春の台風 1
その男は、立派過ぎる正門には少々不釣合いに見える安物のスーツに身を包んで門をくぐった。 そこは超お金持ち学校として有名な桐乃華学園。教師になりたいと熱い思いを旨に抱いた青年は、しかしその熱意とは反対に掴んだのはわずか一ヶ月ほどの臨時教師の座。 それでも男はその職務を全うすべく、春だというのに暑苦しいほどの熱意に燃えていたのだ。そう、その周囲だけが40度を超す気温になるほどに。 校舎に入る前に目に飛び込んで来たのは、見事に咲き誇る庭の桜。 ―――――うわぁ・・・っ まさに今日の入学式にあわせたかのような満開のその景色は、熱い男をさらに感動で熱くした。 「・・・ん?」 その熱視線の先に、一人の学生の姿が映し出された。 ―――――おおおっ!? 遠目ながらに見えるその姿は、なんというか儚げに麗しく見えた。 見上げた空は快晴で、青い空にピンクに色付いた桜にその少年を合わせて見れば、まるで1枚の美しい絵画の様だ。 その少年が、そっと手を伸ばして花びらに指先を触れさせた時、男の心臓が、ドクンと高鳴って身勝手に春の訪れを告げようとしていると――――――――― 「綾乃っ」 「―――薫」 呼ばれて振り返った綾乃は、校舎の昇降口から呼ぶ薫を認めて笑みを浮かべた。 「何してるの?」 薫は自分の方へ向かってくる綾乃に、こちらも笑顔を浮かべながら尋ねた。 「んー桜だなって」 「?」 「1年て、あっという間だなぁって思ってさ。去年は桜を見上げる余裕も無かったのに――――で、何?」 別に暗くなるつもりはないのだが、なんだがこのまま言うと話がしんみりしそうで話題を変えようと、綾乃は僅かに首を傾げて薫を見た。 用があったから呼びに来たのだろうから。 「入学式始まる」 「あっ、ごめんっ」 ―――――そうだった。 「ううん。急ごう」 薫は入学式が始まるのに綾乃の姿が見えなくて探しに来ていたのだ。 入学式。もちろん彼らが入学するのではなく、生徒会として新入生を迎えるために式に出席しなくてはならないのだ。 まぁ、生徒会長として挨拶をする薫は別にして綾乃と翔は座ってるだけなんだけれど。 「お、いたか」 「すいません」 綾乃は、副会長になる高畑英明にぺこっと頭を下げた。 数日前生徒会室で紹介されたその人は、聞けば中等部までは桐乃華でしかも生徒会副会長を努めていたとか。その後親の仕事の都合で海外にいたんだが今年戻って来て、薫が副会長をお願いした人らしい。 「いや。――――お、理事長のお出ましだ」 「え・・・」 高畑の言葉を証明するかのように、ざわっと会場内が揺れた。 生徒は入っていないこの場所には、教職員と綾乃たち生徒会役員、前学年時になんらかの役についていた生徒達十数名しかいないが、それらの人たちが一斉に入り口を見た。 ―――――うわぁ・・・ そこには家でくつろいでいる面影も一緒にベッドで戯れている面影も当然無く、綾乃とて少し気後れしてしまいそうなほどの近寄りがたいオーラを漂わせた南條雅人がいた。 その、人を圧倒しそうな体躯に最高級のスーツを簡単に着こなして、冴えた表情と傍らにはボディーガードらしい男までいる。 厳しい顔というわけでもないのだが、表情の無いその顔は周りを少々萎縮させた。 ―――――なんか、別人。 綾乃にはそれが少し寂しくも思えて、小さく息を吐いた。もちろん、しょうがないというのも、雅人は雅人だという事も、ちゃんとわかっているのだけれど。 ・・・・・・視線が合わないのだって、しょうがないのだけれど。 それから数分後、入学式は予定通り始まった。 ・・・・・・ 「疲れたぁ〜」 「って、翔は座ってただけじゃん」 「るせーっ」 物凄く大層な事をやり遂げた後のように、翔がしみじみとした声を上げるのを薫が苦笑を浮かべながら言い返す。 「コーラです」 その傍らで、綾乃がカップに入れたコーラを配った。生徒会特権か、ここには冷蔵庫があるのだ。もちろん中のジュース類などは自分たちで買うのだが。 「ありがとう」 「いえ」 高畑の人懐っこい笑みに、人見知りする綾乃もほっとしたように笑う。 「2年のクラス替え、どうなるかわかってるのか?」 コーラを受け取った高畑が、薫を振り返って言うと薫は軽く首を横に振った。 「ふーん」 1年のとき同じクラスだった3人が2年でも同じくらすである可能性はかなり低い。薫の読みでは、自分と綾乃は同じクラスでも、翔は離れるだろうなぁと思っていた。 後は誰がクラスメイトにやってくるか、だろう。 「樋口」 翔が机につっぷして半分寝ていて、綾乃がお盆を戻しに行くのを横目で確認した高畑が小声で薫を呼んだ。 「――――?」 さっと机の下から取り出される紙束を薫は受け取ってさっと見た。 「・・・ありがとうございます」 それを薫もすばやく直した。 それは、新1年生の氏名と家、南條家との関わり方を纏めたものだった。たぶんさっき、理事長から受け取っていたのはこれだったのだろう。 「薫、今日はこれでもう終わり?」 お盆を直して綾乃が戻って来たときには、二人がそんな事をしていた僅かな気配さえも消え失せていた。 「えっとね、なんか社会の先生が盲腸で入院したらしくって、違う先生が来るらしいんだ。その先生がこっちにも顔出すって」 「へぇー」 「盲腸って、今更かよって気もするけどな」 高原はそう若くは無い社会科の教師を頭に浮かべながら笑みを浮かべる。そんな高畑に薫は同意したものかどうか、微妙な笑みを浮かべるに留めた。 綾乃がそんな二人と、どうも爆睡モードに入った翔を見ながら椅子に腰を下ろした時だった。 コンコン、と扉がノックされて。 「どうぞ」 「失礼します」 青年の声とともに扉が静かに開けられて、3人の視線が一斉に扉へと向かう。 ―――――ふ〜ん。75点。 その姿を見て、薫は一瞬でそう採点する。そういうトコロはどうも透に似てきたと、本人は自覚があるのだろうか。 綾乃はせっかく座ったばかりの椅子から腰を上げた。 「社会科の臨時教師としてやってきた中田和彦です」 そう言って小さく会釈した男。髪を心持ち茶色に染めてはいるものの、清潔感を保てるようにと短めに切り後ろに流している。太すぎず細すぎずの眉に、ぱっちりでもなく細くも無い瞳なのだが、配置が良いのかそこそこ男前に見える。 ―――――ああ、口か。 薄めの唇をきゅっとしているところがいいのだ。薫は観察の末そう思った。まぁ、若いから仕方が無いのか、スーツはそこら辺の安物にようだが。 それがいただけないな、と内心呟いた。 「生徒会長の樋口薫です。こちらが副会長の高畑先輩」 「どうぞ、よろしく」 「よろしくお願いします」 「で、こちらが会計の夏川綾乃――――」 「?・・・よろしくお願いします」 薫の紹介にそちらを見た中田の視線が綾乃の正面で固まった。 綾乃は凝視されて思わずたじろぎながらも、なんとか挨拶をして会釈をした。が、まだ男は固まっている。 「あの・・・」 「あっ、ああっ・・・すまない。えっと、夏川君だね。よろしく」 「はい。あ、で、この寝ちゃってるのが朝比奈翔で、書記です。すいません」 「いえいえ、全然。疲れちゃったんですねぇ」 「そうみたいで。ねぇ」 「いや、はははは」 恐縮に愛想笑いを浮かべた綾乃の顔を見たその時、男の耳がうっすらと赤くなっていた事を、薫も高畑も見逃さなかった。 ―――――おいおい・・・ 偶然にも二人は同じ言葉を内心で呟いていた。 勘弁してくれよ、と。 もちろんこの時、男の頭の中で鐘が高らかに鳴っていたことまでは気づかなかったが。 ・・・・・ ―――――見つけた!!! 廊下に高らかな足音が響く。もうちょっと話をしたかった彼の前に、さり気なく割り込んだのは薫。それには思わず内心舌打したが、しかしまぁそんな事はいいさと中田な自分の心を納得させる。 だって見つけたのだ。 彼の思い描いていた、理想の人を。 少し小柄な身長。ぱっちりしる真っ黒い瞳。まるで小動物を思わせるような仕草に視線。 ―――――可愛すぎたっ!!! しかも、朝の僅かな偶然の後、まさかこうやって出会う事になるとはこれを運命と言わずして何を運命と言うというのだ。 そうか、俺の運命の人はここにいたんだっ。前任者が盲腸で、就職浪人を微妙に免れて、その先で出会うなんて。 今時、少女マンガじゃないかっ!!! 中田は廊下に仁王立ちして思わずガッツポーズをした。 自分が1ヶ月程度の臨時雇いだなんて事は、すでに忘却の彼方。 綾乃が男なんて事はまったく問題が無い。なぜなら中田は男の子が好きなのだから。だからこそ天職と思って教師を目指したのだ。 目指すは男子校のみっ 一度決まりかけた女子高の職を蹴って良かった!!! ―――――ああ〜神様ありがとう!!! 俺はこの出会いに全力を注ぎます!!!! ええ間違いありません。どうか見守っていてください。俺はやりますっ!!! 「ふ、はははははは!!!」 待ってろ、運命の相手。夏川綾乃。 すぐに君を愛の渦に飲み込んであげるよ〜〜〜〜 そしてこ胸で抱きしめてあげる。 「ははははははははは!!!!」 俺の熱い思いをすぐにでも気づかせてあげるよぉ〜〜〜〜〜〜!!! |