3.5章-1-





 扉の向こうからテレビの音が聞こえた。
 それと一緒に、自分ではない笑い声も響く。一人じゃない部屋、自分以外の人間がいる空間に違和感を憶える事が無くなったのは、一体いつからだろうかと、考えてみる。
 いつからアイツは僕の中にきっちりと入り込んで、住みついてしまったのだろう。
 クリスマスを越えた頃だろうか?それとも、お正月を一緒に迎えた辺りだろうか。とにかくアイツはこの部屋にいついて、僕の中に入り込んで普通に傍にいる。それがごく、当然の事のように。
 こんな風に誰かと空間を共有する事があるなんて、思っていなかった僕の戸惑いも全部ひっくるめて。どっかに勝手に押しやって入ってきた。
 占有者みたいな者で、我が物顔で居座り続ける。
 でも、追い出す事はもう出来ない。

 カタっと小さな音を立てて、自分の机の引き出しを開ける。1番上の引き出し。
 そこにはたった一つ、長方形の箱以外何も入ってない。長方形の箱は、深い青で中にはネックレスが入っている。それは随分長いこと日の目を見ていないし、箱さえ開けていないもの。
 何度も何度も捨てようとして、捨てられなかったそれ。そのうちなんとなく、捨てられなくなった。
 フッと指を伸ばして箱に触れてみるけれど、中を開ける気にはならない。それはまだ触れてはいけないものなのか、もう捨て去る決心がついているのか。それがまだ、由岐人には分からなかった。
 長い間凝り固まった想いを変えられない様に、長い間そこに置きっぱなしになったそれも捨てられないだけだろうか。
 その答えは、まだ見えない。
「はぁ」
 由岐人は小さく息を一つ吐いて、何かを振り切るように軽く首を振ってからその引き出しを静かに閉めた。そしてそのまま部屋を後にした。
「あ、洗濯物」
 リビングに戻ってみると、剛が一人洗濯物を畳んでいた。
「おう」
「手伝おうっか?」
 8割がた終わったその状況を目にして、一応聞くだけはと言う気持ちで言ってみると案の定剛は首を横に振った。まぁ、その洗濯物自体7割は剛の物だ。由岐人の場合、下着以外はほとんどがクリーニング行きだからだ。
 由岐人は肩をすくめてカフェ・オレを作る。少し甘めにするのが、ちょっと疲れた身体には丁度いい。冷蔵庫から牛乳を取り出してたっぷりと注ぐと、綺麗なキャラメル色になった。
「うん、おいしい」
 それを片手に、経済誌を持ってソファに腰を落とした。
「・・・あれ?そういえば牛乳、昨日切れたんじゃなかったっけ?」 
 確か昨日、あー買って来なきゃって思ってた気がしたのに。なんであるんだ?と今更ながらにカップに目を落とす。
「バイトの帰りに買っといた。いると思って」
 由岐人の呟きを聞こえたらしい剛が、答える。
「そうなんだ?ありがと」
 ちょっと驚きに目を見張って由岐人が言うと、剛がにやりと笑った。
「俺って気が効くだろ?」
「自分で言うな」
 由岐人のすげない言葉に、剛は何がおかしいのか肩を揺らして笑っている。
「っと、終了。由岐人、畳んだの部屋に直しといていいか?」
「え・・・ああ、いいよ。自分でやるからそこ置いておいて」
 畳まれた下着やTシャツなどを目に止めて、由岐人は首を横に振ってそのまま経済誌に視線を戻した。
「そ、っか」
 剛の返事がちょっと残念そうなのは、未だに由岐人の部屋に入れてもらえない事への落胆。色んな事を少しずつ受け入れて交じり合って進んでいるのに、それだけはまだダメらしい。
「じゃぁ自分の分直して来る」
 わざわざそう言って部屋を出るのは、多少嫌味に由岐人には聞こえただろうか。バタンと閉じられた扉の音と共に、由岐人は小さく息を吐き出した。開かれたページがまったく進まないのが、その答えなのかもしれない。
 時々感じる息苦しさは、きっと自分の所為だと由岐人は分かっている。
 剛が何を望んでいるか、自分がどうしたらいいのか、由岐人には嫌と言うほど分かっていてそれが出来ない。
 ただ、馬鹿みたいに怖くて―――――
 そのくせ静かになった室内が、嫌だ。それはずっと見知ったもののはずなのに、寂しいと思う。苦しくて仕方が無くなる。それくらいに、剛のいる風景に、慣れてしまっているのに。その存在を受け入れているのに。
 静けさに、自分の息遣いさえ聞こえそうで、息をするのが嫌になる。
 息を止めて、もっと静かになって。
 一切の音を消して。
 そして、永遠に――――――――
 無になる。
 シン、とした空気。
 静寂。
「由岐人!」
「えっ?」
 でも。
 永遠は、まだ来ない。
「もうすぐ5時だぜ?そろそろ用意しなくていいのかよ」
 静けさが、5分も持たないから。
「あ、ほんとだ。約束の時間、5時だっけ?」
 剛が傍にいる現実。
 もう、激しく息をしたって気にならない。剛のほうが、その音より騒々しいから。
「うん」
「やばいっ。着替えてくる」
 由岐人は半分ほど残っていたカフェ・オレを一気に喉に流し込んで慌てて立ちあがった。
「洗濯モン、忘れてるって」
 そのままリビングを出て行こうとする由岐人を呼び止めて、剛はそれらを渡してやる。僅かに触れ合った指先。
「酒は?」
「えっと、こないだ貰ったヤツ。セラーに入れてあるから出しといて」
 由岐人はそういい残すと、剛の返事も待たず今度こそリビングを出て行った。今日は5時から階上、咲斗の部屋で串揚げパーティーなのだ。下に住んでいて遅れたら申し訳ない。






「はーい」
 ピンポーンとチャイムを鳴らした途端、ぱたぱたとした足音と共に響の明るい声が聞こえて。
「いらっしゃい」
 想像通りの笑顔に迎えられた。
「お招き預かりまして」
 ほっぺに小麦粉がついているのがおかしくて、思わず笑ってしまう。チェックのエプロンは咲斗にしては偉く地味な感じがした。
「上がって上がって。もうすぐ準備出来るから」
 響はそう言うと、また慌しげにパタパタと廊下を戻っていった。その後ろ、由岐人と剛は知ったものと勝手に上がってリビングへと入っていく。
「すげーっ」
 ――――本当に。
 思わず笑ってしまう。そこには、テーブルで使える揚げ物用のコンロを置いて、周りにはたくさんの串が並んであった。それだけではなくて、ちゃんとキャベツも山盛り。ついでにトマトのスライスや串揚げだけでは飽きると思ったのか、天ぷらっぽい串もあった。
「これ、響一人で用意したの?」
「俺も手伝った」
 由岐人の言葉にちょっと眉を上げて咲斗は言う。少々偉そうなのは、どういうわけか。大体、用意に追われている響が出迎えに来て、咲斗はソファでのんびり座っているんだからしょうがない態度だ。
「それはお疲れ様。はい、ワイン。ここに入れておくね」
「ああ」
 ガラっと氷の音をさして、ワインを入れた。
「お待たせ〜〜」
 そこへ最後の串皿を抱えた響がやって来た。
「おっ、待ってました!!喰うぜぇ〜〜」
 一番食べる剛はまだまだ育ち盛りのお子様らしい。一際大きな声を上げて、目を輝かせていた。ある程度熱くなった油に、とりあえずと何本か串を入れて。
「じゃぁ、乾杯」
 油の弾ける、食欲をそそる音を聞きながら咲斗がグラスを掲げると、乾杯と3人の声が重なった。
 今日の宴は、ちょっと早めの5時過ぎに始まった。



 それから5時間後。
「ったく・・・誰が片付けるんだか」
 いつものごとく飲み潰れた響と剛の姿に、由岐人は苦笑を浮かべてワインを口に入れる。結局、由岐人が持ってきた2本では足りなくて、咲斗の家にあったワインにも手をつけた。
「後で適当に流しに運んでおけばいいさ。洗い物は明日でいいだろう?どうせ明日は休みだし」
 咲斗はそう言いながら、ツマミにと切ったチーズを口に運ぶ。
「まー、ね」
 由岐人も笑みをこぼした。
「で、明日の予定は?」
「は?」
 唐突な咲斗の言葉に、由岐人は驚いたように目を見開く。
「予定」
「・・・予定?」
「そう、予定」
「・・・特に無いけど?」
 どうせ酔い潰れて眠るのは目に見えていたから、明日は二日酔いだろう。そうなれば必然的に家でごろごろというところだろうと、由岐人は思っていた。
 けれど、咲斗は少し苦い笑みを浮かべた。
「お前ら、デートとかしてる?」
「はっ!?・・・デート?」
 由岐人の声が、一体何を言い出すのだとちょっと跳ね上がる。
「そう。デート。だって、付き合ってるんだろう?好き同士で同棲までしてて、デートはしない、――――セックスもしない?」
「何、突然・・・」
「ん〜だって、不思議だしな。それに、兄としては気になるところだろ?剛じゃぁ、その気にならないか?」
「っ・・・・・・そうじゃないけど、なんか剛ってそういう空気にならないっていうか」
「ムードが足りない?」
「まーね」
 苦笑を浮かべて肩を竦める由岐人に、咲斗はなんとも言えない表情を浮かべていた。それが本心なのかそうじゃないのかが分からないわけが無い。
「ってことは、したくないって事じゃないんだな?」
「えぇ!?」
 由岐人は咲斗の追求に、声を上げる。
「もしかして、好きって思ったのは間違いで、こんなガキじゃぁ物足りなくなった、とか?」
「―――っ、そんな言い方」
 カチンと来たのか、由岐人の眉が少し跳ね上がる。
「ん?」
 試すような咲斗の視線に、由岐人は思わず視線を泳がせて、そこに眠る剛を見る。それはだらしなく大口開けて、ぐーぐー寝ている姿。確かにその姿からは、大人っぽさや大人の色気や、落ち着きなどは欠片も感じられない。
「・・・・・・」
 餓鬼で、無神経で、図々しくて――――
「由岐人はこいつが好きなわけだ?」
「まぁ・・・不本意ながら」
 不承不承の様に小さく頷いた。
「なら、なんで?」
「・・・・・・だからっ。ムードが無いんだよ。それに、男は始めてだろうし。こっちだって痛い思いすんの嫌だもん」
「実地訓練でもしてからかかって来い、と」
「っ、・・・そういう事じゃないけど、さ」
 由岐人は困ったように俯いて、手にしたグラスの中身を一気に煽る。なんでいきなりこんな話になるのだとブツブツ呟きながら、手酌でさらにグラスにワインを注ぐ。高い酒を味わってもいないその飲み方は、ワイン愛好家が見たら嘆くだろう。
「俺はね、こんなガキに由岐人は勿体無いって思ってるよ?でも、由岐人が好きなら仕方が無いかって。こいつがいれば、お前が幸せでいてくれるなら、それが1番嬉しい事なんだから、しょうがないなぁって渋々認めてるのに」
 軽い言葉とは裏腹に、咲斗の、酔っているとは思えない真面目なトーンで言われる言葉に、由岐人は思わず口をきゅっと結んだ。
「だからさ、早くやることやってしまえ」
 あけすけな言い方に、咲斗の思いが溢れていた。
 早く、飛び込んでしまえと。弱さも不安も、その想いも全て曝け出せばいいと。
「・・・わかってるけど・・・」
 由岐人は言葉を言いよどむように小さくそれだけを吐き出した。そうならないのは自分ばかりの所為ではない、とは言えないけれど。たぶん、そうならない原因は100%自分にあると由岐人は分かっているけれど。
 そんな由岐人に咲斗はため息を漏らして、しょうがないと笑った。
「ま、何かあったら遠慮なく相談しろよ?」
「ん」
 咲斗は、もう1度小さく息を吐いてから、もうこの話は終わりという合図の様に、由岐人のグラスに自分のグラスを合わせてカチンと鳴らした。
 それからは、ワインをもう1本空けるまで、仕事の話やたわいも無い愚痴などを話し合った。







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