冬の空の下で 1
冬の冷たい風が、剥き出しになった耳を刺すように吹き抜けて薫は思わず耳を押さえた。1月4日ともなると境内は少しばかり落ち着いていて、風は縦横無尽に人々の横をすり抜けている。 まるで楽しむ様に。 それでも境内はまだまだ正月ムードで、風などに負けない人々で浅草寺や周りの仲見世は活気に満ちて、誰もが正月という年に1度のイベントを大いに楽しんでいる風に見える。 街行く晴れ着姿の女性も、街に華やかさと彩をもたらしていた。 「なぁ薫、おみくじ引こうぜ」 賽銭箱に5円を投げ入れて、じっくりと神に願いを押し付けた後、境内でバイトの巫女がおみくじ売り場に並んでいるのを見て、透が言った。 「透さんはアメリカだから、日本の神様の差配は及ばないんじゃないですか?」 憎まれ口は、透に睨まれた。もちろん瞳の奥は笑っているから怒ってるんじゃないのはわかる。 薫は、透の後に続いておみくじを引いた。 引いた数字を巫女に伝えると、1枚の紙が渡される。それをほぼ二人して同時に開けると。 「中吉」 「あ、僕も・・・」 薫と透は二人揃って仲良く中吉をひいてしまった。息が合っていると言えばそうかもしれないのだけれど、日本人として中吉ってなんだか微妙。しかも年始のおみくじに。 やっぱりここは大吉を引きたい。今が1番で、これから先運気が下がるぞ、と言われても。 「ま、結んどくか」 「そうですね」 二人は苦い笑みを浮かべて、木に近づく。 枝はおみくじの重さにちょっぴり参っていそうなくらい、白い紙の実を所狭しとつけている。その僅かな隙間に透と薫は仲良く並んでおみくじをくくりつけた。 木は、こんなに結び付けられて人々の気持ちを乗せられてどう思ってるんだろう。心の中では触んじゃないやい!と思ってるのかもしれない。 この木に性別があって男だったら、可愛い子には枝先を伸ばしたいと思うのだろうか。男だったらすげなくして? なんだか鼻の下を伸ばしている木を想像してしまった。そんな事を想像しても仕方ないのに、でもなんだか笑える。 でも、本当に好きな人が出来ても、追いかける事も寄り添うことも出来ないのだ。 木は、見つめることしか出来ない。 ただ精一杯その手を伸ばし、視線を上げて、見守ることだけ。 人は、僕は、どうなのだろう? 「薫?」 「あ、すいません」 呼ばれて、薫は慌てて透の後を追いかけた。変な妄想?想像?に囚われている場合じゃない。はぐれる程の人出では無いけれど、今はまだ寄り添うことも追う事も出来るのだから、出来る限り傍にいたい。 それが、許される間だけは。 透は、ゆっくりとした足取りで、仲見世通りとは違う方向への出口へと向かって境内の中を歩いていく。 「透さん?」 「こっち」 どうやら道を間違えているわけじゃなく、意図して歩いているようだ。透に肩を並べて歩き出した薫が不思議に思って聞くと、透はニヤっと笑みを浮かべた。 「どこ行くんです?」 「実はさ、ずっと行ってみたいトコがあったんだよ」 「浅草にですか?」 「そっ」 嬉しそうに笑う透について道なりに歩き、角を曲がった。薫はなんなんだろ、と思いながら黙って一緒に歩く。 一緒なら、どこへ行くのも何に向うのも不安に思ったりしないでいられる――――――それが良い意味で楽で嬉しくて、横目でちらりと透を見た。 今日の透は、中がボアになった暖かそうなジャケットに、向こうで買ったというデニムパンツというかなりカジュアルなスタイルだが、薫も同じデニムを履いていた。 透の、土産という名のプレゼント。 上は、トレンチ風のコート。透がカジュアルに決めて、薫が少し大人っぽくしようとしているのは、何か意味があるのだろうか。 「あれ――――あれって」 高い、色の付いたものが見えてきて。 「そ。花やしき」 「行きたかったところですか?」 「ああ、行った事なくてさぁー薫はあるか?」 「いえ・・・、僕も初めて」 そうえいえば。 子供の頃、来るような事は無くて。その後も別に機会が無かった。 「やっぱりな」 「でも・・・男同士でくるところですか?」 「いいだろ。関係ねーよ」 透が今度は少し怒った顔をした。 透と薫の並んで歩く間の距離が、前より少しだけ離れた事の意味を聡い透は感づいているのだろう。薫の心の中にある不安も見透かしているのかもしれない、きっと。 「行こうぜ」 言うと、透はさっさと入場券を2枚買った。薫が財布を取り出そうとするとそれを手で制する。 「でも」 「デートなんだから、年上が払うもんだろ?」 「透さん・・っ」 小声でも、回りに聞こえたら。 薫のそんな態度に透はわずかにいらだたしげに眉を跳ねさせたけれど、薫に気づかれる前にいつも通りの軽い笑みを湛えた顔に戻した。 今日は、怒ったりしたくない。 沸々と思うものがあったとしても。 「先輩がおごってやるって言ってんだから、おごられとけ」 ほら、っとチケットを渡されて薫は黙って受け取った。 でも、――――――胸がチクっとした。 身勝手だとはわかっているけれど、"先輩だから"と言われるのも悲しい。そんな事を言えば、じゃあどうしたらいいんだ、と透はきっと怒るだろうと薫もそれはわかっている。 当たり前だ。 自分の言っていることは、筋の通らない我侭だ。 でも、わかっているからこそ、どうしたらいいのかわからなかった。 好きだから。 大声で叫んでしまいたい。 言えるはずの無い言葉を。 ――――好き、って。 この人は僕のものだ!って。 でも、そう思える強さが今は足りなくて。 誰に見られても良い。誰に何を言われても大丈夫。そう言いたいけど、まだ、子供で。 不安定で。 二人が初の花やしきで目一杯遊んで満喫して園を出たら、もう夕方になっていた。わーきゃー言いながら楽しんでいた姿はどこにでもいる普通の高校生らしい姿で、2人は時間を忘れて遊んだ。 寒いのに、うっすら汗をかいてしまったくらい。 「楽しかったなぁ〜」 「はい」 「あれ、また乗りたいなぁ」 そう言って透はお気に入りだった遊具を振り返って少し名残惜しそうにした。もっと、もっと一緒にいたいと思う。 けれど、冬は早く世界を闇に包んでしまう。夏よりも1日を短くしてしまう。その暗闇に背中を押されるように、足が自然と、駅のほうへと向かっていく。人々の流れも。 前を歩くカップルは手を繋いで寄り添うように歩いている。透と薫の間の距離は30センチ?40センチ?きっとそれ以上近づいて歩く事は出来ない。 友達―――――に、見えなきゃいけないから。 だから、見送りにも行かない。明後日、アメリカに戻る透と会うのは今日で最後。次に会うのは、どれほど早くても春休みになるだろう。 だから、見送りに行きたかった。けれど家族が行くのに、薫がそこにいるなんて常識的にありえないのだからしょうがない。 もし、自分が女であれば、きっと違ったと思う。 世間に認められることだって、出来た。 今だって手を繋げて、腕を組んで歩くことが出来た。 婚約者ですって公然と言えて、今日だけじゃなくて昨日も明日も、会えた―――――きっと。 でも、現実は女じゃなくて男なのだから、仕方がない。 どれほど望んでも、変えられないから。 今の時間を大切にしたいと思うから、何か言わなきゃって思うのに、言葉は出なくて。一歩駅に近づくたびに気持ちだけが焦った。でも焦るほどに、喉が渇いて張り付くような感覚に襲われて、結局何も言えなかった。 駅に着くまで。 「――――透さん」 「んー?」 そう遠く無いのだから、どれほどゆっくり歩いたとしても数分でしかない。前を歩いていたカップルは、これからどこへ向かうのだろう。 「せっかくだし、その・・夕飯食べて帰りませんか?」 これで電車に乗って帰るだけになるのが寂しくて言った薫の言葉に、透は僅かに目を見開いて、軽くため息の様な息を吐き出した。 「ちょっと付いて来い」 声は少し、怒っていた。 「え、あ、すいません。無理なら・・・」 言い募ろうとした薫の腕を透は無言で引いて、地下鉄への階段を降り、行き先も告げずに切符を2枚買った。 「透さん?」 切符の行き先は、薫の家にも透の家にも近くない場所。というか、住宅街でさえ無い。しかし、透は無言のままで言葉を拒否していて、薫は泣きたい気持ちになった。 何が、怒らせた原因なのか。 ただ薫はこのまま別れてしまうのが寂しくて、後2時間でいいから一緒にいたかった。それだけだったのに、透はそんなつもりは無かったのかもしれない。 今日だって、"初詣に行こう"としか言われてなかったのに、一緒に長い時間いれらただけでも良かったんだから。 でも、普段の透ならそんな事で怒ったりしない。"何食べる?"とリクエストを聞いてくれるはずだ。 笑ってくれるはずだ。 薫は、そっと透の横顔に視線をやった。 この行き先はどこだろう。 「行くぞ」 考えがまとまらないうちに電車は目的の駅に到着して、薫は人の波に押されながら透の後に付いていった。 階段を上がって地上に上がると、先ほどよりさらに暗くなって寒さも増しているような気がした。 「ここで待ってろ。10分くらいで携帯に電話するから。―――――絶対動くなよ」 「え!?」 「いいな」 驚いて、戸惑いに揺れる薫の顔に、透の目尻が下がった。 けれど躊躇いがちに開かれた口からは言葉は結局漏れず、そのまま薫の傍を離れて行く。その手を掴む事は出来なくて、背中が人ごみに重なって見えなくなって、何分が過ぎただろう。 だんだん不安になって心細くて、寒さの所為か心が心細さに震えそうになったころ、手に握り締めていた携帯が鳴った。 「はい」 『BLUE WEEホテル、702号室』 「はい?」 『5分で来い』 「え、ちょっ・・・、透さん!?――――あ」 切れた。 全然なんの事だかわからないけれど、薫はとりあえず指定されたホテルへ急ぎ足で向かい、フロントを素通りして702のチャイムを押した。 ここまで来る往来で、何人かの人にぶつけた肩が、ちょっと痛かった。 「とおるさん」 「入れよ。――――6分35秒。遅刻だな」 「あの・・・?」 小走りで来た薫の息は乱れていたけれど、透はお構いなしに薫の上着を脱がせた。確かに暖房が効いてて上着はいらないけれど。 「え?」 「夕飯がなんだって?」 バサっとコートがソファに投げられる。 「夕飯食べて、それで帰るつもりだったのか?」 「うわぁっ」 ベッドに押し倒されてしまった。 「薄情モノ」 「透さん!?―――――ここ」 「取ってた。事前に言ったら、お前の事だ。ダメとか言うに決まってるもんな」 ―――――信じられない。 「信じられないのはこっちだよ」 「え!?」 「・・・薄情モノ」 透はもう1度言うと、薫の口を塞いだ。 「こんな風に触れ合えないまま離れてもお前は平気なんだ」 「そんなこと」 「俺が欲求不満でどうにかなればいいと思ってるんだろう」 「とおるさん・・・」 泣きそうになった。 意地悪な物言いに。 ほっとした気持ちに。 良かったと思う、同じ気持ちでいたことに。 求められていることに。 「お前に触りたくて頭がどうにかなりそうなのに」 そんなの、一緒だ。 でも。 「かおる」 翔の顔が脳裏を掠めて行った。 一緒に出かけるって言っては無いけど、泊まりなんてしたら怪しまれるかもしれないのに。 何がきっかけで、バレてしまうかわからないから、注意して冬休みの過ごしかたを考えきたのに。 大丈夫かな?って不安にも思うけど。 そう思ったけれど。 腰に回された腕を感じた瞬間、理性はあっけなく崩れ落ちて、透の荒々しい唇がもう1度落ちてきた時、完全に考える事を放棄した。 だって、この腕を振りほどくなんて事、出来ない。 薫が透の背中に腕を回した時には、熱と、切ない気持ちだけが身体中を占領していて、寄せる気持ちの波に心ごと飲み込まれていった。 |