「君は冬とゆく」



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 乾いた空気をぬるませながら、やかんの口が湯気を吐く。これはもうすぐ鳴るなぁと思ったところで、ふたをあけられたらしい。ぽわっとあたたかさがたちのぼる。
「眞冬。そろそろ起きな」
「うー…」
 ここのところの寒さと言ったら、冬眠しない生きものだって動きが鈍るぐらいのものだ。
 暖かいふとんの中でもぞりと体を動かし、ポッドの中にお湯が移される音に耳を澄ます。
「ううー…」
 小さくはみだした顔に冷気が忍び寄り深く吐いた息が白く曇っていく。抱え込んでいた熱があっというまに奪われて、僕は顔を引っ込めた。春はまだまだ遠くて、ついでにストーブはやっぱりない。
 それからしばらくしてから意を決して外に飛び出してみたものの、足が抜けきる前にぽっかりと穴をあけたふとんに戻る。それを2度ばかり繰り返してから、こたつへの移動に成功した。
 前にすすまなければ、世界は大崩壊ぐらいの決断力を必要とするぐらいの、とてもむずかしい作戦だった。…気持ち的には。
 幸いにもずいぶん前に電気が通り、たっぷりあたためられたこたつは、寒さで痺れた指先をほろりと溶けさせてくれる。ほの暗く赤い空間に頭まですっぽりはまりこむと、規則正しい包丁の音に続いて、じゅわぁと油が跳ねる音が響いた。匂いといいこの音と言い、今日のごはんはあれだな、と思うと嬉しくなって頬がゆるむ。
「ゆだるぞ」
「ふぃー…」
 かけられた声に適当にこたえながらうとうとしていると、外の空気をまとわりつかせた長い足がぬうっと現れて容赦なくつぶされる。ぬくもりすぎた頬に外の冷たさが心地良い、なんて考えたのは一瞬だけ。
「いい踏み心地だ」
「…………」
「いただきます」
 狭い空間で体をよじることもままならないところを足で絡め取られているので、腕を踏ん張ったりばたついたりしても、ちっとも外れない。
 はぁふぅ息を切らしながらどうにかこうにか外へ抜け出て、ぐったりと手を合わせた。
 でもそれも目の前に並べられたごはんを見たら、寒さも疲れもあっというまに吹き飛ぶ。いただきますと言うのももどかしく箸をにぎり、たっぷり盛られた山からひとつとって、歯を立てる。
 油の通った小麦粉の衣がさくり、とわずかに沈みこんで肉がはがれた。隙間からあふれ出たあぶらが舌にしみ込むと、我慢できなくなって丸ごと口に運ぶ。
 唐揚げっていい。なんでこんなにおいしいのかって思うぐらいおいしい。
「あぁおいしいぃ」
 それほど好きか、と聞かれて頷く。
 1週間3食とも唐揚げで良いぐらいにはとこたえたら、少しあきれた顔になった春継の手が唐揚げの山とほうれん草のごま和えをすげ替える。
「本気で涙目になるな」
 いやだって唐揚げが。唐揚げが。
 向こう側から戻ってきた唐揚げ入りの器を抱きしめて、ほぅっと息をこぼす。急いで飲み込むのも勿体ないので、目の端にまだ残っているのを確認しながらゆっくり飲み込む。そんなに好きならじぶんでもつくればいい、って話だけれど、春継のがいちばんおいしいものだから、ついついつくってもらうまでがまんしてしまう。
 春継は大根の漬け物を優雅な手つきでぱりぽり口にしながら、そういえば、と口をひらいた。
「あの男。結局訴えられなかったよ」
「…って?」
「おまえが可愛い女子中学生になった件」
 あれかぁ。
 僕の晴れ姿を見せておかないとまずいからって、気を利かせたみんなが報せてくれた、というのが、春継があのとき現れた理由。
 写真なり映像なりでいいんじゃない?って思ったけれど、とんでもない、というのがみんなのこたえ。
 僕の出番しかなく、おまけにたいした件でもなくて、という絶好の案件だ。たまには春継に僕の仕事中の様子を見せておかないと、というもあるし、かわいくした僕の姿に春継は目がないし。そう言う意味ではみんなの気づかいは当たっていた。
 仕事は山積みです、って春継の部下たちがいつも嘆いているけど、僕に勝る優先事項はない、と公言してる春継は全部放り出して駆けつけてくれたらしい。犯人逮捕をするからいいだろう、みたいなへりくつを言っていたらしいけれど、結果的に僕も助かった。リング扱いはむずかしいから。
 事件が済んだ後も、僕は1週間ぐらいあの学校に通って学生生活を楽しんだ。今だって学生なんだけど、ああいう一般的な学校体験、というのはなかなかもの珍しくて。
 ときおり春継が迎えに来て、学校帰りに寄り道する、みたいなのも一緒に楽しんだ。
 プチデートについて話すと春継の顔が少しほころんで華やぎ、でもその後すぐにいつも通りに戻る。
「まぁ、そっちで訴えられなくても超法は見逃してくれないが」
「超法ねー」
 いわゆる超能力者法。正式名は別にあるらしいけれど、分かりやすいんでこれで通ってる。
 春継はその超法を守らない人たちを取り締まったりする仕事をしているわけで、裏依頼を請け負っている僕たちなんかは目を合わせちゃダメぐらいのものなんだけれども、目をそらしたらもっといけないというか。
 お互い協力しあうことは殆どないんだけれども、こういうのは切っても切れない間柄で。僕と春継のこともあるし依頼が被ることもあるし、この辺りは微妙な配分だ。それなら関わり合う度に緊張感も漂いそうなものだけれど、そこはそれ。お互いあんまり気にしない質だから。
「後天性能力者における情状酌量は?」
「おおむね無人空間に対する器物損壊だが、傷害未遂があるからな」
「あれねー…」
 素人ならまだしも、学校医だ。人にペンキをぶつけちゃいけません、なんて常識うんぬんではなく、立場的に言い逃れは出来ないだろう。
「もともと生徒の可能性は低いって思ってたけど、あのペンキ落下事件でほぼ確定したし。こっちは簡単になって良かったけどね」
 あの辺りがいちばん、うだうだぐだぐだ言ってるのが聞こえたから。
 うっぷんたまってて、それを自分にあったやり方で発散した、というのがちまちました悪戯の中身なんだろうけど。超能力を使ってやれば当然その痕跡が残る。
 ただし僕の判断は感覚に頼りすぎているから、春継いわく証拠としては採用されない類のものらしい。証拠はあるのかと叫ぶタイプだと、もう少し時間をかけて裏付けをとっておくか、問答無用で叩きのめすかになったはずだ。後者は実際に取ったやり方とあんまり変わらなさそうだけど、少しばかり違う。
「底引き網を使ったのか。おまえのはやたらでかいしな。分類時間は?」
「えー…と?」
 共通点ごとに分けて、いるのいらないのって分けてって作業ってことだよね。わりと得意ではあるけれど、改めて聞かれると悩む。別に意識してやってない。
「網を片付けながら分けはじめるから、1時間ぐらい?…でも、それをみんなに流して、書きだして…で、合計したら半日ぐらいかかったかな」
 接触ポイントが分かってて、日数も近くてそれほど多くなくて、不特定多数っていうには限られてる顔ぶれで。そこまでそろっているんだからもう少し短縮できただろうけれど、途中にやむを得ない事情って言うのが入って時間が延びたのだ。
 やっぱり全員は疲れるし、とか思いながら、えへへ、と笑ってみたけれど、春継の視線は冷たい。
「通常は1週間から1ヶ月。それも3名以上からなる超精鋭が取り組んでだ」
「春継なら?」
「網なんぞもう使うか。効率化を図れ」
「うー…」
 同じようにぐったり疲れていたとしても、確かに春継ならもっと素早く、理論立ててやれるだろう。
 春継ぐらいの年になれば出来るのかなぁと思うと、むりっぽくて涙が出そうになるけれども、口の中でふわんと広がるごはんの甘みがうれし涙にかえてくれる。唐揚げってほんとごはんに合っておいしい。
 そうしている間にだんだんお腹がいっぱいになってきて、どうしようかなぁと迷うのを見越したみたいに大きなタッパーが出てきた。
「春継大好きっ」
「唐揚げより?」
 急いでうんと言ったけれど、ほんのちょっぴりあいた間は誤魔化されてくれなかった。指で額を弾かれて、額を手で押さえながら僕は笑ってしまった。
「どうした?眞冬」
「んーとねぇ、良かったなーって」
 デコピンがってわけじゃないよ、と一応付け加えてから、タッパーを片付け、かわりにきゅうすに手をかける春継の手もとを見下ろす。
「僕って、目覚めるのは早かったじゃない?だからずいぶん迷惑もかけたけど…先天性の超能力者で良かったなぁって」
 手もとに来たお茶を受け取って、ずずっとすする。
「僕ね、べつにいやだって思ったことなんてないんだよ。今はこうしてみんなとか春継とかそばにいて、すごく幸せだし。でもたとえば僕がずぅっと後になってから目覚めた後天性の超能力者だったら、今ごろ隔離施設行きだったなぁと思って」
 保有能力と安定率が釣り合わない危険分子。
 今だってそのレッテルがはられる可能性はあるけれど、僕はみんなに守ってもらっていて、春継にも色々便宜を図ってもらってて。
 もし身の回りに同じ超能力者がいなくて、ただただ扱いづらい厄介なものを抱え込むなんてことになったら、僕は耐えられなかったかもしれない。それはとても怖いことだった。
「想像したらとってもさびしくて」
「眞冬」
 まったくおまえは、と言われて近づけられた手は、くしゃりと僕の髪を撫でる。
「ちっと癖のある仲間と美人のおじを持ったって、罰はあたらないさ。幸せだと感じるなら、その幸せを思いっきり楽しめばいい」
「……ん、…」
 内緒話をするみたいに顔を近づけて、ちょこっと触れるだけのふんわりとしたキスをする。
 春継とのキスはいつだってやさしくて、甘くて。
 誰になんと言われたって、みんなのことも春継のことも大好きなんだと、しみじみ思う。
 たまにしか会わないでいても途切れることなく話がはずんで、僕も春継も何度も笑顔になる。
 狭い流し台に並んで立って片付けを済ませてから、僕は満員電車に乗り込んだ。
 いつも通り視線を集めて、流れに乗ってホームに下りて。
「おかえ…り」
「あー、おかえり」
「おかえり、外は寒かったでしょう」
「眞冬、おっかえりー」
「お、帰ったな。おかえり」
「おかえり。…眞冬?」
 すうっと息を吸い込んで、僕は両手をえいっと振り上げた。
「たっだいまーっ」
「おわ」
「なんだぁ」
「雪か」
「雪だな」
「ん」
 ポケットに詰め込んで持って帰ってきた雪は、まるで今降ってきたみたいに部屋の中を舞い落ちる。
「外!降り出したよ!」
 そう言うと、みんながわらわらと外へ飛び出した。吐く息が凍りそうな空の中から、ひらひら、ゆらゆらと、白く大きな欠片が降り出していて、かくりと首を傾けて空を眺めているとだんだんとみんなの口数が減っていく。
 積もるのを待てばいいのに、思う存分眺めた後はそろって地面に届く前の雪をかき集めるものだから、ちょっと妙な雪合戦がはじまってしまう。やかましいといっていいぐらいの大騒ぎだ。幾ら騒いだって構わない場所なものだから、当然歯止めがきかない。
 翌日は半分が風邪、残りが看病にまわることになり、寮の中はいつにも増してにぎやかな声にあふれることになった。



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