「君は冬とゆく」



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「おはよー。すごい眠そうだね、…だいじょうぶ?」
「うん。ありがとうー、へいきぃ」
 女の子ってやさしいな。
 眠いというより、もうそのまま倒れ込みたいようなだるさだ。
 してもいいよと言っているのは僕だけど、さすがに疲れた。実際にはみんなずいぶんと抑え気味にしてあるんだろうけれど、協力し合いながらそろって取り組んでくるわけで。
 あくびをふわぁともらす。
 わざわざ授業に参加しなくても良いのだけれど、今日は1時間目から体育で、おまけにマラソンだって言うから勇んで出てきていた。男女別で、男子はサッカーだって。それも楽しそうだなあと思うけれど、走る方がいい。
 雲ひとつない空を見上げて大きく息を吸うと、胸の中が凍りそうに冷える。
 学校指定の紺色のジャージはそれほど厚い生地じゃないから、どうしたって寒い。おまけに朝だから気温はぐっと低めで、足踏みしたり、腕をさすったりしてどうにか暖を取ろうとする姿があちこちで見られた。
 僕も同じように体を震わせながら、はぁあと手のひらに息を吹きかける。
「今日長距離走だって」
「えー…、長距離ぃー」
 不満の声が勢揃い。
 楽しいのにな。まあ、こういうふうに走るのってはじめただから、僕が余計わくわくしているってこともある。
 そこここで寒い寒いと言っているのが聞こえたらしい体育教師が、声をはりあげて並べと叫ぶ。いかにも筋肉ありげな男性教師はまったく寒そうじゃないけれど、うん。ちょっと疲れでひらき気味の意識が拾ってくる声は「俺だって寒い」…で。それがちょっと微笑ましい。
 クラスメイトの動きに従って整列し、トラックに足を踏み入れる。
 笛が吹かれると、女の子たちが一斉に走り出した。はじめはだんごになっていた一団はしだいにばらけて小さなまとまりになり、案の定というか何というか僕はしんがりにつく。
「ペースあげろぉー」
 声をかけられたけれども、そんなこと言われたってね。
 足はちっとも上がらないし、息はあがるし、めまいまでしてくる。
「おい、…!?」
 がんばりまーすと呟いたグラウンドの真ん真ん中で、僕は見事にばったり倒れこんだ。




「この子が起きたら保護者の方に連絡を取ってね。だいぶ疲れがたまってるみたいだわ」
「分かりました」
 白いカーテンの向こうで人影がふたつ。ひとりはそのまま外へ消えて、もうひとりは机に向かって何かを書き付けている。グラウンドで倒れた僕はそのすぐあと気がついたものの、一応大事をとってこの部屋に来た。
 応対してくれたのはふっくらとした体つきの中年女性で、茶目っ気たっぷりにうかべる笑顔がよく似合う、いかにも穏やかそうな雰囲気のひとだった。保健室の先生、というのは、こういったひとが適しているんだろう。
 彼女のすすめで保健室にあるベッドで横になった僕は、いったん眠りに落ちた。
 今はまだどこも授業中で、周辺の廊下や窓に面した中庭がしんと静まりかえっているのが分かる。
 辿っていた気配が遠ざかったのを見計らって、体を起こした。
「起きたのか」
「……はい」
 僕がこたえると、無造作にカーテンが引かれて相手の姿が現れる。
 向けられる視線はどことなく冷たく、面倒くさそうな感じがした。
 この学校にはふたり学校医がいて、ひとりは中年女性、もうひとりは20代そこそこといった学校出たての若い男だ。
 彼の経歴は秀次と七矢が調べてきてくれた。いつそんな報告を受けたかといえば、今し方眠っている間に。実際は眠っているのではなくそう見える状態ってだけで、今もわずかにみんなと繋がっている。会話のラインは切ってあるけど、万一のことがあればすぐに伝わる。
 漂白したてのように真っ白でシワひとつない白衣は、男の神経質さを物語っているようだ。ハの字の形で寄せられたままの眉と血色の悪い唇が陰気な雰囲気を形作り、背を丸めてぼそぼそと話すから、心なしか不気味に見えてしまう。
 もともとの性格や育ってきた環境やこれまでの経験。
 そういったものが目の前の男を形づくってきたのだろう。それがたとえば僕とはそりが合わなくても、たいていはどうだっていい。通り過ぎていくただの他人に過ぎない。
「君、熱計って」
「…………」
「体調管理もできないとだめだろう。受験生なんだから」
 受け取ろうとしないと、ケース付きの体温計をベッドの上に投げ置いた。
 ふつうの人、なんだろうな。騒がしい子どもの声がカンに障ったり、顔を使い分けて見せたり。それぐらいのことは何てこともない。ただ、理解できるか思いやれるかどうかというのは別だ。
 依頼を受けたからにはそれをこなす。僕にある理由はそれだけ。
 僕は男の内側を通り抜けるようにして箱をひらく。
 こういったものは和葉の方が得意だけど、この部屋ぐらいの範囲なら僕でも覆えた。
 ここから先は入ってこないように、同時に中の様子を伝えないようにという覆いを張り巡らせるのはわりとよくある技で、相対するどちらかがそれをつくったら、戦闘開始の合図でもある。
 ただそれは超能力者にとっての当たり前であって、そうじゃない相手には存在さえ知られてない。
 彼は数週間前まで超能力者じゃなかった。だから気づかなくても当然だろう。
「ウガワミチヒロ?」
 いきなりフルネームで話しかけられたら誰だって驚くだろうけれど、彼は僕をにらみつけ、この年頃にありがちな高慢さだと決めつけたようだ。ふんと鼻を鳴らして、カーテンを引き直す。
「熱計ったら服を着替えて。足もとに鞄、置いてあるから。保護者呼んで帰って貰うことになったよ」
 口早にそれだけ言って、書きものに集中しているような素振りを見せる。
 ねじくれているなぁと思う。
 僕が保健室にやってきたときには、ぽうっと見とれて反応を遅らせたのに、甘い声を出して話しかけてきて、それが拒まれたと気づくと途端に不満げな顔になった。
 まるで僕が口を利かない人形だったら良かったのに、とでも言いたげな顔だった。彼には女兄妹がいて、ずいぶんと比較されて育ったらしい。そのため、男子生徒には妙にやさしく、女生徒にきびしいので生徒受けがとても悪かった。
 ただ、だからといって女嫌いというわけでもなく。好みの女を見れば心が動くのだろう。
 あいにく、理想通りの美少女じゃないけれどね。
 僕はベッドの上に立ち上がり、制服と靴を手に取った。
 カーテンでふさがれているとはいえ、こんな男の前で女の子が堂々と着替えることはまずないだろうけれど、今のうちに思いっきり着ておかないと後でみんなが残念がる。
 着替えを済ませてから、僕はのんびりと口をひらいた。
「…あのさー、ウガワ」
「…………」
「今、超能力者がどれぐらいいるか知ってる?」
 リングを見ない日なんてないはずだ。こんな学校にいたって、必ず数人、あるいは十数人見ている。
 その大抵が生まれつきの超能力者で、彼のような成人後の目覚めは珍しいが、いないわけではない。
「つまりさ、超能力者なんてどこにでもいるわけ」
「…………」
 後天性の超能力者はその力に対する不安や過信を覚えやすいという傾向はあるらしいけれど、彼は違ったのだろう。
 抱いていた劣等感がちょっとしたことで優越感に変わる。なんてことはありがちだとしても、放っておけば誰かを傷つけてしまうなんてことまで、その言葉では済ませられない。
「苦情が来てるよ。やりすぎは困る、って」
 ウガワの手が止まった。やっと僕の方に向いたと思った瞬間、まるで引きちぎったかのようにカーテンが斜めに裂けて、らんらんと輝く目が僕をとらえた。手首についたリングを凝視した男の口もとがにやぁとひきつる。
「ペンしか動かせないとか言ってる癖に」
「噂がまわるのは早いねー。動かせないよ。安定率99%でやれるのはそれだけ」
 まあ、それは10グラム以下のものを動かす、という場合に限定していて、かつ、思った通りに動かす、ということだから、多少安定率乱れてたって、やれないわけじゃないけれどね。
 空中に浮かんだまま放たれた無色透明の小さなエネルギー球を避け、窓をすりぬけた。物質の通り抜けはコツがいるので、ウガワはその窓を破って外へ飛び出してくる。鍵をあけて乗り越えた方が簡単だと思うけど、頭に血が上っているウガワはそのまま屋上辺りまで一気に浮き上がった。
 僕は窓から外へでてそのまま地面に屈んでいた。ちょうどよく陽射しがあたって、近くの木々が風をやわらげてくれるから、思っていたよりも暖かくて心地良い。このまま座っていても良いかなぁ、なんて思ったけど、相手はやる気まんまんだ。
 そら豆程度の大きさだったエネルギー球がこぶし大にふくらみ、頭上から降ってくる。よいしょ、と足をずらすと、そのすぐそばにめり込んだ。校舎周りの舗装された地面が砕けて、細かい破片が飛び散る。
「ああ、飛べないのか?この下位能力者がっ」
 見下したように目を細めた男の顔を、僕はあふれそうになるため息をこらえて見上げた。
「…なにそれ?」
「君はボクの力を嗅ぎつけた研究所の人間なんだろ。もっと楽しませてくれよ」
「えー…」
 相手は正義で僕は悪?それとも逆?どっちにしたってあんまりぞっとしない。悪の組織かどうかってことに関しては、まあ否定はしないけれど。
 超能力者に上位も下位もない。格ともいうべき圧倒的な力の差はあるけれど、基本的には比較がしづらいのだ。少なくとも飛行能力のあるなしで比べられることではない。
「弱いやつほどのぼりたがるんだよね。高いところにさ」
 わざと聞こえるように言ったら、みるみるまにウガワの顔が怒りで赤くなる。
 焚きつけるのに困らない男だ。
「だいたいウガワ。おまえはちょっと思い違いをしてるし」
「じゃあ飛んでこいよっ。この低能がっ」
 ウガワの中身はとっても見えやすい。心理防壁をまったく作れていないところを見ると、そっちの能力は殆ど持ち合わせていないんだろう。僕の網を派手に壊してくれるわけだ。扱い方が分からなくたって壊すことはできる。
 心の中をのぞいたり、離れたところにいても会話できたりする、みたいなことに代表される精神感応系の能力は、ウガワのような念動力系の超能力者にはあまり発達しないと言われている。逆もしかりで、大抵の超能力者はどちらかの力に傾いている。
 でもそれはそういうことが多い、というだけであって、まるっきりそれだけしか持ってない、なんてことはない。でも、ウガワには物理的エネルギーの発生・転移ぐらいしかできていないようだ。きちんと教育を受ければある程度、他の力も使えるようになるかもしれないけれど、こればっかりは何とも言えない。
 精神感応系の能力があれば僕がどうやってウガワを突き止めたのかとか、何者なのかとか、そういういったことを警戒する。網だって存在を知らなくても違和感を覚えたり、警戒心を抱いたりと、恐れを抱くものなのだ。それがないっていうのは危なくはあるんだけれど、同じだけ強みでもある。時には度を超えた怖い物知らずになれるわけだから。
 あのときの網をふだんよりかなり脆く見えやすく作ってた、とばれたら和葉は怒るかな。…いや、もうばれてるだろうな。
 僕を得体が知れないものとして怯えてくれない、っていうのはずいぶん新鮮だった。知らないから分からないっていうのは、ある意味便利だ。
「じゃ、ちょっと遊ぼう」
 確かに僕は飛べないけれど、幸いにしてここには壁がある。
「な…っ」
 驚いたように目を見ひらくウガワの前で、僕は一気に3階分の壁を跳ね上がり、屋上の角から空中に踊り出た。途中で体をひねり、後ろ向きに回転しながらかかとを落とす。パンツ見えたかな、と思ったけれど、今更か。
 走るのは遅いけど、脚力は人並み以上にあるほうだ。バランスがとれてない、ってみんなあきれるけど。
 僕のかかとはウガワの背中に直撃し、その反動でくるんとまわってから、腹に膝をまめりこませる。
「飛べないけど跳べる、なんてね」
 勢いよく落ちていく相手には聞こえてないだろう。僕はそのまま逆さまに立った。髪の毛がだらりと下がる。ずいぶんと気合いを入れて付けてくれたらしいかつらは、ずれもしない。
 踏めばすぐに消滅するけれど、多少弾力もあるので跳びやすい僕の必須アイテム。仲間内では浮き島なんて呼ばれてる。応用も利いて、短い時間なら体をはりつけておくこともできる優れものだった。
「早くしないと激突するよー。ぐっちゃぁってつぶれるよ」
 浮き島を蹴って勢いを付け、落下していくウガワの隣に並ぶ。
 逆さまなんで顔がドス赤くなったウガワから数えるのも面倒なぐらい小さなエネルギー球が飛んできた。コーヒー豆ぐらいに小さく圧縮されているので、のんびり避けていたら制服の端っこが千切れてしまって、僕はうわ、っと眉間にしわが寄せる。
 止めが弱いウガワの襟首をつかんで勢いを弱め、僕はとん、と軽く地面に着地した。
「せっかくの制服、破いちゃったよ…」
 七矢なら新品同様直してくれるだろうけど…。もったいないことをした。
 他は平気かな、と注意深く体を見下ろしてみたところ、ほころびをひとつふたつ見つけてため息がもれそうになる。
「あとで直そう…」
 そういえば早月が言ってた。非超能力者用の服は超能力者用と比べてもろいんだって。服をつくっているところからすれば比べるなとしか言いようがないし、それ用のものだって、大抵はいざっていうときぐらいしか使わないから、あまり一般的ではないんだけど。
 強度をとるかデザインをとるか、だ。こういうのは。
「あー、今度はそれ?」
 粘土をこねるように白いもやをまるめながら、見上げもせず僕は呟く。
 薄く伸ばされた円形の膜が僕の背の倍以上の大きさになり、太陽から降り注ぐ光を少しぼやけさせていた。表面が薄く光を発しているけれど、色といい薄さといい、ピザにそっくり。あまりおいしそうではないけれど。それが職人の手にかかったみたいにくるくるまわりながら落下してくる。
「ボクはすごいんだ。見てみろおまえなんかせいぜい苦しんで泣きわめくんだっ」
「そ?」
 こねていた白いもやを離すと、それはもっふりふくらんで椅子になる。
 やわらかさにこだわってみたおかげで、とても座り心地がよい。
 ばかにするなとか聞こえた気がするけど、そうじゃなくて。本日の僕は少々ぐったりしているので、これぐらいのハンデというか配慮はしてもらってもいいというだけで。うん、納得はできないかもね。
「よっと」
 中空に設置した椅子の上に片腕だけをつかってあがり、頬杖をつきながら僕は頬杖をつきながら足もとの小石を蹴る。
 足は地面に触れていないけれど、2メートルぐらいなら近いものだ。弾いた小石がぐんぐん飛距離を伸ばして空に吸い込まれていく。
 風を切り、真っ直ぐに飛んでいった小石がウガワのつくったピザにのまれると、ばぁあんと風船が割れるような音が響いた。少々加速しすぎたみたいで、赤く灼けた石が円形の膜を硬化させ、破れると言うよりは粉々に砕けて破片が飛び散った。
 頭上から降り注ぐ破片は氷のように光を跳ねさせてたいそうきれいだったけれど、薄くて尖ったそれは容赦なく肌を裂く。僕はそれを避けるための壁をつくり、ぼんやりと椅子に座っていた。
 エネルギーをピザ状に伸ばせるんだから、それを応用すれば防御にも使えるはずだけど、ウガワはまもとにそれを浴びた。数は多いけれどせいぜい薄皮1枚ってところだろう。でもそれがいちばん痛かったりするんだよね。
「そろそろ止めようか?」
「おまえらなんか、男に尻ふるだけが能のくせしてッ。知っているんだ、ボクは知っているんだ。女は醜い。汚い。×××女がぁっ」
 舌が絡まるのか聞きづらい叫び声を上げて小粒な球がいっぱい飛んでくる。それは避けるまでもなく手前で破裂し、僕は首を傾げた。パニックを起こして手もとが乱れたのかと思ったけれど、そうではなかったらしい。
 飛び散った破片が舞い上がらないように集めてまるめていた手を止め、胸もとを見下ろす。
「えー…」
 僕の一瞬の隙を突いて狙われたリボンが無残に引き裂かれていた。その下からわずかに下着がのぞく。
 紺よりも紫がつよい大人っぽいブラが、肌の白さとあいまってとても目を引いた。下っかわにあしらわれた幅広のレースちょっとかわいらしさを足していて、みんなのお気に入り。フルカップだからパッドは見えないし、なんとなくそれらしくふくらみがあるようにも見えるから、ウガワの顔に喜びがうかんだ。
「ひっひひ」
「きゃー…」
 あぁ、とっても気のないきゃーになってしまった。一応礼儀として言ってみたけれど、まったくやる気が出来ない。
「女の子の地雷を踏むんだから、覚悟はあるよね」
 椅子の上に立ちあがって跳ね上がり、浮き島を伝ってウガワの胸もとに飛び込む。
 笑っていた顔をひきつらせて全速で移動しようとしていた胸ぐらをつかみ、男の急所に革靴をめりこませる。耳障りな音を吐き出しながら、ウガワの体が吹き飛んだ。
「踏みつぶしても良いんだけどな。最近の再生治療は出来が良いから、つまらない。あ、切り落とせばいいか?」
 中庭の木にぶつかる前に踏んづけて、地面に落とす。
 小汚いうめき声をあげる男が必死にもがいてみせるが、再び急所に足をあてがわれると血まみれになった顔から脂汗だけがだらだらとしたたり落ちる。
 じぶんについているものだしその痛みもよーく分かるけど、そこをいためつけることにためらいは感じない。
「ねえ?分かってる。何をしたか」
 ゆっくりと近づきながら、楽しい局部切断法を幾つか提案する。すっぱり一瞬じゃつまらないから、わざと切れの悪い刃物で?それもと引きちぎるか?
「女の子の服を切り裂いて良いと思ってるの?とってもきれいな子だから、男慣れしているだろうとか思ってるよね。それが?何か言い訳なるとでも?」
 口に出していないことを言い当てられたウガワの顔が青ざめていく。
 僕は手もとにナイフを引き寄せ、それをわざと目に映るように手もとでくるくるともてあそびながら、少しずつにじり寄る。
「妄想をふくらませるぐらいならお好きにどうぞ。でもそれを実行に移しちゃいけないって、分かるかなあ」
 くるりとまわるごとに数を増やしたナイフを指で弾くと、大きな放物線を描いて勢いよく地面にささる。
 幻か何かだと思っていたらしい顔は、前髪が切れたところでようやく本物だと理解してくれたようだった。
「おまっえ、な、なぜ…こん、こんな、どこから…っ」
「どこからって、ここから」
 僕は親切にも自分を指さしてから、恐れわななきながらうかべる期待にそえるように気前よく数や種類を増やす。
 拷問具にかけては、僕も達人になれる気がするな。
 仰向けに固定されてても見えるように低い位置に針状のものから棘のついたもの、大人の背丈よりも大きなものから、ありふれたハサミまで並べる。それらは不気味な鳥のようなきしみ声をあげて、今か今かと出番を待っていた。
 空いっぱいを覆う物騒な道具たちを見上げた男は傍目から分かるほどに震えていた。
「あー…、ごめん。重い」
 椅子を引き寄せて座りたいけれど、気を抜いたらごっそり落ちそうだ。
 そうなればかわいそうな性器は永遠に体とくっつけなくなるだろうけど、ウガワの上に置いた浮き島は防壁がわりにもなってくれるから、まかり間違ってもそんなことにはならない。たんなる脅しにしては、少々僕が疲れる。
 ぽろりと落ちた長剣がウガワの耳もとへ落下した。
 あーまずいー…と思ったところで、甲高い音をたてて、リングから警告音が響く。
 僕の安定率が急激に下がっていることを示すものだ。
「壊して良いかなぁ…」
 リングを壊すとどうなるんだっけ。少なくとも研究所に知らせがいって、厄介なことになるんだったか。ウガワはそれをじぶんのことだと思って何ごとかをわめき散らしていたけれど、それをゆっくり聞いている余裕がない。
 発せられている音は僕に壮絶な不快感を与える。まるで脳みそがかき回されているような感じで、神経という神経が怖気だつ。
 仕方ない、と思い決めたところで素っ気ない声が割って入った。
「なにが仕方ない、だ」
「んー…、あれ?」
 すらりとした背に、眩く感じぐらいのとびぬけて整った美貌と。
 突然の春継の登場に僕は目を見ひらき、ウガワは唖然とした顔だ。想像をはんちゅうを超えた顔を見ると、ふつうはそうなるらしい。
 いつのまに、なんて考えている間に抱き上げられてその場から引き離される。空の中でひしめいていたものはぬぐい去られたかのようにかき消えていき、音もやむ。僕は春継の胸もとに頬をすり寄せた。
「どうしたの?忙しいんじゃなかった?春継、元気してた?」
「おまえはどうだ?顔色が悪いが。…読み上げろ」
「は。宇川路宏。本日8:00をもって君の超能力者登録が完了した。登録番号3112-AWE82462。同時同日、超能力者法第211条違反及び器物損壊罪のため、身柄を拘束する。これが逮捕状だ」
「名前、罪状。よく確認するように。君はもう機関の管理下にあり、下手な誤魔化しは最悪の結果になる」
 春継の部下がぞろりと現れて、逮捕状の内容を丁寧にウガワに確認させる。さりげなく脅しっぽくなるのは、上の人間がこれだからだろう。
 みんなの鑑で自慢でかつ問題大ありの上司である春継は被疑者に背を向けて歩き出す。その目は僕しか見ていなくて、まるで家の中にいるみたいにやわらかい。服の破れは抱きかかえられた瞬間に修復されたけれど、そのシリコンパッド、どこの?なんて聞かれた。
「どこのだったかなー。紘一たちに聞けば分かるよ」
「聞く必要はない。見れば分かるだろ」
「そうなの?分かる?」
 まさか手を突っ込んでくるとは思っていないだろうけれど、さりげなく春継の部下たちが動いてウガワから僕たちを隠す。
 いらない気づかいだけど、ちょっと涙ぐましい。春継って、その辺の常識非常識が欠けてるから。そう言ったらじっとりした目で見られた。どの口で、という顔だ。
「どれ…。ふーん。ずいぶんと良いのを使うんだな」
「そう?」
 春継は手も触れずにパッドをとりあげて、指でつまんだ。そのままもにゅっとつぶす。
 人工のものとはいえ、春継じゃないそのへんの男が同じ真似をしたら、軽蔑の目で見られそうな動きだ。春継だからそれさえ妙に様になるんだけど。
 そうしているあいだに張りっぱなしだった箱が小さく畳まれていくのが分かった。春継とは血のつながりがあるせいか、僕の力に一切傷をつけず干渉できる。春継が手のひらを上向けると、その上にふわふわとしたもやが集まって、あめ玉のような粒になる。
「眞冬」
 まとめられたそれを取り込みながらふっと顔をあげると、パッドがうまい位置に戻ってきて、ささやかなふくらみを演出し直した。
「警告音が鳴ってたが、おまえ、今安定率どれぐらいだ?」
「さあ?」
「見せてみな」
 左手を手に取り、リングを目の高さまで持ち上げた春継の眉が寄せられる。
「はー…」
「なんだよ。ため息ついちゃって」
「ほんっとにコントロール最悪だな、おまえ」
 そんなの言われなくても分かっているよ。
 春継はゆるく首を振って、すぐ近くに置いてあるらしい専用車両に移動すると、新しいリングとつけたままのリングとをつなぐ。
 設定を引き継がせ、僕の状態を確認してから新しいリングに付け替えて、もともとつけていた方を指で弾く。するとそれはあっけなくバラバラになった。許容量をはるかにこえる力を一生懸命安定させて、限界を迎えてしまったのだ。
「感謝しな」
「うん」
 春継が来てくれなければ、僕の力に負けて壊れただろう。ただ壊れるだけならまだしもリングが狂うと、かなり危ない。
「春継様。そろそろ」
「眞冬はどうする?このまま戻るのか」
「うん。近くにみんながいるから」
 そういえば警告音が鳴っても誰も来なかったけれど、どうしたんだろうと思ったら、校舎のものかげからみんなの顔がひょっと出てきて、手を振るのが見えた。春継たちが来ていることを知っていて、様子見していたらしい。
 ほんの少し春継の眉がつりあがって、みんながいる方をそれぞれきっちりひとにらみしたけれど、そうしただけですんなり僕を下ろしてくれた。
「シすぎは良くない、って言ったな?」
「…うん」
「余分な力が抜けて一時的に安定率は良くなるが、それでぐったりしてれば意味がない」
「はーい」
 大人しく頷くと頭を撫でられ、誰に似たんだかと呟く。
 誰って、おおむね春継似?
 また今度遊びに行くね、と言うと残念そうな顔になり、僕の頬をひと撫でしてちょいちょいと唇をつつく。
 僕は春継の首に腕を回して瞼を伏せた。春継の色の薄い唇が重なってくる。ふんわりとあたたかい感触は、春継だけが持つやわらかさだ。
 体の底に暖かな熱が溜まって、体の芯から指の先にまで広がっていく。分けられた力によって、落ちていた体力が戻っていくのが分かった。
「春継様。…なにしてるんですか、…」
「なにって、キス」
「そんなの見れば分かります。どうしてもっとまともな回復方法をとれないんですか!」
「えーふつうだよー。姪だったら少しまずいかもだけど違うし。ねー?春継?」
「ああ」
 このふたりはいつもどうして、と顔に書いている苦悩が多そうな春継の部下に微笑みかけて、僕はひらりとその場でまわった。ひるがえったスカートがきれいな円を描く。
 可愛く見えたかな?と思うと、春継の顔が満足げだ。
「またね、春継」
「ああ」
「ばいばい」
 もとどおりの場所に戻してもらって顔なじみの部下さんたち大きく手を振ると、いかめしい顔で撤収作業中の顔ぶれがとたんに相好を崩して口々に気をつけて帰るんだぞなんて言ってくれる。
 まだまだ僕は小さな子どもに見えるらしい。いつだってみんな僕に甘々だ。期待に応えてできるだけ愛らしく笑ってから、春継に手を振り直して、いつのまにか近くに現れていたみんなに呼びかける。
 おわったよーと声をあげながら、僕は勢いよく駆けだした。



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