3.5章-2-





「で、どうだったって!?」
 4人で一緒に飲んだ日から二日後の月曜日、咲斗も由岐人も出勤した後の響達の部屋のリビングで、剛が身体を前のめりにさせながら、向かいに座る響に尋ねていた。
 その瞳は期待に爛々と輝いている。
「うーん、どうっていうか。由岐人さんはちゃんと剛の事、好きみたいだよ」
 そんな剛に響はちょっと困ったような笑みを浮かべながら口を開いた。
「うん。それはわかる」
 自信満々のしたり顔で頷く剛に響はなんだそれ、と苦笑を浮かべる。
「それで、それで!」
「ただ、そのエッチするとかって事になるとぉ・・・」
「うん」
 ずいっとさらに剛の身体が前に出る。
「咲斗さんが言うには、何か心の引っ掛かりがあるんじゃないのかなぁ・・・って。だからこう、逃げちゃうんだろうなって」
「引っかかり?引っかかりって具体的に何!?」
 剛の瞳がさらに輝きを増す。今まさに極上ステーキに食らいつく寸前の猟犬の様な勢いだ。
「それはわかんないーって」
「はぁ!?んーだよそれ!!」
 しかし、響の返事に一気にがくっと剛が崩れ落ちてテーブルに突っ伏した。期待が大きかっただけに、ダメージも大きかった様だ。さしずめ、極上のステーキだと思ったらそれは張りぼてだった、というトコロだろうか。
 由岐人が自分を好きでいてくれているのは知ってる。それは態度を見ていればなんとなくわかる。けれど、なんとかキスまでは最近は素直にしてくれるようになったけれど、その先へ手を伸ばした途端にスルっと逃げられてしまう。
 そんな事が、1回や2回ではなく、5回も6回も7回も8回にもなれば、もしかしたら抱かれるのが嫌なのかと落ち込んでしまう。
 そして考えて考えて、もしかして何か他に問題でもあるのかもしれないと思った剛は今回の作戦を考えたのだ。題して、酔った勢いで聞き出してください作戦。そう、早い話週末の串揚げパーティーは剛考案の由岐人から話を聞き出すために用意されたもの。
 響に頼んで咲斗まで巻き込んだ作戦だというのに、これではその成果はまったく無かった事になる。
「直接由岐人さんに聞いてみたら?」
 流石に響も憐れに思えたのか、同情した様な声が響く。
「なんて?・・・なんで抱かせてくれないのかって?」
 ちょっと剛の声が刺々しいモノになっている。
「・・・そう、だよね」
 じとーっと見つめてくる剛に、響は少しぎこちない笑みを浮かべた。確かにその質問は多少勇気のいるものかもしれない。
 そして、間抜けかも。
「でも、何を気にしてるのかなぁー」
 響が、オレンジジュースをすすりながら言う。
「・・・由岐人ってさ、まだ好きだったりするのかな?」
「前の人?」
 すなわち、自分の父親。
「そう」
「それは無いだろうって咲斗さんが。俺も気になって聞いてみたんだけどね、気持ちの整理はついてると思うって言ってた。ただ、傷は深いって言ってたけど。・・・ならやっぱり気にしてるって事にはなるのかな?」
 よく分からないやと、響は首を傾げた
「・・・それがあるから、エッチすんの嫌なんかなぁー」
 はぁと剛は大きくため息をついて、ゴクゴクとジュースを飲み干した。シンデレラみたいに、出会って晴れて恋人になって結婚で、おめでとうなんてわけには実際はいかない。現実は、出会って付き合う事になって始めてそこからがスタートなのだ。
「どうかなぁー。それは由岐人さんにしか分からないよ。もしかしたら全然違うことにこだわっているのかもしれないし」
「はぁー・・・」
 それならもっとお手上げだと、剛は再び盛大なため息をついた。
 別にセックスだけが全てだなんて思わないし、セックスがしたいから由岐人と一緒にいるわけでもない。けれど、そこは男と言う悲しい性なのか。好きになった相手に好きでいられて同じ屋根の下で住んでいれば、やっぱりその身体を抱きたいと思ってしまうのはどうしようもない。掻き抱いて、自分の下で鳴かせたい。感じたい。感じて欲しい。それはどうしようもない欲求。
 もっともっと、由岐人の全部が欲しいと。
「このままじゃぁ、なぁー・・・」
 どうしたって身体に悪い。良いはずがない。
 剛の深い苦悩とため息は、同じ男の響にも嫌というほど分かるだけに何とかしてやりたいとは思うものの、こればっかりはどうしようもない。
 テーブルに突っ伏してため息を吐き続ける剛を、響はなんとも言えない顔で見つめながらズズっとジュースをすすり続けていた。





・・・・・





 ん・・・
 ベッドの中で、由岐人は浅い意識の中で寝返りを打った。何かスースーして、肌寒い。2月の末という時期の所為だろうかと寝ぼける頭で考えて、寝づらくて再び寝返りをうつ。
 無意識に伸ばした腕の指先に、何もないシーツを感じて意識がフッと浮上した。
 ――――ああ、そうだ。今朝はあいつが早い日だった。
 だからスースーするのだ、子供体温がいないから。
 はぁ・・・と由岐人は深いため息をついて仰向けになる。耳を澄ますまでも無く静まり返った部屋。空間。週に1度やってくるこの日、誰もいない事は確実で。それだけで室温が下がる気がするのは何故だろうか。
 ――――ああだめ、もう起きよう
 なんだか寝なおす気にもなれなくて、というより完全に目が醒めてしまった由岐人はしょうがないとベッドから起き出した。サイドボードに置かれた時計に目を止めると、まだ10時前。
「あいつの所為で僕の睡眠時間が減っちゃったよ」
 夜から仕事の自分がこんな時間に起きるのは、同伴がある時くらいだと思う。その同伴も最近は断ることが多くてご無沙汰だから、本当に週1回今日だけがこの時間に起きてしまう。
 由岐人はあくびをしながら、冷たい廊下をペタペタと歩く。とりあえず洗面所に向かって顔を洗って、歯を丁寧に磨く。あまり生えないとはいえ一応髭を剃っておいてから、リビングへと向かった。
「・・・ん?」
 リビングのローテーブルの上にクリアファイルが置いてあるのが目に止まった。由岐人はカフェ・オレを片手に、なんだろうかと手に取るとそれは剛の物だった。プリントアウトされたりコピーされたりしている紙は、たぶん資料か何かだろう。
 由岐人は大して気にもとめずにファイルを再びローテーブルに置いて、自室へと向かった。
 まずパソコンに電源を入れメールのチェックをする。最近は客の物から、酒屋などからのメールも入る。なかなか入手しにくい酒などが入った場合は連絡をくれるのだ。それ以外にも色々と雑務メールを含めてザッとチェックして、返信の必要なものにはメールを送付していく。
 今日は少し多くて、40分ほどかかって終えて、今度は株情報のページを開く。最近由岐人の興味は株、それもデイトレード。由岐人はいくつかの株は持っているがそれはそういう種に使うものではなく、手堅く毎年配当がもらえるような物なのだが、ギャンブル性のあるデイトレードに興味を持ち出していたが、まだ手出しはしていない。今はただ、株価をチェックしているだけ。
 面白くてじっと見ていると、気づいたら11時を回っていた。
「はぁー・・・」
 ちょっと目が疲れたと由岐人は瞬きを何度か繰り返して、首を回して腕を伸ばしたその時、電話の音が鳴り響いた。
「ん?」
 こんな時間に誰だろうと、由岐人は受話器を取り上げる。
『あ、起きてた?』
「っ・・・、いきなり話しかけるな」
『なんで?』
「もし間違ってたらどうするんだよ」
 由岐人は少したしなめる口調で言う。その響きが少し、嬉しそうなのに由岐人はまったく気づいていないが。
『いやーまだ寝てるかなぁ〜って思ってたからさ。起きてて良かった!』
 電話の向こうがざわざわとうるさかったから、たぶん、校内からかけてきているんだろう。
「で、何の用」
『あー・・・、っと・・・』
「?」
 電話の向こうが急に言いにくそうに押し黙っている。相変わらず後ろはざわざわとしていて、人の話し声も漏れ聞こえてくる。
「言わないんだったら電話切るけど?」
『切るなっ!・・・用はある』
 切るはずなど無いのにそう言って、剛の慌てた声が耳に心地よい。
「うん?」
 もう目線はパソコンの画面なんか追っていなくて、既に電源も落としてしまった。背景の声になんとなく耳を研ぎ澄ましているのは何故だろうか。
『あーっと』
 このまま声を聞いていたらもう1度寝れそうだなぁ、なんて考えている自分に抱く驚きはこの際無視しようか。
『あのっ・・・お願いがあります!!』
「お願い?」
『あ、怒った?』
 眠くなってきたその耳元で大きな声を出されて跳ねた返事に、不機嫌になったのかと思った剛は窺う様に聞いてくる。今日はまた偉く下手な態度だ。
「怒ってないけど、お願いって?」
 氷が解けて、不味くなったカフェオレを捨てるために由岐人は立ち上がる。
『俺さ、リビングにクリアファイル忘れてなかった?』
「ああ、あったよ」
 戻ったリビングで、チラッとそちらに視線を戻す。
『それ、午後からの講義でど――――してもいるんだよ。・・・届けてくんない?』
「・・・・・・」
『昼飯!奢るから!!どうせ朝もまだだろう?なっ、頼む〜〜〜っ』
「昼、ご飯ね・・・」
 わざとため息とかついてやる。
『すっごい美味しいところがあるんだって!俺の今の一押し、お前に教えてやるからさぁ〜』
 別にそれは教えてもらわなくても良いけど。どうせ剛の一押しなんてボリュームだけの定食屋に違いない。それはわかってるが。
「仕方ないなぁ、もう。分かったいいよ。今から準備するから、・・・12時過ぎくらいになるけど」
『いい、いい!俺もこれからちょっと教授に呼ばれてて、それくらいがちょうど良い』
「わかっ――――」
 "剛早く!行くわよっ"
『―――じゃぁ近くに着いたら電話してっ』
「あ・・・」
 ――――切れた・・・
 返事も待たずに。しかも、切れ際の女の声。あいつを呼んでた声。ムカツク。
「行くの、やめよーかな・・・」
 切れた電話に向かって呟いてやる。もちろん、返事はないけど。そしてそれは無体と言うものだ。
 由岐人は小さく息を吐いて時計を見上げる。12時過ぎに着くには手早く準備しなければいけないと、受話器を戻して用意にとりかかる事にした。
 行かない、なんて選択肢を選べるはずも無いのだから。
 そして、クローゼットを開けて無意識に選び出したのは、1番気に入っているスーツだった。









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