思ったとおりだった。
ナミさんが言ったとおりだった。
日の光の予感さえ今朝は見つけることは出来なかった。
朝ごはんのあと、引っ切り無しに天気に遊ばれた。
3時間の暴風と、10分の春風と、4時間の大雨。
わずかにもれる光もすぐに闇に奪われてしまう。
空が相手じゃ、どうしようもねェよなあ。
昨日と同じ重い重い日の終わりに、おれはそろそろ観念するしかなかった。
それでも、キッチンでの小さな宴は楽しかった。
おめでとうと振り撒かれる言葉も、実にささやかなプレゼントも、くすぐったくて嬉しかった。
ナミさんからはレシピ用のバインダー。
チョッパーとロビンちゃんからは、樹の香がふわりと舞うオーデコロン。
ゾロからは、皿洗い券30枚つづり。
ルフィからは、見張りかわり券20枚つづり。
野郎二人に関しちゃ、もう涙ぐましいほどにささやかだったけれど、それでも。
陸に上がれない日々の中で、できることを考えてくれたんだろう。
ありがとうよみんな。アホとバカの野郎二人も。
「おれも皿洗いにしようと思ったけどよ、みんながお願いだから止めてっつうんだよなぁ。」
その心遣いが最高のプレゼントだ、ありがとうみんな。
いろんな感謝をこめて、おれはげらげらと笑った。
―あと一人が、おれに何も言わないことは、もう気にしなかった。
それもいいさ。この晴れやかな宴は久しぶりに明るくて楽しいんだから、それで十分だ。
おれはおれなりに、力を入れた夕食をあいつらにサーブした。
四角いチーズケーキ、昨日のポトフにデミグラスを混ぜたシチュー、後は酒。
みんな大喜びで食べてくれた。
小麦粉もチーズも食材も余裕はあまりなかったから、これまた実にささやかなものだったけれど。
みんながいつもみたいに楽しそうだったから、十分だった。
船はいつかみたいに眩しかったから、それでもうよかった。
雨はやんだ。それでもう、十分だった。今日はおれの誕生日だ。
東の海では、青く瞬く星を見ていた。
北の海では、赤く輝く星を見ていた。
季節を孕みすぎた海で、季節を湛えることもないこの夜。
雨はやんでも、夜は昨日と同じひたすらなびろうど色で、空にはひとかけらの光もなかった。
まあ、覚悟はしてたんだけどな。
それでも。
おれは。「サンジ。」
まだ水気の残る甲板で、おれは黒い世界にふわりと紫煙を漂わせていた。
ひそめられた呼び声に振り向くと、キッチンから上半身だけを出したウソップが、こっちこっちと手招きしていた。
夕メシのときは何にも言わなかったくせに。
出かかった悪態が飲み込まれたのは、あたたかい宴の名残なんだろうか。
やけに嬉しそうなその声に、つられて綻びそうになる頬を押さえる。
きらきらとした目がおれの手を引いた。
呼ばれたままに入ったキッチンは真っ暗で、隅に置かれたランプひとつがぼうっと光っている。
ランプのそばにそのまま並んで座り込んだ。
「遅くなっちまったけど、やっと出来たんだ!」
「何が?」
「おれさまからのプレゼント!」
ちょっと待ってろよ、といって、あいつは部屋の真ん中に手を伸ばした。
カチカチと何かいじっているようだけれど、ランプの光の輪から外れたあいつも、あいつのプレゼントとやらもろくに見えない。
「なあ、ウソップ」
しゅっという音がすると、あいつはランプを手繰り寄せて、消した。
「見てろよ。」
近くで声がした。
言葉を失った。
ふわりと揺れる数多の光。
壁面に、天井に散らばる光は
「へへ、すげえだろ!
あっちが東の海、これは西の海、でこっちは」
「…北の海。」
「そう!で、このうにょーってなってんのがグランドライン・・・ま、一部だけな。」
深い青みの湛えた室内にちりばめられた星。
4つの面とひとつの長い帯に刻まれた星たちのいくつかを、おれは覚えていた。
「これはだな、『天文統計学上平均して見られるある日の天体図』、正式名称『ウソッププラネッツ!』」
そこまでまくし立てて、そして穏やかな声で呟いた。
「…の、サンジスペシャル。」
壁面に、天井にあふれる懐かしい光。
夏に知った星、秋の流星、あの日見たふるさとの星、すべてがここにあった。
おれをいだくすべてのものが、ここにあった。
よろこびも、絶望も、ぬくもりも、小さな自分も、すべてが。
風が吹けば消えてしまう、小さな小さな光。
「サンジ?」
あまりにも大きなこの世界に、おれの涙は止まらなかった。
満天の星の下で、あいつはおれを見ていたけれど、おれは空を見つめて泣いた。
小さくて大きいこの空が、あまりにもあたたかかったから。
あいつの腕がそっと、おれの肩にまわる。
やっぱり全然男らしくない、まだまだ細いウソップの腕。
なのにその腕はこの空みたいにあったかかった。
へへ、と笑った声があったかかった。
「おめでとう サンジ。」
言ったウソップは、優しく強く笑っていて、あったかかった。
返そうと思った言葉は声にはならなかったから、おれはあいつの肩に腕を回し、せいぜいひねた様に笑って見せた。
ほんとは、みんなに手伝ってもらったからさ、と明るい声が言った。
「『ウソッププラネッツ』っての、正しくないかもな。」
「何手伝ってもらったんだ?」
「ナミとロビンから星の本借りて、チョッパーにキャンドル分けてもらって、ゾロに鉄板切ってもらって。」
「ルフィは?」
「んー・・・オーエンか?」
「何だそりゃ。」
「うおー、ウソップすっげぇ!とか。」
わざとらしい声真似に、げらげらと笑った。
「んーだからまあ、あえて言うなら・・・」
「星出るろうそくでいいんじゃねえの?」
「まんまじゃねえか!」
しかも何かニュアンスおかしいぞ、とボヤキながら、あいつは肩を組んだまま考える。
「お、」
思いついたのか、回した腕でぺちぺちとおれの頬を軽く打った。
「何だよ。」
あえて突っかかるように尋ねた。
「や、おれさまのこれにゃ、世界の空があるわけだよな。」
「おう。」
「で、空は、晴れてりゃまあ、夜でも青いわな。」
「あぁ?」
納得するような声に、何だよ教えろよ、とけしかけそうになる。けれど。
「いや―これもまあ、一種の、オールブルー、かなぁ、なんて。」
・・・言葉は出なかった。
世界中の魚が息づく海。
おれの夢。
あまりにも遠い、けれどいつもそばにある
それはまるで、空のように。
途方もないやつの言葉に、おれは呆然と星を見上げた。
「・・・サンジ君?おおおお怒った?」
肩に乗せられていた腕がびくりと退いた。
優しかった目は今やおどおどとせわしなく動く。
さっきまであんなに余裕ぶっこいて笑ってたくせに。
「テメェ、カッコつけすぎ。」
そういって、回した腕でぐいっとほっぺたを引っ張ってやった。
「いでえいでえいでえ!」
涙目になったウソップを見て、おれはやっぱり笑った。肩にまた温度を感じてから、おれはまた笑って、切り出した。
「じゃあ、『なんちゃってオールブルー』とかそんな感じか?」
「センス悪いな!もっとスタイリッシュにできねェ?」
「う、うるせえよ!テメェこそどうなんだウソップ。」
「んー、オールブルースカイ@夜。」
「いや、カッコよすぎだから。もっとこう、亜種っぽさが。」
「亜種言うな!」
彗星みたいにぽんぽんやってくるあいつの言葉がおかしくて、おれはまたげらげらと笑った。キャンドルはずいぶんと低くなり、それでもまだ燃えている。
まあ、本物にはかなわねえけどよ、と優しい声がした。
「笑っちゃうようなふざけたニセモノも、悪くないだろ?」
本物は、自分たちで探しに行けばいいんだから。
おれの肩に回した手に、ぎゅっと力がこめられた。
ぐっと引き合い、おれたちはずっと近くなる。
「おれたち、海賊だもんな。」
おれにもたれかかるようにして、強い声が言った。
今度はふたりとも、海賊の顔で笑う。
「海賊だな。」
そういって、おれは空いていた手もあいつに回し、今度はぎゅっと抱きしめた。
腕の中のウソップは、戸惑った声で、それでもおう、と応えた。
あいつのまだ薄い肩の向こうで、北で見た赤い星がゆれていた。
少し肉が付いた、けれどまだ抱き心地の悪い身体は、あったかかった。
「ありがとう。」
やっと返したおれに、へへ、と笑う気配がした。覚悟はできていたんだ。
けれどウソみたいな奇跡は起きた。
ここに星は、空はあった。
あとは夢を、ほんものを探して、走ってゆけばいい。
戯れでも、お前は世界をくれたから。
だからおれも、いつか奇跡を見せてやる。
肩を組んで行こう。
空いた手に、世界を抱いて。
1. 噺