香伊

「第2話:テレビジョン」



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 テレビに、登志さんが映ってる。
 見慣れないフレームの眼鏡。
 きりっとしたスーツ。
 とっても綺麗なお姉さんやお兄さんに囲まれて、立食会の途中。
「アレまだお役御免になってなかったんだ」
「長期赴任が終わっただけらしいよ。忙しいね、登志おじさんも」
 ソファの両脇に陣取って、僕にもたれながら2人が言う。
 はじめが弟。つぎが兄。
 僕も含めて、年子の兄と弟。
「あのスイートマジョラムとチャービルを使ったサラダ、おいしそう。レシピ聞けないかな」
「牡蠣のマリネって言うんじゃないアレ。最近ハーブにはまってるからってもー」
 確かにおいしそうだと思うけれど、レシピ聞いてみようと思うけれど、段々画面がぼやけて、アップになったサラダが見にくくなっていく。
 聞きたいけど、聞けないんだ。
 画面の中では見るけれど、本当には見ない。ここしばらく、ずうっと。
 僕は最近、登志さんと会っても話してもいなかった。
「…電話も手紙もしていいって、言ったのに」
「忙しいんじゃない。ホラ、テレビも言ってる」
『現在、かなりご多忙の日々を送られ…』
 テレビになんて、言ってほしくない。
 そんなこと、僕だって分かってるんだから。
 文句を言ってもまるきり聞かない、薄ぺらの画面が憎らしい。
 やつあたりしたくなって頬を膨らませていると、左右からぬぬっと腕が現れる。
「香伊、杏パンあるよ」
「よしよしよし、ミルクセーキ継ぎ足してあげるからね」
 右手に杏パン。
 左手にミルクセーキの入ったコップ持って、一口と、一飲みする。
「おいしい?」
「うん」
「もう消すね」
 ぷちん、とテレビが消される。
 暗くなった画面から目を離して、飲むことと食べることに少し集中した。ちょっと落ち込んだときは、甘いものが欲しくなる。
 ……とってもおいしい、パン。
 ……ミルクセーキの甘さも、丁度良い感じ。
 だけど、ちょっとやっぱり、かなしい味も、する。
 登志さんは、テレビに良く映るようになった。
 それだけ人気になって、名前が広まったと云うこと。一時期だけだよ、と登志さんは笑っていたけれど、一時期がどれくらいなのか、僕は分からない。もしかしてそれは、とても長いのかもしれない、と最近思うようになった。
 だってもうずっと、会えてない。
 再会してからこんなにも連絡が取れないのは、初めてだった。
「2日も全然連絡が取れないなんて…」
「…………」
「…………」
 傍らでミルクと日本茶を、2人が飲む。
 ずずずと音をたててお茶をのみ、口を開いたのは、兄の方。
「香伊ちゃん、バターケーキもどう?」
 差し出されるまま、ちょびっと食べて、パンのかわりにそれを受け取る。あんまりそれがおいしかったので、ケーキは3口で消える。
 登志さんは、うそつきだ。
 1日たりとも僕の顔を見ないではいられない、って言ってたのに。
「きっとビデオなんかで済ませちゃえるんだ」
「ああ、山ほど撮っていったよねえ。聞くところによると、立体映像化が進んだの、ある1人のせいとか」
「何だっていーよもー。香伊人形作ってるぐらいなんだから」
「登志型貰ったよ。かわいいよ。ほらホッペ桃色なんだよ」
 フェルトで作ってあるんだ。
 登志さん器用だから、すごく上手なんだよ。
 とってもかわいくって、僕はいつも持ち歩いてるぐらい。
 手の平サイズの登志さんを見つめて、僕は再びもうどうしようもないような気持ちに、周りをぼやかしてしまう。
 でも、何とか堪えて、堪えて、堪えていたけれど、溢れてきてしまう。
 どうして登志さん、ここにいない…?
「かなしいよ…」
「うわわっ」
「香伊ちゃん、ミルクセーキが…!」
 コップを真横にしてしまって、絨毯やらソファやら、真っ白しろ。
 お掃除屋さんを頼んで、片づくまでちょっと外出することになった。
 ……、みんなごめんなさい…。




 出かけた外は、しんとしていた。
 もう夜の遅い時間で、通りかかる人もない。
 雲1つない空にはたくさん、星があった。
 お昼は雨が降っていたけれど、もうやんでいて。
 散歩にはすごくいい、夜みたいだった。
 とってもきれいで、みんなで眺めて歩く。
「香伊ちゃん、ほら。タワーに三日月がかかってるよ」
「ライトアップも良いよね。今ものぼれたら良いんだけど」
「今から頼んであげ…」
「あれ、何か小さな人だかり。おまけに…」
 前傾姿勢で、こちらに誰かが猛ダッシュ。
 凄いスピードで、スーツ姿が駆けてくる。
 え?と、思ってから、僕も慌てて、走った。
「うそアレ、オジサン?」
 遠くて視認なんて出来る距離じゃない。
 けれどもそんなことは、関係なかった。
 とっても走って。
 走って、近付く。
 ただ、タワーの下には、色んな人々。
 走っていた目にはまるで入らなかったのだけれど、
 カメラにケーブル、マイクにライト。
 登志さんは、取材の途中だった。
「うわ香伊ちゃーんっ、カメラ回ってるテレビカメラっ」
「香伊、ぜっんぜん、聞こえてない」
「多分、中継なんてしてないはずだけど、でも映像が、かわいい香伊ちゃんが見知らぬ視聴者のもとに…!」
「はあ!?そんなのは不可」
「勿論不可だよ!」
「すっみませーん、あああ、コンタクトがーっ」
 どんがらがっしゃんどしゃべしべき。
 ががががが。
 ざしっ、げげげ。
 その日、コンタクトレンズが100数メートルを飛び、謎のフィルム連続喪失事件が、あったとか、なかったとか。
「香伊、会いたかったよ。電子変換されたものじゃあ、幾らオンラインでも物足りないし、体温ないし」
「あのね」
「生声はやっぱりいいな」
「あのね」
 外は夜。
 テレビのライトはなぜか壊れて。
 月明かりが、降り注いでいて。
 間近まで顔を寄せて。
 僕は、すぐ傍の登志さんに、胸いっぱい、嬉しくなり。
 そっと囁く。
「本物の登志さんが、いちばん好きだよ」
 だって、こんなふうに、触れられないから。
 テレビで見るのは、もう、飽き飽き。
 首に腕をまわしながらこそっとそんなふうに呟いたら、登志さん鼻血が出てしまって倒れてしまった。
「香伊に一滴も血を浴びせないのはさすが」
 感心してるような、呆れているような顔をうかべたのは、弟。
 僕は苦笑して、登志さんを見つめた。
 折角だから、明日は病気療養とって、一緒にいようね。
 機械越しでない世界に、一緒にいようね。
 僕は登志さんの耳元で、小さくそう、お願いして、ゆっくりゆっくり、笑顔をうかばせた。



「テレビジョン」 おわり



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