PrunusPersica 「にいちゃん…おれも…ぴんくの、食べたい……」 泣きべそをかきながら部屋の前に現れた弟の朔(さく)を見て、八尋(やひろ)は首を傾げた。 「あん……?」 いつもなら近所の子たちと遊ぶのが楽しくて迎えに行かないとなかなか帰ってこないぐらいなのに、けんかでもしたかと思って八尋は弟の前にかがむ。 「どうした。…ん? そんな泣いてたら分からねえだろ?」 「お…っ、女の子、の、おまつりだって…でも…でも…おれ…」 あっちへこっちへと話が前後する上にしゃくりあげているので聞き取りにくい。 涙やら鼻水やらでびしょ濡れになった弟の顔をぬぐいながら、なんとか聞き取ってみれば、なんてことはなかった。 「ああ…ひなまつりなあ……確かに今、いっぱい積んで売ってんな」 ひなまつりフェアか何かできれいにディスプレイされた山に、ピンクや緑で色づけされたあられや、ひし餅などがたくさん並べられていたらしい。 それを近所の女の子たちと眺めていたら、そのひとりから「これは女の子のおまつりなんだよ」と言われて、朔くんは男の子だから、そのお菓子は食べられないね、と告げられたようなのだ。 同じ幼稚園に通う近所の女の子たちはひとあし飛びに大人びた口を利くようになっていくのに、号泣の理由がお菓子か……と思って、八尋は十歳離れた弟の顔を何ともいえない気持ちで見下ろす。 (こいつは本当に食べることが大好きだな……) 赤ん坊の頃からごはんのたびにはち切れんばかりの笑顔を見せられてきた身としては、もうこのままでっかくなれよ可愛いから、という気持ちにもなる。 「よし。ちっと、でかけっか」 弟の小さな手のひらを握って、八尋は少し出かけることにした。 * * * 普段の買いものだったら近所の個人商店で済ませてしまうものの、今日は少し遠くの大きなスーパーまで出かけることにする。 そこには思っていたとおり、にぎやかな飾りつけをほどこされたひなまつりお菓子の特設コーナーが設えられていた。 (しっかし…改めてみるとすげえな…) 甘酒や雛あられなどの定番ものから、期間限定の特別パッケージで売られているスナック菓子などで、その一帯がまるで桃色のかたまりのようだ。 朔は一瞬目を輝かせ、けれどふたたび思い出したらしい悲しみで涙をためはじめる。 「なあ朔」 「……なに、にいちゃん」 「おまえ、よく見てみな」 手近なスナック菓子を示してから、朔は弟の体を抱き上げて高く積まれた他のお菓子も良く見えるようにしてやる。 「ひなまつりは、めびな、と、おびな、がいるってことは知ってるか?」 「知ってる」 幼稚園で習った、と朔は少しだけ得意げになる。覚えたての知識を披露できるのが嬉しいのだろう。 「めびな、こっち。隣がおびな」 「そうかそうか。なあ、朔。めびな、っていうのは、女のひとだ。おびなは男。どれも二人が描かれてるよな?」 「……うん」 「つまり。ひなまつりってのは、男も参加してるよな? なのにお菓子を食べてはいけないなんてことはないだろ」 こぼれそうに大きな目を見ひらいて、朔は兄の顔をまじまじと見つめ、お菓子を食い入るように見つめ出す。 ひなまつりをうたうのに、めびなとおびなはとても分かりやすい目印だから、わりとどの商品も並べて描いている。文字が読めない小さな子どもでも可愛らしくデフォルメされたイラストならすぐ見分けがつくだろう。 「でっ…でも…ぴんくいっぱい…ぴんくは…女の子の」 「ああ? 別にそんなことはないだろ。おれにピンクは似合わないか?」 朔は兄を見上げてふるふると首を横に振る。 兄の八尋はそれこそあふれんばかりの桃色の中でも違和感なく馴染み、いっそうその美貌を輝かせるようだった。たまたま通りかかった者が夢でも見ているような顔で呆然とするぐらいには、八尋はきれいで、それにピンクが似合う。 「にいちゃんはぴんくも似合う」 「だろ。で、……朔はどれが食べたいんだ」 好きなの選びな、と促せば笑顔がぱぁあとはじけるのがなんとも可愛い。 朔が選んだのは淡いピンクや緑に色づけされた雛あられで、家に帰るなりいそいそとひらくと、嬉しそうには眺めては小さな粒をひとつずつ口に運ぶ。 「にいちゃん、あられ甘くておいしい」 「そうかそうか」 「ひなまつりすごい。お菓子がいっぱい並んでた」 それも普段は見慣れないものが並べられているから、朔にはまるで夢のような光景だったのだろう。 いつもどおり兄の部屋にちんまり座っておやつを頬張っていた朔は、おもむろに兄に近づくとあられをつまんで差し出す。 「はい、にいちゃん」 朔本人はもったいなくてなかなか手がない大きな粒を何のためらいもなく渡してくる。 八尋は笑って、それを口に入れた。 「うまいな」 「うん!」 いつか他のも食べてみたいと胸をふくらませながら、うっとりと雛あられを食べて行く弟を膝の上に乗せて、八尋はやわらかな髪をわしゃわしゃっと撫でる。 このちいさくてあたたかい生きものが、八尋は好きだと思う。たとえどんなことがあっても、このひとときの嬉しさを八尋は胸に残していくだろう。 (ひなまつりも悪くねえな) そう思って八尋は微笑みをうかべる。 それこそ桃の花でもくっつけたように頬を喜びに染めた弟は、どこからどうみても可愛くて、いとおしい。この弟のためになら、来年も再来年もひなまつりを楽しみたいと思える八尋なのだった。 (おわり) |