春の台風 4




「綾乃!!」
 生徒会室の扉を開けた途端、薫の焦った様なほっとした様な顔が飛び込んで来た。生徒会室の空気も少し違って綾乃は少し驚いたように瞳を見開いた。
「な、に?」
「トイレに行くって言ったのに中々戻って来ないから見に行ったらいないし」
 薫は、新入生の事や中田の事でもしかして何かあったのかと気が気では無かったのだ。差し迫って新入生は置いておいても、もしかして中田にどこかに連れ込まれたりしてないだろうか、と。
 それなのに。
「ああ、ごめん。トイレ出たところでさ、新入生に声掛けられて」
「えっ」
 綾乃の返事に高畑さえ、苦虫を噛み潰した顔になった。その事を理事長が知ったらなんて言うか、と思わず頭を押さえたくなる。
 ―――――ったく、どこの馬鹿が。
「困ってたら、中田先生が通りかかって助けてくれたんだ」
「えぇ!?」
 ―――――おいおい・・・
 これは高畑と、珍しく翔の気持ちが一致した呟き。ため息さえも、一致しそう。薫にいたっては、顔色が少し変わっていた。
「で、社会科資料室に一時避難してたっていうか・・・」
「二人っきりで!?」
「・・・うん」
 薫のきつい口調に、思わず綾乃はたじろいでしまった。いや、綾乃の姿が見えなくなって心配していた薫の姿を見ていた高畑と翔は薫の姿を見てもわかるのだが、綾乃にはちょっと驚きでしかたなったのだ。
「なんで!?」
 だって、先生なのに。
「なんでって、だから助けてもらって」
「そうじゃなくって!!――――もう、綾乃はさっ」
「薫っ」
 高畑が思わず口を挟んだ。気持ちは分かるが、綾乃には薫の気持ちいまひとつ理解出来ていないのだ。
 薫は綾乃を思うあまりに、少し気持ちが空回った。
「薫、何怒ってんの?」
「――――怒ってんじゃなくてっ」
 心配していたんだけれど。
「じゃあ、怒鳴んないでよっ」
「怒鳴ってない」
「怒鳴ってるよっ」
「薫っ、綾乃も。喧嘩してどーすんだよっ」
「「だって」」
 見事にハマった声に、高畑は笑い声を漏らした。
「高畑先輩、笑い事じゃないんですけどっ」
 つい八つ当たり気味に言ってしまう薫に高畑は余裕の笑みを浮かべて肩を竦めた。
「夏川、薫はさ結構心配してんだよ。こいつ、心配性だし。それはわかってるよな?」
「ん・・・、でもっ先生なのに」
 中田と話をしてただけでどうして怒るのか綾乃には理解出来ないのだ。
「あのな、中田先生は、ちょーっと夏川に気があるんじゃないかなぁと」
「高畑先輩!?」
「えー!?」
 高畑の発言に二人から別々の非難の声が上がる。
「なんで言うんですかっ」
「そんな事ありえないよっ」
 ―――――ん〜面白い。
 完全に傍観者と化した翔は目の前の光景のただ一人の観覧者となっていた。
「言わなきゃわかんないだろうが。――――夏川、ありえないなんて事はこの世の中に無い。なんにでも可能性はある」
「でもっ」
「俺も、綾乃はちょっと気―つけた方がいいと思うぜ」
「翔まで?」
 3人のいう事がまったく信じられない綾乃は、ありえないと深いため息をついた。だいたいにして、去年の事があるから二人とも神経質になってるんじゃないだろうか、と少し思った。
 もちろん、それを口にするほど無神経では無かったので、その思いは飲み込んだけれど。でもちょっと心配しすぎで、過保護すぎるよ、と。
 薫は薫で、とても不満そうな顔をして高畑を見ていた。

 知らせないで処理出来れば、綾乃を不用意に動揺させたり傷つけたりしなくていいのに、と思っていたから。




・・・・・




『ちょ、ちょっと待て。誰だって?』
 珍しく焦った声は、透。
 今日は薫からコールしてしまったのだ。だって、もしかしたら綾乃との初喧嘩で。いやきっと、喧嘩というほど大した事じゃないんだろうけれど。
「だから、中田ですっ。毎日毎日生徒会室に来るんです」
 イライラしてしょうがない。
 どうにも上手くやれていない気がする自分に腹が立つ。きっと透なら、もっと上手くやれてるんじゃないだろうかと、自分で自分を比べてしまう。
『なんで毎日来るんだよ』
「知りませんよっ」
 いや、本当はもちろん分かっているけれど、認めようとしない綾乃に腹が立って思わずそう言ってしまった。
 だったら、綾乃なんて勝手にしたらいいんだっ。自棄にそう思ってみたりもする。
 心配してるのに。
『知らないわけないだろう?』
 焦った透の声も、今の薫には気にかける余裕が無かった。それはきっと、無意識の甘えだろうか。
『その中田ってのは、どういう奴なんだよ』
 耳元で聞く、大好きな人の声はそれだけで心を安らかにしてくれるから。
「社会科の臨時雇いですよ」
『・・・背は高いか?』
「背ですか?普通でしょう」
『ルックスはどうなんだよ』
「あぁー・・・まぁ、70点ってところでしょうか」
 どうやら数日で少々評価が下がったらしい。
 しかし、透からすれば好評価の部類に入る数字だ。
「顔は悪くない部類に入ると思いますよ。まぁ、あの安物のスーツはいただけないと思いますけど。授業は分かりやすくていいんですけどね」
『・・・そいつが毎日生徒会室に来る、と』
「そうなんですよ。・・・しかも、」
『しかも?』
 綾乃に。
「ちょっかい出してくるし」
『―――――!!!!』
 どうも。
「好きみたいなんですよ」
 綾乃が。
『!!!!????』
 ガタっ!!!と何かが激しく倒れる音がした。
「透さん!?」
 その音に薫は慌てて受話器を握りなおす。
『そうか・・・』
「はい」
 それなのに綾乃は全然気づいてなくて不用意で。心配したこっちに腹を立ててる様子で。
『好き、みたいなんだ』
「?」
 透の地に這う様な声に驚いて、薫が今度は驚いてしまった。
「透さん!?」
 え、今まで普通に話してたはずなのに。
『――――悪ぃ、俺これからちょっと出なきゃいけないんだ』
「え、あ、すいません・・・でもっ」
 透の都合も考えず、一方的にしゃべってしまったかと薫は慌てて何故か立ち上がった。
『明日――――こっちから連絡するから』
「っ、わかりました。じゃあ・・・気をつけて」
 それしか言えなかった。
 そして。
『ああ、おやすみ』
 ―――――え?
 プチっと切れた受話器。
 ―――――なんで?
 ツーツーという無機質な音に薫は思わず受話器を持ったまま立ち尽くしてしまった。だって、言われて無い。いつもの、言葉を。
 いつも必ず、言ってくれたのに。

 ―――――透さん・・・!?




・・・・・




 次の日の生徒会室は、異様に重い空気が漂っていた。
 高畑さえも余裕の笑みを浮かべてはいられない空気は、翔も居眠りしていられない状況。けれど、その原因は綾乃と薫の昨日の喧嘩というよりは、薫の空気の重さの所為だろう。
 明らかに寝不足の顔付きに、どんよりとした梅雨空よりも厚い暗雲を一人で背負っている。
「っ・・・、薫」
 思い切って翔が口を開いたのだが、その声を聞こえなかった振りをするかのように直後に薫は立ち上がった。
「理事長室に行ってくるよ」
 体育祭の競技と、誰がどの種目に出るかが出揃ったので、それを雅人に報告に行くのだ。手には、綾乃と翔が纏めた一覧が記された紙が握られていた。
「あ・・・、うん」
 暗い口調に"どうしたんだ?"と聞きたい言葉は喉に絡んで出てこなくて、3人は頷くしか出来なかった。
 パタンと扉が閉められた途端、3人の肩から力が我知らずほーっと抜ける。
 正直、物凄く疲れていたのだ。
「あのさ・・・、あれって僕の所為・・・?」
「いや、あの原因は違うところにあると思う」
「けど、心当たり無いんだよなぁ・・・」
 昨日から今日にかけて何があったかと、翔、綾乃、高畑は個々で思い返してみるが、特にこれと行った事は無かった気がした。
 思い当たる事が皆無なのだ。
「うーん・・・」
 そこへ。
「こんにちはっ!!」
 中田がいつものごとく元気良く、能天気に扉を開けた。









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