3.5章-3-
由岐人は学校の正門から少しハズれた場所に車を止めて、わざわざ車外に出て剛を待った。上着は羽織っていないけれど、代わりに羽織ったコートは客にプレゼントされたフランスのブランド物。日本じゃぁまだお目にかかれないその品は、軽く100万はするだろう。 そのコートをラフに羽織って、閉じられていないフロントからは中に着ている白シャツが見える。全体的にダークブラウンで合わせたその様相は、ホストというよりはどこかの若社長のようにも青年実業家の様にも見える。ラフに撫でつけた髪から耳が見えて、そこには上品なルビーのピアスが光っていた。 当然そこを通って駅へと向かう学生―――とくに女は―――みんながみんな由岐人に目を奪われている様子だ。が、由岐人はそんな視線には一瞥もくれない。 ただ、遠くを眺めて待っていた。声がかかるのを――――― 「由岐人」 知った声に、由岐人はことさらゆっくり視線を向ける。 「・・・っ」 その姿を認めて、顔に不機嫌な色が落ちる。 「じゃぁーな」 「う、うん」 剛には連れがいた。しかも女。その女に剛が手を振ると、女は答えながらもその視線は由岐人に釘付けになっていた。もちろん由岐人は挨拶をするような事はしない。さりげなく上から下まで視線を1周させて、40点と勝手に点をつけた。 「あ、後でねっ!」 「おう!」 ――――後で? 「悪い、待たせたな」 「ああ・・・」 「あー、怒ってる?」 剛が由岐人の顔を見て、ちょっと顔を引きつらせている。 「・・・別に」 不機嫌なオーラを漂わせながら言う言葉に説得力はない。ただ、不機嫌な理由は剛の思っているのとは違い、そして由岐人は自分が不機嫌になっている自覚はない。 「・・・・・・飯、行くか」 「うん。あ、車」 「つーか、BMで来るか普通」 呆れ顔の剛に、由岐人はむっとした視線を向ける。 「悪い?せっかく届けてあげたのに」 「いーえ。定食屋の近くに駐車場あるし、そこに停めとけば?」 剛の言い方が若干捨て鉢気味なのは、この後のことを考えれば理解も出来るだろう。どうせ、あれは誰だ、どういう関係だと周りから詰め寄られるのは目に見えている。 「じゃぁ、そうする」 由岐人はそう言うと、さっさと車に乗り込んだ剛についで車に乗り込んだ。周りに見せ付けるようにゆっくり車を出して、剛の誘導に従って車を進め、駐車場に入れた。 剛に案内されたのは、そこから徒歩3分ほどの定食屋。 ――――やっぱり。 由岐人がそう思ったのは、語る必要もないだろう。 「ここさ、すっごい美味しくてボリューム満点」 笑顔で言う言葉も予想通りで。つくづく期待を裏切らない男だと思う。 「こんにちわー」 元気よく入っていくその後に続いて見たものは、由岐人にとってまさに別世界。 小汚い店内に所狭しとお品書きが並び、店内は食べ物の匂いが充満していて、これでもかとテーブルと椅子を目一杯並べている。しかも、人が一杯。 「あ、空いてた。由岐人!」 「うん・・・」 回りも一斉に由岐人を見て固まっているが、由岐人だって固まっていた。 あまりの、場違いに。 それでも剛に促されて椅子に座ってみる。 「由岐人何にする?俺は、朝パン1個しか食ってないし限界まで腹減ったから―――トンカツ定食で!」 「あいよ。兄ちゃんは?」 ――――にい、ちゃん・・・ 見上げたおばさんはちょっと小太りの割烹着姿。顔はにこにこ笑ってる。 「あー・・・、じゃぁ秋刀魚定食」 見上げた先、おばちゃんの顔の奥にあったそのお品書きが目に入って。そのままそれを注文した。 「あいよ。―――カツ定にサンマ!」 「あいよ〜」 中のおじさんも元気よく言う。なんというか、これが活気があるとでもいうのだろうかと、由岐人は物珍しくてきょろきょろと周りを見回す。周りは全員が男ばかりで、並ぶ料理の量が半端ではない。 「・・・みんな学生?」 「うん。ここはうちの学生ばっかだよ」 「そっか・・・」 「上手くてボリュームあって安いってきたら、男の子には1番だろ」 「そう、だね」 「はい、お待たせ!」 そこへ、そんなに待たされもせずにドンとテーブルに置かれた料理に由岐人は思わず引いてしまった。 ――――秋刀魚が2本もある・・・一人前なのに? 思わず見た剛の皿には、わらじ―――もとい、わらじ大のトンカツがドカンと盛られて、キャベツも山盛り。 「うまそー。頂きます!!」 剛は目を輝かせてどんぶりサイズの茶碗を手に、トンカツを勢いよくがっつき出した。その態度と、この量と匂いに、由岐人は既にお腹が一杯になっていた。 結局由岐人が食べたのは、自分の秋刀魚定食の半分以下の量だった。なんと後は全部剛が一人で平らげたのだ。ようは、剛は自分の分と由岐人の残した半分以上をその胃袋に収めたわけだ。 「ひゃぁ〜さすがに腹いっぱい」 ――――だろうね・・・ 由岐人はかなり呆れ気味で目の前の剛を見ていた。 「ごちそう様ってことで、んじゃぁ、出ようぜ」 剛はそう言うとさっさと立ち上がって、レジへと向かう。こういうところは回転が命だから長居は無用なのだろう。 「おばちゃんおアイソ」 「はいよ、っと、一緒かい?」 「うん」 由岐人は剛が会計を済ませている間に外へと出た。外はやはり2月、空気が寒くて風が肌に刺さった。 見渡せば、学生がうろうろしていて。その子供っぽい顔つきや若々しさに、自分との違和感を覚えずにはいられなかった。 「お待たせっ!」 ガラっと扉を開けて出て来た剛。 ――――・・・っ 「ん?」 「いや・・・」 ――――こいつは十分溶け込んでる・・・ま、当然だけど・・・ 由岐人はふっと浮かんだ思いに思わず苦笑して、軽くかぶりを振って一歩踏み出した。足がなんとなく早足なのは、なんだかこの街は自分には似つかわしくない、そう思えて早く出て行きたかったのかもしれない。 その違和感の分だけ、二人には距離があるのかもしれない、そんな思いに囚われる。 その二人の足を、定食屋からほんの数歩行ったところで止める声がかかった。 「剛―!」 「よう。あ、お前らもあそこか?」 剛はそう言って、今自分達が出て来た定食屋を指差した。 「ああ」 声をかけてきたのは、男二人組。その口ぶりから剛の友人なのだろう。アーミー風のカジュアルなジャケットにデニムパンツの男は少し遊んでそうにも見えるが、相手のダウンジャケットのデニムパンツの男がまぁ普通の好青年に見えた。 「俺はもう食って来たぜ。お前ら時間大丈夫かよ?」 「俺らは午後の講義ねーもん」 「あ、いいなぁ〜。ちぇ〜〜」 どうやら取っている講義が多少違うらしい。由岐人は少し離れた場所に立って、そんな会話を聞くともなしに聞いていた。 「ところでさ、剛今日バイト?」 「いや、今日は休み」 「よっしゃ!!じゃぁーさ。クラブ行こうぜ!」 ――――クラブ? 「俺ら久々にL(エル)に行くんだよ。コイツの知り合いが回すらしくて、ぜってー盛り上がるって言うからさ」 「間違いない。あの人凄い人気あんもん、特に女に。だから、いい女も絶対来るって!」 ――――好青年撤回だね。ったく、しょーもない。 「ん〜俺パス」 剛の返事に、由岐人は思わずその顔を盗み見る。もちろん顔は、無表情のままだけれど。心臓は少しドクっと鳴っていた。 「なんで?」 「お前が来ないと困るよ」 「いや、最近そういうの、どうでも良くて」 「どーでもって・・・」 剛の返事に面食らっている様子の二人組み。女いらねーの?と言う口調はがっついていて、女に縁がない男達なのだろうかと思わせる。 けれど剛は普通に笑って。 「悪ぃな。―――じゃぁ、俺まじで時間やばいし行くわ」 「え〜〜」 二人組みはまだ不満そうだけれど、剛はじゃぁなと由岐人を促して歩き出した、その背中に。 「後で行くから!」 後でクラスに顔を出すということだろう、剛はしょうがねーなと呟いて笑って振りかえり、軽く手を上げた。 そんな景色は、由岐人の瞳には1枚の絵のように綺麗に納まって見えていた。なんの違和感もない、たぶんこれが大学生の普通の日常。その絵の中に、自分はどう納まっているのだろうかと想像してみて、想像出来ないことに笑うことすら出来なかった。 綺麗に絵になっていたはずのジグソーから、合わないピースがバラバラと落ちていく感覚。落ちていくのは、自分。 「由岐人?」 呼ばれた声に、ただ軽く首を横に振った。こんな思いを口にするのは馬鹿げている。それは分かっていても、ただ居心地が悪くて、由岐人は早足で駐車場まで戻ってファイルを差し出した。 「さんきゅ〜助かった」 嬉しそうに笑う笑顔も、なんだかまともに見れなくて。 「じゃぁ、僕はこれで」 「えぇ!?大学の前まで送ってくれよ」 「やだよ。このまま真っ直ぐ行った方が近い。大学まで戻ったら遠回りだ」 由岐人はそう言うと、さっさと運転席に乗り込んだ。 「由岐人!?遠回りって、さしたる距離じゃないだろう!?」 さっきまで普通だったはずなのに、急に苛立たしげな態度に変わった由岐人に剛の眉が思わず不愉快そうに跳ねた。 何に機嫌を損ねたのか、剛にはわからない。 「うるさい」 何故、素直に心の内を言えないのだろう。そう出来ればきっと、もっと楽になれるのに。 「っ、うるさいって」 案の定剛の声が荒くなる。そこへ―――― 「剛!?」 さっき門で別れた、40点の女が駐車場の傍を通ったらしく声をかけてきた。 「あ、ケーコ」 ――――っ!! 親しげに名前で呼ぶ声が。 刺さった。 「じゃぁ」 「え、おい」 無理矢理エンジンをかけた。 「丁度良かったー。一緒に大学戻ろう?」 甘えた声が微かに聞こえたのは、剛が手にかけた扉が少し開いていた所為。由岐人はそれを無言で閉じて、車を動かした。 「由岐人っ」 叫んだ声はもう由岐人には聞こえない。 ただ、バックミラー越に怒った顔で立ち尽くしている顔だけを確認した由岐人は、ただ震える手で車を動かした。 ずっと引っかかっていたこと。それが何かわからなくて喉元に刺さっていた小骨。それが今はっきりと由岐人に突きつけられていた。 自分はここにいるのは変だ。 おかしい。 似合わない。 まるで目の前にガラスがあるような、そんな感じ。自分はガラスの箱の中にいて、向こう側とは交わる事は出来ない。 そんな思い。 由岐人は気持ちを抑えられなくて、まるで逃げるように乱暴に車を発進させて剛を置き去りに駐車場を後にした。 言い訳だけど、それしか出来なかった。 その時、剛がどう思ったかなんて考えている余裕もなかった。 ただ、怖かった。 自分だけが、可愛かった――――― |