「鈴鳴るほうへ」



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 紅い絹糸を使って織りあげられたつややかな布が目に映る。
 飴色の柱に支えられた天蓋を見上げて、すず雪(すずゆき)は瞼の裏にさえ染み込んでゆきそうな紅から逃れるようにぎゅっと瞼をつぶった。
「う…、あ」
「すず雪ちゃん、もっと足をひらけるかい」
「深い…く、るし…」
 もうむりだと訴える口元に男は低く笑みをこぼしながら、より奥まで腰をすすめていく。やわらかで熱い粘膜に包まれる心地よさを伝えるようにそっと額に口づけ、震える首筋に唇を落とした男は、白いものが混じりだした髪を小さく揺らして少年の体を抱え直した。
 すず雪は後腔を拡げられる息苦しさと、腹を破られそうになるほど深くまでつきたてられた衝撃に涙をあふれさせながら、体の奥でうずまいていた熱が頭から足先まで広がっていく感覚に細く喉をあえがせる。
 極めかけるたびに付け根をおさえられ精を吐き出させてもらえないでいたすず雪の性器は、つやつやとした先走りで濡れそぼり、痛々しいほどそりかえって先端の小さな孔をひくつかせていた。
「いきたいかい」
 やさしくからかうような男の声にこくんと頷く。
 そうやってねだることは灼かれるような恥ずかしさで、すず雪のまつげにきらきらとした涙をからませたが、今頷かなければさらに引き延ばされてしまう。
 高められたまま吐き出すことをゆるされず、体の奥底にたまった熱にうかされことほど辛いものはなくて、すず雪は欲しがる気持ちに少しずつ折り合いをつけていかなくてはいけない。
 いじわるでしているんではないんだよ、と男は口にする。それが本当のことなのか違うのかすず雪には見分けがつかないけれど、たぶん必要なことなのだと思う。
 すず雪はお願いして、こういうこと、をしてもらっていた。すず雪にとって彼は学ぶべき相手であって、無理強いされた関係などではないし、むしろ男の方がすず雪の相手をさせられている、と言えるかもしれない。
「あと少しだよ。あともう少ししたら楽になるからね」
 すすり泣くすず雪に男はやさしくほほえみかける。
 まだゆるされないのだと知って、すず雪はいやいやをするように首を振ったが、細くあえぐ胸元や紅潮した肌を手のひらでゆったりたどられ、揺すられれば涙をせきとめる術さえ見失った。
 



 湯上がりの体をときおり壁をもたれかからせながら、すず雪は廊下へでた。
 時間をかけていぶされた墨色の木材を組み上げてつくられた壁はふれると少し冷たくて、熱の残る体をさましてくれる。
 まだ夜が明けたばかりだからだろう。
 しんと静まり返った廊下にはすず雪がたてるゆっくりとした足音だけが響いて、ときおりぎしりときしむ。
 王城に近い位置にある男の屋敷は気の遠くなるような広さで、廊下をたどりまちがえば、もといた部屋には戻れなくなりそうなほど大きい。
「すず雪様、おかえりですか」
「…はい」
「ただいま門をおあけします」
 朝早くだというのにきっちり身支度をととのえた屋敷の人間が姿を見せ、うやうやしげに頭を下げる。
 そんなふうにしてもらう必要はないとは思うものの、そうはいかない事情もあるだろうと思う。すず雪はあくまでここの"客"なのだから、もてなされることをこばんでいてはむしろ迷惑がかかってしまう。
 門さえひらけば、わずらわしさは遠くなる。
 訪れた時よりも少しだけ軽くなった体を門から外へ出せば、そこはもう、すず雪とは縁のない場所だった。
 すず雪はおとなしく門が開かれるのを待ち、開いた門からそうっと外へとすべりでることで、気持ちを切り替えた。



 
「一音はじいてみっつ、よっつ、そう」
「すず雪、はねが軽いよ。もっと落とす」
 師の鋭い声に応じながら、すず雪はバチで弦をはじいて音を鳴らす。
 長く伸びた柄に三本の弦をはり、それを弾くことで音を響かせる三弦琴は座敷舞にはかかせない大切な楽器だ。
 宴席に赴いて花をそえる華妓たちのため、曲を奏でるのが鳴り方のつとめだった。
 そんな鳴り方のひとりとはいえ、まだまだ座敷に出たての年若いすず雪は小一時間ほどの朝稽古を終えてから、他の弟子たちと一緒に軽い朝食を済ます。そうしてからぱたぱたと家の用事や師匠の手伝いに忙しく走りまわった。
 すず雪の師匠はこの辺りでは名の知られた鳴り方で、すず雪のような内弟子の他に通いの弟子も抱えていた。
 通いで稽古をつけてもらうのは華妓たちで、たしなみのひとつとして唄や弦琴を学んでいるから、稽古にくるのはたいてい朝の遅い時間になった。そのぐらいの時間になるとすず雪の身のまわりも少し落ち着いて、出かけ支度をおえて庭先におりるとばったり華妓に会ったりする。
「あれえ、すず雪さん。これからお出かけされるん」
「ええ、深ひらまで。おねえさんはこれからお稽古ですか」
 顔なじみの華妓が不思議そうに声をかけてくるのに、すず雪はやわらかな笑みをうかべた。
「そう、これからな。ざんねんやわ、すず雪さんの琴、響きがよくて好きやのに」
「ありがとうございます。おねえさんたちのお手伝いはにいさんたちがしてくれますよって」
 内弟子の中ではいちばん年下なので、通いの華妓たちの面倒をみるのはもっぱらすず雪の役目だ。
 お愛想だとしても好きだと言ってもらえるのはうれしい。丁寧に頭を下げるとまた違う日になと笑って見送られる。
 そのまま細道を伝って、すず雪は昼のにぎわいを見せる大通りへとでた。
 この辺りに軒を連ねるのは華妓たちを抱えるお茶屋や、料亭、すず雪のような鳴り方たちの住まいがほとんどだから、夜になり、辺りが暗くなりだしたころがいちばん活気づく。
 昼の今は、どことなくぼんやりとねぼけたような空気が漂い、ゆるやかな時間が街を覆っていた。
 すず雪がこの通りに暮らしはじめたのは、八つの頃だ。
 すず雪の母は別の街の華妓だった。
 たいそう舞がうまく、その名はずいぶんと遠くまで知れ渡っていたらしい。すず雪自身は母が舞う姿を見たことがなかった。幼い時分に亡くなってしまったために母についての話はたいてい人づてに聞いたものばかりだ。
「ごめんください」
「ああ、すず雪ちゃん。よう来たな。そこは寒いやろ、奥へおあがり」
 老舗の反物問屋、深ひらののれんをくぐると、番頭にはいっておいでと手招かれて、すず雪は一礼したあと履き物を脱ぐ。
 軒先から奥へと通されるのは上客だけで、師匠のおとものときならまだしも、すず雪ひとりがおつかいで来たときにはたいてい軒先で用が済むのだが、違う用が重なったときはすず雪だけでも奥へあがることをゆるされる。
 反物を日で焼かないよう窓をへらした店の奥はすこし薄暗く、ひんやりとつめたい。
 つきあたりまで進んでから、狭く急なつくりになった階段をあがらせてもらうと、独特の軋みの音がたった。古いからではなくわざとそうしたつくりなのだというのは、はじめて奥に通されたときに教えられていたが、少しばかり緊張する。
「すず雪です。お品を引き取りに参りました」
「ああ、待ってたよ。あがっといで」
 聞き覚えのあるだみ声に促されて引き戸をあける。
 正面に座る老人がすず雪を見てやわらかな笑みを浮かべ、キセルからかつりと灰を落とした。
 前の深ひらの主人で今は隠居となった男だ。顔つきは柔らかいが、この界隈の荒くれたちを陰で束ねてきた人物である。
 ここ深ひらの奥は隠居の仕切りのもと、表だっては顔を会わすことができない者が会うための場所だった。板張りの廊下は足音を隠せないように音を立て、逆に戸をきっちり閉めれば外に音が漏れないようになっている。
 ちぢまりそうになる気持ちを畳の上に伏せてさげた体の奥に隠し、すず雪は深ひら老の傍らに座る少年に目をやった。
 隠し部屋であることを一瞬忘れるほど華やかな雰囲気だった。とりたてて目立つ装いをしているわけではないのに、はっと目を奪われる。
 すっきりとした仕立ての黒い制服は、国の最高学府である王立学院のものだが、彼が着るとまるでとびきりの盛装のようにも見えた。
 白磁を思わせるような肌と、明るめの蜂蜜色の髪。こぼれそうに大きな瞳を彩るまつげは驚くほど長くて、口もとをわずかに引き上げてつくられた微笑みはまるで大輪の花がひらくような艶やかさだ。
 華妓になって座敷にあがればすぐに引く手あまたとなりそうな可憐な少年にすず雪は小さく頷いてみせる。
「…久夜(ひさや)」
「兄さま」
 ぱっと立ち上がったと思えばそばに寄られていた。あ、と思うまもなくつよく抱きしめられて、すず雪は息苦しさに小さくあえぐ。
「あ、ごめんなさい。くるしかったですか」
 久夜はすず雪を腕から離すと少しばかり申し訳なさそうな色をのぞかせたが、すぐにすねたような顔になる。
「兄さまがなかなかお会いしてくれないので、つい」
「…それは、悪かったと」
「本当にさびしくて、つらかったのですからね。兄さまが家に戻ってくださる日が、久夜は待ち遠しくてたまりません」
 すず雪は久夜の言葉にはこたえず、顔を見上げてあいまいな笑みをうかべると、少し見ないうちにまた背が伸びたらしい弟の傍らに腰を落ち着け直す。
 そのまま水が流れるように話し出そうとする弟を制して、深ひらの隠居に向けて深々と頭を下げなおした。
「たびたびお騒がせしてしまって申し訳ありません」
「いやなに、これぐらいのことおやすいごようさ」
 まなじりのしわを深めるように笑みをうかべ、ならぶふたりに視線を向ける。
「眼福というのはこういうことをいうんだろうねえ。すず雪ちゃんも弟くんや師匠を見習って、もそっと華やかな出で立ちをしてもいいんじゃないかい」
 たとえば黒に銀をさした帯なんぞしめて、と言われてすず雪は戸惑いがちにほほえんだ。
「わたしにはとても」
「兄さまは案外派手めのものもすんなり着こなせると思いますけど」
「お、弟くんは話が分かるねえ」
 あの柄はどうだこんなふうなのはとふたりそろって満足そうに頷きあう。
 すず雪にはあんまり着るものには詳しくないから話に乗れないが、熱心にあれやこれやと言い合うふたりを見るのは楽しい。
 ひとしきり盛り上がってから隠居はゆるやかな動きで腰を上げた。
「さて、せっかくの兄弟水入らずを邪魔しちゃあね。あたしはちょいと席を外そう。用があったら下へ声かけておくれ」
「ありがとうございます」
「次はご隠居が気にされてたロクシャの水煙草をお持ちしますね」
「そりゃ楽しみだね」
 頭を下げるすず雪にならうように久夜も礼を口にして、立ち去る後ろ姿を見送る。
 今もかわらず甘えてくる姿をみるとつい子ども扱いしたくなってしまうが、こういったところ見れば、もう小さな子どもではないのだと思う。
 目立つところでは会えないと言ったすず雪にこの場所を指定してきたのは久夜の方だし、たとえそれが兄や父の知恵をかりたものだとしても、思っている以上に大人なのだと思う。
 そもそも久夜とすず雪はひとつしか違わない。
 今年十五の久夜はその顔立ちにこそまだ幾分幼さを残しているとはいえ、その歳にしては肝が据わっているほうだろう。おそらくそれは生まれ持った性質だけでなく、育った環境の影響も大きいのに違いなかった。
 すず雪と久夜は母違いの異母兄弟だ。
 ふたりの父は王家との縁も深い大貴族のひとつで、王城近くに広大な屋敷を構えている。
 大貴族と縁など、一介の鳴り方として過ごすすず雪にはもてあますばかりで負担ばかりがかかる。すず雪と久夜はあまり似たところがないし、並んで歩いていたからといってあからさまに血のつながりを思うものはでないだろうが、それでも用心して人目のつくところでは久夜と会わないようにしていた。
「ねえ、兄さま。兄さまはお座敷にあがられたりされているのでしょう」
「ん? うん…まあ、ときどきは」
 大抵は師匠の付き添いだが、兄弟子と組んで座敷にあがらせてもらうこともある。
 さすがにお座敷遊びをするような年齢でもないから、ふだんどうしているのか気になるのだろうと思って、すず雪はやさしく弟を見つめ返す。
「鳴り方の方々もお座敷にあがられるときは、美しい衣装を身にまとわれますよね。長いひれのような羽織りものにも、金の糸でつくられた房がついたりして」
「ああ、垂れ紋のことかな。あれは流派とか名とかを織り込んだ鳴り方の看板みたいなものでね」
 肩からかけたときに背の半分ぐらいの長さになるよう仕立てられた細長い布で、織り模様の違いはそのまま流派の違いになるし、金や銀の糸を織り込めるのは師匠だけなどこまかく決まりがあるから、見るものが見ればひとめでどこの誰なのか分かるようになっている。
 すず雪の垂れ紋は白地に水色の糸で葉と水の流れが縫いとられていた。師匠からはじめてそれを渡されたときはずいぶんとうれしかった。一人前の鳴り方として認められたことになるからだ。
 もちろん、垂れ紋が身につけられるようになったからといって、ひとりで座敷を任されるようになるまでにはまだまだほど遠いし、すず雪の場合、これから先も座敷にあがらせてもらえる可能性は低い。
 いつかは独り立ちをして鳴り方として食べてゆければと思うが、そのためには幾つもの問題と折り合いをつけていかなくてはいけなかった。
「兄さま? どうかされましたか」
 ぼんやりしたすず雪の顔をのぞくように久夜が体を寄せてくる。すず雪ははっとしたように顔を上げてゆるく首を振った。
「うんん、なんでも…」
「どこかお具合でも? もしかしたら、はらんでおいでなのでは」
「や、ち、違う」
 かっと頬に血の気をのぼらせて、すず雪は伸ばされた久夜の指を拒むように体をそむけた。
「心配なのです。兄さまはみつばちですのに、珠守(たまもり)にみていていただくこともなければ、花主(はなぬし)もお持ちでないから」
「久夜、だめだ。さわらないで」
 つよく言ったつもりだが、慌てたせいで語尾が頼りなく揺らいでしまう。久夜はそれを具合が悪いせいだと思ったのか、いっそうにじり寄ってきて、すず雪は慌てたように身をよじった。
「大丈夫です。確かめるだけですから」
 振り払おうとした手をとられ、難なく床に倒される。弟がやさしげに口元を引くのをすず雪は青ざめた顔で見上げた。
 体格がそれほどかわらないというのにその腕から逃れることができない。本気を出してあらがえば振り払えるのかもしれなかったが、弟を傷つけてしまいそうで思い切ることができなかった。
 ためらっているあいだに帯ひもを抜いた手のひらが直に下腹に触れ、すず雪は眉を寄せた。
 淡く光を帯びた指先が体の内側にはいりこんでいく。
 体の中を直接いじられるのだ。本来なら激痛にうめいてもおかしくないのだろうが、血はでないし、傷もない。ただ違和感だけがある。つぶった目にぎゅっと力がこもって、すず雪は苦しげにあえいだ。
「い、ぁ…あ」
 ぐうっと体の内側を圧迫されるような苦しさに背筋がざわつく。押し返そうとした腕は震えてうまく力が入らなかった。
「ひ、さ…」
「兄さま、かわいい。少し感じておいでですか」
 体の中に探していたものはないとすぐ分かったはずなのに、出ていかない手のひらが戯れるように揺らされて、すず雪はまなじりの縁に涙をためた。
 与えられる熱をやりすごそうと吐き出した息を久夜の動きひとつで乱されて、頭の芯をちりちりと灼かれるような衝動がつきあげる。
 すず雪は久夜の腕を小さくたたいてせいいっぱいの拒絶を訴えた。
「はやく、ぬい…て」
「すごくいい香りです。兄さまのためる蜜はとびきり質がいい。はやく初珠ができるといいのですけど」
 たっぷり時間をかけて探りながらも引き際は心得ているのだろう。ゆっくり腕を引き抜いた久夜はぐったりと腕を落としたすず雪にいとおしげな顔をうかべた。
 動けないすず雪を抱き起こして丁寧に乱れた着物を着付けなおしていく。その手つきはいたわりを帯びていて、すず雪は喉元まで出かけたいらだちをのみこんだ。
 長く離れていたぶんの遠慮が、すず雪をためらわせてしまう。
 おそらくそうしたすず雪の後ろめたさをよく分かった上で、久夜はすず雪をじっと見つめ、そっと口をひらいた。
「ねえ兄さま。お願いです、もうそろそろお戻りになってください」
「………」
「本当なら兄さまは香津木家のみつばちとして、大切に扱われているはずですのに。兄さまがうんとさえ言ってくれたら、今すぐにだって」
「わたしは、別に今だって…大事にしてもらっているし、いずれはちゃんと戻る」
「心配なのです。兄さまはご自身がみつばちだとよく分かっておいでだし、家が用意した"仮花"のもとにだって通われている。だからこそ万が一のことがあっては、と思うのです」
「……それ、は…」
 しわひとつない手布に涙を拭われながらすず雪は肩を震わせた。
「まだ…しのいでいける、から。戻らなくても平気なうちは、ここに、いたい」
 細く息を吐くように言葉を吐いて、すず雪は人に着付けられた違和感を拭うように浅く襟を引く。
 久夜はどこかもの言いたげにすず雪を見たものの、つよく言葉を返しても頑として気持ちをまげないのは分かっているからか、深く追求することなく他愛ない話にかえて、すず雪の笑みをくりかえし誘った。



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