3.5章-8-
気が付いたら剛は由岐人の上から飛びのいて、後ずさっていた。恐怖と後悔で、身体が小刻みに震えて止められない。 こんな、こんな事――――――― 「俺・・・」 自分がこんなに馬鹿な人間だとは思っていなかった。大馬鹿で愚かな人間だとは。 剛は、わけもわからず首を横に振る。 それで、一体何を否定しようとしているのだろうか、それさえも分からない。ただ、心の底から愛しているただ一人の人を、自分で傷つけようとしてしまった事だけは分かっていた。 「―――ごめんっ」 そう叫ぶのだけで精一杯だった。もう頭の中がパニックしていて冷静に何かを考えられない。 慌てて立ち上がって、後ずさった足をデスクの角にぶつけたけれどその痛みもわからなかった。ただ、そのまま扉に手を掛けてドアを開けた。 「ごめん・・・」 あろう事か、剛は逃げ出そうとしていたのだ。 その足が、一歩廊下に踏み出した。 「――――待ってっ!」 由岐人が声を発した。 「俺・・・」 けれど、剛はさらに後ずさる。そのまま、走り出す勢いの足を―――― 「待てってば!」 苛立ったような、それでいて泣きそうな由岐人の鋭い声が響く。 「・・・由岐人・・・」 ―――――血が、逆流して。息が、うまく出来ない。 「行くな。僕を、置いて行くなっ!」 起こした上体は、完全に衣服が滑り落ちた。キッと上げた顔は涙でぐちゃぐちゃになっている。その身体が少し震えているのは、恐怖のためか緊張のためなのか。 それとも―――――― 「・・・一人じゃぁ帰れない」 もう、一人ぼっちであの部屋に帰りたくない。 一人であのベッドで眠ることが出来ない。 それは、分かっていた。 ただ怖くて、認められなかっただけ。 「いい、のか?」 掠れた剛の声に、由岐人はコクンと頷いた。 だって、剛が行ってしまうと思った瞬間、目の前が真っ暗になった。身体中の血が全部引いてめちゃめちゃに逆流しだして、胃が競りあがって来るような気持ち悪さ。 本当に、一瞬息が出来なくて。 気づいたら、引き止めていたのだ。 もう、意地なんか張っていられなかった。 怖さも、綺麗事も、拘っていたことも全部吹っ飛んでしまった。 「迎えに、来たんだろう?」 自分でも、わかっていなかった。 だって、別れられると思ってたんだ。 「ああ」 今なら出来ると。それが剛のためなんだと。 「就職、出来なくなってもいい?」 自分じゃぁダメなんだと。 「大丈夫。俺は優秀だから、間違いなく向こうが放っておかないから」 でも、分かった。もう遅いんだって事。 「僕は、近親相姦した上に、人殺しだよ」 そんな綺麗ごとじゃあ、片付かなくなってるって事。 「由岐人は人殺しじゃない。ただ、純粋だっただけだ」 だから、ごめん。 「後悔したってしらないから」 「ぜってーしない」 「したって、遅いんだから」 もう、放してあげられない。 「しない。女の胸見ながら、由岐人の胸を思い出してたくらいだから」 「・・・変態?」 「ちげーよっ」 なんつー言い草だよ、と怒る剛の顔はいつもの調子に戻っていて、由岐人はホッとしてクスクス笑った。 それにしてもまぁ、随分とうだうだ悩んで遠回りしたもんだ。 「立てないから、起こして」 もう、いいや。悩むのは止めよう。 「はぁ!?」 「腰が抜けた」 そう言って両手を広げてみる。 「・・・俺の所為?」 そう言えば、剛には随分格好悪いトコロを見られてきたと思う。 「そう。あ、先にそのジャケット取って。しょうがないからそれ着ていく。まさか上半身裸じゃぁ外に出れないし」 「・・・すいません」 由岐人の言葉に慌てて小さくなった剛は、かけてあったジャケットを手にいそいそと由岐人に着せてやる。 「なんか、変な感じだなぁ。スースーする」 眉をしかめる由岐人に、剛の喉が思わずゴクっと鳴った。だって、素肌にスーツ。動いた拍子に乳首がチラっと見えて。さらに鎖骨には自分がつけたキスマーク。 正直、エロい姿だった。 ――――やばいっ!! 「ふ〜ん」 そんな様子の剛に、にやっと由岐人が笑った。 「んだよ・・・」 ちょっと焦るから、余計にばれる。 「もっと見る?」 わざと前かがみになって胸を見せてくる由岐人は最強だ。 「そ、そんな事すんならまた押し倒すぞ!」 焦った声に迫力なんかない。 それに、そんな事出来ないって知ってるから。 「そういう事言うと、咲斗に言いつけるよ?・・・ココ、咲斗だろう?」 自分の頬を指差して笑う由岐人に、剛はグッと言葉に詰まる。そんな剛が可愛くて、仕方が無いなぁと思ってしまうのは、それくらいに剛が好きだからだろう。もう完全に、ハマってる。 腰が抜けて立てないのだって、別に乱暴されそうになったからじゃない。剛が、一人で行ってしまうと思ったら、怖くて動けなくなっただけ。それこそ本当に、まっさかさまに堕ちていく気がしたんだ。 「ねぇ?」 だからもう、諦める。 「・・・なに」 拗ねた声に、笑ってしまう。 ばかだなぁ。押し倒されるのが、嫌なわけじゃない。 「早く、帰ろう?」 剛の事を考えて別れるなんて、出来ないから。しょうがないから、一緒に堕ちてもらおう。 「おう」 もしいつの日か、僕といることを後悔する日が来たら、それはその時考えよう。 もしいつの日か、僕の存在が剛の人生に邪魔になる日が来たら、その時こそはちゃんと別れてあげるから。 「帰ったら一緒にお風呂入ろうっか?」 だからもう今は諦めて、一緒にいよう。 「え・・・ええ!?」 だって。しょうがない。 こんなにも、好きなんだ。 こんなにもこんなにも、好きなんだ。 知らないうちに、こんなにも好きになってたんだ。 もう、一人じゃぁ生きていけない。 だから神様。 今はちょっと目を瞑って、許してください――――――――――― ・・・・・ 暗闇で、シーツの擦れ合う音が聞こえる。 「ぁぁ・・・、っふん・・・」 その合間、洩れ聞こえる濡れた甘い声。 「へーき、か?」 剛は自分の下で、枕に顔を埋めた由岐人に声をかける。 一緒に入った、初めての風呂。湯を張るのは面倒で、抱き合って浴びたシャワー。互いの身体を洗いながら、甘い愛撫をすれば声も上がって。1分1秒も惜しいと雪崩れ込んだ寝室。 「ん、久しぶりだから、ちょっと・・・でも、いいからもっと・・・」 剛は、用意だけはと随分前に買っておいたローションで指を濡らし、狭い中になんとか2本挿しいれた。 「由岐人」 腰だけを上げた姿勢で後ろから責めるのは、由岐人が前を向くのを嫌がるから。だからしょうがなく、剛は由岐人の肩にキスを落としていく。 「はぁ・・・っ、んん・・・」 ゆっくり指を上下させると、きゅっと締まる。その強さに逆らって、中を探るように掻き回す様に動かしていく。 「ああ・・・っ!!」 急に由岐人の背中がビクンと跳ねて、思わず剛が嬉しそうに笑った。 「ここだ?」 「やめ・・・やだってっ」 途端に抗う声を上げるのを無視して、剛はことさらソコを責め立てた。指で突いて執拗に擦り上げる。 「ああ・・・、ひイ・・・、ああんっ・・・」 キツいそこをならす様にゆっくり指を動かしていくと、焦れた様に由岐人の腰が揺れてきた。何年ぶりだろうという久しぶりの感覚なのに、身体が憶えているらしい。 ぐちゅっという濡れた音がする。 「つよ、しっ」 優しい指先と、いたわるような愛撫がもどかしくて、愛おしい。名前を呼んでみれば、すぐさまキスが落ちてきた。 「痕・・・っ」 何度も背中に押し付けられる感覚に、僅かに残る理性で抗ってみると余計にキツく吸い上げられた。 「痕残ってると困るのかよ?」 言外に、俺以外の前で脱ぐのかよ?と、不満気に言うのが、子供っぽくて笑える。 「・・・ばか」 「どうせ俺は馬鹿だよっ」 笑いを含んだ拗ねた声は甘い睦言。そんな声に由岐人が思わず笑いを漏らすと、剛は怒った顔をして由岐人の足に手を掛けて。 「うわっ!」 無理矢理抱え上げて身体を反転させた。 「剛!?」 「こっちにも一杯痕つけてやるっ」 「ちょっ・・・んん―――ああっ!」 剛は手始めに首筋、見えるか見えないかのギリギリを吸い上げて、さらに色付いた突起に舌を絡めて吸い上げた。 中に潜り込ませた指は、いつの間にか3本になっている。 恥ずかしいから、こっち向きは嫌なのに。そんな由岐人の思いは喘ぎに紛れて音にはならない。 「ふっ・・・ああ、・・・・・・ああ―――っ」 舐めて甘く噛んで舌で押して、散々弄った胸はジンっと甘く痺れている。それと同じ事をもう一方にもされて、由岐人は甘い声を我慢も出来ず声を上げた。焦れったさに、思わず膝を立てて剛の摺り寄せてしまう。 「やっ・・・、剛、―――いい加減・・・」 久々に人からもたらされる快感の波は強烈で。 剛なんだと思うと悔しいくらいに身体が剛を欲していて、こんなにも飢えていたのかと、改めて由岐人は知らされていた。 理性も常識も、こだわっていた想いも全部綺麗さっぱり吹っ飛ぶくらいにイイ。 「もう、へーきそう?」 剛の声が、熱く快感に掠れている。3本の指はスムーズに動く様にはなったけれど、今から入るのは指とは比べものにもならないはずで。 『最初はキツいよっ。俺・・・立てなかったもん』 だいぶ前、男同士のセックスに不安で尋ねてみた響の返事。やっぱりそうなんだと、剛はしみじみ思ったのだ。だから絶対、やさしくしようと誓ったのだ。 その優しさに、由岐人が焦れてイラついてるなんて思いもよらないで。 それでも、甘い幸せが嬉しいと思ってることも知らないで。 < |