3.5章番外前編



 深夜というよりも、明け方近いというその時間。咲斗はどうしようもない、押さえようもない苛立ちを持って自分の家のドアを開けた。
 剛が着いたら殴ってやろうとは思っていた。ただ、力の加減が上手く出来なかったのは、剛の跨るその原付を見た時だった。一気に頭が沸点を突き抜けていた。
 ――――にしても・・・・・・
 咲斗が深いため息をついて玄関に足を上げた時、パタパタと足音がした。
「咲斗さんっ」
 寝巻き姿の響を目にして、咲斗の目が細められる。
「起きてたの?」
「うん、寝てたんだけど、・・・・・・」
「寝てたんだけど?」
「ああ、・・・・・・うん・・・」
 その先を、今更ながらに言っていいのかどうなのか迷うように言葉を濁す。その態度に咲斗の悪い機嫌がさらに悪くなるとも知らず。
「響?」
 言わないつもりだったら、どうしてやろうかと思った矢先。
「――――あのね、剛に起こされちゃってさ」
 白状した響の態度に、ちょっと咲斗の機嫌が浮上する。といっても地の果てまで落ちていそうな機嫌が、僅か1センチ上がったかなくらいなのだが。
「剛に?」
 咲斗はそう言いながらジャケットを脱ぐと、ごく自然に響がそれを受け取る。そのままリビングの壁に掛けてあったハンガーにジャケットを掛ける。
「そう。さっき来て」
 ネクタイを解いてテーブルの上に置くと、それも響がジャケットと一緒に掛けて。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してグラスに注ぎ、咲斗が座ったソファの前のローテーブルに置いた。
「それで?」
 咲斗はそのまま響の腕を取って、自分の横に座らせる。
「急用で、急いで行かないといけないからって・・・」
「うん」
「原付借りに」
「へーそうなんだ」
「うん」
「で?」
「え?」
「・・・で、響は原付どうしたの?」
「・・・貸した、けど・・・」
「へぇー貸したんだ?」
 にっこりと笑う笑顔に、ここで初めて響はあれっという顔をした。
「・・・うん」
 もしかして怒ってるかもしれない、とようやくその空気に気付いたらしく。思わずお尻がずり下がった。
が、その腰に咲斗がしっかりと腕を絡めて引き戻した。逃げられない様に。
「響?」
「えーっと・・・」
 思わず泳ぐ瞳が、咲斗が何に怒っているのかわかっていない証拠で。それがさらに咲斗の機嫌を最悪最低な方向へと引っ張っていく。
「なんでそんな顔してるの?」
 穏やかな声が、怖すぎる。
「こ、これは地・・・かなぁ」
「へぇ〜」
 どうやら冷や汗たらたらになってきたらしい響に、咲斗はあくまでも笑顔を崩さない。その笑顔に青筋がたっていようが、纏っている空気がやたら冷えていようが、顔はとにかく笑顔だ。
 その、怖すぎる空気に響は我慢も出来ずに直ぐ怖じ気づいた。
「な、なに怒ってんの?」
 考えるよりも先に聞いてしまうのは、不十分な睡眠で頭があまり回っていないから。
 そして出来れば早々に言い訳をして寝てしまいたいと思っていた。いやむしろ、起きて待っていた自分を呪っていたのかもしれない。
「怒ってるようにみえる?」
「んー・・・、ちょっと」
 というか、かなり。
「でも響には心当たり無いんだよねぇ?」
「えー・・・っと・・・」
 ここで、無いときっぱり言えない。言えるはずが無い。
 見つめた咲斗の顔は、相変わらずの笑顔。笑顔。笑顔。けれど、腰に回った腕はがっちりと力が入っていて、ビクともしなさそうなのは響にだって分かる。
 ―――――えぇ〜〜、何した!?うわぁーん。
 逃げたい。けれど、逃げれるはずも無く。
「響・・・、その顔は卑怯」
「え・・・?」
 ―――――どんな顔?
 自分の顔が見られない響には咲斗の言葉の意味がわからず、思わず首を傾げる。
 自分の瞳がうるうると濡れ、許しを請うような視線を向けたのはまったくの無自覚なのだからしょうがない。しかし、咲斗にすればその顔は食いつきたくなるくらいに凶悪に可愛かったようだ。
 咲斗は、じっと響を見つめた後諦めたように深いため息をついた。
「原付、貸したよね?」
「うん」
「俺が響に買ってあげたんだよ?」
「うん。ありがと」
 にこっと笑って頷く顔に他意は無い。
「・・・それを、剛なんかに貸して」
「だって困ってたから」
 怒っていた理由が知りたいのに、話が逸れていくと響はきょとんとした顔で咲斗を見上げた。
「困ってたらなんでも貸してあげるわけ?」
「?」
「じゃぁもし、響が俺にプレゼントしてくれたものを、――――そう、うちのお得意様にせがまれて、貸してしまったら響はどう思う?」
「それはヤダ」
「でしょう?」
「・・・・・・で?」
 たぶん、響に罪は無い。ただ響の今夜の仕事は結構忙しくて大変で、寝入ったところに剛が来てしまったために、極端に頭が回っていないだけなのだ。
「で?じゃない!」
「ほえ?」
「響はそれと同じことしたんだろ!!」
「・・・同じこと?」
「剛に俺がプレゼントした原付を、剛にせがまれて貸した」
「・・・・・剛は友達だよ!?」
「ふん」
 それがなんだ、という顔に響ははぁーと肩の力が抜ける。
「友達とお得意様のお姉さんとは全然違う」
「一緒」
「違うぅ〜っ」
「違わないの」
「咲斗さっ・・・んん・・・っ」
 当然納得のいかない響が抗議の声を上げようとしたら、咲斗が強引に響の口を塞いだ。しゃべろうと口を開けていたのだから、咲斗の舌はいとも簡単に侵入してきて。響の口腔を堪能して舌を絡めた。
「ふっ・・・、うう・・・んっ・・・・・・はぁ・・・ぁ」
 離されない唇に響が息苦しさに眉を寄せる。咲斗は響の舌を引っ張って吸って、ぐちゅっと湿った音が聞こえた。唾液は口の端からも零れ落ちた。
 響の身体から力が抜けたところで、ようやく離されて。響は荒く息をついた。その身体も、咲斗に凭れさせている。
「響?」
「・・・もうっ・・・」
「なに?」
 甘いというよりは、激しいキス。
 けれど、応えた響に咲斗の機嫌はちょっと上昇していたのに。
「わけわかんない事で怒ってないで、早くシャワー浴びてきたら?」
 響は、良くも悪くも意地っ張りなところもあって。
「・・・・・・」
「っとに。剛は友達なんだから。お姉さんとは違うんだからっ」
 よせば良いのにそう言って、響は咲斗の腕を外して立ちあがろうとした。
 が、当然響は立ち上がる事は出来なかった。
「うわぁ!!」
「全然わかってないな」
 中途半端に立ち上がった体制から、後ろに強い力で引っ張られてそのまま咲斗の腕に倒れ込むような形になった響が顔をあげると、目の前に笑顔さえも引っ込めた咲斗の顔があった。
「・・・咲斗、さん!?」
 響には咲斗が何を怒ってるのか、何に機嫌を悪くしているのか分からない。それは二人が抱える根底にある違いなのかもしれない。
 響を好きすぎて、その過去さえも全て欲しいと思っている咲斗の強すぎる想い。
「そんな姿で剛の前に出て――――」
 寝巻き姿の、たぶん寝ぼけたトロンとした顔で玄関に出たに違いない。それがどれくらい、色っぽいかも無自覚に。
「・・・っ」
「お仕置きだね」
「はぁ!?なんで―――――っ、・・・んっ!」
 お仕置き、の言葉に慌てて声を荒げた響の肩口に咲斗は歯を立てた。
 そのまま、パジャマ代わりに着ているロンTの裾を捲りあげて、素肌に指を滑らせる。ひやっとした冷気がその隙間から流れ込むのに、響が身体をぶるっと震わせた。
「咲斗さんっ」
 響は抗うように腕を伸ばす。
 けれど、咲斗は身体を入れ替えて響の身体をソファに押し付けた。腹ばいにさせたその腰に座って、一気にロンTをたくし上げて取り払ってしまう。
「ちょっ、―――咲斗さんってば!!」
「なに?」
 思いっきり不機嫌な声で言うと、咲斗はあらわになった背中に口付けた。
「んっ」
 ピクっと身体を震わせた反応に気をよくして、そのまま背骨にそって舌を這わす。時折きつく吸い上げて痕を残すことを忘れずに。
「やぁっ・・・何・・・おこって、んの?」
「わからないなら、もういい」
 投げやりな言葉で、咲斗はさらに首筋にも痕を残す。
「やだっ」
「響!?・・・痛っ」
 背中を揺らせて抗う響に咲斗の眉が不機嫌に跳ねれば、ソファについていた腕に響が噛み付いた。
「そんな言い方するなっ!もういいなんて――――そんな、突き放したみたいな・・・」
 ぐずっと響の鼻が鳴った。
「え、響?」
「うぅ〜〜〜」
 響が焦れたような唸り声を上げて身体をひねって、無理矢理腹ばいから上向きになって咲斗を見上げた。顔は拗ねたように怒っている。
 無言で見つめる咲斗のほうへ手を伸ばして、響はくにっと咲斗の頬を抓った。
「ひょう!?」
「咲斗さんに買ってもらったの、勝手に貸したのは悪かったけど。でも剛は友達で、だから貸しただけ。俺だって、お店のお客さんに頼まれたくらいじゃ貸さない」
「・・・・・・」
「剛は俺にとって、咲斗さんにとっての由岐人さんみたいなんだから。わかるだろ?」
「・・・剛と響は血が繋がってない」
「咲斗さん・・・」
 咲斗の返事に響が深いため息をつく。そういう事じゃないのに。しかも、咲斗だってそれはわかってるのに。
「ごめん。――――でも、剛でも嫌なんだ」
 咲斗は堪らず響を抱き寄せ、その首筋に顔を埋める。
「響と、生まれた時から一緒だったら良かったのに」
「咲斗さん――――」
 ぎゅっと強く抱きしめてくる咲斗を、響もぎゅっと抱きしめた。
「過去はどうしようもないけど、未来は全部咲斗さんと一緒だよ?」
 あやすような口調が、甘く響く。
「それだけじゃダメ?」
 切なくて、優しくて。
「・・・過去も一緒じゃないと、俺の事嫌になる・・・?」
「まさか!!」
 即答の返事で、咲斗は慌てて響の顔を見つめた。その顔は、怒ってたはずが今は驚いて青くなっている。
「響のこと嫌になる事なんか絶対に無い。ずっとずっと、愛してるっ」
「良かった」
 ほっとしたように響が笑う。
「じゃあ、仲直り」
 そう言って、咲斗の頬にちゅっと軽くキスをした。
「・・・仲直り・・・」
「しないの?」
「いや・・・」
 というか、どうにも誤魔化された気がしないでもないのだが、これ以上この話題をひっぱれない空気が部屋中に充満してしまっている今となって、咲斗としても頷く以外ない。
「じゃーベッド行こっ」
「響・・・」
 ただ響はこの時本当に眠かったのだ。
 響の名誉のために言えば、この言葉は誘ったわけでもなんでもなくて、本当にベッドに行ってただ眠りたかっただけ。
 が、咲斗がそう取るわけがない。
「そうだね」
「うん」
 にっこり笑った咲斗は、すっかり臨戦態勢になっていたのだから。
 もとより、咲斗はこのまま眠るつもりなんか毛頭無い。
「響から誘ってもらえるなんて思わなかったよ」

「―――――はぁ!?」

 間抜けな声を発した時は、もう遅かった。







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