春の台風 2




『入学式はどうだった?』
 いつもはチャットをする時間。けれど今日は電話が鳴った。
 その音に心が跳ねて、出るまでのドキドキ感は相手にバレてなければいいと薫は思う。
「別につつがなく終わりましたよ」
 声はひどく近くに聞こえて、嬉しい様な気持ちと同じだけ寂しい様な気持ちも連れてきた。
「理事長からリストを貰ったのでチェックしているところです」
『そうか。なんかヤバそうなのいるか?』
「何人か、いますね。・・・・・・綾乃にちょっかい出さないといいけど」
 薫はリストを捲りながらため息まじりに言う。是が非でも南條家にお近づきになっておきたい、という現状の会社社長の息子が数名入学しているのだ。
『・・・かっこいいヤツとか、いたか?』
「は?」
 薫は思わず聞き返す。
 話の流れの変化に、ついていけなかったのだ。
『だから、かっこいいヤツとか』
「さぁ・・・、壇上の上からちょっと眺めただけですしねぇ」
『首席は?』
「ああーなんかガリ勉タイプでした」
『そっか』
 薫の返事に電話の向こう、透の声がうれしそうに弾む。一体何を心配しているのか、薫は思わずため息をついた。
『他に変わった事は無かったか?』
「他・・・」
 一瞬、薫の脳裏に昼間の臨時教師の顔が浮かぶ。しかし、あの綾乃に気のありそうな態度が頭痛の種になりそうで、今はそれを口にしたく無いと思った。
 せっかくの楽しい電話が、暗くなりそうで。
「いえ、なんにもありませんよ」
 だから薫はあえて口にしなかった。
 好きな人との電話をあんなのに邪魔されたくは無かったから。それにまぁ、背景が無さそうなのでそういう意味で面倒は無さそうだし。ちょっとうるさい蝿程度だろう。
『そうか』
「はい。それより、透さんの方はどうですか?」
 折角の電話を業務連絡みたいなもので済ませたくなくて、薫は話を変えた。
『俺?俺はなぁ――――・・・』
 透も同じ気持ちだったのか。楽しそうに近況をしゃべり出す。
 そんな好きな人の久しぶりの声は、薫の耳にとても心地良かった。普段は電話代を気にしてチャットが多いけれど、やっぱりこうして声を聞けるのは凄く嬉しいなと思った。
 声を聞くだけで、少しは相手の状況が伝わってくる気がするから。
 そしてきっと電話を切る時には言ってくれるだろうから、それを直に聞きたい。
 安心できる、魔法の言葉。
 "愛してる"と。




・・・・・




 ベッドでころんと横になって綾乃は傍らに座る雅人を見つめた。何か急なメールが入ったらしくパソコンに向かうその横顔はやはり昼間の様な顔つきで、少し寂しく思う。
 でも、かっこいいとも思った。
 ―――――本当なんか、不思議・・・・・・
 1年前、ここでこうして寝そべりながら雅人の横顔を眺めている自分を想像出来なかった。こんな風に、好きって思うなんてことも。
 ―――――あの頃はなんだか地に足が着いてなかったよなぁ・・・・・・
 気持ちの浮き沈みも激しくて、自分の立場もよく分からなくて。道さえも見えなくてただおろおろと立ち尽くすだけだった。
 ―――――あの頃の僕は、本当に何も見えてなかったんだ・・・
 下を向いて歩く事ばかり憶えて、相手の顔なんて見なかった。相手の気持ちなんて、見ようとしてなかったんだなぁ、と今改めて綾乃は思っていた。
 誰も、信じられないと思って。誰かを信じる事が恐かった。
 あの時はあの時で、精一杯だったのだけれど。
「・・・?、何か」
 パソコンを閉じて振り向くと、真っ直ぐ見つめる綾乃の視線とぶつかって雅人は見つめられていたことを知る。
「ううん」
「お待たせしてすいません」
「全然いいよ。仕事してる顔、見てたから」
 キシっとベッドが雅人の分の重みに音をたてた。
「なんだか照れますね」
 思ってるのか思ってないのか、楽しそうな笑みを浮かべたまま雅人は綾乃の髪に手を伸ばす。
「えー、嘘ばっかりだ」
 だから綾乃はそんな言葉を返すが、雅人は少し湿ったままの感触に僅かに眉を曇らせた。
「そんな事はありません」
「?雅人さん?」
 急に掛け布団を掛けだした雅人に綾乃が首を傾げると。
「髪がまだ濡れてますよ。風邪をひくといけませんから」
「大丈夫だよ」
「いいえ、春風邪を侮ってはいけません。さ、布団に入って」
 そう言って自分をくるんでしまおうとする雅人。
 甘やかされてるなぁと思って、少し笑ってしまう。
「・・・僕、自分の部屋に戻るよ?」
 最初にちょっと牽制。
 でも、ね。
「冗談ですか?」
「雅人さんっ」
 どうやら本気らしい雅人は自分の身体も綾乃の横に滑り込ませる。
「このまま一人寝だなんて、寂しい事を言わないで下さい」
「だってっ」
「明日はお休みでしょう?始業式は明後日。学校は明後日からですよ」
 ―――――そうだけど。
 まるでこういう時は、雪人君よりも強情だなぁと綾乃は思う。
「さぁ、今日は学校でどんな事があったのか話してください」
「――――」
「ん?」
 こうなってしまっては、綾乃に抗う力など無い。もとより、雅人と話がしたくて、雅人の傍に少しでも長くいたいのは綾乃も同じなのだ。
 学校が始まれば忙しくなるし、雅人だって仕事が増えてくる。そうすればきっと、ゆっくり時間が取れない日々も続くだろうから。
「ううん」
 綾乃はにっこり笑って首を横に振った。
「あのね・・・」
 綾乃は抗う事は早々に断念して、雅人に今日の出来事を話し始めた。
 雅人の指がいたずらに綾乃に触れて、それが明確な意図を持ち出すまでの、数十分の間だけだけれど。
 その後は、甘い吐息が部屋を支配していった。




・・・・・・




「おはよう!!」
 新学期が始まって3日。中田先生の朝は生徒会室の扉を開けるところから始まる。
「おはようございます」
 目に飛び込んで来るのは愛しの綾乃の笑顔。
 ―――――ああなんて素晴らしいっ!!
 自分にだけ向けられる笑顔を噛み締めて、思わず浸る中田の感涙の思いは、しかし残念ながら綾乃には伝わらず。
「おはようございます中田先生」
 伝わっているのは薫の方。その結果。
「何かご用ですか?」
 毎朝、冷めた笑みが待っていた。
「いや、何か手伝える事は無いかと思ってね。僕も早く学校に慣れたいからさ」
 しかし、負けない男。
「慣れた頃にはお辞めになるでしょう」
 が、中田の豪快な笑いに薫の冷水が浴びせられた。
「確かに。それに先生、生徒会に慣れる前に、ご自分の受け持ちクラスに慣れた方がよろしいかと思いますよ」
 高畑が薫の意図を察して便乗して、さらに釘を刺す。
 が。
「心配はいらないよ。授業の準備は家で万全だからね。あ、これコピーかい?」
「あ、はい」
 机に置かれていた紙を目ざとく見つけて、中田は近くの綾乃に声を掛ける。その距離僅か50センチ。ピシっと鳴った薫の青筋の音はどうにも高畑にしか聞こえないらしく、綾乃は「すいません」と恐縮の笑みで中田にコピーを頼んでしまう。
「いいんだよ〜」
 と上機嫌の中田を流石の翔もちょっと胡散臭い目で見ながら、薫にノートを渡した。
「これ、去年の体育祭のやつ」
「ありがと」
「つーかアイツ、ちょっと変?」
 三日目にして翔にまでそう言わせてしまう中田はある意味凄い。
「ちょっとっていうか、だいぶ変だね」
「・・・なんかさ、去年凄かったじゃん綾乃。あれもそのひとつとか?」
 言い難そうに小声で言う翔に、薫は少し驚いてからふっと深い笑みを浮かべた。
「心配してたんだ」
「当たり前だろっ。俺だって綾乃の友達なんだぜ」
 それはそうだ。
「ごめん。――――たぶん、アレはそれ絡みじゃないとは思う。もしそういうのだったら理事長が雇うはず無いし。だから綾乃もちょっと警戒心薄いし・・・」
「そっか。じゃあ、ただの変なヤツってだけなんだな」
「だと思うけど、あの二人が二人っきりにだけはならないように気をつけなきゃ」
「了解」
 二人が何かコソコソ話しているのに気づいた綾乃が、僅かに顔を曇らせた時ちょうど予鈴が鳴り響いた。
「じゃあ続きは放課後って事で」
 薫が中田にも聞こえるように大きな声で言う。
「あーコピー途中なんだけど?」
「放っておいてください。後はこちらでやりますので」
「じゃ鍵掛けるぞ」
 高畑が鍵をこれ見よがしに振ると、綾乃と翔は慌てて外に出た。
「ん?一限なんだっけ・・・」
 今更ながらに、今思い出した様の翔が呟く。
「英語だよ」
「あぁ!!しまったっ。訳してくんの忘れた。綾乃っ!!!」
 英語の先生は、結構恐い29歳。独身の美人先生。
 綾乃は慌てて生徒会室の扉を開けて。
「薫、翔予習してきてないらしいから先教室行ってる!」
「綾乃、早くっ」
 綾乃のノートを写すらしい。綾乃は返事も待たずに駆け出した。
 残された薫は、ノートを写す事も黙認してしまうことを内心で透に謝りながらも、二人がこの場の早々に離れた事にほっともしていた。
 テスト前にはちゃんと勉強を見ることで透には我慢してもらおう。
 だって、今日は社会科の授業な無いので、これで放課後まで会うことは無いのだから。

 そう、雅人権限なのだろう、3人は2年生も同じクラスになっていたのだ。
 透はもちろん、職権乱用だなと笑っていたが。









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