「王子と温かい森の花」



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 終章

「牛皮」
 渋い好みである。
 普段聞かないどころか使いもしない単語を言われて迷っているのかなかなか言葉は返らない。焦れて急かすと、よし、と呟いて自信ありげにこちらを見下ろす。
「ヒューストン!!!」
「ンがついた」
「ま、負けた…」
 まるで九回裏で逆転ホームランを打たれたピッチャーのような惨めな様子で地面に手をつく。そのまま高校球児のように土を拾って帰りそうな勢いにユツはにっこり微笑んだ。おそらくそうしたつもりでしていることだろうが、これでユツの勝ちが決定する。
「じゃあ約束だよ、この子を仲間のところに連れて行ってあげてね」
「……王子、それは承知しますけど、幾ら天衛士でもですね、本当に大変なんですよ幻草花の群れを捜すのは」
「すみません、私が空を守る者なら…と言ってしまって」
 どこの生まれだろうが結主には敬意を払う。申し訳なさそうに結主に笑まれた男は慌てたように直立した後、照れたように頭を掻いた。
「森の結主、…いえまあ、はあ、頑張ります。やらせてください。では王子、これはお預かり致します」
「うん、シーエンリに宜しく言ってね。祝福を有難うって」
「はい、…ちょっと頑固な上司ですが、嫌なら祝福には参りません。これからも宜しくお願い致します」
「うん」
 天衛士の代表の一人として誓約の儀に参加したものの、あちら嫌いのシーエンリは用があると呼び止めたユツから簡単な事情を聞くと、直属の部下を置いて先に帰ってしまった。あちら育ちの王子とは長く話したくないということなのだろう。とはいえ、置いていった部下はあちらのことを学んでいるという気さくな男だった。崖から落ちたときに一緒に落下してから離れようとしなくなった幻草花の群れにいた魚を、ユツはその男に渡して笑む。本来群れて過ごす彼らは群れから離れては長く保たない。ただそういった危機感もないのか、ただ楽しそうに男のまわりを泳いではしゃぐ。飛び立つ男を見送って、ユツは一息ついた。
「良かったですね、引き取って頂けて」
「うん、群れから離れると好きに姿も消せなくなって、後は消えるだけだって聞いたから、どうしようかと思ってた。花と違って、消えたらすぐ後また現れるものじゃないらしいし…」
「後はセゼの方ですね、あちらはどうなったでしょう」
「どうにもならんよ、無理の一点張りだ」
 宙を割ってひょいと現れたロウを見上げ、結主は残念そうに眉を下げた。近寄ってきたロウが隣に立つのを待ちながら口を開く。
「門番は一筋縄ではいきませんね、私も口添えできればいいのですが」
「結主が出て行ったら事が大きくなるだろ。やめておけ」
 儀式で忠誠と祝福を行う中に門番もいる。今日を逃せばなかなか繋ぎも取れないとセゼが直談判に行っていた。界を渡らせて欲しいとという交渉が無事に済まない限り、ユツは善弘のもとには行けない。肩を落としながらも王子を気遣って、励ますように結主はユツに微笑みかけた。
「ちょっと見に行ってみますね、待って頂いてよろしいですか」
「そうだな、…ユツ、送ってやるから部屋に戻ってろ」
「…やだ」
 首を振ったユツにロウは困った顔をうかべる。
「やだって言ってもな、王子が割り込んだらそれも大事になるだろ。王子の命令で無理に門を開かせるなんてことになったらどうする。後々しこりが残って、たとえ王子でもどうなることか…」
「…いやだ」
「そんな綺麗な格好をしたまま、駄々をこねるなよ。思わず従いたくなるだろうが」
「従ってよ」
「だめだ」
「相変わらずだな、ユツは。とても祝福を受けた王子には思えない」
 割って入った声は呆れていて、ぞんざいだ。
「…………」
「…………」
「きっちゃん…?」
 誰もが慶事に合わせた華やかな装いでいるにも関わらず、顔どころか肌の一片も見えない程すっぽりと全身を黒衣で覆った門番たちは儀式の中でも目を引いた。宙を割って現れたその内の一人だろう黒衣の男を見上げて、ユツは息を呑む。幼なじみが門番であるとは聞かされていても、実際にその姿で前にするのは初めてだ。ようやく聞いた話に現実味が伴い、今更ながら驚いてしまう。
 門番の出現の後を追うように現れたセゼは唖然とした三人を困ったような顔で見つめ、ユツの傍に寄った。
「直に話がしたいと…門番のキーロア・キッセリ。幼なじみのきっちゃんだよ」
「声だけでは覚束ないか?」
「きっちゃん!」
 頭上を覆う布が外れて現れた顔は紛れもない、幼なじみだ。ユツは駆け寄り腕に触れた。結主たちもそれにはぎょっとしたようだが、飛びつかれた当人も目を丸くする。ただそちらはすぐに立ち直って、伸ばされる腕を手に取った。
「きっちゃんだ、真っ黒で分からなかった」
「王子の話は幾らか聞いている、会うのはあれ以来だが」
「うん、あ、儀式の時もいた?」
「いた、祝福もさせて貰った。王子の正装、よく似合っている。こちらの生活には慣れたか」
「うん、少しは」
「少しか、しばらく寝込んでいたと聞いた、具合は?」
「良くなかったら儀式なんてしない」
「…そうだな」
 王子に無理を強いよう様な者はいないことは見て直ぐ分かることだろう。それに気付いて苦笑いをうかべる。腕に伸ばされた手は柔らかく爪は形良く整えられている。顔色も良く、塞ぎ込んだようなあともない。大事にされているのだと、訊かなくても知れる。
「…戻って良かったか」
 キーロアの言った呟きは低くユツは良く聞き取れなくて聞き返す。だがもう一度いうつもりはないらしいキーロアは首を左右に振り、不機嫌な顔をした徴持ちから王子を隠すように両腕の中に抱き入れた。正式に門番としている相手を無下に扱うことは出来ない。そうしたセゼの感情には気付かず、ユツはただ幼なじみに会えた嬉しさで従った。愛想もなければいつ不機嫌になるかも分からなかった男だが、それでも長く一緒にいれば慣れるもので、懐かしい。
「きっちゃん、飾り崩さないでよ。祝宴あるんだから」
「…ああ」
「それにしても本当真っ黒、露出もないし。だから夏でも半袖になるの嫌だったんだ。ねえこれ暑くないの」
 ユツの明け透けさにしかめ面をうかべてから、諦めたようにキーロアは息を吐く。そんな顔には全く頓着せず、どんなに暑くても長袖を押し通し、私服は黒ばかりを好んでいた幼なじみをユツは呆れた顔で見上げる。たとえ異なる界の中にあっても黒衣をまとう門番の生活全てを変えることは出来なかったのだろう。ユツは好奇心にかられるまま袖を覆った布の一枚を捲る。下も似たような黒い布だった。
「相変わらずなんだな、お前は」
「全然重みがないね、この布」
「…それで、どうして戻りたいなど言う。おやじさんは…あれの代わりでしかなかったはずだ」
 あれとキーロアはセゼを一瞥する。視線を向けられることさえ不本意そうなセゼの顔を振り返り、ユツはキーロアを見上げた。
「馬鹿言わないで」
「…何がだ」
 返す声は投げやりだ。ユツの睨みなど恐ろしくもないということがあからさまに分かる。そのことに腹を立てながら、ユツはきつく相手を睨み付けた。
「決めつけられるのも押しつけられるのも僕は嫌いだ」
「…知ってる」
「あれなんてセゼのことを言われるのも嫌」
「あれはあれだ」
「きっちゃんはいつだって難しく言いすぎだよ、そうじゃないんだよ」
「事実を言っているだけだ。…会っても、代用であったのを知らしめるだけだろう。悲しませるのは止めろ。王子と徴持ちの繋がりの深さを咎める気はない、お前たちはそういうものだ。だが、それに無関係な者を巻き込むな。例えあれのことを忘れていても、求めていたのはあれであり、あれに代わって似たようなことをしてくれる者だ。善弘がいればそれでいいという執着は徴持ちを求める王子の執着。結局そういった偏ったものがあることを気にも留めようとしなかったのは、ただの代用であったという証」
「きっちゃん、怒るよ」
「怒っても認めはしない」
「×××××」
 投げつけた言葉は幼なじみよりも、周りにいた者を絶句させた。むっとした顔をうかべた門番の怒りが落ちる前に飛び出してきた結主とロウの顔は青ざめている。
「お、王子、気を静めて。それにあのような言葉は使ってはいけません、断じて」
「てめえも何か言え。大事な王子の品位が崖っぷちだぞ」
「…何も聞いてないし、聞こえてない」
 セゼは取り合わない。キーロアが大して衝撃を受けていないように、向こうでのユツを伝えられていたセゼは口の悪さを知っていた。かつて極めて気ままな生活を送っていた善弘の古い仲間にはそういうものを使いこなす者も多く、ユツは普段は押し隠しているが怒りが頂点に達すると彼らから覚えた言葉がこぼれ出る。
「王子に戻ったのだからそういうものは口にするな、皆の夢も大事にしてやれ」
「そういうふうな口を利くの、セゼと似てるよ」
「…………」
「嫌そうな顔したってそうなんだから」
「あれも嫌そうな顔だが」
 セゼを示すキーロアには従わず、ユツは真っ直ぐに見上げた。
「きっちゃん、僕はお父さんに会いたいだけなんだ。…前にもこういうの考えたよ、セゼとも話した。でもそういうことじゃない、僕は善弘さんに会いたい、お父さんだから」
「…………」
 自分にはセゼが必要だった。王子には徴持ちが要る、そういうことだと言われればそうだ。だが例えきっかけが徴持ちを求める王子としての本能だったのだとしても、善弘に会いたいと思う気持ちは別にある。ようやくユツはそのことに気付いた。だから力強く言う。生まれた世界に戻って、失っていた大切な一人を取り戻した。自分の中の空白に答えを持って、やっと周りを見渡せるようになった。
「連れて行って、きっちゃん。僕は王子だけど、由都だから。もうずっと色んなことを半端に来たから、そこからはじめたい」
 ユツが伸ばした手を、しばらくの逡巡の後キーロアは取った。王子として祝福された姿は誰よりも光に満ちて、幸福を思う。不意の別れがはじまりになるよりも、再会からにしてやりたい。そういう気にさせる。
 ユツという名の王子は、再びここからはじまる。




「ただいま」
 見慣れた笑顔をうかべ煌びやかな格好で帰ってきた息子を、彼は大きく広げた腕の中に迎え入れた。










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