冬の空の下で 5
カツーンとフローリングの床にシャーペンが転がる音がした。翔にしては珍しく、部屋でテレビもパソコンも付けず、ゲームにも手を出さず机に向っていた。 けれど、机の上に広げたノートは残念ながらさっきから1ページも進んでいない。 かといって、寝ているわけでもない。 翔は自室に一人、椅子に背を預けてじっと何も無い空を見ていた。 考えるのは、今日の昼間の事。 ―――――綾乃は・・・・・・ 本当に何も知らないんだろうか? 何も感じていないのだろうか? 驚いた顔を思い浮かべてみる。その顔は、本当に心底驚いているように見えた。 ―――――でも。 自分で言うのもなんだけれど、鈍い方であろう自分が気づいていて、回りの様子を目一杯伺っている綾乃が気づかないなんてことが、実際あるだろうか、とも思う。 勉強も出来る所為か、薫と綾乃は結構仲良いと思う。なんか二人にしかわからない会話をしている時もある気がする。自分がほかの友人と騒いでるとき、二人はよく一緒にいる。それは綾乃が、なかなかほかのクラスメイトに馴染めない部分もあるからだろうけれど。 間違いなく、綾乃のほうが学校内では狭い人付き合いだ。その中で、綾乃が知らない? 何かしっくりこない。ストンと気持ちが納得出来ない。 何が、と聞かれたら、コレだとはっきり言えるわけじゃないけれど。 ひっかかる。 "もし――――――、もしそうだったら翔どうするの?" 綾乃の最後の言葉。何故ひっかかるんだろう。ただの素朴な疑問?本当に? なんか、窺うような探るような言い方だった気がして、ピクっと引っかかった。第六感、というやつだろうか。だから思わず綾乃を見た。 目が合った。あの時の顔。 もしかして、綾乃は知ってるんじゃないだろうか、何かを。 やっぱり。 綾乃だけが? 「――――っ」 面白くない想像に翔の顔が歪んだ。 もし。 もしそうなら、悔しい。 むかつく。 腹立たしい。 我慢出来ない。 絶対。 だって。 俺だけが知らないなんて。 「――――でも」 落ち着けよ、俺。 まだ、薫と兄がそうであると決まったわけじゃない。むしろそれは、飛躍しすぎている想像かもしれない。 仲がいいだけなのかもしれないし、2人で生徒会の仕事とかもずっと引き継いできたわけだから。 3人で幼馴染の様な繋がり。それはほかに無い、強い繋がりのはずで。 だから。 でも。 それでも、と思う。 薫だけが先にアメリカに行っていた。 薫の視線が、兄を見ていた。 兄だけを。 兄の視線が、薫に注がれていた。 薫にだけ。 その横顔が、自分の兄なのに全然知らない人に見えた。 遠くに思えるほど。 それに、2人だけの時間が何度かあった。 兄がアメリカに行った日、薫と綾乃は空港に来ていた。それは、兄の飛行機を見送るためだったのではないのか? じゃあ――――――― じゃあ、やっぱり綾乃は知っている? 何を? 2人が、―――――そういう関係なのを? 本当に? 本当に、2人はそうなのか? 「―――っ」 ガタっと椅子が鳴って翔は立ち上がってベッドに寝転がった。 一瞬流れ込んできそうになった想像を、それ以上したくなくて振り払いたかった。 「――――わかんねぇ・・・っ」 だって、あの兄と薫が? 第一、兄さんはこの家を背負っていくんじゃないのか? 親だって兄さんに期待してるんだ。その為にアメリカ留学だし、その為に桐乃華にだって入れたはずだ。それをわかってるはず。だからこそ生徒会もやり、理事長とも繋がりを持って、誰からも一目置かれる。 自分にとっても自慢の兄。 そうだ、兄さんがそれを全部わかってて薫となんて、ありえない。 ありえるはずがない。 アメリカ留学して、人脈作って会社に入っていずれは結婚して、会社を継いで行く。そのはずだ。兄の人生は、そんな絵に描いたようなエリートなもので、躓いたり道にそれたりするはずがない。 母さんが言っていた、間違いの無い生き方、それこそが兄さんにふさわしい。誰もが憧れるものになるはずなんだから。 道から、外れたりするはずがない。 「そうだ」 だから、そんな事ありえないし馬鹿な想像だった。 まったく。 何を考えてんだか、俺は。 可笑しな想像を。 兄さんが。 「―――はは・・・」 笑おう。笑って全部チャラにしてしまおう、そう思うのに無理な笑い声が続かなかった。 笑えない。 だって、疑惑が打ち消せない。 薫と兄が、その想像が頭から消えない。 それを綾乃だけが知ってるんじゃないかって気持ちが消えない。 自分だけが、知らないんじゃないかって思いが消えない。 悔しさが。 言い様の無い焦りが。 寂しさが消えない。 置いていかれる、その不安が迫ってくる。 自分だけが、道をたがえるんじゃないだろうか? 自分だけが。 一人だけが。 足元から何かが崩れていくような不安。 それもこれも、薫と兄の疑惑があるから思考が発展していくんだ。だから、それさえ打ち消してしまえばいい。 そうしよう。 翔は、そう思って自分の今の疑惑を振り払おうとした。けれど、そうすればそうするほど、どんどんその思いが離れなくなって頭の中にこびりついてしまう。 ふと気が付けば、じっと薫を見ていることもある。 別にクラスでの薫の行動にそんな片鱗が見出せるわけでもないのに。なんといっても透は遠いアメリカの地にいる。 この気持ちを打ち消す事も、肯定する出来事も起こらない。 薫は、もしそうならだが―――――どう思っているのだろう。面影の残るこの生徒会室にいて、寂しいとか思わないのだろうか? 恋やら愛には、ほど遠い翔にはなんだかちっとも想像が付かない。 でも、薫はその気持ちを知っているのだろうか。だから、あれだけもてても、女の子に興味を示さないのか? 薫は―――――――― 兄さんは―――――――― 「ああ!!」 翔は、もうわけがわからないと、その頭を枕に思いっきり沈めた。 「――――翔、なに?」 「えっ!?」 いつの間にか肘をついていたらしい姿勢から顔を上げた。腕が、少し痺れている。 「じーっと見られるとなんかやりにくいんだけど?」 薫の顔に苦笑が浮かんでいる。 「あっ―――――悪い」 また、全然無意識のうちに、じっと見てしまっていたらしい。 翔は視線を泳がして、目の前に積まれたままのプリントの山に目を見張る。そうだ、生徒会室で仕事中だった。週末はなんだか悶々としていて、休みだったのに疲れてしまって。週明けから調子が出ない。 「だいぶ前に、それ左上閉じでお願いって、渡したんだけど?」 遠慮がちに綾乃の声が。 「悪いっ」 全然聞いてなかった。 「なに、どうしたの?―――――まさか、熱あるとかじゃないよね?」 グイっと薫に顔を覗かれて翔は慌てて身を引いた。椅子がガタンっと大きな音をたてる。 薫の睫毛が、思ったより長かった。 「ひどーっ。そんな避けなくても」 「びっくりしたんだよ!熱なんかねーよ」 翔は椅子を元に戻して目の前のプリントの山に手を出した。心臓は少し、バクバクいっていた。 この薫と、兄貴が――――――? 翔は恐る恐る薫をもう1度見た。 「―――っ」 目が合って、慌てて逸らせた。 ―――――っていうか、今の変じゃねぇか!? そう思ってみても、もう後の祭りで誤魔化せやしない。翔は神経を目の前のプリントにのみ集中させて、ぎこちないまでに横を向くのを避けた。 とにかく一心不乱に、雑念を出来うる限り取り除いてホッチキスを閉じていく指先にのみ神経を向けた。 その、明らかに不審な態度に薫は眉を寄せて、息を吐き出した。もちろん翔には聞こえてはいなかったし、薫がどんな顔をしていたかも知らなかった。 だから、薫が"トイレ行ってくる"と言って部屋を出て行ったのも、その時綾乃が薫を気遣うように見つめ、薫がその視線を受けて翳った笑みを浮かべたのも気づかなかった。 ただ、室内に響くホッチキスのカチャカチャという音だけがやたら忙しなく聞こえていた。 いや、その音しか翔の耳は受け付けなかった。 とりあえず、全部遮断してしまいたかったのだ。 一方薫は、トイレの洗面台に手をついてうなだれていた。 「最・・・悪」 ―――――あれって、拒否反応ってやつだよね? 週末のことを綾乃から聞いていたので、なんとなく覚悟というか予感めいたものはあったけど、あんなに露骨になるかなぁ。 翔の単純さに救われることが多かったけれど、今はそのストレートすぎる反応に心が痛い。 ―――――受け入れられないって事、なのかな。 薫は、深く深く息を吐き出した。翔から直接何かを聞いたわけでも、聞かれたわけでもないし、話したわけでもないから、正確には翔が何を思っているのか薫にはわからない。 だから、さっきの反応が薫に対してなのか。それとも、男同士ってことに対してなのかわからないけど、翔が何かしらに気づいたのはもう間違い無いような気がする。 それは露骨によそよそしいというか焦ってるっているというか、慌ててるというか。とにかくいつもと違う。 ―――――翔らしいけど。態度、隠せないんだもんなぁ。・・・ホント。 「――――キツ・・・」 洗面台に掛けた手に力が入って、キュっと音を立てた。 「どー・・・しよ」 どうしたらいい? どうしたらいいんだろう。 どうしたらいい?透さん。 どうすれば? 心の中でどれほど問いかけても、答えてくれない。 ―――――翔に、こんな風に拒絶されるとは思わなかったな。 心のどこかで、話せばわかってもらえるって思ってた。友達なんだからって甘えてた。翔なら、許してくれるって、根拠も無くそう信じてた。 不安に思いながらも、どっかで大丈夫って思ってた。 でも。 ―――――そうだよなぁ・・・ 友達と兄、だもんな。 それに、翔は透さんのこと結構好きだと思うし。自慢の兄、なんだと思う。その自慢の兄の、―――――僕は汚点なのかな? 翔はそんな風に思うのだろうか。 確かに、僕さえいなければ透さんの未来は順風満帆なんだもんなぁ。 「――――でもさぁ・・・」 好きなんだ。 どうしても、どうしても好きなんだ。 こんなの、間違ってるってわかってるけど。 好きなんだ。 それだけが、間違う事のない自分の気持ちだから。 認めて欲しいと、思う。翔に、受け入れて欲しいと身勝手に思ってしまう。 「――――っ」 薫の瞳から一筋の涙が零れ落ち、頬を伝う。 ――――透さんに・・・・・・ 言った方がいいのだろうか? でも、言ったからといって何になるんだろう。アメリカにいるのに。こんな話をしたって、無駄に心配させるだけなんじゃないだろうか。彼だって、認められたくないわけがない。 心配、させたくないなぁ。 言いたい。 言って頼りたい。 言ってすっきりしたいと強く思うけれど。 同じくらい、言っちゃいけないと思う。 出来るだけ、邪魔しちゃいけないと思うと―――――――― ブブブブ・・・ 「あ・・・」 ポケットの中で携帯が一瞬鳴って消えた。 ―――――綾乃、かな。 さっきの綾乃の顔を思い出した。こちらを気遣うような瞳。 「綾乃にも、心配かけてるな・・・」 薫はゆっくりとポケットから携帯を取り出す。 光って、メールの受信を告げている。 『薫。――――大丈夫?』 ―――――・・・全然大丈夫じゃないよ。 もし正面切って翔に聞かれたら、なんて答えたらいいんだろう。 ―――――怖いよ・・・ |