箱根一泊温泉旅行 3



 一方、隣の部屋では由岐人と剛が畳みの上に足を伸ばしてまったりとくつろいでいた。
 春の丁度良い気温もあって、大きく開放的に窓を開け放ち庭に向かってごろりと寝転ぶ。この開放感と心地良さは何にも勝ると日本人なら誰しもが思うところでは無いだろうか。
 ―――――寝そう・・・・・・
 美味しい日本茶に茶菓子は由岐人を満足させていた。
 上品な仲居、静かな部屋。落ち着いた空間。
 傍らには剛がなにやら本を読みながら並んで横になっている。耳にはそのページを捲る音と、葉の触れ合うカサカサとした音が心地良く聞こえていた。
 実は由岐人は今月旅行に行くのはこれで2度目。一度目は由岐人がホストとして仕事を始めた最初からの上得意客に請われて、やはり花見旅行にでかけていたのだ。
 あの時は剛が随分とムクれてて、軽く喧嘩になったりなんかもしたのは余談。
 ―――――あの時はこんなにまったり出来なかったからなぁー・・・
 といっても、随分長い間の付き合いで、ずっと引き立ててくれる人なので変な緊張感は無かったりもするのだが、それでも客は客。
 放ったらかしにして昼寝モードなんてのは問題外だから。
 ―――――やっぱ・・・疲れてたのかなぁー・・・・・・
 そういうところ、わかってないんだからなぁ・・・などと愚痴ともノロケとも付かない事をつらつらと由岐人が考えている間にも、瞼はどんどん重くなっていく。
 自分が物凄くリラックス出来ているんだ、などとは間違っても気づかないのかもしれない。いや、わかっていても認めないのか。
 ―――――どうせなら夕飯の前に大浴場とかに行って、露天風呂にのんびり浸かりたいなぁ。
 そう思っているのにどうにも身体も重い。
 自分の腕なのに持ち上げるのが億劫で、瞼を開けるにいたってはもう努力をしようという気が失せるほど重い。
 んー・・・・・・

 けれど、それでも、眠りに落ちたのはほんに30分ほどだろう。
 僅かに寝返りを打って、何かを肩まで引き上げるその当たり前の仕草をやり過ごして、ん?と思った。
 きっかけはたぶんそれ。それがなんだか心地良くて、でもその正体を確かめたくなった。心のどこかではこのまま寝てしまっているのが勿体無いと思っていたのだろう。
「ん・・・」
 覚醒までのカウントダウン。
 まだ少し眠りの底に未練を残しつつ、ゆっくりと意識を浮上させて重い瞼を開けた。
「・・・ふあぁ・・・ん?」
「起きた?」
「っ!!〜〜〜〜んだよっ」
 開いた瞳の先には、超アップの顔。
 びっくりして―――――いや、普段は一緒に寝てるんだから別にビックリする事でも無いんだがなんというか、不意打ちだったのだ。
 由岐人は起きぬけのハッキリしない頭を少し持て余しながら、ガバっと身体を起こした。
 その時、いつも朝目が覚めるみたいに布団を掴んで横に避けた事に、一瞬まったく考えを向けなかった。だってそれはなんだか、まるで毎朝の動作。
 けれど視界に見慣れぬ畳の部屋が写って、その布団の違和感に気づいた。
「ちょっと寒そうだったから」
 由岐人の視線を先を読んで答える剛に、由岐人は少し視線をさ迷わせて口の中で小さく"ああ"と呟いた。
 即座、"ああ"は無いだろうと自分で自分にツッコんでみたが、今更言い換えられるもんでもない。
 その小さな呟きと由岐人の微妙な葛藤を気づいているのかいないのか、剛はそれには触れずに身体を起こして、大きな口をにっこりと形作った。
「なぁなぁ、起きたんなら風呂行かねぇ?」
「風呂?」
「そ、露天風呂入りに行こうぜ。夕飯の前にさっぱりしてーじゃん」
 そう言うともうそれは決定事項なのか、さっさと立ち上がって縮こまった身体をうーんと両手を上げて大きく伸ばした。
 その姿はすでに浴衣に着替えている。
 ―――――いつの間に・・・
「ん?―――――行こうぜ」
 手ぶらで振り返る。
 ―――――つーか、じゃあ僕の浴衣持てっ!!
「そう、だね」
 たぶんここで"行かない"という手もあるのだが、お風呂に入って来たいのは由岐人も同様で、先を越されて面白くないとか、剛ペースに逆らっておきたいとかそういうもろもろの事は、とりあえず我慢して置く事にした。
 由岐人はゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫か?まだ顔が寝てる」
 ―――――顔が寝てる?・・・どんな顔だよ。
 憎まれ口はしかし、心の中だけに留めて上目遣いにチラリと睨むだけにしておく。
 しかし剛にはそんな一睨みは免疫済みで取るに足らないものでしかない。さっさと部屋の鍵を掴んで、扉の前に立った。
 ドアを開けて待っているところはまぁ、よく出来ましたをあげてもいいか、なんてまるで新人チェックをするような事を思いながら、由岐人は浴衣を手に剛の横をすり抜けて部屋を出た。
 廊下に出たとき、少し視線を咲斗たちの部屋に向けたが、双子の勘が働いたのかその部屋に立ち寄る事は無く、二人はそのまま大浴場へと足を向けた。
 静かな廊下は、日曜日だからか。大概の客は昨日来て今日は帰るのだろう。誰とも顔を合わす事無く目的地につくと、そこはまた無人だった。
「ラッキー」
 まぁもともと20室足らずしか部屋数を設けていないから、というのもあるだろう。
 由岐人も内心ほっとした気持ちで、着ていた衣服を脱いでいく。Tシャツを脱いで上半身は裸になり、下に手をかけた時だった。
「・・・・・・なに?」
 呆れるほどのあからさまな視線に由岐人の睨みが利く。
「あ、いや・・・」
「先入ってていいよ?」
 既に全裸の剛に向かって冷たく言い放つ。だいたいそんなにじーっと見られていては脱ぐのも脱ぎにくいというもの。
 というか、見るな。
「お、おう」
「剛?」
 それでも動こうとしない剛に少々声も尖る。ついでにTシャツでも投げつけようかと思うのだが、まぁそれも大人気ない。
「いやぁ〜はははは」
 何を笑って誤魔化そうとしてるのか意味不明である。
「さっさと行く!」
「はいっ」
 由岐人の声とTシャツを投げる仕草に逃げるように剛は大浴場へと入っていった。
 ―――――ったく・・・
 全然意識していなかったのに、あんな態度に出られるとなんか急に恥ずかしくなるじゃないかっと、心の中で毒づきながら由岐人はゆっくりパンツと下着を脱ぎ捨て、小さなタオルを手に大浴場のガラス戸を開けた。
 なんで僕がドキドキしなきゃいけないんだか。まったく。
 ―――――・・・へぇ・・・
 大浴場の中はそんなに大きくは無いが、綺麗に磨かれた清潔感に満ちた風呂でその向こうに檜で作られた露天風呂があった。間近まで迫る木々の所為か、まるで森の中で風呂に入っているかのように見える。
 由岐人は手早く身体を流して、外へと向かった。
 ガラス戸を開けると、やはり4月の風は裸体には寒い。思わず縮こまった背中を丸めて由岐人はいそいそと露天風呂に足を入れる。
「ん〜〜〜」
 由岐人好みの少し熱めがたまらない。
 胸あたりまで浸かって、ぎゅーっと足を伸ばした。湯の熱さに、肩に感じる風がちょうど気持ちよい。
「うわぁー。いい気持ち」
 思わず口に出た。
 こんな風に温泉に浸かるのはいつぶりだろう。ここのところずっと、旅行は仕事絡みばかりだったから。
「うお、寒っ」
 剛もやってきたらしい。
「うおっ、熱っ」
 どうやらこちらには少し熱すぎたらしい。
「でも気持ちいいーよ」
 由岐人が伸びをするように背を逸らして首筋をさらした。
 剛の喉が思わず鳴ったのは、幸い由岐人には聞こえなかったらしい。
「温泉もいいなぁ〜家のでも足を伸ばして入れるけど、やっぱ違うよな」
「いえてる」
 顔を洗った雫か、つーっと首筋から胸元へと伝い落ちる。
 由岐人は心底リラックスした顔で頭上の囁きあう様な音を立てる葉を見つめている。その顔は、少し嬉しそうに見えた。そう、楽しそうに。
 剛は思わず由岐人の身体に密着するように、自分の身体をずらした。
「剛っ」
 驚いた由岐人が小声で制する。
「そんなにひっついたら不自然だよっ。離れて」
「だって」
「だってもへったくれもない。ほらっ」
 もしこんなところを人に見られたらどうずるんだと、由岐人は思わず出入り口に視線を向けてしまう。
 そんな由岐人の不承不承、物凄く残念そうに剛は人一人分間を開けて座りなおした。
「ちぇ」
 小さく呟く残念そうな声は、少し由岐人の心をチクリと刺した。
 でも、だって、しょうがない。ここはいつ人の目に触れるか分からない場所なのだ。そんな言い訳を心の中で繰り返しながらも由岐人は気になってチラリと視線を剛に向ける。
 悔しい、と思う。
 けれど、しょうがないのだろうか。
 所詮、惚れた方が負け。
 一人になる恐さに怯え、幸せの甘さを手放したくないと願った時から。
 由岐人はそっと指を伸ばして、剛の指先に指を絡めた。
 気配で剛がこちらを見たのがわかる。けれど由岐人は前を見たまま。これなら向こうからは分からないだろう。
 由岐人の頬が少し上気して赤いのは、風呂の所為かそれとも――――――
 剛の嬉しそうな顔は、露天風呂の気持ちよさじゃなくてこの指先の所為だというのは容易に分かるのだが。
 結局そのまま、二人は貸切状態なのを良い事に、ずいぶんと長風呂をしてしまったのだった。







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