冬の空の下で  10




「では、私は茶を入れてこよう」
 今日子は空になった皿を重ねて持ち、キッチンへと立った。オープンスタイルなので、今日子の場所から2人は十分見える。
 けれど、その場からいなくなったというだけで、綾乃の背中に緊張が走ったのがわかった。
「・・・なぁ」
「なに?」
 俯いたまま、低い声を発した翔に弾かれるように綾乃は顔を上げた。けれど、翔がこちらを向いていないのがわかって、綾乃もまた俯いた。
「いつから知ってたんだよ」
 問われて、ふっと雅人の顔が綾乃の脳裏に浮かんだ。
「・・・僕ね」
 雅人の許可は取ったとは言え、やっぱりその事を口にするのは躊躇いもあって緊張した。
「好きな人がいて」
 チラっと翔が綾乃を見た。
 驚きが素直に顔に表れている。
「その人、男の人で」
「マジ?」
「うん。・・・・・・それで―――――それに気づいた薫が、話してくれたんだ。僕の、背中・・・押すために」
 そんな事がいつ?
 翔は、全然気づきもしなかった。
「だから、薫が僕にだけって言うのはちょっと違うっていうか。僕の為に言ってくれただけで・・・・・・」
「綾乃の好きな人って誰?って聞いてもいい?」
「・・・っ」
 少し遠慮がちに言う翔に綾乃は目をやった。なんだか少し、さっきまでと空気が違う気がして。
「ダメなら・・・」
「あ、ううん。・・・雅人さん」
「嘘!?えっ――――理事長!?」
 翔が思わず綾乃を見た、大きく目を見開いて。その翔に向かって綾乃は少し照れた顔でコクンっと小さく頷いた。
「マジ・・・かよ」
 翔は、驚きに言葉も続かない様子で綾乃をじっと見ていた。
「ぜんっぜん、気付かなかった・・・」
 翔は、唖然としたしたように言葉を吐き出した。
 正直ここまで気づかないと、なんか隠されてたっていうより、もう気づかない自分が悪いような気がしてきた。少し気持ちが開き直ってきたのかもしれない。
「ごめんね・・・言ってなくて」
 翔は綾乃の、泣くのを我慢しているみたいな横顔をじっと見つめた。
「そーだよ・・・、言えよ」
「ごめん。雅人さん・・・、立場とかあるし、勝手に言っていいのかわかんなかったし。それに・・・・・・、言い出しづらいっていうか。本当、この先なんかどうなるかわかんないし。自分の不安でいっぱいいっぱいで」
 コトンっとお茶が置かれた。
「いつまで一緒にいれるかわかんないし」
 翔は、そう言うどこか大人びた綾乃の横顔をじっと見つめた。
 恋とか愛とかまだ全然わからない翔だけれど、雅人には相当な立場があることくらいはわかっていた。
 その人を好きになるって、どういうものなんだろう?
 綾乃は、どんな気持ちなんだろう。男同士で、立場が違って、それでも好きなんだなって思うと凄いというか、やはり自分にはまだ理解出来ないなって翔は思う。
 それでも、いやわからないからこそだろうか。綾乃をただ励ましたくなった。
「そんな事言うなよっ。―――――好きなんだろ?」
「そーなんだけどね」
 へへっと困った様に笑う綾乃は、いっぱい悩んだのだろうか。
「僕があそこの家に行かなかったら、雅人さんは、綺麗で釣合ったちゃんとした人と付き合ったりしたんだろうなって思うし、本当はそのほうが良かったんじゃなかなって思う時もあるんだ」
「綾乃」
 じっと黙って聞いていた今日子が口を挟んだ。今日子の、強い意思を宿した視線を、綾乃は見つめ返せないで俯くしか無い。
「そんな言い方はよせ」
 綾乃は首を横に振った。
「翔も」
「え?」
「ごめんね?―――――僕が・・・・・・」
 翔と綾乃の目が合って、翔の背中がひやりとした。
 この顔を知ってると思った。
 "はじめまして"って言われたときの顔だと思った。
「僕がいて、――――ごめん・・・」
「綾乃!!」
 翔の腰が思わず浮かんで、後悔がまたも滝の様に押し寄せてきた。
 こんな事言わせたのは、俺だ。
 そんな事、言わせたかったわけじゃなかったのに。
「違う!そうじゃなくて。俺は―――――――」
「"俺は"、何?」
 突然の声に、綾乃と翔が一斉に声のほうを向いた。
「・・・薫!!・・・、なんで・・・・・・」
 そこには薫と真吾が立っていた。
「長いトイレだとは思っていたが、それはそのはずだな。なるほど、それで10本か」
 今日子は一人納得して、新しいお茶を出すべく湯飲みを手に取った。
「座って」
「なんで、ここに?」
「俺がね、綾ちゃんにもう一人の子呼んで、って頼んだんや。その方がええって思って」
「ちょうど、母の用事で近い場所にいて、送ってもらったから―――――翔、ごめん」
 薫はその場に座って、手をついて頭を下げた。
「おい!!やめろよ!!」
 翔が慌てて炬燵から出て、薫の肩に手をかけた。
 綾乃も炬燵から出たけれど、2人の傍に寄っていいのかわからなくて、そのまま凍りついたように動かなかった。
 割り込んだのは、自分。
「薫って!」
「綾乃のこと、怒らないで。僕が全部、悪いんだ」
 今日子が新しい茶を置いて、炬燵にもぐりこむ。
「言えなくて」
 真吾も、静かに座る。
「透さんとの付き合いは、中等部に入ってから。好きになっちゃって」
「ああ」
「誰にもバレてない自信があった。あの頃はまだ未来の事なんて考えなかったから」
 だから返って上手く隠せた。今の方は先を想像してしまって切なさに、上手く気持ちが隠せなくなってしまった。
「そのまま付き合い続けて、本当は透さんがアメリカ行く時別れようと思ったんだ。でも、やっぱり好きで、好きだから。がんばれるところまで行こうって思って」
「うん」
「翔にも言わなきゃって思ってた。でも、言い出すきっかけがつかめなくて。どこかで言わない事で、透さんとのことに逃げ道を作ってたのかもしれない。それに、反対されたらどうしたらいいんだろうって思ったし。翔に、拒絶されたらキツいなって思ったし」
 薫のぎゅっと握り締めた拳が震えているのが翔にもわかった。
「色々考えたら考えるほど、言えなくて。でも翔だけのけものしたとか、そういうつもりは全然無かったんだ。本当に。それだけは信じて?」
「―――――」
「本当に―――――ごめん」
「・・・もう―――」
 翔はふっと笑って尻をつけた。
 もういいさ。
 なんだろう、急に、なんかもういいって思えた。自分は意地になって何をしたかったのだろう?何を、傷つけてしまいたかったのだろう。
 その刃は、自分に返って来ると言うのに。
「でも、薫も兄貴もモテんのに彼女作らないし、考えたら誰かいるってわかるよな」
 薫は、そんなこと無いと首を横に振った。
「じゃあ空港にはやっぱ兄貴の飛行機を見送りに来てたんだ」
「うん」
「ん〜だよ。早く言えば口実作って会わせてやったのにっ」
「え!?―――――反対、しないの?こないだ、だって」
 心底びっくりした顔で、薫は翔をまじまじと見る。
 その顔にちょっとムっとしたけど、それはまた別の機会に言う事にしよう。
「あれは、ムカついてつい言っちまっただけだろ、わかれよ!!本気で反対すると思ってたのかよ!?」
「だって反対だから避けてたんじゃないの!?」
「ちげーよ。そっちが俺をのけ者にしたからだろ!!そりゃぁー・・・・・・確かに最初はびっくりしたけどさ。でもダチの味方にはなるのが男だろ」
 本当はそこまで決心つけてたわけじゃなかったけど、言葉は勝手に出て来た。でも、なんか気恥ずかしくて、ふんっと、照れた顔で翔が横を向いた。
 凍てついた綾乃と目が合う。
「ごめんね。僕、だよね?」
「違う!!それも違う」
 そうじゃない。
「大丈夫――――分かってる。本当にごめん。僕いつもそうなんだよね」
 はは、と綾乃が自嘲気味の笑みを作る。
 綾乃の言葉に、状況が飲み込めない薫と今日子がいぶかしげな顔をして今日子は真吾を見ると、真吾が厳しい顔をしていた。
 その顔を見て、ハッと綾乃を見つめる。
「ほんと、ごめん」
「だから、違うって!そうじゃなくて―――――俺、俺だけがのけ者にされたのが悔しかっただけだ」
「だから、僕が」
「だから違うっつーの!!」
 もう、わかってる。
 自分が何にいらだって、腹が立ってしまっていたのか。
 もちろん、綾乃や薫の行動もその原因のひとつではあるけれど。
「3人一緒で、親友だって思ってたのにって思って」
 頼られない自分に、腹が立った。
 でもそれを、認められなかった。
 自分に原因があるのを、分かりたくなかったから。
「ごめん」
 謝る薫に、翔はこぶしを作って軽くブツ振りをした。
「俺ってさ、―――――頭悪いだろ」
「翔?」
 話の飛躍に薫が首を傾げた。
「別にその事そんな気にしてなかったんだけどさ、気付いたんだよな。このままじゃあ俺置いていかれるかもって」
 翔は頭を掻いた。
「不安だった。薫も綾乃も頭いいしさ。薫は弁護士だろ?綾乃は何になりたいかとか知らなかったけど、頭良いしなんだってなれるし。理事長とかともうまくいってたからさ、そっちの方で仕事すんのかなぁとか勝手に思ってて」
 薫が綾乃をチラリと見たけれど、綾乃はじっと床を見つめていた。
「そしたら俺、おいてかれんじゃないかなって今更ながら焦ってさ。で、勉強もちょっとがんばってみたけど、急には上がらないし」
 ふっと翔がため息をつた。
「でもさ、がんばったのに。親は無感動でへーってくらいでムカつくし。なんか今更ながらに期待されてねーなぁって思ったりして、俺だって兄さんや薫みたいにデキた頭だったら良かったのに、って色々考えて―――――それで、なんかムシャクシャして」
 翔は綾乃を見た。
「ごめんな、綾乃」
「なんで?ごめんとか、言う事無いよ」
「八つ当たりしたし」
「八つ当たりじゃないよ。ホントに僕が―――――」
「綾乃それ本当に違うからっ。綾乃がいて、薫がいて俺がいて、3人でいいじゃん。俺、それだけは本当にそう思ってる。ただ――――――その、今回はさ」
 翔はきゅっと拳を握った。
「お前にさ、嫉妬したんだ」
 耳から頬まで顔中熱くなるのを感じた。
「さっきも言ったけどさ、俺・・・おこがましいけど、俺が守ってやるって立場だったのにって思って。それなのに、綾乃強くなったし、それは綾乃ががんばった事なのに。こっちでさ俺もういらないのかよっとか拗ねて。俺が置いていかれる方かよって慌てて、悔しくなって―――――で、寺島とかと仲良くしてみたりして。でもアイツのことそんな好きじゃないし、そんなヤツと一緒にいるのに自分で疲れてさ。んで、イライラして。ほんと、俺ってバカだよな」
 そんな事無い、と綾乃は首を横に振った。
「こんなんだから、ダメなんだよな」
 綾乃がどんな顔をしているのか見えなくて、翔は綾乃の傍に寄って、床しか見ない綾乃の顔を覗き込んだ。
 綾乃が僅かに顔を上げて、上体が引く。
 やっぱり、知ってるって思ったこの顔。なんでこんな顔させちゃったんだろ。
「まだ、怒ってる?」
 綾乃がぶんぶん首を横に降る。
「怒るとか、そんな立場じゃ・・・」
「じゃあ笑え〜」
 翔はふにっと綾乃の両頬を上に持ち上げた。
 立場とか、言うなよ。
 言わないでくれよ。
「翔、それ虐めてるし」
「虐めてねーよ」
 なんつー失礼な。
「綾乃、ごめんね?」
 薫が綾乃に言うのにも、綾乃は首を横に振った。
「僕こそ、ごめん。ホントに――――――――ごめん」
 全然なんか復活してなさそうな綾乃に何か言わなきゃいけないと翔は思うのに、言葉が見つけられなくて、三人の間に沈黙が流れた。
 つけた傷は、もう取り戻せないんだろうか?
 翔にも薫にも言い様の無い焦りが背中をヒヤリとさせる。
 また、殻に閉じこもってしまうのだろうか。
「友達、だよな」
「当たり前だろ」
「よし!!じゃあ3人ともお家に電話しなさい!」
 いきなり仁王立ちして真吾が言った。
 全然空気と合ってないのに。
「え?なんでですか?」
「なんで?」
 びっくりした薫と、首を傾げた翔がきいた。
「今日はウチに泊まっていきなさい。鍋食おう、鍋」
 今日子が苦笑を漏らした。
「!?・・・なんで鍋?」
 いや鍋は好きだけど。
 ってゆうか、柴崎さん面白いかも。
 薫絶句だし。
「理由?それは、俺が大人数で鍋を食べたいからや!」
 翔は改めて、こんな人だったのかと内心で頷いた。
 











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