僕が所属している中央研究所所属第378中央校は、数ある研究所属校の中でもわりと大きい敷地を有している。 中央研究所は超能力者を集めて管理し、能力の研究を行っている特殊機関のひとつで、世界各地に支部が点在している国際研究所だ。 超能力の発現が見られた子どもは必ずいずれかの研究所所属の学校に通うことが義務づけられていて、研究所付属の学校に入るか、通常の学校に通いながら定期的に指定施設に通うことになる。 第378中央校では、通常の施設では抱えきれないタイプの能力を持った生徒を受け入れるためにつくられた。生徒は寮で暮らし、乳幼児から成人後までの幅広い年齢層が在学し、最盛期は中央校の名にふさわしく、その辺り一帯の研究校を取りまとめていたらしい。 最近はSリングの出来も良くなってきているから、わざわざ寮付きの学校で親元から離れなくても、ただ登録さえすれば一般の学校に通えば良くて、研究校そのものも減っていている。完全になくなるかと言えばそれもいろいろ難しいらしくて、幾つかは必ず残るだろうけれど。 第378中央校は、本来なら真っ先になくなってもおかしくない学校だった。 なにしろ今現在、在学中の生徒が7人しかいない。別に周囲に学校がないわけじゃなし、さすがに閉校かというぐらいなものだけれど、それでも存続しているのはこの学校の特殊性にある。 第378中央校はその設立目的から、もともと癖のある能力者が集まりやすいんだけれども、それは能力や性格はもちろん、家庭の事情が複雑な者だとか、通常は見られない珍しい超能力を持つ者だとか。要はそういった生徒をまとめて押し込んでいた場所で、かつ研究所本部がある第1区からは遠いものだから、生徒の自主性が重要視されていた。 つまりは、扱いづらい生徒をむりやり矯正していくなんて苦労をせず、勝手にやっておいてくれ、という野放し状態。 そんなことをしていたら当然、校内はめちゃくちゃになる。超能力が暴発してもいいよう漏れないよう厳重な設備になっているから余計だ。使い放題、やりたい放題。結果的にこの第378中央校には他には見られないものがあふれることになった。 罠だ。 どこにあるか見えないブラックホールや、ペイント弾が飛んでくる窓、つねに高速回転中の廊下、巨大迷路教室。 なんでもあれの危険地帯で、真っ直ぐ歩くどころか、無防備に歩いたらどこにたどり着くかも、無事出られるかも分からない。 監督する大人がいなかっただけなら、いくら何でもこんなことにはならなかったと思う。そうなったとしてもさほど時間がかからず破綻して、本部が介入してきただろう。でもそうならなかった。この第378中央校にはなぜか必ず、生徒会長という名の優れた折衝役がいたのだ。 罠が張り巡らされることになったきっかけは第3代生徒会長で、彼はこの学校の防犯設備の甘さを憂い、外からの攻撃を避けるための術をかけたらしい。それがはじまり。 諸悪の根源にして、第378中央校の方向性を決めた人だ。 この人、成績も良く人当たりも良かったそうだけど。生徒全員の満場一致で生徒会長に選ばれたその人は、かなりすごい性格の持ち主だった。 楽しそう、のひと言で全校生徒を巻き込んだ地中ダイブを行わせたり、ある朝は校内をジャングルに変えて猛獣を放ったり、時には校内すべてを海に変えたり。 遊び心があるというか、むしろ性格悪い人だった気がするけれど、おかしいやら楽しいやらで、代々その意志を継いだ人たちが生徒会長になって校内に術をかけまくった。同時に本部に目をつけられて身動きが取れなくならないように根回しもして、きっちり生徒の心をつかんで。 おかげで不可侵領域扱いだった寮をのぞく校舎全体で星の数ほど得体の知れない術がかけられて、能力の高い低いに関わらず、第378中央校には容易に立ち入れられない。 魔窟の第378中央校なんて呼ばれ方もする学校に誰が入りたいと思うのか。 おかげさまで年々数が減り、廃校にしてしまえという話もあったらしいのだけれど、まあ、いろいろと訳があって、建物を壊せるのだろうか、ということや、やたら権力も超能力も上な卒業生の怒りを買いたくないとかの理由とかで、この学校は存続している。 僕は第378中央校に生まれてすぐに入れられた。他の6人も同じような感じだ。どうしてそんな学校に、とは思うけど、今はそのことを感謝している。 僕たち7人は、この広くて罠いっぱいの学校を家代わりに育ち、年も離れているし、能力や生まれも違うけれど、ひとつの家族になった。 第378中央校卒業生は同窓生同士の仲が良いと言われているけれど、それは僕たちにも受け継がれている。 「はーい、おおきく口をあけてね」 白衣に銀縁眼鏡でうさんくさそうな笑顔をうかべた江木(えぎ)先生が僕の喉の奥をのぞき込んで、紙に見慣れた単語を書き付ける。 先生はこの学校の卒業生で、僕たち全員の健康管理を任されていた。超能力者だけど、腕にはSリングがない。先生の場合はSリングの調整とか取り外しとかができるので、医師よりもSリング技師としての役割の方が大きく、その技術の妨げにならないように免除対象となっているのだ。 用があるときだけ、江木先生はやってくる。敷地は同じだけどちょっと離れたところにある第378研究所が本来の先生の勤め先。ここにはお願いして来て貰っている形だ。 「よし、おりこうさん。これで検査項目は終わり」 「わーい。疲れたぁ」 「うんうん。じゃあ、注射打っておこうか」 「…またぁ」 思わずため息が漏れた。じっとりと江木先生をにらむと、平気な顔でにこにこと笑顔を返してくる。先生はこの何を考えているのか良く分からない笑顔がくせ者。 「眞冬くん、数値悪いんだから仕方ないでしょ。おれにもねえ、仕事っていうものがあるの。これで何もしませんでしたじゃ、給料減らされるでしょう」 「RSEも飲んでるのに。あの薬、効いてないんじゃないの」 「一定の効き目はあるよ。眞冬くんにだって、少しは」 「僕、能力安定剤、きらい」 「うん、大好きって人はあんまりいないよね」 「江木先生注射下手なんだもん。どうしてもっていうなら、みんなに頼んでよ」 背中の3カ所を紐でとめただけの簡単な検査着を着ているから、半袖の腕を庇うように後ずさる。 僕の下手発言に江木先生は何かを諦めたような顔になった。本当に下手なんだから仕方ない。切ったり縫ったりはとても上手いのに、どうしてこんなにだめなのか不思議なぐらいだ。 「ここには江木先生しかいないし、健康管理を丸投げでお願いしててありがたいとは思ってるけど。人には向き不向きがあるんだよね」 「あー…、慰めはけっこう。七矢くんに頼もうね。じゃ、よろしく」 「はいはーい、呼ばれて飛び出ました、七矢です。眞冬、何日ぶり?2日ぶりだった?あー、今日もかわいいなあ」 投げやりに手を振った江木先生に応えて、ひょっこり姿を見せた七矢は僕の背中にべったりと張り付く。いきなり現れた重みに僕はため息を吐いた。笑顔がいちばん多くて、でもどこか底知れない雰囲気を持っていたりする七矢も、背中におぶさっているとただのおんぶおばけだ。 「七矢…」 僕が文句を言うのをまるで聞きもせず、頬ずりするように僕の髪に懐いてから、回転式の丸椅子ごと僕をくるりとまわす。床に足をつけずに浮かんだまま、七矢は僕の顎を指先で摘んだ。あ、と思ったときには口づけられる。 ぬるりと入り込んだ舌が僕の歯を舐め、舌を絡めて吸う。 「ん、…ん」 七矢のキスは驚くほど上手い。 頭の中がじんと痺れたみたいに気持ち良くて、だんだんと息が上がっていく。僕は七矢の首に腕をまわして、崩れそうな体をけんめいにつなぎ止めた。 「な、七矢…や…」 「かわいいなー、眞冬は」 口の粘膜の弱いところをさらけ出されて、容赦なくなぶられていく。わきあがる熱にじっとりと汗がうかんで、苦しい。 七矢は平然としているのに僕だけが追い上げられて、熱を吐きだしてしまいそうになる。焦ってもがいていると、すぐ近くからあきれたような声が割って入った。 「七矢くーん。検査終わったばかりで眞冬くん疲れてるからね。ほどほどにしてね?」 「せんせ、まだいたの?」 「はいはいいました。たっぷり拝見してました。あのね七矢くん。君を呼んだのはちゅーさせるためじゃないの」 少しぐったりとした僕を抱えたまま、七矢はしゃあしゃあとそんなことを言ってみせる。 江木先生は少し疲れたように目を細めてから、とんとん、と持っていたペン先で机の上を叩いて、まるでマシンガンみたいな勢いで七矢と言い争う。 僕はちょっとしらけた。ふくらみかけていたものも萎える勢いでお互いの妥協点を話し合ったふたりに、僕は適当なところで抜けて医療ベッドに寝ころんだ。そのままうとうととまどろむ。 やがて決着が付き、どちらが勝ったのかもよく分からなかったけれど、七矢なら江木先生とは比べものにならないぐらいうまい注射だから、安心して任せられた。 「だるそう、眞冬」 「まぁた、安定率が低かったのかよ」 「そうそう、だから四種混合打っといた。ねー?眞冬?」 七矢の足の間にすっぽりはまりこんだまま、寄ってきた和葉と秀次に向かって頷く。 和葉は僕のひとつ年上で、秀次と七矢はふたつ上。残りの3人とはもう少し年が離れている。 四種混合の能力安定剤は、しょっちゅう摂取しているからそろそろ耐性がついているんじゃないかと思うぐらいだ。慣れたと思ったら処方を変えられるから、強めの安定剤を打たれたときはいつもぐったりしてしまう。 能力安定剤というのは、能力が不安定な子どもにはよく処方されるものだけれど、僕の年になってもそういった類と縁が切れないのは珍しい。 僕は能力安定率が低い。つまりはコントロールが悪いということなんだけど、いい加減こればかりはどうにもならないんだから放っておいて欲しかった。 「安定率なんてどうでもいいのに…」 「そうはいっても68%下回ると、かなりきついでしょー?感情の変動ぐらいで暴走しやすくなるし」 僕の髪を撫でながら、七矢がしごく真っ当なことを言う。 泣かないし怒らないし大喜びしない、というのは確かに難しい。ちょっとした心の動きが超能力の発動に繋がるなんて、たいそう危ない生きものだから、僕だって安定剤をちゃんと飲み続けているのだ。それにしたってものには限度というのがある。 毎回毎回検査の度に薬を変えられたり、リングの設定を変えたり。そんなふうにがんばられても、僕はすぐに低くなる。 「今日は何%、だった?」 「59」 和葉は僕でなく七矢に尋ねて、納得したように頷いた。和葉も七矢も医科の課程を履修しているから、僕のことなのに僕には分からない難しい話を先生や七矢と交わす。和葉はいつも少したどたどしい話し方をするのに、七矢とは息継ぎを忘れたみたいな勢いで話した。おまけにふたりの顔がだんだん真剣なものになっていくから、下手に口を挟めない。 リングをつけた状態なら通常8割以上の安定率が保たれるはずが、能力安定剤と併用しても標準値を下回るので医者泣かせの自信はあった。 と言っても、安定率なんて日常生活では大して気になるものじゃなくて、ふだんから気をつけて過ごすようにと言われても、どうしたら良いのか分からない。泣かせっぱなしで申し訳ない、とは思うけれどね。 せいぜい困ることと言ったら、校内を自力で移動できなくなることぐらい。力の制御が不安定な僕は思いもかけない力を使ってしまうので、どこにどんな力が働いているのか分からない場所では、あまり力を使わないようにしていた。 「リング替えされないだけでもマシだろ?」 むくれる僕に秀次はそう慰めて、ちゅっと頬にキスをしてくれる。 リング替えだなんて冗談じゃない。 通常の白、医療用の青、犯罪者の赤。Sリングにはおおまかにそうした区分けがある。赤は能力の完全封鎖、青は医師の判断によって制御率が変わるもので、白より緩い場合もあれば強い場合もある。 「眞冬は、だいじょうぶ。どんなに安定率が低くなっても。僕たちが、いるから」 「和葉…」 心配そうに僕の頬を両手で包む和葉に、僕も頷く。 和葉にこんな真剣な顔をされて、首を振れるわけがない。 「ちゃんと治療は受ける…薬も飲むよ」 「うん。眞冬、よい子」 近づいてきた和葉の唇はそっと触れてすぐに離れる。 やさしいキスに、僕も和葉たちもほほえんだ。 |