冬の空の下で 4
綾乃と翔は、誠一の好意で道場の奥の誠一の住居部分である居間で、炬燵に入ってくつろいでいた。 綾乃も翔も、互いの家には無い炬燵になんとも言えず、ほっこりとした気分になる。 障子などは締め切られているとはいえ、子供たちの元気な掛け声が僅かに届いている。部屋も暖かく、出されたホット柚茶のほのかな甘さがまた身体に優しかった。 それなのに、部屋にはなんとも言えない沈黙が流れていた。 お互いが探り合っているような、そんな気配。 だからだろうか、余計に外の声がよく聞こえてくる。 綾乃は何度かしゃべりかけようと口を開いてはみるが、無言のまま閉じるを繰り返していたが、それではラチがあかない。そう思って、思い切って口火を切った。 「で、――――今日はどうしたの?」 チラっと翔を見た。 数秒、じっと目が合う。 少しぎこちないかもしれないけれど、ちゃんと笑顔で。 「あー・・・昨日は、ホントごめん」 「え、いいよそんな。こっちこそ、ごめん」 ビクっとしちゃって。事を大げさにしてしまった。 「いや、・・・」 「うん?」 「なんか、最近イライラするっていうか」 翔が言いにくそうに少し炬燵に体を沈める。 「もやもやしてるっていうか」 「うん」 互いに前を向き合ってるけど、視線は交わらず。綾乃は目の前の柚子茶から立ち上る湯気をみつめていた。 「綾乃はさ」 「うん」 「あーいや、違うな」 わしゃっと翔は自分の髪を掴んで、頭をかく。 「―――薫や、兄ちゃんみたいに上手く聞けないな」 浮かべた笑みが自嘲気味に見えたのは、角度の所為だろうか? 「どうしたんだよ?」 少し綾乃の声が上擦ってしまう。 「単刀直入に聞く、とだ」 「うん」 ドクンっと心臓が深く鳴った。 「アメリカ行った時どう思った?」 「・・・え?どう、って何が?」 やっぱり、とそう思った。どこかで、予感がしていたのだ翔の言葉を。 いや、認めたくないだけで昨日の電話からわかっていたのかもしれない。 薫に相談されたときから、いつかもしかしたらと思っていたけど。 「薫だけ、先ってさ」 「あーうん。でも、薫もさ留学とか考えてるからかなって思ったけど」 「まぁ確かに。俺もそう思ったりもした」 コクンと翔は頷く。 「でもさ、なんか、仲良すぎじゃなかった?なんか、ちょっと違うっていうかさ」 「どー・・・、かな。あんまり意識してなかったけど。元々、仲いいっていうか、生徒会通じて繋がりも長いし」 「後姿がさ――――――――近くにいたゲイカップルと同じに見えたんだよな」 「―――っ、翔!?」 声が思わず裏返ってしまった。 綾乃の背中がヒヤリとして、まずい!と思ったけれど発した言葉はどうしようもなくて取り消せなくて、どうしようもなく口をあわあわさせてしまった。 「そんな驚くなよ。―――――んだよ、やっぱ考えすぎかなぁ」 翔が困ったように眉尻を下げた。 「綾乃、―――――なんも気づいて無いんだ・・・」 翔は綾乃の驚きを、綾乃にとっては都合の良い方に勘違いしてくれたらし。 綾乃はただ首をガクガクと上下に動かした。 このまま押し切るしかない、そう思ったから。 「そっかぁ・・・。綾乃――――――何も聞いてないんだよな?」 「その、事で?」 「ああ」 もう1度首をガクガク縦に振った。 「薫から、相談、とかさ」 今度は首を横に振った。 心がチクンと痛んだけれど、でもそれはとりあえず無視した。だって、言えるわけがない。勝手に言って良いことじゃない。 だから。 言えない。 「そっか」 「うん」 「綾乃も、知らないんだ」 翔が、どこかほっとしたようににっこりと笑った。 その顔があまりに翔らしくて綾乃は急にいたたまれない気持ちになった。罪悪感、といえばいいのだろうか。 翔に対して後ろめたさが心を刺した。 嘘をついた。 翔に。 友人に。 「翔・・・っ」 「ん?」 でも、言えるわけがない。今、綾乃の口からなんて。 「そんな心配して―――――」 変なの、そう続くはずの言葉が喉にひっかかって出なかった。 どうしよう。 「悪かったよ」 翔は照れくささを隠すように鼻を擦った。 「なんか、ずっと気になっててさ。はは、もっと早く聞けばよかった」 へへ、と笑って翔が柚子茶をゴクゴクと飲む。 「もしかしたらさ、綾乃はなんか知ってんのかなーって俺」 どうしよう。翔、ごめん。僕知ってる。 「そうだよな、考えすぎだよな」 「そ、そうだよ」 「そうだよなっ」 「でもさ」 翔をだましてる。それなのに何を、聞こうとしてるんだろう、僕は。 「おう」 翔の少し明るさを取り戻した声が痛いのに。 「もし――――――、もしそうだったら」 「え?」 「や、もしそんな事あったら、翔どうする気だったのかなって」 心臓がバクバクした。 パチっと、磁石が合うみたいに目が合った。 その視線が怖く感じたのは、綾乃が後ろめたさを抱えているからだろうか。 「綾乃?」 「や、だってそんな事聞くからさ。どうするつもりだったのかなって」 嘘の上に嘘が重なる。 「そー、だなぁ」 沈黙が長く感じられて、綾乃は心臓の音が翔に聞こえてしまうんじゃないかと思った。 「どーするか・・・」 翔のため息みたいな声が空に消える。 遠くから近づいてくる足音が聞こえてきて、綾乃が翔の答えを聞く前に、閉められていた障子が開いてコバケンが顔を出した。 「んーだよ、お前ら。あったかそうにしてんなぁ」 そういうコバケンは道場着に素足である。額にはうっすらと、汗がにじむ。 「稽古終わったのか?」 翔が、さっきまでの沈黙がなんだったのかと思うくらい、いつもの屈託の無い声でコバケンを見上げながら言った。 「ああ。こっちでお茶でもって―――――お前ら今も茶飲んでるよな。まぁいい。こっちこいよ」 「そうだな」 翔は何事も無かったかのように立ち上がってしまって、綾乃も続かざるを得ない。ここで、返事を促すのはどう考えても愚かしい。 廊下を歩く翔の背中を見つめても、答えは見えない。そう広いわけでもない家では、すぐに道場に行き着いた。飲み干した柚子茶の入ったコップを誠一に渡し、道場を見渡すと子供が銘々に遊びだしたりしている。中には、この寒いのに外を駆けている子もいて元気なものだと綾乃は感心してしまった。 自分があのくらいだった頃は冬が嫌いだった。 行く当ても無く一人外にいて、身体の芯まで凍えたものだったのに、それはあまりに遠い記憶に思えて、今はただ走り回る子供たちが微笑ましく思える。 「なんか子供少なくないか?」 「ああ、用事とかで直ぐ帰る子もいるからだろう」 「そっか」 「お邪魔してます」 子供たちを見回して不思議がる翔にコバケンが答えている。 そこへ盆を持った孝次が現れた。 「はい、お茶です。―――――勝手に取れよ」 誠一にはキチっとした姿勢で茶を差し出すのに、他の面々には相変わらずぞんざいに振舞っている。 「すいません、手伝います」 コバケンはすぐさま裏へと向う。子供たちにも茶を振舞うのだろう。 「翔、悪いけどお前も手伝ってやってくれるか?今日は夏川持参の茶菓子もあるんだ」 「はい」 「あ、じゃあ僕も」 気軽に腰を上げた翔に続こうと綾乃が腰をあげかけたのを、孝次が手で止めた。 「お前はいい」 「どうしてですか?」 「夏川はこういう事ホント不器用って知ってるから。盆をひっくり返しかねん」 「なっ!!――――そんな事ありませんっ」 孝次の失礼な言い分に綾乃は強く言い返してみるが、誠一はクスクスわらうだけで擁護はしてくれないらしい。 どうやらこのことに関しては、孝次と誠一の見解は一致している様だ。 そうなると綾乃も浮かした腰をどうしたらいいものか、いやしかし、ここはなんと言われても手伝って汚名返上しなければ立ち上がると。 「どうした夏川」 「コバケン。―――――あれ、もしかして終わった?」 「ああ」 いとも簡単に言ってコバケンは腰を下ろす。 「どうしたんだ?」 孝次と誠一がさらにクスクスと笑っていて、コバケンはいぶかしげに綾乃を見上げてくる。綾乃は仕方が無いので再び腰を下ろした。 ちょっぴりばつが悪くて視線をそらしてみると、外で翔が子供たちとキャッチボールをしていた。近くに雪人の姿もある。 ヤスとふざけ合って、数人で楽しそうにしていて綾乃はほっとして嬉しくなった。満面の子供らしい笑顔が輝いていた。 「あのー、すいませーん」 「あ、はい」 外からだろうか、女の人の声が聞こえて誠一は応対のために立ち上がった。孝次は子供たちに目を配りながら茶菓子を口に放り込んだ。 「なぁ」 「え?」 外を見ていた綾乃は掛けられた声にコバケンへと視線を戻した。 「翔、――――テストの結果気にしてたみたいだけど、大丈夫なのか?」 言われた言葉に思わずコバケンを見返してしまった。 コバケンも知ってたんだ。 「大丈夫って。――――薫が」 「樋口?」 「うん。僕、翔ががんばろうとしてたこととか知らなくて、不用意な事言っちゃったみたいでちょっと怒らしちゃったんだけど、薫が話ししたら落ち着いてたし」 「じゃあ、大丈夫なんだ」 「だと思う」 その時のことはコバケンには詳しくは言えなくて、綾乃はそう言うしかなかった。そういえば、テストの事で話はしていない。 綾乃は縁側に座って子供たちに声をかけている翔を見た。 「心配してやれよ」 「え?」 「夏川頭良いんだし、翔の勉強とかみてやれよ」 「うん」 わかってる。 わかってるけど、翔は何も言ってくれなくて。こっちから言って良いのか―――― それになんとなく感じる微妙な距離。 綾乃は少し戸惑うように、もう一度翔に視線を向けた。 |