今日もお疲れさまぁ〜v
今日のおやつは、頭と身体と心の癒し、ベリーのソフトクッキーとカフェショコラですvv」

ぶうぶうと文句をたれる船長を3回踏ん付けて、今日も嵐を乗り越えてくれたおれたちのパイロットバードに愛と感謝のおやつを捧げた。
「わ、おいしー!」
「なぁサンジサンジ、おれは?!」
「野郎どもの分はあっちだ。」
ほかの奴等にもちゃんと声かけてから食えよ、と念を押してキッチンをさした。

おやつだぞーと大声を張り上げるルフィの背中を見送っていると、
「ありがと、サンジ君、それと、」
ありがとうなんてぇ、と愛を称える間もなく、ちょっと苦い声が続いた。
「ごめんね。」
「何で?」
「上陸と、・・・気候も、もう暫くはこの調子みたい。」

何だ、そんなこと。

「仕方ないさ。なんせここはグランドラインだ。」
そう笑って、クッキーを一枚差し出した。
受け取った彼女は、先にマグからくいっとショコラを飲んで、呟いた。
「せっかくの日なのにね。」
「ま、これはこれで楽しむさ―むしろおれはこの機会に、ナミさんと愛を育みたいなぁvv」
そういうとやっと彼女は頬を緩めて、手にあるクッキーを口に運んだ。
「あ」
「何が出た?」
「クランベリー。」







ナミさんの背中を追ってキッチンに向かうと、大皿に乗せてあったクッキーは既にあらかた野郎どもに平らげられていた。
まあ、これを想定してロビンちゃんには一番にサーブ済み、問題はなし。
野郎どもに、それぞれ好みの甘さに調整してカフェショコラを注いでやった。
「おうサンジ、美味かったぞ!」
「当然だ。」
さらりと言ったつもりだが、ほくほくとした顔で最後の一枚(ブルーベリーか?)をほおばるチョッパーに、思わずにいっと笑いかけてしまう。
毎度毎度、食わせ甲斐のあるやつら。
そいつらに一つ一つカップを渡して、最後におれも自分のショコラを飲もうと、ベンチに寄った。

すると、そのベンチにかけていたウソップがすっと腰を上げた。
「ごっそさん、サンジ。こっち座れよ。」
「おう、お粗末さん。・・・もういいのか?」
「おお、ちょっとな。ショコラはちゃんともらうから。」
そういって奴は扉に向かう。
大抵食事のときは、片付けが始まるくらいまではキッチンで過ごしているのに、珍しいこともあるもんだ。
そう思いながら、後姿を見送る。
肩のあたり、ちょっとは肉ついたかなぁとかなんとなく思っていた。






おやつのあと暫くして、1時間くらい吹雪いた。
それがゆるやかになると、今度は雨脚が強くなった。
波はそう荒れてはいなかったから、厳戒態勢は解いて船は進む。
おれも夕飯のしたくにキッチンへ戻る。そろそろ体力をつけるものを食わせた方がいい。
あと1週間、あまり贅沢する余裕はないな。
昼間覗いた光の筋はすっかり絶えてしまっている。
明日もきっと、こんな感じなんだろうなあ。
小さな窓から望む空にひとつ息をついて、エプロンをかぶり込んだ。





あとは、油のよく乗った魚を肉と煮込んで2時間、野菜をぶち込んで1時間。
ビタミン完全制覇のポトフの出来上がりだ。
一休みにはいつもの一服ではなく、バラを乾かしたお茶を入れた。
ほのかに甘い香りに少し癒される思いがした。

癒される?
何を癒すんだ。

それを考えてしまう前に、おれはキッチンを抜け出すことにした。
煮出したお茶をポットに注ぐ。
霧雨を抱いた鈍色の宵闇に、ああ今夜も、と思い知らされた。
蓋をして、柔らかい香りを閉じ込めた。
ソーサー付きカップを2つ、使い込みすぎたマグを5つ携えて、歩き出す。
ずんと沈むようなこの空では、あいつらだってバラに少しは心ほぐれるだろう。
それでほんのしばらくでも、気まぐれな話ができればいいなあと。



当然、繊細なレディたちの部屋へまずは赴く。
「ナミさん、ロビンちゃん、お食事前にローズティーはいかが?」
「あら、ありがとうコックさん。いただくわ」
ぱあっとやわらかく笑うロビンちゃんに、二人分のカップを渡す。
その時だった。

「あ、ウソップ!サンジ君からお茶来たわよ。」

明るい声だった。

ウソップ?
女部屋に?

ハテナだらけのおれがぼけっと立ちすくんでいると、
「もう1つ、カップが必要だわ。」
「・・・ああ、じゃ、これ。」
声のほうを向いたまま、呆然と手渡した。

…なんで?

彼女は実に楽しそうににっこりと笑っていた。
「ありがとう。いい子ね。」
そう言って、女部屋の扉はおれの目の前で閉まった。

・・・ほんのしばらく、気まぐれな、憂さがちょっとだけ晴れるような話ができればいいなあと、思っていたのだけれど。
なすすべもないおれは、くるりと脚をキッチンに向け、野郎どもの分を手渡して廻った。

「ごはん、今日はちょっと遅いんだ。」
「いいニオイするぞ。野菜いっぱいだ。楽しみだな。」
最後に渡したチョッパーのふかふかの背中にもたれ、おれは目を閉じて休むことにした。
予定では最後だったあいつに、はじめに渡しちまったことは忘れることにした。
ほんのしばらくでも、気まぐれな話がしたかったことは忘れたことにした。





みんなを待たせた夕飯は、肉好きにも野菜好きにも、勿論魚好きにも好評だった。
「おい、魚肉と野菜うまいぞ!」
「だから当然。」

だったけれど。

「ごっそさん。」
今度も片付けを手伝うそぶりも見せず、ウソップはとっとと出て行った。
湿気に膨らんだ黒髪を目で追う。
ずいぶん忙しいこって。
何で?・・・なんて、聞くまでもねェ。

バレバレなんだよばぁかと、繰り返した。

あいつがおれのためにあくせくしてる、それが分かっていて、いつものようにおれの頬が綻ばないのはどうしてだろう。
とっとと寝ろと野郎どもをけしかけ、後片付けと明日一日分の仕込みを一気に済ませた。
雨はまだやむ気配もない。
キッチンの小さい窓から空を望み、ぶわりと紫煙を膨らませた。





東の海ではそろそろ鳥が鳴いていた。
北の海では雪からヴィオレッタが顔を出していたように思う。
この海では、・・・予想もできねえな。
今夜もこの海の空は星ひとつなく、季節をうつすこともないひたすらなびろうど色だ。




明日はおれの誕生日だ。
まあ、何にもできないだろうって、ある程度覚悟はしてたんだけどな。
それでもおれは、ウソみたいな奇跡をどこかで期待していた。







2.