(1) 「月緒」 薄く明かりが灯された室内に、硝子杯が幾つも交わされる音がする。 周囲よりも明るく照らされた台の上にいるせいで、杯の持ち主たちをはっきり見ることは適わない。彼らを見たいとは思わないけれど、向けられる無数の視線は鬱陶しかった。 「つまらんよ」 「まったく」 「趣向にもならん」 幾つもの香気が混ざり合った中に、煩わしい野次が通る。 気だるい声は、本気で非難しているのか惰性で口にしているのかまるで分からないものだった。そのどちらかであってもそうでなくても、僕はどうでもいいのけれど、うっとうしい。 背後から首筋にかけて僕の口付けを受け、客たちに前を向いている彼も、向けられる声に顔色一つ変えない。 彼のほんのりと上気した肌に唇を寄せ、紅く色付いた胸の突起に指先を合わせる。後ろから抱きかかえた体にもう片方の手を滑らせ、狭間に忍び込ませて、人目につくよう膝立たせた。支度はとうに済ませてある奥に分け入ると、細く温んだ息がこぼれた。 客たちが望むのは、もっとはっきりとしたものだろう。けれど、僕にも彼にもそれに応える気がなかった。応えなければいけないということはない。夜が空けるまでの少しを、潰せればそれでいい。 脇腹から下肢へと愛撫の手を落とすと、不意に彼が体を強ばらせたのが分かった。 「…、かりん?」 訝しんで彼の顔を見ると、微睡むように閉じかけられていたはずの黒い瞳が大きく見開かれ、すぐ前にもう一人の相手を映し出していた。 「面白くない」 「……よしはる」 「手伝ってやるよ」 鍛え抜かれた屈強な体がぬ、っと前に出る。義春は僕を見てにやりと口許をつりあげ、不意に腰を低めた。きっちりとシャツを着たままの背が真下にある。 「い、や…っあ」 天井の明かりを映しこんだ黒い瞳から、涙が溢れる。 少年の先端に、振動音をたてる丸く小さな機械が押し当てられていた。逃げようと捩られた体を、僕は腕に包み押さ込む。かわいそうだけれど、ここでは抜き身は使わない仕来りだから、勘弁してもらう外ない。根元を抑えられているのか達することも出来ず、僕と代わった節くれた指と機械とに追い立てられて細い喉が震え、喘ぎと雫がとめどなく溢れ出る。一瞬合った彼の目に睨み据えられた気はしたけれど、僕は朱く濡れた唇への口付けで誤魔化してしまった。 「ひどいよ、僕にかまうなと言ったろう。それを道具まで使うなんて」 堰き止められ焦らされ、散々喘がされてしまった夏燐はご立腹だった。 擦れの残る声で義晴を詰り、桶に汲んだお湯を頭からざ、んと被る。石鹸の泡をつま先に付けたまま湯舟の一員に加わった少年を、僕は笑みで迎えた。 「夏燐、僕まで共犯してしまってごめん」 「そうさ、日が日なら月緒が僕の役どころなのに」 「ゆるして、義晴となんて同罪はいや」 「うん勿論」 「おいおいおい、黙って聞いてれば二人で好き放題」 文句に口を開いた義晴を他所に、僕は柔らかい夏燐の髪に指先を通し、瑞々しい少年の肌を目を細めて眺めた。 沈み込むような深い黒の瞳、成長途中の不安定そうな体、頬の辺りはまだどこか稚げで、可愛らしい。眼差しの中に宿る切っ先のような鋭みも、魅惑してやまない。 「どうしてこんなに愛らしいの」 「?…」 「ねえ夏燐、若さの秘訣を教えてよ」 「……僕らの中で、一番若いの月緒じゃないの」 そうだ、僕はまだ百も越えてない。不思議そうに首を傾けた夏燐は、湯舟の縁に作られた段に腰を下ろして瞼を落とす。首がかくんと落ちたのにあれと思って耳を澄ますと、安らかな寝息が聞こえた。 「おい夏燐、ここで寝るなよ溺れるぞ」 夏燐は完全に寝入ってしまって、揺らしても起きなかった。眠りやすいのはいつものことだから、義晴は飽きれた様に肩を竦めるだけだった。仕方ないと呟いて、溺れないよう夏燐の体を腕で支える。 疲れているのだと思う。歳は経ていても成熟前だし、僕とは違ってしょっちゅうあるじの元にいて、その上で舗にも出されて。 夜毎繰り広げられる歓楽の闇。この舗の共同出資者がそれぞれ、夏燐のあるじであり、僕の、そして義晴と共にいる相手だ。だから厳密には従業員ではない僕らは、好き好んで舗にいるといっていい。夏燐は半ばむりやり連れてこられたり、義晴は仕事のついでといったふうはあるけれど、それでもやる必要のない客の相手までしてみせるのは、それがいやじゃないからだろう。 眠る夏燐の首筋に残る、うっすらと紅い痕に目を留めた。痕をつけるのは禁じられているから、付けたのは僕らではない。指先でそっとなぞると、夏燐の喉が細く震えた。 「紅らんで、艶を刷いて、本当に綺麗だよね」 「…のぼせてるんだ、上がらせてやらないと」 「欲しくなる、」 「…。月緒、お前のあるじが近くにいなくても、あまり勝手をすればアレだ、仕置きされるんじゃないのか」 悪戯を目論み湯の中で伸ばしかけた手を、僕は素早く引いた。不遜に笑う義晴の顔を睨み付ける。 「……ふん来るなら来てみろ」 不満と苛立ちを眉に寄せてそう言い放ったものの、再び夏燐に手を出す気には、悔しいけれどならなかった。 |