「君は冬とゆく」



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 どうしたって目立つ。
 それが何なのか、知らない人はいない。
 腕にはめた細くて白い輪っかで、材質は石みたいで。
 よく見ると、表面にはそれぞれ違った刻印が入っている。
 F6-JE24523。
 それが僕の番号。
 超能力者登録番号だ。



 朝目覚めると、あけられたばかりのカーテンから白い光が薄く差し込んでいる。
 凍りそうに冷たい空気が肌を刺して、吐いた息がわあわあと白くなった。ふとんの外へ出ようとしたのを急いで引っ込めて、細く長く息を吐く。
「眞冬(まふゆ)、出てきな。こたつ付いてるよ」
 開けっ放しのふすまの奥からふんわりと良い匂いがする。炊きたてのごはんの匂いだ。
 顔を覗かせた春継(はるつぐ)は端正な顔に煙草をくわえ、黒いエプロンをつけたままおたまを菜箸に持ちかえる。
「さむいねえ…」
 ごろんと転がったらすぐに壁にぶつかるような狭い部屋に、やかんが湯気をはく音が響く。
 春継のいる台所兼居間にだってほんの数歩でたどり着くけれど、そこにはあたたかいこたつが控えているけれど。
 やっぱりふとんに勝るあたたかさはないよなぁと思う。
「いつまでそこにいるんだ。飯がさめるだろ」
「ふわぁい…」
 あくびをしながらふとんの中でもぞついて、近くに用意されていた綿入れを引き込み、それを着込んでからこたつの中に移動した。だいぶ前に電気を入れてもらっていたらしい小さめのこたつはほっとするほど温かくて、そのままずるずると首までもぐりこむ。
「ああ?おまえは亀か」
 体を縮めてすっぽり収まっていると、こたつ布団の端をめくられて頭の上っかわを踏まれた。
 ぐえっと呻いてから、亀のように端から顔をのぞかせる。
「亀でいい。春継、ストーブは?」
「ない」
「ええぇ」
「言うほど寒くないだろ」
「息は白くなった」
「そりゃめでたい」
 僕に構わずさっさとごはんを食べはじめた春継は綿入れも着ていないし、ワイシャツの上に着ているだぼっとしたセーターもそれほど暖かそうに見えない。恐ろしいぐらい寒さにつよいんだよなぁ。暑さにもだけど。
 しぶしぶ亀から人間に戻り、ごはんやみそ汁がきちっと並べられた前で手を合わせる。
「いただきます」
 春継のごはんはいつも美味しい。どんなに忙しくしてても、街じゃ当たり前になってる食事代わりの栄養食品なんかぜったいに買ってこない。すぐに食べられて腹持ちも良いし、味もそこそこだからたいていの人がありがたく利用しているだろうけれど、おかげさまでと言うべきか、僕はそういったものを殆ど食べたことがなかった。
「春継、今日も遅いの」
「ああ」
「最近忙しいね」
「おまえは早く帰るようにしな。まだ高校生なんだから仕事はほどほどにしろ」
 僕のは仕事っていうのかな。そう言えたとしてもたいしたことはしていないけれど。
 考え込むように手をつくと、その拍子に左手首にはめた腕輪が天板に当たって音を立てた。冷気を吸わないので冬でも冷たくならないそれを見つめながら首を傾げる。
「ね。僕、高校生扱い?」
「この春には高校生だろ」
「まあ、そうとも…?」
「眞冬が所属する、中央研究所所属第378中央校もれっきとした学校だ。卒業すれば相応の卒業資格がもらえるようになってる」
 正式名称で言うなら本当はもっと長いけれど、378校と言えば関係各所には通じるだろう。
 さんななはち、です。と言えば、その言い方から関係者じゃなくても研究所関連だと分かる。
 便宜上、小学部やら中学部という分け方はしているけれど、せいぜいIDカードの記載が変わるぐらいで環境には殆ど変化がない。
「高校生らしい高校生をやりたければ、一般学校に通えばいい」
「べつに興味ない」
「文化祭やら運動会やらがあって楽しい」
「能力発表会ならある」
「そりゃあ、楽しい催しか?」
 まったく。
 本部に呼び出されて、ぶ厚いマニュアルを読まされて、どこのページのこれ担当、なんて割り振られるだけだし。
 でも文化祭やら運動会は楽しいのだろうか。それってどんなふう?と聞いたら春継は押し黙った。春継の卒業校もあんまりふつうとは言えないらしい。
「でもさ、一般校でも研究校でも、春継のところで雇って貰うのには差がないよね」
「警察庁に入りたいと?」
「んー…、どうだろ。春継の甥です、って言うのが面倒?」
「もろばれだろうが」
 呆れたように目を眇める春継に、言った僕も適当すぎたなあと思った。
 じいっと見た春継の顔はいつものようにきれいで、少し眉をひそめるだけでもすごみが増す。燃え立つ夕焼け雲のような、くっきりとした花のような人だ。
 僕は春継とよく似ていて、並んで立てばひと目で血のつながりを感じさせる。ただ、15の僕とたいして雰囲気が変わらない三十前の男というのがおかしい話なのだ。ひとまわりとまではいかないけれど、下手すると十代に見える春継の若々しさというか美貌は、ほんとうにすごい。
「まあ、春継のところなんて無理だろうけど」
「無理ではないな。コントロールさえできるようになれば良い」
「どうせノーコンだよっ」
 拗ねたように言うと慰めと一緒に大きく顔を破顔させた春継が笑う。僕もつられて吹き出した。
 あんまりひどいので先天性制御能力欠乏症とか名付けられているぐらいダメで、それで被害を被る周りにはとても申し訳ないと思う。かといって、どうがんばってみてもちっとも改善していないんだけれどね。
 僕の左手首にある白い輪っか。Sリングなんて呼ばれているそれのおかげで、自力での制御ができなくてもどうにかなるようには、たぶんなっているんだけれど。
「眞冬が輪っかなしになれたら、空から太陽が落ちるね、きっと」
「それ冗談にならないから、落ちるから」
 春継の超能力者としての力はすこぶる高い。あんまり強いので昔はSリングを両手首につけていたぐらい。
 今はその手首にはなんにも付いていないけれど。
 超能力を制御しやすくして同時に制限もかけているSリングは、力の強弱にかかわらず超能力者なら必ずつけなくてはいけない。春継はSリング保持者の中でもごく一部だけに認められている免除対象者で、超能力者だけど輪っかなしでも良いことになっている。
「リングなんざ気休めだ。あんまり無茶してくれるなよ。ただでさえ、うちの家系は顔が良いから目立つ」
「うん」
 そういうことをさらっと言うから余計目立つのだけど。
 美人は七難隠すがうちの家訓だよね、と頷きあってから、朝ご飯の続きに戻る。
 それから僕と春継は穏やかな、とても他愛のない話を続けた。




 朝はいつも、電車を使う。
 といっても、春継のアパート行けるのは多くて週に1回ぐらいだし、行きは送ってもらっているから、そういう日の帰りだけ。だからぎゅうぎゅうづめの満員電車も、ちょっと特別な楽しみになる。
 僕に家族がいること、春継のお兄さんが僕のお父さんだということを知ったのは、僕が10才になるかならないかの頃で、それまで僕は血のつながった家族がいるなんて思ってもいなかった。
 ある日突然、春継が僕のいる研究所まで迎えに来てくれて、どうして今まで来られなかったかとか僕が生まれてすぐに研究所預かりになった理由とかを時間をかけて教えて貰った。
 はじめは混乱したけれど、それから1年ぐらい春継と一緒に暮らしてみて、両親にも会ったし、他の親戚の人たちとも話してみた。それはそれでとっても面白い毎日だったけれど、結局のところ僕はもともとの住まいに落ち着くことを選んだ。
 家族が嫌だったとか、春継と気が合わなかったとかじゃないけれど、僕の家はずっと暮らしてきた寮にあり、実の親兄弟とはたまに会うぐらいがちょうど良い。
 押し込めるだけ押し込んだ、という人の波が少し減ると、つり革を握った僕の手首にちらちらと視線が向けられる。
 リングが隠れるようなことはしてはいけないことになっていて、リストバンドはもちろん、リングに被さる形の装飾品やら手首が隠れる長袖もいけない。つり革を握ればいっぱつでリングが見えるようになっているから、そうしていると僕が超能力者だと言うことが丸わかりだ。そうなるとどこか遠巻きに伺って、距離を取る人もいる。
 超能力者と会ったり話したりすることはたいして珍しいことではないけれど、じぶんで移動した方が早かったり、僕ら側が遠慮したりして、こんなふうに公共交通機関で一緒になることは少ない。じろじろ視線を向けてくる人がいてもおかしくはなかった。
 雑踏の中はまだしも、電車やバスは密閉された空間だから。一時的にも超能力者と一緒に閉じ込められる、という感覚が受け付けられないことは理解できる。たとえは悪いけれど、どんなふうに躾けられたのか分からない狂犬と一緒にされたみたいな感じなんだと思う。
 あからさまに避けられるのは傷つくけれど、それで電車やバスを使うことを止めようとは思わない。
 要警戒対象者であることに否定はしないけれど、そんなに怖がらなくても、というのが正直なところだった。
 窓の外を眺めていると、無数に並んだビルや、ごみごみと詰め込まれた家や、川を通り過ぎていく。この辺りは30分未満の道のりを行くのに大小合わせて5本の川を渡っているから、水面が朝陽を受けてきらきらと波をつくるのが見ていて楽しかった。
 それに少し遠巻きに視線を向けてきていた人も、目的の駅についたとなったら怯えていたことなんてすっかり忘れてしまったみたいに、僕ごと押し合いへし合いしながら駅に降りる。
 その後はゆっくりとろとろ歩いているとしょっちゅう誰かとぶつかるし、邪魔にされてしまう。
 歩調を合わせて行かないといけないけれど、さいわい僕の向かう方向は徐々にひと気が薄くなり、腕輪に仕込んである反応石が鍵をあけてくれるので、たいした処理もしないで幾つかの空間を渡ることができる。
 このルートを使って学校に入るのはたぶん僕だけだろう。まだ真新しい道が柔らかに体を押す。
 ぴん、と糸が切れるような感覚と一緒に、いつもの部屋に足を踏み入れた。




「…眞冬…、おかえりなさい」
「おまえ、また電車で来たのかよ。物好きにも程があるぜ」
 日当たりの良いサンルームにはもう先客がいて、唐突に壁の中から現れた僕に驚いた様子もない。
 せっかく驚かそうとすぐ近くから出てきたのに、まったくもってつまらない仲間たちだ。
「和葉(かずは)、秀次(しゅうじ)おはよ。わぁ、あたたかいなあ」
 外の寒さが嘘みたいにあたたかい。おまけに乾燥もしていないから居心地が良い。
 この部屋では床に軽くまたげるぐらいの溝をつくって水を通してある。水路には植物が植えてあったりして、ほどよい湿り気と緑の匂いが部屋中に満ちていた。
 壁に沿うような形で置かれた半円型のソファに座った和葉と秀次が僕を手招く。えいっとばかりの勢いをかけて2人の真ん中に腰を下ろすと、ソファのばねがおもしろいぐらい派手に沈んだ。
「眞冬」
 尖りがちな眼差しをやわらげた和葉が、僕の髪に口づける。
 こそばゆさに笑みをこぼして、コートの釦を器用に外してくる秀次がやりやすように腕を持ち上げた。
「眞冬の髪は、やわらかい」
「昨日は里帰りの日だろ。どうだったんだ、おじさんは」
「いつもと同じ。アパートでごはん食べて、一緒に本を読んで、春継の話を聞いたり、ここのことを話したり」
 さるがままになっていると、ふたりは少しずつ大胆になっていく。
 コートを脱がしかけたままシャツをまくりあげてくる秀次の手と、髪に頬ずりをしながら耳を噛む和葉に、僕は少しの間だけうっとりと瞼を伏せた。部屋は暖かいし、コートを着込んだままでいると暑いぐらいで、少しひんやりとした2人の指に触れられるのが心地良い。
 でも、それも直に欲望を触れられるまで。僕はむぅっと唇を尖らせた。
「ふたりとも。昨日もしたでしょ」
「朝だけ…だった」
「汚さない。舐めてやるから、な?いいだろ?」
「だーめー」
 ほっぺたに口づけを与えてふたりの手をえいっと払う。
「僕眠い」
 今日は春継が早く出るって言うんで、早起きしたのだ。夜は遅くまで話してたので、こうも暖かい部屋にいると瞼が重くなって仕方ない。
 途端に大人しくなったふたりと並びながら、ふわぁと大きなあくびをすると、秀次が僕の頬を突く。
「そうそう、眞冬がお泊まりしている間に検診済んだぜ。おまえだけ今日」
「ええぇ。6人全員があ?」
「俺らは忙しいんだよ」
「僕だって…忙しいもん」
 みんなは外仕事。僕は家の中。やっていることに違いはないけれど、僕の方はぬくぬく暖まりながら片手間にだってできるから、だんだん声は尻すぼみになる。
 慰めてくれる2人の声は正直笑っている。これぐらいのことでいじける僕がかわいくて仕方ないらしい。そろって抱きつかれてから、ついつられて僕も笑い返す。
「ごめんね…。でも眞冬の…検査、時間かかる」
「確かにそうだけど…」
「また今度な?」
 頬をふくらませたままむっつりと頷く。正直、定期検診なんてしょっちゅうやっているから、別にひとりだって問題はないのだ。ただそれでも、あからさまに分けられるのは気にくわないだけで。
 超能力者は定期検診を受けることが義務づけられている。週ごとか月ごとで、何か変化が見られた場合はその時にも必ず行う。
 慣れたことだし、検査室に通うのも苦ではないけれど、ここにはひとつだけ面倒があった。
「で、検査室はどこ?」
 ここではそこがしょっちゅう変わるから。ただ行き先を変えるというのも面倒だけど、それだけじゃない厄介な点もある。
「ぼくが、連れて行くから、平気」
「ん。よろしく、和葉」
 腕輪に仕込んである反応石は学校内では意味がないし、いつも誰かに手伝ってもらわないと、僕は通い慣れた教室にさえ行けないのだ。なんたって気軽に空間移動を行ったら最後、どこに出るか分からないめちゃくちゃな学内なのである。どうしてそうなっているかと言えば、すごく深くてどうでもいい理由があって。
「まあ、まず風呂な。おまえ、移り香すごい」
「んー…、煙草?」
「風呂には俺が運んでやる」
「はーい」
 煙草の匂いなら嫌いじゃないし、春継さんのは特製で、もはや煙草と言っていいか迷うような成分なんだけれども。
 人一倍鼻がきく秀次の意見に従っていた方が良いだろう。
 寮にある風呂には僕も飛べたけど、安全を考えて任せることにする。秀次の空間移動はわりと荒っぽいので少しめまいがしたけれど、着替えも入浴も手伝ってくれたから楽だった。



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