春の台風 3
綾乃の新学期がつつがなく過ぎて1週間がたっていた。もちろん、薫には中田という誤算がついて、多少頭は痛いのだがそれは綾乃の知るところでは無かった。 「体育祭かぁ・・・」 学級委員が黒板に書いた、体育祭・種目という文字を綾乃は両肘を机について顎を乗せた姿勢で恨めしそうに見ていた。 「玉入れとかあったらいいのに・・・」 「小学生じゃん」 綾乃の呟きを思わず聞きとめて、前に座るコバケンが苦笑混じりに振り返った。 「うー・・・」 綾乃はコバケンのもっともな突っ込みに思わず頬を膨らます。コバケンと綾乃は2年になってから口を利くようになったのだが、薫や翔とは顔見知りでさらに仲も良いと聞いてすっかり安心して打ち解けていた。 「夏川は運動からっきしなんだよな?」 コクンと大きく綾乃は頷く。 「じゃあアレすれば?騎馬戦」 「騎馬戦?」 「そうそう、夏川だったらたぶん上だろうし、いいんじゃねーの?」 コバケンの思いも寄らぬ提案に、綾乃は自分が騎馬戦の上に乗っている図を想像して見た。うーん、確かにそれだと、足の速さとかも関係無いしいいかもしれない。 「いいかも・・・」 それにちょっと楽しそうだし。 と、安易に考えてみて。 「なっ」 うんうんと綾乃は頷いた。 黒板に視線を戻すと、最初の100メートル走や障害物競走などが決まっていっていた。 「あ、薫100メートル走に出るんだ」 いつの間にかそこには薫の名前が。 「アイツ、足速いくせに楽なのに逃げやがったな。あ、借り物競争――――はい、俺やります!!」 どうやらコバケンは借り物競争狙いらしい。翔はリレーだろうし。 ―――――あ・・・リレー・・・・・・ 400メートルリレーはいい。希望者でやるから。でも、クラス対抗リレーは逃げ切れない。去年の特訓の事を思うと綾乃の気持は特大の漬物石がぶらさがったかの様に重くなる。 「はぁー・・・」 ―――――なんで体育祭とかあるんだろ。 綾乃は思わず、体育祭なんてものを最初に考えた見知らぬ人をちょっと恨んでしまう。 「では次、騎馬戦」 ―――――あ、 綾乃はふっと手を上げた。その手に数人のクラスメイトの視線が固まった。 「?」 「夏川は騎馬戦・・・その背なら上だよな」 しかし、伊藤――――こちらも薫と翔とは友人の間柄――――は動揺する事無くその名を黒板に書いた。 「俺も〜」 「翔もか?お前はリレーだと思ってたけどな」 「だって騎馬戦だぜ!?おもしろそうじゃん。俺は綾乃の方が意外だけどなぁ」 と、一人挟んで斜め前の翔が綾乃を振り返る。 「え、コバケンがね騎馬戦の上なら足の速さとか関係ないしって」 この意見に昨年綾乃と同じクラスだった数名はなるほどと頷いた。1年一緒に体育をしてきたものなら、綾乃の運動下手は十分わかっているからだ。 ―――――適当な事言うなよっ、あのバカ。 しかし薫は内心毒づいてしまった。 薫の頭の中には、騎馬戦参加を知った時の雅人の反応と、敵対する事になるほかのクラスメイトの反応に頭を悩ました。 「そうだなぁー騎馬戦は小柄なのが上じゃないといけないから、他にはやっぱり・・・西條と福田か、な」 伊藤クラス委員長は、クラスを見渡して背の低い二人をピックアップした。 「僕そんな野蛮なの、無理です」 小柄な西條がしれっと言う。某昔のアイドルと同じ位置にホクロを有する西條は、自分でも自分がかわいいのを十分に自覚した仕草で笑みを浮かべて伊藤を見つめる。 彼にはその色っぽい顔つきから、一部でコアなfanがいたりする。その証拠にクラスに3〜4にんが彼に同意するように頷いた。が、伊藤にはその効力は有効では無いらしい。 「野蛮って・・・」 「なに?」 「じゃあ、俺やります」 手を上げたのは、整列すれば真ん中より少し前に位置する背丈の武田。 「そうか。じゃあ武田で、下になるのはでかいヤツだな」 伊藤はそう言うと、下になる生徒を勝手にピックアップして黒板に書くと、途端に横暴だ!と声が上がった。一気にヒートアップし始めたその喧騒をよそに、薫がこそっと綾乃の傍にやってきた。 「ん?」 綾乃が何?と薫を見る。 「あのさ、騎馬戦って綾乃大丈夫?」 「なんで?」 「だってあれって結構危ないよ?帽子を取り合うからもみくちゃになるし、もしかしたら怪我するかも」 「うわ、なに薫、過保護」 ちょっと思案しそうになった綾乃の思考に水をさすコバケンの言葉に薫の恐い視線が突き刺さる。 しかし、綾乃は今の一言で決心してしまった。 「大丈夫、僕やるよ!」 守られてばかりじゃだめ、という自尊心。 「あ、綾乃?怪我してからじゃあ遅いんだよ?」 たぶんそれはきっと、守られてばっかりな自分への喝。 「大丈夫っ。走るより全然ましだよ」 ね、と笑みを浮かべた綾乃に、薫は内心物凄く深いため息をついた。そして、その内心ではコバケンに罵詈雑言を浴びせていた。 その放課後、綾乃はトイレに行きたくなって一人生徒会室を出た。 体育祭の準備で、生徒会としてはプログラムや使う音楽。小道具になどを含めたこまごまとした段取りをしなくてはいけない。 それは結構大変で、綾乃は座りっぱなりだった椅子から立ち上がった身体を廊下で一伸びさせた。 ジュースを飲みすぎだ、控えなきゃと思いながらトイレを済ませて綾乃が再び廊下を歩き出した時だった。 「夏川先輩」 この階にはいるはずのない、1年生から声をかけられた。 「はい?」 たぶん少し、不用意に振り向いたとは思う。 「はじめまして。1年の梅田といいます」 そこにいたのは、綾乃より少し背の高い真面目そうな顔をした少年だった。さらさらの黒髪を横に流しているのが真面目そうに見えるのかもしれない。 「生徒会ですか?」 「うん、そうだけど・・・」 1年前の騒動を憶えている綾乃は、思わずその肩に力が入った。1年前も、綾乃が南條家の居候と知れわたって、好奇の瞳に随分さらされた。 「あの、俺そういう活動に興味があって。もし良かったら何かお手伝い出来ませんか?」 「ああ。そういう事なら、僕じゃなくて生徒会長に言った方がいいよ」 綾乃はそう言うと、じゃあと足を進めようとしたのだが、軽い身のこなしで前に入られてその足が止まる。 「そうじゃなくて、夏川先輩のお役に立ちたいんです」 「――――」 「俺、こう見えても1年じゃあ顔も広いし、色々役立つと思いますよ?」 だから、傍で飼っていてもいいじゃないですか?という言葉を暗に忍ばせた梅田だが、その意図は薫や透には伝わるだろうが綾乃にはまったく伝わらない。 「役?」 「はい」 「・・・僕は別に今のままで困ってないし」 綾乃が小首を傾げる。 「役に立つとか立たないとか無いと思うよ?」 この正攻法ともいえる返事に、梅田のほうが一瞬言葉に詰まる。 どう役に立つの?と聞かれることを想定して用意しておいた返事は既に役には立たず、違う言葉を見つけださなければいけない。 「じゃあ、・・・じゃあどうしたら?」 「どうって」 「ですからっ」 「あれ、夏川じゃないか!!」 そこへ、グッドタイミングなのかバッドタイミングなのか、中田がやってきてしまった。彼はもちろん、綾乃の顔を見るために生徒会室に行くところだったのだが。 「先生」 あからさまにほっとした様子に、中田の機嫌のバロメーターは最高潮にふれる。なぜならば、そのほっとした顔が、頬ずりしてぐりぐりして撫で回したいくらいに可愛いからだ。 ましてや、助けてっと訴える瞳は凶悪的に心臓を鷲づかみにする。 そして自分を待っていたんだなぁ!!と、激しく勘違いをもしてしまう。 「放課後、社会科資料室の事で聞きたいことがあるから来てくれって言ってたの、忘れてただろ?呼びに来た」 これはもちろん、嘘。 綾乃をこの場から救い出して、なおかつ二人っきりになる方法を中田は瞬時に考え出した結果の言葉。どうやら頭の回転は悪くないらしい。 「あ、すいません。あの資料の話ですよね」 綾乃ももちろん乗っかった。 「ああ」 「梅田くんごめん、僕行かなきゃいけないから。――――じゃあ」 「あっ・・・夏川先輩!!」 二人の会話が嘘くさいとわかっていたとしても、梅田にはそれを止める術は無かった。 その間に綾乃と中田はそそくさと階段を降りて、まんまと逃げ出した。 「夏川、コーヒーでも飲んでいくか?」 資料室に入った途端、ハートマークが飛び散りそうな甘い声で中田は綾乃に言う。 が、残念ながら綾乃にはその効力は利かないらしく、律儀に申し出を断った。 「そうか?」 なお残念そうに言う中田に、綾乃はすまなさそうに頭を下げる。 「僕コーヒー飲めないんで。それに、今日はジュースとか飲みすぎてお腹がちゃぷちゃぷって感じなんですよ・・・」 その言い方と、自分に対する苦笑を浮かべた顔が、またもう襲ってくれと(中田にはそう思える)言わんばかりの顔で、中田の興奮メーターはブンブンと振り切れて行く。 「それに早く生徒会室に戻らないと・・・」 「そうなのか?折角だから少し話でもと思ったんだがなぁ」 「すいません、今結構忙しくて」 「あれか、体育祭か?」 何度かコピーを勝手に手伝った事があるおかげで、中田もその忙しい内容は把握していた。 「はい。6月なので時間が無いんで」 「6月かぁー。俺は見れないなぁ、夏川の――――」 ―――――体操服姿、可愛いだろうなぁ〜 「僕の?」 「あ、その。勇姿、見たかったなと」 中田が妄想から戻って慌ててそう言うと、綾乃は心底嫌そうにため息をついた。 「どうした?」 その顔にすら胸キュンの中田は思わず綾乃に一歩近づく。何かあるなら、この胸で慰めてあげようっ、と思っているらしい。 「僕、運動凄い苦手で・・・。体育祭なんか大っ嫌いなんです」 ―――――なにぃ〜!!! ということは、走って転んだりして膝小僧に怪我なんかしたりするんだろうかっ。あぁ〜それはぜひとも舐めてあげたいっ。 ああ、足が遅くてそれでも一生懸命に走ってる夏川の姿は、絶対間違いなく可愛いだろうなぁー 二人三脚とかしてーっ!! 「先生?」 いかん、鼻血が出そうだ・・・ 「あの、僕もう行きます」 体操服欲しいぞぉ―――――え、あっ!! 「ありがとうございました」 ガラっと扉の開閉される音が、妄想世界にどっぷり浸っていた脳の、現実世界への扉をも開閉させた。 しかし。 「な、夏川っ」 我に返った時はすでに時遅し。 綾乃は既に生徒会室に向けて、階段を駆け上がっていた。 |