「からくりカラス」


作 菜月進様



 



 目を開くとカーテンの隙間から漏れる朝の日差しがとびこんできた。
脇には小うるさい目覚まし時計と封を切ったミントのタブレットケース。
一日のはじめに必ず見ているはずなのにまるで印象に残らない些細なもの、ありていな言い方をすれば当たり前の日常と表現できる過ぎゆく時間の破片が転がっていた。そんな道端の石ころみたいなものが、今のオレにはとても暖かい安らぎを与える特別なものに思えてしょうがない。
直前まで、非日常の世界にいたからだ。

「夢、だったのか?」

 自分の考えを声に出し、音になったそれを耳で聞いて再び自分の中へ戻すことで現実感と考えの正当性を同時に得ようと努める。
それでもまるで足りなかった。
さっきまで見ていたあれは、夢の一言で片付けるにはあまりに度がすぎたからだ。
 体を動かせないオレを、何者かがメスらしきもので切り裂いて内臓を引きずり出していた。
手術を受けた経験がないオレはメスなどという半円形の刃物で切られたこともなければ、実物を見たこともない。
だというのに、肌で感じる空気はそれが現実と認識するには十分すぎるほど馴染み深く、実際に痛みを感じたようにも記憶している。
 それだけでも恐ろしいというのに、内蔵が終わるとメスを持つ誰かがオレの頭部に触れ、直後に頭蓋骨まで切り取ってしまった。
むき出しの脳に刃を突き立てられ頭の中は記憶の洪水でグチャグチャになる。
重力、時間、存在感まで消え失せて……そこから先は、何かあったような気がするけれども思い出せない。
 もう冬服では熱いと感じる季節にもかかわらず、目覚めた体は冷えきっていて動くことがつらい。
かろうじて言うことを聞いてくれる右手を頼りに体のあちこちをさすってみるが、痛みも切り刻まれた様子もなかった。
氷が解けるような安堵感に思わずため息がこぼれる。
 なぜ夢というのは悪いものほど現実味を帯びているのだろう。
いつもはそう思うのだが、今回ばかりはその考えに救われた。
現実味を帯びていたからこそ、あれは夢だと確信できるのではないか?
そう考えることでオレは無理矢理自分を納得させることができたからだ。
もちろん頭では夢だと分かっていたが、なんと言い表してもハッキリしない自分の中にある別の感情が、口やかましく危機を訴えてくるせいで強引な理由付けが必要になったってわけだ。
 寝起きからそんな面倒くさい作業をしてしまったせいで、オレの頭は疲労でぜいぜい言っている。
本当なら二度寝したいところだが、時計の針が七時半を指そうとしている。
もう、一分一秒が惜しい時間になっていた。
 苛立ちを抱えつつ、仕方なくオレは体を起こした。
すると、ベッドがきしむときに聞こえるあのギシギシという耳障りな音が耳に飛び込んできた。
驚いたオレは、あわてて周囲を見渡すが、見慣れた物以外何もない。
何もないことが、かえって嫌な汗を噴き出させる。
この部屋、いやこの家にベッドなどというものは存在しないからだ。

「気のせい、か?」

 散らかった部屋の中を見回してもフローリングの床をさすっても、それらしい音を出しそうなものは見つけられなかった。
音はそれきり聞こえなくなったので、とりあえず考えないことにした。
これ以上考えてたら遅刻しちまう。
 さて準備という段階になって真っ先に向かうのは、ドアを開けてすぐのところにある洗面台だ。
朝の洗面台。
ここにはどんなに時間がなくても必ず向き合うようにしている。
オレは鏡に映る男とも女とも言えないチビを、自分とは認めていないからだ。
小学生に間違えられるほどの童顔であり、身長も百五十センチに届かないという驚異の低さである。
髪を固めたり鋭く眉を描くなりして、ようやく背伸びした中学生男子といったところだ。
見ていて不快極まりない。
女子たちからマスコット的にかわいがられたり、映画を小学生料金で観られることなども、オレにとってはないも等しい利点だ。
 髪を整えながら、ちょこちょことのぞき込むように自分の顔を見る。
遅すぎる成長期も、高校生になるころには来るだろうと期待していた過去の自分が恨めしい。
 ため息をつきながらの偽装工作が一段楽したので、オレは鏡から一歩遠ざかって全身のバランスを見た。
髪型は問題ない。
眉も鋭く描けている。
だがふくらみきってはいないとはいえ、女性らしい丸みを帯びてきた体は隠しようがなさそうだ。

「……は?」

 感想のありえなさに自分で驚き、あわててシャツをめくる。

「え、え?」

 胸のさわり心地がいつもと違う。
その手をそのまま下へと移動させ、小さいながらも長い間慣れ親しんでいた自分の分身に触れようとするが何も無い。
それどころか、寝る前はトランクスだった下着が女性もののショーツに変わっている。
恐る恐るおろして肉眼で確認すると、そこには写真でしか見たことのない女性の……。




「う、うわああああーーーーーー!!!」

 家の中どころか、近所中に響いたであろう絶叫。
次いで「あり得ねぇだろふざけんな!」と吠えるオレの心。
現実をナメてるとしか思えないバカさ加減だ、いくらなんでもこれは非常識すぎる。

「黒羽(くれは)、どうかしたの? でっかい声が聞こえたけど」

 パニック状態にあるオレの後ろに、いつの間にか母が立っていた。
あわててショーツを戻し、シャツのボタンを留める。

「あ、その、いや、何でもねえ。そう! 何でもないよ」

「何でもない? そんなことはないでしょう」

 母の勘は鋭かった。
オレは「急いでるから」と言いながら母の横をすり抜け、自分の部屋に飛び込み鍵をかける。

「ちょっと黒羽、話があります。鍵を開けなさい」

 母の声を無視し、オレは急いで制服に着替えて窓から飛び出した。

「なっ、待ちなさい、黒羽!」

 母よ、息子は大変なことになっているから関わらないでくれ。
正直に言えば、大ごとであるほどあんたに関わって欲しくないんだ。
そもそも幼いオレの制止を振り切って家を出たあんたに、待てと言う権利はない。
 オレは母の追撃をかわし、愛用のママチャリ二号(一号は盗まれた)に乗って学校への道を急いだ。




























 ◆◆◆

 自転車に乗って走るという日常的な作業が、オレの頭を現実へと引き戻してくれる。
校門をくぐる頃にはある程度頭も冷え、混乱した思考も落ち着いていた。
そうでなければ困るのだ。
身の振り方を考えるためにも、オレの質が悪く量も少ない脳みそを総動員して事態の収拾に当たらなければならないのだから。
 そして考えるべきは今日をどのように過ごすかということなのだが、自分は制服姿ですでに学校へ入ってしまった。
今なら抜け出すことも出来るが、行く当てを考えるほどの時間はないのでとりあえず授業を受け、次のことはその間にでも考えればいいという結論に落ち着く。
 教室へ入ると、暇そうにあくびをしている友人と目が合った。
猫柳(ねこやなぎ)、通称ネコ。
仲の良い悪友であり、度を超えて騒がしい男だ。

「くそっ、こんなときに限って」

 オレは小さく舌打ちする。
目を合わせてしまってはもう遅いからだ。
ネコは名に恥じず気まぐれで好奇心旺盛、おまけに人なつっこい性格のため気づかれたら回避は不可能なのだ。
 うれしそうに近づいてくるネコに対して、力なく手を振って答える。
ヤツがオレの心中を知ることは永遠にないだろう。

「よう黒羽、どうしたんだ?」

「いきなりどうしたはねえだろ、平日だから学校に来たんだよ」

「なんだ、機嫌悪いな〜。自慢のツンツン頭がしおしおだからか?」

「え?」

 言われて触ってみると、整髪料があまり効いていないようだった。
今日の髪はいつにもましてツヤがあり、油をはじいているように見える。
女の髪には男物のポマードは効かないのか?

「うるさいな、寝坊してそれどころじゃなかったんだ」

「まあいいじゃねえか、その方がモテるかも知れねえぞ? 男にな。だあっはっはっは!」

 そう言いながら、ネコはオレの肩に腕をかけた。
こいつにはオレを苛立たせて楽しむ悪い癖がある。
肩を並べると身長の低さが目立つから止めろと言っているのに、いつもニコニコしながら肩を組んできやがる。

「はっはっは、はれ?」

 急に笑うのを止め、ネコはオレの肩から腕を外した。
不審に思い振り向くと、ヤツの顔が赤らんでいることに気が付く。

「なんだよ、どうした?」

「あ、ああ、なんでもねえけどさ。ところでお前は黒羽だよな?」

「は? 他の誰に見えるのさ」

「いや、なんかいつもよりかわい……あいや、ふ、雰囲気が違うなぁって思ってよ」

「雰囲気が違う?」

 鈍感なヤツだと思っていたがネコは意外に鋭かった。
いや、野獣のごとく女を求める思春期男児の中でも飛び抜けて飢えている男、猫柳。
ヤツには相手が男であるなどという固定観念は通用しないのだろう。
ごまかす必要があると思い、オレは適当なことを言ってはぐらかすことにした。

「何だよ、雰囲気が違うといけないのか? 今日はだるいから気ぃ抜いてんだよ。別にいいだろ、女に見える日があったって」

「そ、そうだよな! ははっ、こりゃホントにかわいいや。女装してナンパにでも行ってみろよ。そこらの男ならホイホイ釣れるんじゃね?」

「こ、このバカネコが! オレがかわいいって言葉が嫌いなことぐらい知ってんだろ!?」

 そう言いながらも、オレはいつの間に照れた笑みを浮かべていた。
ネコのかわいいという一言が、妙にそわそわさせる。
 その仕草を見て、ネコの態度が変わったような気がした。
まるで自分好みの女の子と初めて会話をしているうぶな学生のように。
 ――な、何でオレは照れてるんだ? ネコの視線が熱い。
止めろ、オレにそんなつもりはない、ないはず……いや、断じてない!
 そうこうしているうちに、教師が教室の中へと入ってきた。
これ以上ない好機である。

「やべ、先生だ。さっさと席に着かなくちゃな。ほら、ネコも急げよ」

「あ、ああ」

 ネコの席は離れた場所にある。
オレが座ると、ヤツも渋々自分の席へと向かった。

 ◆◆◆

 教科書を開き、授業を受けるフリをしながらオレは考え事をしていた。
ネコから送られてくる妙に熱い視線はとりあえず無視だ。
 思い返してみると、昨日は妙なことだらけだった。
五時前だというのに医療器具メーカー勤務の叔父がアタッシュケース持参で訪ねてきて、なにやら母と話し込んでいた。
仕事の帰りだと言っていたが、叔父は外回りでもなければ五時前に切り上げられるような閑職でもない。
オレの姿を見ると「じゃ、もう帰らないといけないから」と言って、アタッシュケースを置いたまま逃げるように帰ってしまった。
 その後母は叔父からもらったサプリメントなるものをしきりに勧めてきたが、母の目を信用していないオレはいらないとはねつけた。
すると普段料理をしない母が夕食を作り、テーブルの上に並べはじめた。
奇妙には思ったが、これを食べなければ食材が無駄になってしまう。
我が家の財布にはあまり余裕がない。
空腹ということもあり、仕方なく母の手料理を食べた。
 おいしくない、自分が作った方が良かったな。
などと考えながら食べていると、突然強い眠気が襲ってきた。
あまりに強烈だったので歯も磨かずに部屋へ戻り、そのまま布団に潜り込む。
そこで記憶が途絶えているので、すぐに眠ってしまったのだろう。
ちょっと横になれば眠気も飛ぶだろうと思ったのに結局朝までぐっすりだった。
今思うと睡眠薬を盛られた危険性が高い。

 ――まさか、性別を変える新薬でも作ったのか?

 叔父は母がいないとき、幼稚園から中学に入るまで世話をしてくれた人だ。
ちなみあの女――母との血縁者ではなく死んだ父さんの弟だ。
普段は人が良くのんびりとしたさえないおじさんなのだが、医療企業の顧問技術士であり、かなりの切れ者である。ついでに言うとお金持ちだ。叔父が取り引きに応じるかどうかは別にして、母が叔父、ないし叔父の勤める企業にオレをモルモットとして売り渡すことは十分に考えられる。

「ねえ」

 だが、母はともかく叔父が危険を冒してまで人身売買をするだろうか? 叔父は医療といっても義肢や人工臓器の開発が主な仕事、臓器売買ならともかく性転換などという奇天烈な分野は専門外のはず――。

「ねえ、ねえってば!」

「んあ?」

 顔を上げると、隣の席に座る茅野(かやの)がオレの顔をのぞき込んでいた。

「なんだよ、どうしたんだ?」

「もう、授業終わってるんだけど」

 言われて周囲を見渡すと、教科書を持っているのはオレひとり。
他のクラスメイトはトイレに行ったり、雑談に興じたりしている。

「うわ、恥ずかしっ! 早く言ってくれよ」

「だから言ったじゃん」

 全くその通りだと思ったので、オレは苦笑いを浮かべて頭をかいた。

「あはは、そうだな。すまん」

「どうしたの、ぼ〜っとして。悩み事?」

「え、まあ……な」

 こいつ――茅野はまあ、平たく言えば幼なじみだ。
昔のオレを知っているので、当然家庭の事情も知っている。
加えて頭の回転が速く、しかもお節介焼きときている。
適当なごまかしが効く相手ではない。

「相談に乗ってあげよっか?」

 背景に何かあると感じたのか、悩みを聞き出す気マンマンといった雰囲気を出している。
あからさまに「オーラが出ている」と言ってもいい。
こういうときの茅野に隙を見せてはいけない。
見せればこちらが悩みを打ち明けるまで逃がしてくれないからだ。

「いや、遠慮しておくよ。女には分からない、男の悩みってのがあるんだよ」

 こう言えばさすがの茅野も引き下がるしかないだろう。
もっとも、オレの悩みは男にも理解不能な類のものだが。

「ふ〜ん、そう。あ、気をつけなよ、次の授業物理だから。ぼ〜っとしてたら取り残されちゃうよ?」

 実験室にうっかり取り残されでもすれば気まずいことこの上ない。

「それは嫌だな。ありがと、注意するよ」

 ◆◆◆

 今日の物理は見慣れぬ道具を使い、なにやら実験めいたことをやるようだ。
期待していなかったということもあるが、周囲の雰囲気も手伝ってオレもわくわくしてきた。
身に起こっている非現実的な出来事を忘れるにはうってつけだ。
 教卓の上には、やや長めの支柱で立てられた銀色のボールが置かれている。
確か、静電気を起こす機械だ。
生徒たちの視線を釘付けにするそれについて、陽気な深沢(ふかざわ)先生が解説を始める。

「この機械はバン・デ・グラーフ型の静電高圧発生装置。頭ばかりデカいが、残念ながら電気を起こすしか能がない」

 そういってスイッチを入れると、低い音を立てながらバンデなんちゃらは動き始めた。
機械の頭を叩きながら、深沢の解説は続く。

「これでこの銀玉に静電気が溜まっていくわけだ。だが、見ての通り軽く触った程度じゃチクチクする程度で何も起きない。この実験の肝は、人間の体に大量の静電気を送り込むことにある。つまり、ずっと触ってなくちゃいかんのだ」

 何を思ったのか、深沢は機械を操作してモーターの勢いを強めた。
音は大きくなり、低い音がより鈍い響きをともなって実験室に響く。

「これでよし。さ、実験だ。感電してみたいヤツはいるか? いたら手を挙げろ。人数は多い方が面白いから全員でもいいぞ」

 突然の物騒な発言に教室中が騒然となる。
低くうなる謎の物体を目の前に感電したいかと言われて、喜んで手を挙げるヤツがいるとは思えない。

「なんだ、いないのか。感電とは言ったが、こいつは安全だぞ? ちょっと痛いけどな」

 恐怖をあおることを目的としたような発言だ。
安全という言葉はニュアンスひとつでここまで危険な代物になるのかとちょっと感心する。
次いで「誰が好きこのんで感電するかよ」と声高らかに叫びたい衝動に駆られたが、それを引き金に自分が生け贄にされかねないと思い、自制した。このまま放っておけば自然に授業が進む。誰もがそう思ったであろうそのとき――。

「先生! 小波(こなみ)がいいとおもいま〜っす!」

「なにぃ!?」

 オレは思わず声を出してしまった。
あろうことか、ネコがオレを指名してきたからだ。
野郎、血迷ったか!?

「小波は今日、髪の毛を整える時間がなかったそうです。静電気で立ててやれば、ちょうどいいと思いま〜す」

 いつの間にか、オレが実験をするという雰囲気が教室の中を満たしていた。
みんな自分がかわいいのだろう。オレ一人を生贄にすれば安全だという考えが、一種の連帯感を生み出しているのがよく分かる。
別のヤツが生け贄なら、オレだってそうしただろう。
だからこそ、もう逃れようがないことまで分かってしまう。

「そうか。じゃあ小波、前に来てくれ」

 しぶしぶ前に出てきたまではよいが、とりあえずこの電気玉を何とかしないと始まらない。
痛くはない、安全だ。
そう言われても怖いものは怖い。恐怖を取り除くための何かが必要だ。

「なあネコ、怖いからお前もこっち来い」

「え〜?」

「お礼に、キスのひとつもしてやるからよ」

「なっ」

 言いながら唇に指を当て、投げるようにしてネコの方を指さす。
多くのクラスメイトはくだらない冗談だと笑っているが、ネコの目は笑っていない。
顔を赤くし、少し挙動が怪しくなり始めた。
体質変化のおかげでヤツはオレを異性として意識し始めている。
この誘い、ヤツは必ず乗る。

「仕方ねえな、言った責任もあるし。キスはいらねえけどよ」

 のこのことやってくるネコ。
オレの恐怖は復讐に変わった。
もう、オレを遮るものはない。

 ――ざまあみろ、テメエも道連れだ!

「黒羽、いっきま〜す!

 オレが手を触れると、静電気はおおきな火花を散らしながら体に流れ込んできた。
さっき深沢が触ったとき、こんな火花は出ていない。
何かがおかしいと思い始めたオレの頭とは別に、強い危機感が襲ってきた。
 全身を震わせる、本能の警告ともとれる強い衝動――危険、即座に離れよ。
そんな言葉がサイレンのように聞こえてくる。
錯覚か、それとも幻聴? 分かるのは、この状況が自分にとってシャレにならないほどヤバイということだ。
 だが、離れようとしても手どころか全身が動かない。
機械に触れている左手は異常に発熱し、電気の流れをせき止めているようにも見える。
そんな防壁も、ポップコーンが破裂するような音とともに決壊した。

『ピガァ!?』

 行き場を失った電気が、オレの体めがけて一斉に流れ込んできたかと思うと――。

 ◆

 オレの視界は周波数の合わないテレビのような、白黒の砂嵐に包まれていた。
特有の耳障りな音も聞こえる。
ショックで頭がどうにかなっちまったのかも知れない。

「だい……か? おい……クレ……」

「深川、何が……よ、思いっきりあぶな……」

 耳をすますと、人の声のようなものが聞こえる。
音源を見つけようと目を動かすと、砂嵐の中に人間の輪郭を見つけることが出来た。

「……にかく落ち着きなさい! 小波……か?」

 少しずつ音がハッキリしてくる。
この声は、深沢だろうか。

「お願い……をして、黒羽!」

 茅野の声だ。
そう思い意識をすると、砂嵐は徐々に収まり、白黒ながら茅野の姿が見て取れる。
覆い被さるようにしている様子から、オレは倒れているのだなと、ようやく気が付いた。

「先生、オレが……を保健室に!」

 このやかましい声はネコだ。
倒れた人間を保健室に運ぶのは当然の判断。
おそらく責任を感じて自分から名乗りを上げたのだろう。

 ――ちょっと待て、今ネコに抱き上げられたら体のことがバレて大騒ぎになるんじゃないのか? それヤバイって!

『ま、待て、ネコ……オレは、大丈夫、だ』

 ゆっくりではあるが、何とか体を動かせそうだ。
ハッキリしない白黒の視界を頼りに、オレは立ち上がって健在ぶりをアピールする。

『ち、ちょっと、めまいがする、だけだ。そんなに騒ぐなよ』

 それに対して、怒り心頭といった様子の茅野が突っかかってくる。

「大丈夫、なんて言われて信用できるわけないでしょ! 自分が倒れたって自覚あるの?」

 白黒だった茅野の肌が、本来の色を取り戻しつつある。
オレは時間の経過とともに、この症状は改善すると確信した。

『そりゃ倒れるさ、電気ショックなんだからな。それに、そんなに長いこと気を失ってたわけでもないんだろ?』

「それは、そうだけど。でも、声おかしいよ?」

『え? あ〜、テステス。確かにおかしいな』

 指摘されてから、自分の声を聞いてみる。
妙に電子音じみていて、人間の声に聞こえない。

『たぶん、のどがしびれてるんだろ。時間で治る』

「そういう油断が命取りなのよ」

「命って、大げさすぎるだろ。こんなのせいぜいスタンガン――お? ほらみろ、さっそく治ったじゃん」

 喋っていると、オレの声は自然と元通りになった。
したり顔のオレと、ため息をついてうつむく茅野。
それを見て深沢が一言つぶやいた。

「夫婦漫才は終わったな。では授業を再開――」

「ふざけんな! こんな危ないもん使わせやがって、殺す気か!」

 床に転がった銀の球体を指さしながら、ネコが怒号する。
それを合図に――。

「テメエのせいだろ、何事もなかったようなこと言うんじゃねえ!」

「授業の前にやることがあるだろ、小波に謝れ!」

「深沢、あんた最低よ!」

 教室中に巻き起こる深沢バッシング。
そして巻き込まれる前に脱出するオレと茅野。

「黒羽、大丈夫?」

「オレは大丈夫だけど、あっちは大丈夫じゃなさそうだな」

 こそこそと教室の隅へ避難したオレと茅野を尻目に、教卓近辺は乱闘状態になってしまった。
そのまま終業時間となり、授業らしい授業は行われなかった。
教室を移動する前に大勢のクラスメイトに吊し上げられ、体の数ヶ所に殴られた跡がある深沢に土下座された。
オレは心の底から同情しつつ、気にしていない旨を伝えて教室を出た。
 ――深沢も気の毒に、下手すると辞めちまうんじゃねえか?

 ◆◆◆

 昼休み。
オレはネコの視線を逃れて屋上にやってきた。
本来は立ち入り禁止の場所だが、ごく少数の生徒がタバコを吸うなり、静寂を求めるなり、おのおのの目的で訪れている。
不良と呼ばれる類の連中も度々使うが、オレが知る限りここで問題が起こったことはない。
気の強いヤツも弱いヤツも、この場を失いたくないという共通認識で一致しているらしく、干渉しないことが暗黙の了解になっているのだ。
一部の教師は気づいているんだろうが、問題がなければよいと放置しているのだと思う。
 まばらな人影を避けることはたやすく、静かで適度に広い日陰を見つけて横になる。
 今日の空は青い。
風も緩やかで、綿をちぎったような雲が高いところをゆっくりと泳いでいる。
自然と、肩に入っていた力も抜けていった。

「……しんど」

 もう、ここから動きたくないと思った。
電気ショック以降、体は激しい筋肉痛を訴えている。
目の前にちらつく砂嵐も完全に消えたわけではない。
 体の変化については叔父と話し合うしかないだろうと考えている。
だが、このコンディションでまともに話が出来るだろうか。
場合によってはケンカ腰での強引な対話が必要になると言うのに。

「まったくついてねえや。やっぱ、アレが付いてないからか?」

 自分のくだらない冗談に苦笑していると――。

「何笑ってるの?」

「ぶはっ!?」

 隣に茅野が添い寝していた。

「な、何してんだよ!」

 あわてて飛び退いたオレの声は裏返っていた。

「こっちのセリフよ。ここ、立ち入り禁止」

「じゃあお前も入ってくるなよ。いやそれ以前に並んで寝るなんて訳分かんねぇことするんじゃねえ、変な噂になるぞ」

「わたしはいつもここって決めてるの。黒羽が勝手に使ってたんでしょ」

 自分のうかつさが恨めしい。
ネコを振り切ることに必死で、茅野はノーマークだった。
昼休みくらいひとりで居たかったのだが、茅野は起きあがりその場で弁当を広げ始めた。
こいつは空気を読めるが頑固である。
おそらく、オレの悩みを聞き出すために捕まえて放さないつもりなのだろう。

「ご飯、食べないの?」

「ああ、腹が減らないんだよ。朝飯抜きだから、普段なら学食でカレー特盛りなんだけどなぁ。電気ショックのせいだろ、たぶん」

 逃げることを諦め、オレは茅野の話に付き合うことにした。

「ねえ黒羽」

「ん?」

「なんか雰囲気変わったよね」

「ええっ!?」

「なんか、なんて言うのかなぁ……。今朝から気になってはいたんだけど、クラスの中で、黒羽だけが違うって感じがするの。何か心当たりない?」

 ネコ以上に、茅野をマークしておくべきだったと後悔する。
こいつの洞察力はただでさえ注意力に優れる女の中でもトップクラス。
さらにお節介である以上に、物怖じしない性格なのだ。
幸いなのは悪いヤツではなく、口も硬いということだろうか。

「茅野には、分かっちまうか」

 屋上を吹き抜ける暖かい風。
なびく茅野の髪が、妙に美しく見えた。
 このとき、オレは初めて茅野を意識する。
少し癖っ毛のため膨らんで見える長い髪。
やや荒れてそばかすのある頬。
広いおでこに、少し濃い眉に鋭い目鼻。
丸い耳に、大きめの口。
自分よりは高いが、どちらかといえば低い身長。
小柄な体格に比例して女として出るべきところも出ていない、一歩間違えば不細工とも言える外見だが、靴まで行き届いた清潔感と知性を感じさせる強い瞳、引き締まった顔つきのおかげで不思議とまとまっている。
 小学校のときと変わらぬ、見ていてとても安らぐ顔。
オレにとっても茅野にとっても、中学での三年間という空白は、変化をもたらすには短かすぎたらしい。
 ふと思い出す。
オレは、見ていて安らぐ顔をもうひとり知っている。

「そうだよな。叔父さんの家で茅野と遊んでたときが、一番オレらしかったような気がするし」

「どうしたの? 急に昔を懐かしむようなことを言って」

 茅野とふたりきりだと、なぜか自分は見た目通りの、少年とも少女とも言えない、幼いこどものような気がしてくる。

「あのさ、茅野」

「なに?」

「オレが女になっちゃったって言ったら、信じる?」

「ん〜、急に言われてもねぇ。手術でもしたの?」

「いや、そういうわけじゃなくてさ。朝起きたらチンコとキンタマが無くなってたんだよ。どう思う?」

「さあ?」

「さあ? っておい! そりゃ冗談に聞こえるだろうが、オレは真面目に――」

「信じるよ」

 風の音さえ消してしまったかような静けさ、微かな沈黙。
オレは茅野の言葉を飲み込むために数秒の時間が必要だった。

「なあ、それはつまり、信じてくれるってことだよな?」

「つまりも何も、そう言ったじゃん」

「う、嘘だとは思わねえのか?」

「だって黒羽の言葉だもん」

 心臓は破裂寸前だった。
言葉を受け入れてくれた以上に、茅野がオレに寄せてくれた好意。
今でこそ同性だが、異性なら間違いなく惚れていただろう。
さっきは変わらないなどといったが、以前に比べれば茅野の女性らしさは格段に増している。
自然と体が熱くなってきた。

「あ、いや、そう切り返しをされると思ってなくて。で、でも別に嫌なわけでもなくて――ダメだ、ちょっと落ち着かないと。なあ茅野、その水筒は何?」

「ハーブティー、リラックスするヤツ」

「ちょうどいいや、少しもらうぜ」

「熱いよ?」

 警告を無視し、オレは水筒のふたを開けて一気に飲んだ。
しどろもどろになるよりはやけどした方がマシという覚悟で飲んだのに不思議と熱さは感じず、なんの香りもしない。
ただ、飲み込むときに妙な違和感があった。
うっかり液体ごと空気を飲んでしまうときの感覚に似ていたが、その後決まって来る気管支の傷みや咳っぽさがない。

「あれ、全然熱くないぞ」

「うそ〜」

『それに香りもまるデ、ガ、ギギギギギ』

「ちょっと、黒羽?」

 のどの強い違和感が、次の瞬間恐怖に変わった。
この恐怖は覚えがある、例の静電気発生装置に触れたときと同じ感覚だ。

『ヴハッ!』

 オレはその場で戻してしまった。
それは嘔吐物にしては不自然すぎるもので、オレの不安をさらに強くする。
普通吐くというと胃液も一緒に出てきて直前に飲んだものを変色させたりするものだが、オレが吐いたものは澄んだ薄緑色の液体であり、ハーブティーそのものと思われる。
 不自然なのはそれだけではない。
戻したハーブティーには、機械の部品と思われる小さな金属片や電線が混じっているのだ。
一番大きいもので、親指ほどの大きさがある。

「黒羽……これ、何?」

 返事をすることは出来なかった。
いくら話そうとしても声が出ない。
ジェスチャーで何とか伝えようかとも思ったが、急に体の力が抜けて膝を突いてしまった。
腕も上げられないオレからさまざまな感覚が消えていく中、のどの違和感だけが強くなっていった。
それは徐々に広がり、あっという間に首全体の違和感に変わる。
そして小さな警告音らしき音が鳴り……。
 首の半分が、外れた。

「嫌あああ!」

 カギを回すような音とともにオレの首もとは【外れた】。
はがれ落ちたと言ってもいい。
それにはよく分からない機械がぎっしり詰まっており、スピーカーらしきものも付いている。
付け加えれば、それはハーブティーで濡れていた。

 ――な、な、なあ!?

 何が起きたのかまるで分からない。
ただ、違和感のあった場所に手を当ててみると、そこが空洞になっていることはわかった。

 ――目の前に落ちている機械。

これが、オレの声を出していたとでもいうのか?

「や、イヤ、嫌あ……」

 それを見つめながら、震えている茅野に気が付いた。
手すりを握っていたが、倒れそうな体を支えると言うより、逃げ出してしまいそうな自分を縛り付けているように見える。

 ――茅野、まさかオレのために?

 少し冷静になったオレは自分の首から落ちたそれを拾い、泣きそうな顔の茅野にほほえみかけた。

 ――ごめんな。

今は言葉にできねえけど、せめてオレは目の前から消えるから許してくれ。
 何か言おうとしている茅野に背を向け、オレはエリを立てて首が見えぬよう隠しながら屋上を後にした。
 その足で用具室に潜り込んだオレは、人気もなく薄暗い室内ではがれ落ちた謎の機械をワイシャツで磨いていた。
ときに振り回し、中に溜まった水を出す。
十分に乾かしてから、それを自分の首に当ててみる。カチリという音を立ててそれはぴったりくっついた。

『……ガ、あ、あ〜』

 のどから違和感が消え、電子音じみてはいるが、声が出るようになった。
さすってみても、どこが継ぎ目か分からない。
声が普通であったら、きっとさっきの出来事も夢だと思っただろう。
 これがオレにあることを気づかせた。
オレは性別が変わったのではない、体の形が変わっただけだ。
それは些細な変化。
もっとも大きな変化が別のところにある。
 見逃していた。
いや、見たが気づけなかった。
今朝見た夢は、現実だったんだ。
おそらくオレの体は――。

 ◆◆◆

「えっ、お前バックレるのか?」

「ああ、うまくごまかしてくれよ。頼むぜネコ」

 オレは教室に戻り、ネコに無断早退することを伝えた。
こいつはサボタージュ――サボりの常習犯であり、普段から代弁や出欠表の書き換え、終いには教師を買収といった手段まで使って授業を抜けだしている。
そうやって作った貴重な時間をコンビニへ行ったりゲームセンターへ行ったり、昼寝をしたり私服に着替えてナンパをしたりといったことに使っているのだからバカバカしさを通り越して感心してしまう。
話はそれたが、とにかくネコはエキスパートなのだ。
こいつに頼めば学校を抜けだしても騒ぎになることはないだろう。

「ま、いいけどよ。これで貸しひとつ、報酬は体で払ってくれ」

「何が体だ、焼きそばパンでしか借りを返したことがないくせに」

「本気にするなよ〜、いくらかわいくても男を相手にするほど飢えてね〜って」

「嘘つけ。それと電気ショックの貸しがあるから借りはチャラだ」

「まあ、確かにオレが悪かったよ。じゃあな黒羽、生きてたら会おうぜ」

「生きてたらな」

 普段と変わらないネコとのやりとり。
今はその冗談に重みを感じる。オレはカバンを手に取り席を立ち、そのまま消えるつもりだったのだが――。

「黒羽……」

「あ、茅野……」

 教室を出るとき、茅野と出くわしてしまった。
オレは足を止めることなく教室を出ようとしたが、茅野に服のすそを掴まれた。
逃がしてくれそうにはない。

「どこいくの?」

「叔父さんとこ。その後は分からないけど、あの女のところに帰るつもりはない」

 あの女。
オレの家庭事情を知っている茅野は、この一言でおおよその事情を把握したに違いない。

「もし、行くところがなかったらウチに来なさい。こっそり入れてあげるから」

「ああ、サンキュ」

「ねえ、どんな風になっても黒羽は黒羽だからね。遠慮なんかするんじゃないわよ。もしそんなことしたら……一生許さないから」

 明日がある保証はない。
だがオレは茅野と約束することにした。
理由は自分でもよく分からない。
そうすることで、意志を強く持つことが出来るような気がしたのかもしれない。

「昔っから、意地っ張りなところだけは治らないな。オレが首を縦に振らないと、その手を放してはくれないんだろ?」

 オレの目を見て、茅野は小さくうなずく。
その瞳は少し潤んでいた。

「わかったよ、女の恨みは怖いから――冗談だ。会いに行くよ、生きてたらな」

 茅野の手が離れ、昼休み終了の予鈴が鳴り始める。
このタイミングを逃せば、学校から出ることは難しくなる。
オレは足を速めた。

 ◆◆◆

 重い足を引きずりながら、オレは叔父が顧問を務める研究所へとやってきた。
そこは学校から自転車で三十分、駅からなら車で十分足らずという市街に近い場所にある。
この手の施設は人家の少ない場所に建てられるものらしいが、危険をともなう薬剤を使用しないなどの理由から許可されているのだそうだ。
ここには関連医療施設などから集められた情報を元に最新の義肢や人工臓器、それを支える神経伝達装置などの開発が行われている。
 もっとも、その技術を人間の改造などという動機不明なものに使っているとは知らなかったが。
叔父は再生医療と改造、どちらの研究を依頼されているのだろう。
ともかく主目的か副産物かは知らないが、水面下でそういった技術が確立されつつあるのは間違いないんだ。
そしてそれが行われている場所があるとすれば、ここしかない。
オレは睨む守衛を無視して門をくぐり、自転車で建物にかけられた看板を見て回る。
そして『総合研究開発棟 第一・第二研究室』と書かれている建物を見つけた。
そこは一番大きく、中には窓口も見える。
ここに間違いないと思ったオレはその場に自転車を乗り捨てて中に入った。

「小波博士の甥っ子さんですね、承っていますよ。担当部署へ案内しますのでどうぞこちらへ」

 制服姿のオレを見ても特に驚いた様子はなく、窓口にいた上品なスーツの女性はすんなりと通してくれた。
オレは今日、ここに来る予定になっていたらしい。
おそらくあの女――母に連れられて。
 オレのもたつく足に違和感を覚える風でもなく、受付嬢はオレのペースに合わせて進んだ。
ひょっとしたら、オレのことを知っているのかも知れない。
 叔父が担当しているという部署は地下にあった。
入り口には第三倉庫と書いてあったが部屋ではなく通路になっており、暗証番号にカードスロット、指紋と網膜のスキャナーなどといった多種多様な方法で開く扉があった。
一定間隔で防火シャッターまで据えられ、恐ろしいほどに厳重なセキュリティとなっている。
 凄さは認めるが、これではここに重要なものがありますよと宣伝しているようなものだ。
間の抜けた光景に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
受け付けの姉ちゃんは暗証番号を打ち、カードで扉を開いたところで立ち止まった。

「わたしの権限ではこれ以上進めません。士が開けると言っていましたので、この先のフロアしばらくお待ちください。わたしは仕事がありますので、これで失礼します」

 そう言って受け付けの姉ちゃんは引き返してしまった。
言われたとおりしばらく待っていると、奥の扉が勝手に開いた。
そこには丸坊主に無精ヒゲを生やし、眉が薄く頬もこけ、どんよりとした目でこちらを見つめる叔父が立っていた。
白衣を着ていなければ、浮浪者と間違われても不思議はない風貌だ。

「やあ黒羽、来ないかと思ったよ」

「来るしかないでしょ、叔父さん」
 進められるまま、オレは部屋の中へとすすんだ。
地下とは思えぬ明るさの広い部屋にさまざまな書類や機材が綺麗に並べられている。
倉庫というのは一応本当らしく、棚にはぎっしりとプラスチック製の箱が並んでいる。
中にはフタがされず配線や基盤がむき出しの用途不明な機械がはみ出ているものもある。
まだ部屋があるらしく、叔父はその一つへ案内すると先だって歩き始めた。
オレもそれに続く。

「何も聞かずに飛び出したそうだが、ここに来たってことは心当たりがあるんだろう? 何に気づいた」

「母親はろくでなしで、オレの体には派手な細工がされてる。ついでにその細工がイカレちまって倒れそうってとこかな。疲労で死にそうだ」

「半日でそこまで気づいてしまうか、まだ実用試験には早かったかな」

「実用試験か、気づくようじゃ失敗って言いたいんだろうけど自信持っていいよ。予期せぬアクシデントってヤツがなけりゃ、オレは自分の異常に気づけなかったよ」

 新しく入った部屋には太いケーブルが何本も繋げられた大がかりな機械があり、その隣には金属製のキャスター付きベッドと大きな車椅子が置いてある。
奥にはソファーと毛布もあり、誰かがここで寝泊まりしているしているのだろうと予測できる。

「何があったんだい?」

「なんちゃらって静電気を起こす機械に触って気絶したんだよ。あとお茶を飲んで吐いた。そのときオレの首半分が外れてね、生身じゃないことがわかったのさ」

 叔父は口に手を当て、何かを思案してからノートパソコンを取り出した。

「あまり好ましくないな、調べるから少し待っていなさい」

「やるなら早くしてよ。もう、意識がもうろうとしてきたから」

 改造の反動と思われる脱力感は、思考活動に影響を及ぼすほどになっていた。
何かを考えようとするだけでとても苦しい。疲れるではなく、苦しいのだ。

「悪いな、状況によっては下手に充電すると壊れるから」

「充、電?」

 叔父はオレの頭を掴むと、髪の毛に隠されたジャックにプラグを差し込み、パソコンを操作した。
一分も経たないうちにプラグを外し、叔父は天井から数本のロープを素早く下ろした。
どこか、焦っているようにも見える。

「え、え?」

「いい状態じゃない。すぐに処置するから、服を脱がせるよ」

 そう言うと、叔父さんは慣れた手つきで服を脱がせた。
そしてオレの体を固定すると、ロープで吊してベッドへと移動させる。
 ベッドの上からの光景を見て、オレは今朝の夢を思い出した。
おそらく、オレの改造はこの場所、ないしここと同様の施設で行われたのだろう。
 コンピューターの信号を受け、体のあちこちが開き、外れていった。
開いた首もとを初め、胸、腕、腹部、四肢――中身をさらけ出すそれらのすべてを素早く目診し、叔父は素早い手つきでパーツをはがし始めた。
まるで機械の分解だ。



 このとき、オレの予感は確信に変わる。
オレの変化は、医療器具の実験台なんて生易しいものじゃない。
これじゃあまるで、ロボットだ。

 ――ロボット? いや、人間が素材だからサイボーグか。

まさかこんな形でなるなんて。
 体の中に工具や手を突っ込まれ、かき回し取り外される感覚に全身がしびれる。
本来なら恐ろしい光景のはずなのに、なぜかとても気持ちがよい。
相手に支配されているという、マゾヒスティックな快感とでも言うのだろうか。
そこへ電気信号という刺激が加わるのだから、快楽を感じることは当然なのかも知れない。

 ――オレ、マゾっ気があったのかな。

 これがずっと続けばいい。
そんな感情に身をゆだねたままエネルギーが尽きると思ったが、突然体に力がみなぎるのを感じた。
修理が終わったのかと思ったが、違うらしい。

「脳の制御を部屋のコンピューターに移した。身動きは出来ないけど、考えたりするには支障はないはずだ。れにしても驚いたな。腕は使い物にならないし、エラー修正用のチップは半分以上が吹き飛んでたよ。脳の半分が生身とはいえ、よく意識を保てたね」

『叔父さん。オレは何なんだ、サイボーグ? それとも、もっと別の……』

 いつの間にか、オレの声は例の電子音に変わっていた。

「ほとんど機械でも、お前は元人間だ。ロボットではなく、サイボーグと呼ぶべきだろうな」

『脳みそが半分しかなくても、サイボーグって呼ぶんだな』

「厳密にはそうだが、気に入らないのならロボットでもいいぞ。大した差じゃない」

『ついさっきまで黙ってたくせに、おおっぴらになったら身も蓋もない言い方するんだな』

「言ったらモニターの意味がなくなるだろう。こっちも聞くが、なんでお前は恨み言を言わない?」

 オレは当たり前のことを聞くなと思いながら答えた。

『叔父さんが助けてくれたからに決まってるじゃん』

 一瞬、叔父の目が鋭くなったように見えたが、次の瞬間には力ない瞳に戻っていた。

「何を根拠にそんなことを?」

『理由がないからさ』

「バカを言え、お前を実験台にすれば会社から大量の金が転がり込むんだぞ? 十分な理由だろう」

『でも、そのお金は叔父さんの懐には入らない。ボクを売り渡すと決めたのはあの女、母さんでしょ? 買い手は誰でも良かったはずだから、内臓でも売った方がお金になる。それに会社だって、人間なら誰でもいいはずなんだ。わざわざ健康な日本人の高校生を使うなんてリスク、普通に考えりゃ負わない』

 部屋の中の空気が変わった。
叔父の目は戦う人間のそれになり、細い眉と合わせてただならぬ雰囲気を放っている。
これだ、これがボクが知るもっとも古い叔父の姿。
虐待されていたオレをあの女から保護し、ヤクザものたちから守ってくれたときの目だ。

「お前を見くびっていた、詫びよう。その推測の続きを聞かせてくれ」

 体はバラバラにされたままだったが、叔父に考えを打ち明けることにした。
これは賭けだ。
今の状態でオレの存在が危険と判断されてしまえば、ここから永久に出られないか、記憶を消されてしまうだろう。
だが、もしオレに対して同情的な感情を持っているのなら、罪悪感が残っている今が最大にして最後のチャンス。
ここまで来たんだ、逃がしてなるものか。

『どのみち、あの女はオレを売るつもりだったんだ。でも相手は叔父さんや会社じゃなかった。たぶん昔からなじみのあるヤクザっぽい連中に売るつもりだったんじゃないかな。向こうもその申し出を歓迎すると思う。内蔵を売ってもいいし、オレの容姿なら【飼いたい】なんて言い出すバカもいるだろうからな。それを偶然、叔父さんが知るところになる。きっかけは、たぶん薬かな。あの女、悪知恵が働くけどバカだから睡眠薬か何かを目立つところに置きっぱなしにして、叔父さんに見つかるなんてのは容易に想像できる。あとは叔父さんが誘導尋問でもふっかけて釣れたら、相手方の言い値より高い金額を提示すればあの女はなびく。どう?』

 叔父は車椅子に腰掛け、腕を組みながら答えた。

「六十点というところか。わたしもああいう団体には口利きできる立場でな、情報はその方面から入ってきたんだ。それ以外はおおむね当たりだよ。さあ、続きを聞かせてくれ。改造する動機にはまだ弱いぞ」

 オレは半分を機械に変えられた脳をフルに活用し、もっとも確率の高いと思われる憶測を順序だって説明した。

『叔父さんが口利きできるなら話は早い。まず、叔父さんが臓器の売買契約を結ぶ。口利きできるからって何の補償もなしにあの手の連中が動くはずねえから、叔父さんは金か何かを担保にしたでしょ、初犯だろうからね。って言っても売買が成立すれば担保は叔父さんの手元に戻るから、それは大した問題じゃない。設備を使わせるよう会社を脅迫ないし買収する方が大変だったんじゃないかな。実験は会社側にもメリットが大きいけど、リスクを負うから簡単には口説けない。改造技術自体が違法だろうし叔父さんが中心人物だろうから、それを盾に強引な口説き方をしたんじゃないかな? たとえば、会社の裏帳簿を担保にしちゃうとかさ。準備はそこでお終い、臓器移植の日が来たところでオレの内臓を売っぱらって、その足でオレを改造した。どう?』

「……ほとんどお前の想像通りだよ。だが聞かせろ、なぜ会社の命令ではなく、わたしの判断で改造したと思った?」

『叔父さんにオレを会社の備品にする気がないからだよ。理由は使命感』

「使命感だと? どこからそんな発想が出てくる」

『だって、叔父さんがオレの親みたいなもんだから。死んだ父さん――叔父さんにとっては兄さんか。その息子のオレを今まで養ってきたのは、それが叔父さんの中で強い行動理由になっていたからくらいしか考えられないよ』

 本当は愛情と言いたかったけど、空々しすぎて疑われると思ったので言わなかった。
叔父は不服そうにため息をついて、白衣の内ポケットに手を突っ込んだ。

「まったく、昔からだ。なぜ黒羽の目にはわたしが善人のように映るんだ。幼いお前を引き取ったのも、下心があったからだ。少女型に改造したのもそうだ。今、それを見せてやる」

 叔父は切手サイズのカードを取りだし、オレの頭に差し込んだ。
すると目の前の景色が一転し、カメラに写る映像をモニターで見ているかのような景色に変化した。
体の状態を表すゲージがあちこちに表示され、多くがエラーを訴えている。
そして、それらの意味はすべて理解できた。

「音声コマンド、アドミニストレーター、デバイスチェック、ボディコンディション」

 命令調の声を聞き、オレの脳はコンピューターへと姿を変えた。
命ぜられるがまま自分の体を調べ、記録されているものと比較する。
結果はエラー。
だが、体をスキャンしたときのデータがオレのメモリーに残っていたおかげで自分の体がどういう物になったのかよく分かった。
オレは完全に機械であり、構造的に人間と呼べるような物は残っていない。
付け加えればオレに備えられている女性器は、男性を楽しませるためだけに存在している。
プログラムが起動すれば、オレは対象と定められた相手に対して性的アピールを始めるようにも設計されていた。
脳の構造上、拒むという選択肢は存在しない。
もしかしたら、行為自体に気づかないかもしれない。
叔父さんによる完全な支配が、オレの体の隅々にまで及んでいた。

『す、すごい! オレ、本当にサイボーグに……』

「理解したか、わたしがお前を所持したのは独占欲。そして、こんなこともする」

 オレの顔を掴み、叔父は強引にキスをした。
そして冷徹に命令する。

「音声コマンド、アドミニストレーター、システム、シャットダウン」

 その言葉を聞いたオレは、やり方すら知らないはずなのに、自分で自分の機能を停止させていった。



言葉、神経、思考……操られ、自分が消えていくというのに、オレはそれを当たり前として受け止めていた。

 ◆◆◆

 次に目覚めたとき、オレの修理は完了していた。
が、それはあくまでサイボーグとしての修理。
かろうじて残っていた人間としての感覚も、消えてしまった。

『これが、サイボーグ』

 頭からつま先まで借り物であり、ともすれば支配されてしまう。
だが、自分で動かしているという実感が持てるというふしぎな感触。
操縦しているというより、操り人形が条件付きで自由を与えられたようなものだろうか。
自分が思い描いていたものとは少し違うが、理想的といえる状態だ。
 起きあがったとき、周囲の様子がまるで違っていることに気づく。
自分は和室の布団に寝かされており、開いている窓の外は真っ暗だった。
 内蔵された時計で調べると、時刻は午前四時。
まだ、あの出来事から十四時間弱しか経過していない。
おそらく修理したその足でオレをこの部屋に運んだのだろう。
記憶が操作されているかもしれないから、正確さに欠ける情報だけれど。

「う、ん……」

 声がする方に目をやると叔父が眠っていた。
書斎が散らかっているために客間で寝る癖は直っていないようだ。
そこで気づく。

『見覚えがあるはずだよ、叔父さんの家じゃねえか』

 オレは周囲を見回した。
相変わらず装飾品らしきものは何もなく、質素を通り越して気味が悪い。
唯一目を引いたのはきれいにたたんで畳の上に置かれたオレの制服と、その隣にある無難と言う言葉が似合う地味な男物の服と下着一式、そしてなぜかオレが中学時代に使っていた学生服だった。
 ここで初めて自分が裸であると気づいたが、不思議と違和感は感じない。
恥ずかしいような気はするが、その羞恥心に一種の快感を感じている自分がいる。
人間のころは人目を気にしてしまったが、人でなくなったために堂々と羞恥心を堪能できるとでも考えているようだ。
だとすれば、オレには露出狂の素質があったことになる。
機械の本能――プログラムであると信じたい。
 服を着る前に、オレは叔父の家を散策してみた。
外からカギをかけられている様子はなく、出ていこうと思えば容易に脱出可能だ。
外に出てはいけないとプログラムされている形跡もない。
 きっと、これはオレに与えられた選択肢だ。
ここを脱走し、警察なりに保護を願い出ることも出来るだろうし、あの女に復讐することも、自殺することも出来る。

『いくら叔父さんでも、オレの気持ちが全部分かるわけじゃないんだな。頭ん中を覗いたりしなかったってことか?』

 オレは地味な服に伸ばしかけた手を止める。
目に映るのは、隣にある中学時代の制服。そういえば、学生服姿をちゃんと叔父に見せたことはない。母に引き取られてから、叔父とは滅多に会えなかったからだ。

『見たかったのかな、オレの学生服姿』

 オレは懐かしい服に袖を通した。すぐ脱ぐつもりだったが、下着からズボン、ベルトまでしっかりと付ける。
 その姿で寝ている叔父の元へ向かった。
布団を取り、こっそり叔父の寝間着とパンツをずりさげ下半身を露出させる。そしてそっと、叔父の分身をくわえた。不慣れながらも口に含み、舌の上で転がす。
大きくなったことを確認してから、いったん口を離す。

『ん、ふっ……なあ叔父さん、起きてるんだろ?』

「どうして、逃げなかった?」

 思った通り、叔父は眠っていなかった。
すべて分かっていながらオレを自由にさせていたんだ。

『だって、オレがいなくなったら叔父さん困るだろ。それよりうれしかったよ。叔父さん、中学のときもオレのこと心配してくれたんだろ? こんなもの持ってるくらいだからな』

 そう言ってオレは制服を叔父に見せた。
何も言わなかったが、叔父はきっと喜んでくれている。

『お礼に、気持ちよくするからさ』

 再び分身をくわえる。初めはうまくいかなかったが、行為をしていると自然にプログラムが起動し、口が勝手に動き始めた。

「うっ……やめろ、性欲処理用のプログラムが起動するぞ。お前、人間を捨てるつもりか?」

 オレは叔父さんの言葉を無視して行為を続けた。

「わたしの慰み者になるんだぞ、お前は男だったんだぞ?」

 そんなことは理由にならない。
だって叔父さんは、オレをサイボーグにしてくれたんだ。
ある程度なら、好き勝手にする権利がある。
その思いを伝えるため口の動きを強めた。

「もう止めろ、お前はしかるべき手段で社会に帰るべき――ぐおお!?」

 吹き出される精液を飲み込み、それを給水タンクへと流し込んだ。
こうすることで、人口声帯を壊さずにすむ。
オレは汚れを拭き取るようにゆっくりと舐め取ってから口を離した。
この口も作り物なのだから、こうした方が清潔だろうと思ったからだ。

『ぷはぁ。オレは経験ないから分からないけど、気持ちよかった?』

「そんなことより、お前、人間でなくなるのが怖くないのか? 自分が自分でなくなってしまうかもしれないんだぞ!」

 オレは今まで、多くの人を信じようとしてきた。
だが、ほとんどの人間は裏切った。
そういった思いが、オレの中である憧れを加速させていった。
それは月日を増すごとに強くなり、今となっては自分の存在を捨ててでも手に入れたいものになっている。

『オレさ、サイボーグになりたかったんだ。そんなのあり得ないって思ってたから、せめて叔父さんに飼われたいくらいの願望だったんだけどね』

 叔父は驚いたらしく、険しい顔からとたんに力が抜けてしまった。

「わたしに飼われるだと? いったい何があってそんなことを考えたんだ」

『知ってるでしょ、父さんが死んで叔父さんが保護してくれるまでオレがどんな生活してたか。あのころのことは小さかったけど覚えてるんだ。だから叔父さんとこに引き取られてからオレは天国にでも来たような気分だった。でもそれは一時のことで、この小柄さと非力さのせいでいじめられっ子になっちまったよ。おかげで茅野とは仲良くなれたけど、同じ歳の、しかも女の子に守ってもらうってのはオレにとって楽しいものじゃなかった。
 でも強くなりたいとは思えなくってさ。あの女や人をいじめて楽しむような連中と同じ力なんていらない、身につけたくもないって感じで。だから思いついたんだ。サイボーグなら殴られても痛くないだろうし、叔父さんの物になれるし、役にだって立てる』


「職種を選べば、人に役立つことくらいあと五年もすればできるようになるだろう。もう一度聞くが、わたしの物になりたいなどと本気で思っているのか?」

『本気さ、オレがそう思い始めたのは小学生のころだよ? ガキが張り切ったところでたかが知れてたし、十年も待つなんて考えられなかった。だからこそのあこがれだったんだよ。ちょっと知恵が付いてきたころにはさすがに諦めてたけど、実際はサイボーグになれた、最高だよ。それから、オレは叔父さんに保護されてるときが一番楽しかったから、叔父さんの物になりたい、支配されたいって思うのは当然だろ?』

「だが、それと性行為は別だろう。学生服まで着て……わたしに服従する必要なんてない」

『役に立ちたいって言ったでしょ? それに叔父さんは自分のために少女型にしたって言ってたじゃん。これだけそろえば、することは決まったようなもんさ』

「今のお前は人間ではない、油断すれば快楽に呑まれるぞ!」

『そのときは記憶をリセットすればいいんじゃない? そう言う機能があることくらい分かるよ』

「だとしても出来るわけがないだろう!」

 ここに来てからのことは良く覚えている。
叔父さんは優しくて、近所の茅野とはケンカもしたけど、仲良しだった。
ここが自分の場所であると思えた。中学に入ると同時に、失って初めて気が付いた。
取り戻したい、何よりもあのころの時間が欲しい。
人間の身では不可能だというのなら、プログラムという鎖でここに縛り付けてしまえばいい。

『ふ〜ん、そうなんだ。じゃあ教えてよ、油断しない方法ってヤツをさ』

 オレはベルトを緩め、ズボンと下着をずり下げた。
今、人工の生殖器が叔父の目の前にある。

「わたしは……」

『自分で使うためにって言った割には及び腰だね。来ないならこっちから行くよ』

 腰を上下させ、一生懸命に性器をこすり合わせる。
だが、何度やってもうまく入らない。
何が悪いのだろうか。

『あ、あれ? おかしいな、入らない』

 そんな様子を見て、叔父は小さくため息をつく。
心なしか、表情が軟らかくなったようにも見える。

「まったく、やり方も知らないのか」

『う、うるせえよ!』

 微笑みながら、叔父はボクの膣に性器を突き立てた。
ホースを押し広げるように中へと入り、その刺激がそのまま電気信号となって電脳を直撃した。

『あはあっ!? な、なんだこれ……こんなのって本当に、うああ!』

 叔父の言うとおりだった。
確かに、この感覚は油断すると呑み込まれてしまいそうだ。
オレはなんとか自分を保ち、プログラムに従って内部の圧力や温度を調節する。

『ああ、ふああ!? や、やばいくらい気持ちいい。意識が吹っ飛びそうだけど、叔父さんが気持ちよくなるまでオレは我慢する。それが人間と機械のあり方だと思うから!』

 答える代わりに、叔父はオレに唇を重ねた。
人工物とはいえ、ふれあう舌が快楽をさらに大きなものにする。
強い電気信号は熱を生み、オレはオーバーヒート寸前だった。
 その間も、叔父は腰を動かし続ける。
強い突き上げに絶えかねて口を離し、叔父の首に抱きついた。

『あうう! ち、調整が、うまく、いかない。こ、壊れそう……止まる、フリーズ? ご、ごめん叔父さん。オレ、気持ちよくするって、ぐぅ!? 役に立つって、決めたのに――んああ! さ、最後まで、出来、なくて、ごめん、なさ、にゃああああ!!』

 直後、オレの意識は途絶えた。
叔父さんが達することが出来たかどうかは分からない。

 ◆◆◆

 フリーズから復帰すると、午前七時になっていた。
学生服は脱がされ、今はハンガーにかかっている。
体も洗浄され、すっかり綺麗になっていた。

「目が覚めたか、黒羽」

 叔父はそんなオレを抱きかかえていた。
小さい頃と同じように。

『叔父さん。うれしいけど、これ恥ずかしい――』

「すまなかった、お前を試すような真似をしてしまった。本当は、叔父さんも黒羽と一緒に暮らしたかったんだよ。でもね、大人がそれを強要するべきでないと思ったから、わざと辛いことを言ったり、さっきみたいなことをしたんだ。かえって、傷つけてしまったようだね。本当にすまない」

 偽りでも、戦う男でもない。
幼い記憶にある、優しい叔父がオレを包んでいた。
死んだ親父、叔父にしてみれば実の兄の代わりに、オレに父親というものを教えてくれた、あのころのままの叔父さんだ。

『気にしないでよ、オレは叔父さんのサイボーグになるんだ。これからプログラムをインストールされたり、部品の実験台にされたり、改造されたりしちゃってさ。でも、叔父さんじゃなきゃお断りだぜ?』

「じゃあ大事に扱わないとな。死んでから殴られる覚悟はしてたけど、ぞんざいになんてしたら兄貴が墓から出てくるかもしれないからね」

『なあ叔父さん。女の子型なんだし、やっぱ女の子っぽくした方がいいのかな?』

「必要ないよ。わたしのものというのは建前、黒羽は黒羽のものだ。それに、わたしは今の黒羽を気に入っている」

 昔のぬくもりを呼び起こさせる暖かい言葉。
もう無理に男らしく見せたり、逆に女らしくするといった偽りは不要らしい。
 そうしていると、時計がちょうど七時半の鐘を鳴らした。
オレははっとなって立ち上がり、叔父さんに許可を求める。

『なあ叔父さん。オレさ、ここから出ない方がいいのかな?』

「いいや、好きにすればいい。遊びに行きたいのなら変装用の外装が完成するまで待ったほうが楽だと思うが。どうしたいんだ?」

『約束があるんだよ、また会おうって約束した友達がふたりいる。ヤツらに顔を出さないと、オレはろくでなしになっちまう』

 叔父は優しく微笑むと、ボクの頭をぽんぽんと叩いた。

「好きにするといい、正体をばらしたっていい。何ならここに呼んでもいいぞ」

『それはありがたい。あ、ひとりは茅野なんだけどさ、あいつにだけはサイボーグだってバレちゃっててさ、呼ばなくても来ると思うぜ』

「茅野ちゃんか、懐かしいね。元気にしてるかい?」

『元気だし、惚れるくらいかわいくなってたよ。お節介は治ってないけどな』

「そうか。じゃ、行っといで。そうそう、声は自由に変えられるからやってみるといい。元の声にもできるし、データさえあれば違う声も出せるぞ」

『覚えとくよ。さあて、ちゃっちゃと着替えないと間に合わなくなっちまう』

 楽しそうにするオレを見て、叔父は小さな疑問を口にした。

「ところで、どうしてそんなにうれしそうなんだい?」

 聞かれるまでもない。
なんせ――。

『サイボーグになってもオレは消えなかった。だから安心して人間に見切りを付けられる。人間のときに遣り残した最後の仕事を片付ければ、人間の小波黒羽は役目を終えて、黒羽っていう名前の機械だけがこの世界に残るんだ。過去は消えて未来はオレの望み通りに進んでる。喜ばない方がおかしいって』

 本当は意識も記憶も作り物かも知れないという疑念を持っていたが、口にしないことにした。
オレは黙って駆け出そうとしたが、別に言うべき言葉があることに気づいて立ち止まった。

『叔父さんだって男だし、せっかく少女型のサイボーグを手に入れたんだから使いたいでしょ? どんなプレイにも付き合うから、今夜の準備しといてくれよ』

「本当は茅野ちゃんとしたいんじゃないのか? わたしとはこれっきりでいい。望むなら体を男に戻すことだってできるぞ」

『茅野や友達の前では黒羽、叔父さんの前では忠実な人形。叔父さんが言うからオレは黒羽を続けるけど、大好きな主人と二人っきりのときくらい、かわいいサイボーグでいさせてよ』

 オレはありったけの笑みをぶつけ、照れる叔父を後ろ目に外へ出た。

 真正面にある朝日がまぶしい。
人間としての機能を失ったオレにはもう朝日の美しさは理解できないが、光学カメラで見るこれも悪くない。
さて、茅野とネコは今のオレにはどう写るのかな? オレはサイボーグのくせに胸を躍らせ、学校へ向けて走ることにした。
ネコをからかって午前中を潰し、昼休みに茅野と空の雲を見よう。
そのとき、こう言ってやるんだ。

「サイボーグに改造された今でもお前のことが好きだって言ったら、信じる?」



END