3.5章-7-
――――はぁ・・・泣く、なんて。 格好悪いと、由岐人は軽い自己嫌悪に陥りながらソファに身を沈めていた。泣いてる自覚もなく、気づいたら泣いていたなんて。 「これから・・・」 どうしよう。 とにかく今日はホテルで泊まるとしても、着替えも必要だしパソコンだってチェックしなきゃいけないし。このまま帰らないなんて出来るわけも無い。 いつかはちゃんと、顔を合わせなければならない。 どうして、別れを切り出せばいいだろう?なんと言いえば剛は納得するのか。 由岐人はそんなどこか非現実で、まだ頭ではちゃんと理解出来ていない今後の事を漠然と考えていた。今と、未来と、希望と願望と、理性と本心が点で散らばって、由岐人の中で線にならない。今はまだ、かき集めることも出来なくて、ただそれを傍観者の様に眺めているしか。 その思考を割って入る様な、咲斗にしては珍しい荒々しい足音が聞こえてきた。 「・・・?」 徐々に現実に連れ戻された意識の中で、一体どうしたのだろうかと首を傾げた瞬間、乱暴に扉の音が開いた。 「――――っ、」 由岐人の目の前に立っているのは、咲斗では無い。 意識が一気に現実に引き戻された。 ――――・・・なんで!? 「由岐人」 「剛・・・っ、・・・え、・・・・・・なんで・・・」 上擦った声は、かっこ悪く掠れて消えた。 「迎えに来たんだ。―――― 一緒に帰ろうって思って」 剛はそう言うと由岐人の手を掴んで無理矢理引き寄せようとした。 「ちょっ、待って」 その手を由岐人は振り払おうと抗ったのだが、剛の力が強くてうまくいかない。 「由岐人っ」 「痛いっ」 「あ・・・ごめん」 細い声に剛はハッとした様に手を離すと、由岐人はその手首をさする様な仕草をする。そして、剛の視線を避けようと身体を横に向けた。 「・・・何しに来たんだ?僕は迎えなんか頼んだ覚えは無いよ。第一、咲斗が・・・」 「その咲斗から電話貰ったんだ。迎えに来いって」 ――――っ!・・・咲斗・・・ 剛の言葉に、やられたと由岐人は唇を噛み締めた。まだ頭が冷静じゃないから、この目の前の男とどう話していいのかわからないのに。 「さっきの事、誤解してるんだろ?」 「・・・誤解?」 冷たく聞こえる由岐人の声に、一瞬剛が息を飲む。 ただ、緊張してしまっただけの由岐人の声なのに。 「言い訳くらい、聞けよ」 ――――なんだよその、命令口調っ 訳も無くムカついて、由岐人は相変わらず剛を見ようともしない。歪が僅かに開いたことには気付かない。 「あれは、その、なんでもないんだ」 剛は言い訳くらいと言ってはみたものの、何をどう話していいのかわからなくて口篭ってしまう。いっそ、面と向かって責めてくれでもしたらもっと楽に言える言葉もあるのに。 「あれはだな――――友人に・・・」 「別にそんな事いいから」 騙されて付き合わされただけ――――その言葉は由岐人に遮られた。 「そんな事いいって」 ただ、剛を突き放す言葉に、ムッと言い返す剛の声。 「別に、剛がどこの誰となにしてようと、僕には関係ない」 だって、由岐人がこだわっているのはそんな事じゃない。 「何だよそれ。じゃぁお前はっ、俺が浮気しようが構わないのかよ!?」 けれど、そんな由岐人の心の内がわかるはずの無い剛は、カッとなって声を上げる。 「いいよ。―――好きにしたらいい」 「――――っ!!!」 不意に顔を上げた由岐人は、真っ直ぐに剛の顔を見た。 真っ白な顔色で。 捨てられた子猫が、雨に濡れて泣いている様な瞳で。 行くあてを見失ったまま。 「だって、剛とは今日で終わりにするから」 吐き出した声が、震えなくて良かったと思う由岐人は、今自分がどんな顔をしているのか分かっていない。 「嫌だ」 剛は逆に由岐人の言葉に返って目が覚めた。 「剛!?」 その、瞳に。 「絶対嫌だ。なんと言われようと俺は別れない。それでもどうしても捨てるって言うなら、ストーカーにでもなんでもなってやるっ」 「はぁ!?・・・ふざけんなっ!」 「それはこっちの台詞だ!こんなカッコよくて優しくて気のつく男の何が不満なんだ!」 「っ、自分で言うな!馬鹿!!」 「俺は馬鹿じゃねーっ!」 「馬鹿だよ!!」 「馬鹿じゃねぇー!!」 「馬鹿だっ」 ――――だって。 「馬鹿じゃねーつってんの!!」 ――――だって・・・ 「・・・馬鹿だよっ!」 泣き声で、何を意地になってお互い言い張っているのだろう。まるで、子供の喧嘩だ。 「由岐人の方が絶対馬鹿だ。俺みたいないい男捨てようとするんだからな」 剛のわざと砕けた口調に、力が抜けたのか由岐人がその場にへたり込んでしまった。膝の上には、今夜2度目の涙が零れ落ちた。 「馬鹿だよ・・・。せっかく、返してあげるって言ってるのに」 「返す?何を?」 わけわからんと首をかしげながら、しゃがみ込んだ由岐人の前に剛も腰を降ろす。 「何、じゃなくて――――」 「うん?」 「剛は全然わかってない」 「何が?」 「僕は男なんだ」 「当たり前だろ?」 今更何を言っていると、剛は奇妙な顔になる。だってそんな事、今頃になって確認される事ではない。 「しかも、ホストで」 「うん」 「しかも――――父親と・・・」 「由岐人?」 少し慌てたように剛がその名を呼んで、思わず抱きしめようと伸ばした手を由岐人は拒否した。 「由岐人っ!?」 つい苛立った声を上げてしまうのは、いつまでも心の中に入らせてくれない苛立ちだろうか。 「全然分かってない」 「だから、何が!?」 「そういう事全部だよ!」 声を荒げて顔を上げた由岐人の頬は涙で濡れている。それはまるで、あの日あの夜、橋の上で抱きしめた時と同じ顔で、剛の胸を締め付けた。 「・・・どーいう事だよ・・・」 「男と恋愛してるってこと。それだけでも問題なのに、僕はっ」 僕には抗えない罪がある。深い深い、罪と背徳。 「なんだよっ。そんな事最初からわかってる」 それがいつも、付いて回って翳を差す。 「分かってない!それがどれくらい世間に出たら困ることになるのかっ」 「由岐人?」 「例えば、剛が面接に行くとする、そこでその事がバレたりしたらせっかく決まりかけていた就職も、破談になる。もし上手く会社に入れても、そこでバレたらいられなくなったりするんだっ」 「あのなーっ」 そんな先の心配をして何になる。 「世間知らずの大学生」 「由岐人!?」 「それでいいのに――――何も・・・・・・」 最初のスタートから重い荷物を背負う事は無い。そんなものを背負わせていたくない。 後悔しないと言った剛の言葉。 幸せになろうと言ってくれた、その言葉。それがどれだけ嬉しかったか、きっと剛は本当にわかっていないだろう。 「女の子とはしゃいだって、ハメを外して飲んだって。コンパだって、剛には当然の権利だよ?18の大学生で、みんなが通る普通の青春を楽しめる時期だよ・・・」 だからこそ。 だからこそ、別れてあげようと思うのに――――― 「でも――――・・・」 だって僕はその中に交われない。 「ああもう!!」 剛は苛立った声を上げて無理矢理由岐人を抱きしめた。 「俺は由岐人がいいの!何度も言わせんじゃねーよ!!」 そのままぎゅうぎゅう抱きしめて、無理矢理上を向かす。 「・・・やっ」 近づけた唇を拒否する声を発して顔を背ける由岐人に、剛は悔しそうな顔になる。 たったそれだけの事に、剛の心にわき上がる疑念。 「俺じゃぁ嫌なのかよ」 「・・・っ」 変わった声のトーンに由岐人は思わず剛を見た。 「結局なんだかんだ言って、由岐人は俺じゃぁ嫌なんだろう?」 何を口走ったのか、頭に血が登ってわかってなかった。 「・・・え」 「ガキな俺じゃぁ満足出来ないんだろっ!だから何だかんだ理由つけて、俺の事拒んでんだろう!?」 そんな事考えてたわけじゃないのに。 「なら、そう言えよ!そう言えばいいだろう!!」 叫んだ剛はカッとなったそのままに強引な力で由岐人を押し倒した。そしてそのまま、あろう事か由岐人の衣服に手を掛けた。 もう、我を忘れていた。 ただ、無くしたくなくて焦った、 そりゃ無様に。 全部分かって好きになって。確かにガキだけど、ガキはガキなりに必死で考えて傍にいるのに。その気持ちを否定された気がして我慢出来なかった。 それと同時に、心の悪魔が囁いた。 由岐人は、父親と自分を比べてるんじゃないか――――と。 あの時ほど、その想いは強くないのではないかと。 だから。 「やめっ!」 ビリっと衣服が裂ける音がして、止めていたボタンが弾け飛んだ。丸めようとする身体を押さえつけて、肩を掴んで身体を開かせた。 そのままあらわになった鎖骨に、無我夢中でむしゃぶりついた。少し、汗の味と酒臭い香りがした身体。そのまま手を伸ばして、布越し股間をすりあげた。 「やだっ!」 カチャっとベルトの音が響く。 「止めて!――――剛っ!!」 そのまま手をかけた。 「剛!!」 悲鳴の様な声が、響いた。 「・・・あ・・・っ」 「剛・・・」 悲鳴に我に帰って気が付いたら、自分の下で由岐人が震えていた。 「・・・・・・っ」 シャツが引き裂かれて、顔を両手でふさいで。その合間からは涙が見えた。 ――――俺・・・ 登った血が一瞬にして引いた。 ――――俺は今、何をした?・・・・・・何をしようとした? 何より大切で、守りたい人なのに。 何に変えても、どんなことがあったとしても守り抜きたいと誓った人なのに。 俺は、―――――――――――― |