男と精霊 IV






苔むした寺で、辰の刻を知らせる鐘がのっそりと伸びる。
畑の連中はそろそろ昼飯だ。
 どれ、今日も一丁握り飯と茶のひとつも差し入れてやるかと、若い男はすれた草履を引っ掛けた。
まずは飯を包む、笹の葉を取りに行かなければ。



男は人気のない境内をさりさりと歩いてゆく。
 物心ついたときには、この寺の僧坊で鐘と経とを聞いていた。
 あくびが出るような鈍い音も、苔まみれの石段も、鬱蒼たる小道も馴染みのものだ。



さわさわと通り過ぎる風に、金の髪がそよとなびく。

余計なことを考えないように、他の僧はばっさりと誇りの髷さえ切り落としたけれど、
髪くらいの業は抱いて道をゆくと壮語して、男は俗を捨てた。
 ついふたとせばかり前のことか。

自分を育てた老いぼれのクソ坊主からは、好きにしろ、とあっさり言われた。
道をゆくのに、いいも悪いもなかろうが。そうとだけ呟いて。
 滅多くそに言われると思っていただけに、拍子抜けした。
そして同じくらい、サンジは途方にくれた。





道ってのはどこだ。





しゃらしゃらと揺れる竹林をゆく。
今日はやけに風が強い。秋が歩いてきているのか。
するすると揺れる前髪をさらりかき上げて、サンジは足を止めた。



つややかな髪にもう一度、触れる。

顔も知らぬ父母から継いだ、唯一のものがこの身。
その一部の金の絹糸。


髪さえ落とさず、寂れた寺で涅槃を思う滑稽な姿を、蔑む者はいると聞いた。
苛立ちも怒りもおぼえないかわり、やって来るのは漠としたもやのような気持ち。

業の深い身ではあるが、果たして破戒か?
答は知らぬ。
けれど自身で、業とともに道をゆくことは決めたのだ。何を迷う。





道ってのは どこだ。




笹の葉がしゃらしゃらと揺れた。
手に残る髪を風に乗せた。
細い細いその糸は、すぐに見えなくなった。







ふわり舞う風の中。
僧の目に飛び込んできたのは、細く長い腕だった。

笹の繁る中から伸びる、空をつかむ腕。




   ああ、見つかっちまったよ。


飛び込んできたのは、まるで陽のような声だった。




繁みをゆく道のはずれ、ふわり広がった丘に、ぽつんと置かれた岩がひとつ。
その上にいつの間にか、やんちゃな影が胡坐をかいていた。
薄汚れた麻を着流したその姿は、どこかあどけない。

「よう、サンジ。」
影の主は、実に楽しそうに僧を呼んだ。

「・・・誰だ、てめえは。」
「おれはルフィ。旅人の味方だ。」


まさか見つかるとはなあ。
そういってルフィはまた笑う。
「まあ、見つけて欲しかったからいいや。」

「どういうことだ?」
「おう、お前を誘いたくってな。」
「何に?」

「お前、旅出ろよ。」
「・・・は?」



「道をさがしてるんだろう?」




風が止まる。





「どうして」
「わかるさ、おれだから。」

僧門に入ってから、ずっと消えない問い。
そしてやがて閉塞してゆく問い。
ずっと独り向き合ってきたものを、初見のこの奇妙な男は知っている。

おれだから、だと笑った。


「道がわからないなら、さがしてみりゃいいんだ。」
「さがす?」
「ああ。どこ行ってもいい。なんでもいいんだ。とにかくさがすんだ。」


あるんだろう、
ゆきたいところ、求めるものが。


見据えてくる瞳は澱みなく、けれど何よりもふかい色を湛えている。
どこかの坊主どもの誰一人、こんな目を持った者はいない。


「なあサンジ、行こうぜ。」
旅はいいぞ。
しししっと笑いながら、麻衣の男は僧を幾度も誘う。

「おれは仏道の者だ。じゃあ遊山に、っていう訳にはいかないんだよ。」
「いや、お前は行くよ。」

おれ、決めたんだし。

楽しそうに言いながら、男は汚れた麻の袖に腕を突っ込み、何かを探し始めた。
「おれ、仏さんも坊さんも嫌いじゃねぇし。大丈夫。」
何言ってんだ。
そう返したけれど恐らく聞いちゃいない。
麻衣の男は無心で懐をがさごそと探っている。


あった。


そう呟いて、ルフィはサンジに手を伸ばした。
「何だ?」
思わず僧も、白い手を広げた。

「道に迷ったらこれ投げろ。一番いい道、教えてやるよ。」
ころんと掌に落ちたのは、一枚の銅貨。
黒ずんだその紋様に馴染みはない。


「おい、お前」
目を上げると既に姿はなかった。
ざわり。
風が一陣立ち上り、去った。
笹の葉にそっとちらばるのは名残。
その後はしゃらりとも鳴らなかった。







ひよひよと鳥の啼く声がする。

「おい、何してる。百姓どもが腹空かしててめえを待ってるぜ。」
のそりと現れたのは、寺の当代。
「クソ坊主。」
「てめえもだろうが。」
そういいながら、青僧の掌を覗き込んだ。
これは、と問う声。
「さっき男にもらったんだ。」
旅に出ろってさ。人の話なんかてんで聞きやしねェ。
そうぼやくと、からからと当代僧は笑った。


「旅好きの神さんが今年もまた、てめえを連れ出しに来たんだよ。」
旅好きの神さま。
路傍にそっと佇む、みちしるべのかみさまだ。

「今年も?」
「ああ、お前が袈裟をかける前からずっと、あいつはお前を誘いに来てたのさ。」

 旅に出ないか。
 道をさがしに行かないか。
 お前が行くべき 道をさがしに行かないか。

 なあ坊さん、あいつ今年も見つけてくれなかったんだ。



「ただ此処に生まれたからでなく。
道を求める者だから、お前もおれも此処にいる。」

 でもな、そろそろあいつもわかってきてると思うんだ。



「ゆく先はひとつ。求め方は限り無し。
 お前のやり方でみてみればいい。」

当代僧はくるり、踵を厨へと返す。
手には枝ごともいだ青い笹。
きっともうとっくに、飯も茶も出来ているのだろう。

道をゆく。
求め方は限り無し。


そんなのことは、考えてみたこともなかった。

全ては空。
結局のところ何ひとつ実体などない。
求める心さえ空に過ぎない。

何度も何度も、馴染むほど唱えていたのに。


道をゆく。
業ひとつ抱いて世界を思うか。
業を絶って浄めただけで真理に臨むか。

けれど辿り着くのは同じ空。
ならば。





僧はひとり、掌中の銅貨を空へ放った。
ぴいんと弾かれた音が、やけによく響いた。








「行って来る。」
「風邪、ひくなよ。」
「おう。」

薬袋と少しの飯だけ携えて、青僧は歩き始めた。
関所でひっそりとたたずむ道祖神に、手を合わせる。



連れ出したのはてめえだ。付き合ってやるよ。
おれはおれの道のために道をゆく。

僧は面を上げた。
ぴんと音を立て、銅貨が空へ投げられる。
出たのは裏。

ならまずは、風の流れる西へ行くとするか。





 ああ、行こう。
おれがいっしょだ、楽しくなるぞ。
たとえどの道をゆくとしても、おれはちゃんとついているから。
悔いさせはしねえよ。

さあ。











******
何宗か?
それはいっそ私こそが聞きたい。苦笑。


III