「君は冬とゆく」



- 3 -

[back]  [home]  [menu]  [next]



 寝心地のいいラグの上でそろって転がっていると、ぬうっと空間が歪むのが見える。割れ目の大きさから、誰が来たのかひと目で分かった。
「ちびっこども、依頼が来たぞ」
「柊(ひいらぎ)〜、おかえりぃ」
「おー、眞冬、今日も別嬪さんだな」
 七矢に頭を預け、和葉と秀次の間にすっぽり収まったままとりとめないことを話し込んでいた僕は、相手の姿をみとめてぱっと立ち上がる。
 そのままじゃれるように飛びかかった僕を、柊は軽々と抱き上げてよしよしと頭を撫でてくれた。
「眞冬、しばらく見ないうちに背が伸びたな」
「分かる?分かる?今日の検査で3ミリ伸びてたんだあ」
 柊に満面の笑みを向けると、熊みたいな大男の柊はいかつい顔をとろけさせて、抱きかかえた僕に高い高いをする。いつも通りの子ども扱いをされて、僕は柊の両頬をぐーっとひっぱった。
「ひたいぞ」
「僕はもう高校生になるんだから。大人扱いしてね」
「そうかそうか。春になったら高校生か。月日が経つのは早いねえ」
「柊、依頼だって?」
 秀次の問いかけに、ああ、と頷いた柊は、僕の髪のぐわっしゃとつかんでめちゃくちゃにしてくる。負けるものかと蹴りを入れようとした足ごと、ふわっと投げられて片足を突き出したまま空中を滑った。
「眞冬、…、…」
「和葉も飛んでおくー?」
 そう言いながら七矢は今にも動き出しそうな和葉におおいかぶさって、動けないようにしていた。このまま揃って僕のことを眺めているつもりらしい。
 今いる娯楽室は、埋め込み式の灯りに弾力材をふんだんにつかったつくりで、ぶつかっても大丈夫なようになっているんだけど、壁なんかは弾みがつきすぎて、うっかり間違うとゴムまりになれる。
 途中で下りれば良いんだけど、投げられたものの習性か、つい自然に落ちるのを待ってしまう。幾ら広いと言ったってただの部屋。ぼんやりしていたらすぐに行き詰まってしまう。
 どうやったら柊の隙をつけるかなあなんて考えながら、壁を蹴ってジグザグに移動していると、壁のはずの箇所が急にひらいた。
 わ、と反転しかけた体を、伸びてきた腕がつかむ。
「あぶない」
「早月(さつき)かあ。驚いたぁ」
「驚いたのはこっちだよ」
 片手で流れをとめ、まるで綿でもつかんだような軽い動きで僕を抱えた早月は、そのままそろっと床におろしてくれる。床に下りるんじゃなくて、柊の方へ戻って攻撃をなんて予定は、早月の顔を見るとどうでもよくなった。
 柊は筋肉むきむきだけど、早月はほっそりしていて、全体的に華奢。
 その細い腕で重みがないもののように僕を扱うのだから、驚きだ。その凄腕っぷりは腕力じゃなくて技だとうことが、更にすごい。感心しながら、僕は柊のひどうな扱いを大げさに訴えた。早月にひと言言ってもらおう、という他力本願な考えだ。
 早月はそう、とか、ふうん、とか相づちを打ちながら、やさしい微笑みをうかべて僕の話を聞いてくれる。
 腕を広げた中に抱き込まれると心地よい安心感みたいなものがあって、早月の顔を見上げながら僕はついつい甘えた声を出した。
「それでね、柊が僕のことをひょいってまるでボールみたいに投げて」
「そう」
「うん、でね」
「ねえ、眞冬」
 ほほえみの色がかわる。はっと我に返ったけれどもう遅い。
「検診終わったばかりなんだよね?」
「ん、うう、…ん」
「じゃあ能力安定剤打たれたばかりだね?」
「…………」
「そういうときは安静にしてよう、ってお話ししたよね」
 すぐじゃないよ、ちょっと経ったよ、という言い訳は喉の奥でもごつく。影響が薄まるまで、ということならそれはまだだ。
 僕はうなだれ、大人しく頭を下げた。
「………ごめんなさい」
「うん」
 分かればいいよ、と頷く早月には、いつも通りのやわらかさがあるけれど。
 どことなく伝わる冷たさは拭いようがない。こういうときの早月には危なくて、うっかり近づくのは僕ぐらいのものだ。
「早月。眉間にしわ寄せたら、きれいな顔に良くない」
「…………」
「…………」
 はあぁ、と早月の口からため息がこぼれ落ちる。
「…この子は、まったく。眞冬ぐらいだよ。地雷を踏んでくるのは」
「正しくは、踏んでも良いのは、だろう」
「柊、何か言ったかな?」
「いや?」
 空とぼける柊に一瞬空気が悪くなるけれど、早月の方もちょっと苦笑いだ。僕に甘い、というのは早月自身、良く言っていることだから。
 しばらくべったりくっついていると、早月の雰囲気もやわらいで、僕はほっと周囲を見回した。
「早月、紘一(こういち)は?」
「紘一なら、もうすぐ来るよ。ほら」
 早月が僕ごと半回転する。
 壁がゆらいで、気配が近づく。本当だぁ、と思わず伸ばした僕の手を、向こう側から現れた腕がつかんだ。
「紘一」
「おや、待たせてしまったかな?」
 全員がじぃっと見ているものだから少し不思議そうにして、ととのった顔立ちに笑みをのせた紘一は、順にそれぞれの顔を見回す。
 目尻がきつく、黙っていれば少し怖いような雰囲気を漂わせているけれど、ありふれた白いシャツとスラックスといった出で立ちがとても似合っていた。みんなの中でひとりだけかけた眼鏡が理知的な顔立ちを引き立てて、とても格好良い。
「おかえりなさーい、紘一」
「ただいま、眞冬」
 僕が微笑むと、紘一は握ったままだった手に口づけた。紘一にはそんなきざな仕草がよく似合う。これで全員。これでここに、第378中央校にいる全生徒が揃っていた。




 数少ない先輩たちが卒業してしまい、いつのまにかたった7人きりになっていた僕たちは、当たり前だけど途方に暮れた。
 研究所からも徐々に人がいなくなっている、と気づいたときにはもう遅い。ふと気づけばどこもかしこもしんと静まりかえり、僕たちしか生きて動いているものがない。
 もともと機械頼みで生活していたから、清掃、食事の支度、授業なども管理する大人がいなくてもどうにかなったけれど、整備が出来なければ機械は壊れるし、備蓄食料には限りがある。
 その頃の僕はまだ幼かったし、いちばん年上の柊だって、今の僕と同じぐらいか下だったか、とにかくみんな子どもだった。
 そんなふうに子どもたちだけが残されることになるなんて、おかしなことだけれども、その事情はひとりだけ校内に残っていたおじいちゃん先生によって少しだけ分かった。校内の罠にはまって行方不明になっていたおじいちゃん先生のもとには最上位の退去命令が届いていたから。
 おじいちゃん先生は、超能力医療の中では知られた人だ。たぶん退去命令も誰よりも早く届いていただろう。もしかしたらはじめから異変を感じていたのかも知れないけれど、やっと出られたよ、なんて言いながらひょっこりでてきて、その命令を見なかったことにしてくれた。
 こんな形でバラバラにされるなら、ここに残ってみんなといる。そんなふうに決めた僕たちに協力を申し出てくれたのだ。とてもありがたかった。
 大家に出て行けと言われても、まっとうな理由でなければ従う必要はないさな、というのがおじいちゃん先生の言い分。
 おじいちゃん先生の指示のもと、まず最初にしたのが、部屋をきれいに片付けること。機械は苦手だしな、と言って、じぶんたちの手で掃除をするやり方をひとつずつ丁寧に教えてくれた。その頃の僕たちは、機械に頼り切りで何もできない子どもで。今思えば、そのまま大きくならなくて良かったと思うぐらい、じぶんの手足を使うことを学んでいなかった。
 そうやって少しずつ生活を形づくりながら、校内を調べてまわった。最低限の罠を知っておかなくちゃいけない、っていうこともあるし、何よりお金が足りなかったのだ。
 電気や水など生活に必要な最低限のものは止められなかったけれど、学内から殆ど出ないように育てられていた僕たちは、個人個人のお小遣いぐらいの財産しか持っていない。だからすべて見てまわって、機械や研究器具、事務用品の類まで、売れるものはすべて売ることにした。
 おじいちゃん先生はそうやって、この生活を守るために必要な社会的な手順、根回しのやり方も教えてくれた。必要なものを買いそろえることも、子どもだけでやろうとしたら知恵が必要だから。
 第378中央校をつぶすためだけにこれだけのことを仕組んだどこかの誰かは、僕たちが音を上げて逃げ出していくのを今か今かと待っていただろう。僕たちがすすんで自分たちの家だと思い決めた場所から立ち去るはずがなく、強制的に連れ出すには難しい場所だったから苦肉の策だったかもしれないけれど、まだ幼かった僕たちにたいしてそれだけのことをするのだから、権力もあるし常軌を逸してもいる相手だ。
 下手に助けを求めたらどうなってしまうか分からなかったから、ずいぶん迷ったらしいけど、おじいちゃん先生や年上3人は、誰にも助けを求めないことに決めていた。
 いつも通りを装いながらなんとか生活を続けて数ヶ月、異変に気づいた卒業生が動いてくれなければ、どうなっていたのか。何が起こっていたのかを明るみに出さないかわりに僕たちを守り、おじいちゃん先生と僕たち7人の希望を取り入れた環境をととのえてくれた卒業生たちは、すごいのひと言に尽きる。
 慰謝料代わりのお金も潤沢にもらえていたから、生活はとても楽になった。建物を作り直したり、手を入れたり。そういったことにたくさん使ったけれど、あのとき畑にかえた庭はそのまま残したし、機械もそんなに買い戻さなかった。
 僕たちの生活はすでに形づくられていたから。じぶんたちだけでなんとかやっていけるようになってから、おじいちゃん先生は弟子である江木先生を呼び寄せて、後継者にした。
 おじいちゃん先生以外、常駐の教員や管理人がいない状態を続けていたけれど、いつかそれは問題になる。だから併設の研究所に人を戻すことにしたのだ。
 学校に関してはこれまで通り、僕たちだけで。でも便宜上は規定数の職員が在籍していることにして、研究所には卒業生やおじいちゃん先生の目に適った、いわば共犯者を揃える。
 そしておじいちゃん先生がもともとの家に戻った頃には、僕たちはじぶんで稼ぐことも覚えていた。
 僕たちが僕たちの家を守るために考えて、やってきたこと。
 それが依頼を請け負うことだ。
 今では多くの研究校が行っていることで、べつだん変わったことじゃないけれど。
 能力の向上にもなり社会貢献でもある、のが通常仕様。雑草抜きから刑事事件の犯人捜しまで、じぶんたちの超能力を使ってこまごまとした雑用をこなす。
 教育の一環だからこそ本当なら仕事なんてもらえない年齢でもお金を稼げるし、請け負ったことは料金以上にきっちりと行う。あんまり派手にやると目をつけられてしまうから、たいしたことはできないけれど、僕たちに限って言えば裏っかわで動くことにすっかり慣れてしまい、多少の危険もいとわない。
 学校を維持するためにたくさんのお金が必要だったので、大抵のことは何でもやった。
 とは言っても、大抵は犯人だと分かっていても手が出せない相手に"悪戯"をしたり、誰にも知られずに探したいもの、片付けたいもの、交渉をしたいもの、そういったことを代わりにするぐらいだから、それほどすごいことじゃない。
 ただ、それを言うと春継なんかはしぶい顔をする。軽い気持ちで警察が手をこまねいていた犯罪組織を壊滅させるのか、ということらしいけれど、僕たちは正義の代弁者でもなければ、悪人憎さでそれらを行っているわけじゃない。
 僕たちはたぶん、仲間で何かをするということが楽しいのだと思う。
 もちろんそれで儲けられるからというのもあるけれど、それなら個別に依頼を請け負っていった方が稼げるのに、僕たちは必ずみんなと役割を分け合う。
 僕たちに大切なのは、ともに暮らすこと。それを守るためなら、何だってする。
 ただそれだけだった。



- 3 -

[back]  [home]  [menu]  [next]