冬の空の下で  8




 寺島にゲーセンに誘われたけれど、翔はそれを断って早々に家に帰ってきた。正直、寺島は翔にとって当て馬でしかなく、放課後まで共にしたいとは思えなかった。
 けれど、人に対してそんな風に思っている自分がもの凄く嫌になる。そして、一人の家路がこんなに足が重いなんて。
「おかえりなさい」
「・・・ただいま」
「どうしたの!?元気無いけど」
「ちょっとなんか、だるくて」
「あらやだ、大丈夫?」
「んー・・・」
「どうしたのかしら。元気だけが取り柄なのに」
「っ、・・・どうせ俺には取り柄が無いよ!」
 思わず大きな声で反論してしまって、母が驚いた顔になる。でも、"ごめん"って言葉が出なくて、翔はそのまま逃げるように部屋に上がった。
 背中でドアがバタンと大きな音をたてて閉まる。
 翔はその音にビクっと体を震わせて、勢いを削がれた様にのろのろとベッドに腰掛けた。
 鞄の中から、帰り道、何度か着信を告げていた携帯を取り出して、恐る恐る開いてみると3回の着信に1通のメールが来ていた。全て、綾乃からだった。
 "今日、どうしたの?ちゃんと話したい"
「・・・・・・」
 翔はそのまま、削除した。
 どうしようもなく、心がささくれていくのが分かる。どうしようもなく、イライラして腹が立って、大声で叫びたくなる。全部めちゃくちゃにしてしまいたくなる。
 でも、壊してしまいたいけど壊してしまいたくない。
 そんなに子供じゃない。
 けれど、そんなに大人でもない。
 無性に悲しい。切ない、寂しい。辛い。そんな感情がいっぺんに翔の心に押し寄せてくる。
 翔は枕に顔を埋めて、大きな声で叫んでみた。声は枕に吸収されて外には漏れない。枕に頭をなんどか打ちつけて、もう1度枕に顔を沈めた。頬に涙が伝う、その涙が何の涙なのかは分からない。ただ、もう心も頭もぐちゃぐちゃだった。
「・・・・・・んだよっ」
 絶対自分からは折れない、って意地が頭をもたげる。
 でも、今すぐにでも前の関係に戻りたい。もう終わりにしたいって思う。
 でもそうは出来ない。
 意地?
 わからない。
 こんなの、もやもやして、二人がそうなのかもしれないってずっとぐるぐるぐるぐる考えてた時より、もっとしんどい。もっと辛い。だから終わりにしたい。でも出来ない。
 無理。
 だって、裏切ったのはそっちじゃん。
 俺は何があっても受け入れようって思ってたのに。
 一人だけのけ者にされるなんて、辛すぎる。
 なんだよって二人に言ってやりたい。
 なんで言ってくれなかったんだよって言ってやりたい。
 友達だろ?
 仲間だろ?
 親友だろ!?
 1番だろ!?
 なんでだよ!!
 でも、なんて言われるか怖い。
 俺なんかどうせバカだし。
 鈍いし。
 疎いし。
 気は回らないし。
 親にも期待されてないし。
 取り柄は元気だけだし。
 なんもない。
 どうせ俺なんて、誰も頼りにしてないんだ。
 だから秘密を打ち明けられないんだろう?
 どうせ俺なんて。
 必要ないんだろ?
 ―――――なんで薫は連絡して来ないんだよ・・・っ。






「翔!」
 綾乃が意を決したような声で翔を呼んだのは、次の日のお昼休みだった。食堂へ行こうかと廊下に出た時。メールは全部無視で、登校してから1度も口をきかないでいたから、もういいのかと翔が思い出していた時だった。
 俺なんて、もういいのかと―――――――
「あれぇ〜またお昼のお誘い?」
「話があるんだ」
 寺島の相変わらずの言葉に綾乃は怯まなかった。
 顔は少し青ざめていたけれど。
「なに?」
 翔の少し拗ねたような声が、わずかに上擦って響く。
「ちょっと、いいかな?」
「内緒の話だって」
 寺島の言葉に下品なヤツだと翔は思った。それにムカムカしたけれど、でも綾乃はまったく無視していて相手にしていなくて、その態度に寺島が舌打したのが聞こえた。
 耳障りだと、殴ってやりたい。
 翔はその寺島から離れて、ゆっくりと綾乃の方へ向かっていく。
「おい、翔」
「悪い。ちょっと、話してから行くよ」
 寺島は少し面白くない顔をしたが、文句は言わず友人達と食堂の方へと遠ざかっていった。教室から出て来たクラスメイトが、興味があるのだろうチラ見しながら横を通る。
 どう考えても、何かあったのは誰の目から見ても一目瞭然だからだろう。彼らがどんな風に噂しているのかも、鈍い翔の耳にも少しは入って来ていた。
 直接尋ねてくる者はいなかったけれど。
 聞かれても翔は無視しただろう。噂などどうでもいい。だって、そのどれ一つ当たってはいない事だけは分かっていたから。
「屋上、行く?」
「ああ」
 翔は綾乃の誘いに乗った。薫は、教室にいるのかどうか翔の場所からは見えなかった。
 いつの間にかどこかへ行ったのだろうと思っていたら、薫は屋上で先に待っていた。綾乃と同じくらい、青い顔で、ポーカーフェイスが得意の薫には珍しい。
 屋上は、生徒会特権で入れているだけなので他の生徒は誰もいない。空は昨日より少し曇っていて、吹き降ろす風が冷たかった。
 ドアの閉まる音がいつもより響いて、冷たく感じるのは気持ちの所為だろうか。
「――――ん、で?」
 つい、挑むような声で言ってしまう。
「あ、うん」
 綾乃が瞳を泳がすのが、イライラしてしまう。
 でも、こっちから言葉を発する気にもなれなくて翔はイライラした顔を作ってあさっての方向を見た。雲の流れが少し速い。
 その時、綾乃に代わって薫が少し翔の近くに寄ってきて口を開いた。
「なんかあった?――――よね」
 翔は、何も言わない。
「昨日の朝からだけど。何があった?」
 ザザっと強い音をたてた風が吹いた。
「翔?―――言ってくれないとわかんないよ」
 不安げに細くなった声に、翔はさらに苛立ちを覚えた。いや、その言葉にかもしれない。
「その言葉、そっくりそのまま返す」
「え!?」
 はっとした薫の顔が、何もかも全部表している気がした。
 やっぱりって改めて思う。
「言われなきゃわかんねーよ」
「翔・・・っ、それは――――」
「俺だけが知らなかったんだろ?」
 薫の言葉をかき消す様に翔が言った。
「翔、ちょっと待って・・・っ」
 焦った仕草で一歩踏み出した薫に比例すように、翔も一歩後ろに下がった。
 出会って今までこんな事あっただろうか。
「今更誤魔化すなよ!?聞いたんだ。―――――俺、綾乃に聞いたよな?薫と兄貴の事。でも綾乃は否定した」
 きゅっと綾乃が唇を噛んだ。
「腹ん中で笑ってたのか?なーんも知らない俺の事。一人で考えてる俺は馬鹿だよな」
「違う!そんな事っ」
「じゃあなんで言わねーんだよ、俺だけ!!」
「翔」
 伸ばしてきた薫の手を、強く払いのけた。
「綾乃は知ってたんだろ?」
 綾乃が、困惑したように薫に一瞬目をやってから視線を床に伏せる。その態度が全てを語っている事が翔にはわかった。
 ―――――お前が。
 凶暴な気持ちが、どこからか一気に沸きあがってきて強い衝動に変わる。
「いつからだよ」
 悔しくて、悔しくて悔しくて悲しくて悲しくて悲しくて。何か言ってやらないと気持ちの収まりが付かなくて。
「なぁ、綾乃はいつから知ってたんだよ!?いつから俺のこと―――――っ」
 綾乃は何も言わない。翔はその顔を、殴ってやりたいと思った。薫との間に割り込んで、嘘をついた綾乃を。
 ―――――俺達親友だったのに。お前が・・・・・・っ
 違う。
 こんな想い、違う。
 絶対違う。
 違うのに。
「なんなんだよ!」
「翔、待って。綾乃が悪いんじゃないんだ。僕が口止めしてたから」
 そうじゃないって、分かってるのに。
 薫の気持ちも。
 綾乃の立場も。
「俺には言えないってことだ」
 でも。
「違う。そうじゃない。ただ、言うタイミングが・・・っ」
「そんなの、言う気だったらいつでも言えたはずだ」
「っ、そうだけど、でも。透さんはお兄さんだから、言いづらいっていうか。いつ言ったらいいのかって。普通じゃないし、僕たち」
「普通じゃないって何が?」
「男同士だし」
「ああ。そうだよ、兄さんはウチの跡取りだぜ」
 翔の一言に薫の頬がビクっと震えた。
「わかってる。わかってるけど、でも」
「どうすんだよ」
「翔にはっ」
 薫の苦しそう切なそうで、見ている方が苦しくなる瞳。
「――――俺には?」
「翔には、認めて欲しくて」
 たぶん、もう良いわかったから。でも素直になれない。
「――――認めない」
 なんでそんな事口走ってるのか、もう翔にはわからなかった。
「え!?」
「翔っ」
 ただ、黒くなっていく気持ちが止められない。
「俺は認めないからな!!」
 そんな事思ってない。
 薫が今にも泣き出しそうな顔になって、倒れるんじゃないかって思えて、その時にはもう後悔してた。なんでそんな事言っちゃったんだろうって。
「絶対!!」
 薫をなんで、傷つけてるんだろろうって。
 それなのに、言いようの無い焦りが焦燥に変わって。
 嫉妬に変わっていく。
 知っていた綾乃に。
 どんどん自分だけ取り残されていく様な不安に怯えて、言葉を棘にして攻撃した。
 やられる前に、やってしまいたくて。
 傷つく前に、傷つけたかった。
 いや、自分が傷ついたから、それ以上傷つけたかったのかもしれない。
 優しくなれなくて。
 傷つけることで、守ろうとした自分を。
 最低だ。
「最低だ!!」
「翔!」
 翔は扉を開けて、走った。
 薫の声を無視して。
 綾乃を拒否するように。
 薫は泣くかもしれない。
 綾乃は泣くかもしれない。
 薫と楽しかった日々が頭を過ぎる。3人で遊ぶようになってから、どんどん楽しさが増してきたことも。
 嬉しかったことも喧嘩したことも、ふざけあったことも、怒られた事も全部丸ごと大切な記憶で、これからもそうでありたいと思う気持ちも全部分かってる。
 一瞬、出会った頃の青い顔して俯くしかなかった綾乃を思い出したけれど。振り返れなかった。戻れなかった。
 胸の中は後悔でいっぱいなのに。
 悔しくて。
 切なくて。
 寂しくて。
 腹が立って。
 心が狭い。
 もう、自分には資格が無い様な気がした。
 ―――――最低なのは、―――――――・・・・・・っ





・・・・・・





 1週間、翔は薫も綾乃も無視し通してしまった。
 怖くて、踏み出せなかった。
 今すぐにでも仲直りしたいのに。
 本当に傷ついたし腹がたったんだからな、悲しかったんだからなって言ってから笑って、許すって言って、がんばれって言って応援してるって言ってって、そう思うのに。
 ―――――あーあ・・・何やってんだろ、俺。
 翔は先週と同じ公園の同じベンチにごろんと横になる。曇り空の所為も合って、先週とは打って変わって公園には人出があまり無かった。
 寂しい光景。
 それが今の自分と合ってて、余計心に沁み込んだ。
「はぁ〜あ・・・」
 疲れた。
 1週間、さして好きでもない奴とつるんで、本当なら一緒にいてバカ言ったり笑いあったりしたい方を無視してる。
 でも、声をかけられなくて。
 次の休み時間こそ、次こそ、明日こそ、そう思うのに出来なくて、日がたつほどに出来なくなった。
 ―――――コバケンにまで言われたもんなぁー、お前何がしたいの?って。
 "何があったのか知らねーけど、とっとと仲直りしろ"
 そう言われた言葉が沁みたけど、その通りには行動出来なかった。
 意地?
 それももうわかんなくなった。
 何がしたかったんだろ、俺。
 冷静になれば、わかる。薫が自分には言いにくかった事。でもそれなら、綾乃も知らなかったら良かった。なんで俺だけって、やっぱりそこに戻ってしまう。
 俺のほうがずっと付き合いも長いのに。
 俺のほうが薫のこと色々知ってるのに。
 3人の中で結局一番俺が・・・ダメヤローって事なのかな。
「くそっ」
 翔はぼやけた視界に苛立って、手の甲でグイっと目をこする。
 ―――――ん?あ・・・れ。・・・・・・あっ
「やぁ〜っぱりおったな」
「柴崎さん」
 バフ!!と鳴いてマメが走ってきて、翔はよしよしと頭を撫でた。
「先週のあの感じやと、今週もおるかなぁって思ってな」
 そう言って笑う真吾は、用意していたらしい缶紅茶を差し出した。受け取ってみれば、手の先からその温かさが伝わる。
「すいません」
 そういえば、前もこういうことあったな。
 っていうか、柴崎さんのこと薫には言ってなかったな。
 ―――――俺も秘密、あんじゃん・・・
「―――――悩みは解決せず、か?」
「解決どころか」
 泥沼。
「どうしたんか、話てみーへん?」
 真吾は翔の隣に腰を掛けた。その人の温もりにほっとする。
「どこから話したらいいのか」
 翔はうつむいた。カコっと缶を開けて一口飲むと、体の中にじんわりと甘さが広がった。
 穏やかに風が通り抜け、どこかでクラクションの音が鳴っていた。
 翔はゆっくりと口を開いた。
「俺・・・普段友達と3人でいることが多くて」
「うん」
「なんか、照れるけど親友だと思ってたんですよね」
「へーいいやん」
「でも、一人の秘密をもう一人は知ってて相談とか乗ってたみたいだけど、俺だけ知らなくて――――のけ者っていうか」
「うん」
「俺とその秘密があったヤツは幼馴染なのに。俺だけ知らなくて。高校からの付き合いのもう一人が知ってたっていうのが、なんか納得いかないっていうか。事情としては、その秘密が俺に言いにくいことっていうのはわかったんですけど。でも、なんかなんでっていうか」
「・・・そうか」
「はい―――――言って欲しかったっていうか。出来ればこっちが気づく前に、向こうから・・・って」
 柴崎の手が翔の頭をくしゃっと撫でる。その手つきがとても優しくて、遠い空の下の兄を思い出させた。
 ――――――俺が知ったことを兄さんは知ってるんだろうか。
 もし喧嘩してると知れば、きっととても気にするだろう。心配しているかもしれない。
「本当は、わかってるんです」
 わかってる。
「くだらない、ヤキモチですよね。俺なんか1番バカだし、取り柄無いし期待ゼロだし、しょうがない・・・痛っ」
 ポカっと頭を叩かれた。
「あほ。しょうもない事言いな。翔はメッチャ良い子やん」
「そんなのみんなだし」
「違うで。翔は逃げんと悩んでる、友達のこと大切やからや。一生懸命思ってるからやん。それはみんなが出来ることちゃう。勉強できてもアホはおる。けどなそうやって悩める翔はアホちゃうし、取り柄ゼロやない。大切な事は勉強とかじゃないねんで。この年なったらな、わかるわ。翔はほんまにエエ子や。それがなどれだけ大切なことか」
 柴崎の、慈愛に満ちた瞳とぶつかって、翔の目に涙が溜まる。
「男の子やもん。プライドあるわな」
「・・・っ」
 翔はコクンと頷いた。
 欲しかった言葉がストンと胸の中に落ちてきて、その言葉で胸につかえていたものが、少しずつ溶けていく気がした。
 わかってくれる人がいてくれる、それだけで。
 だから。
「俺」
 その時、翔の足元で座っていたマメが突然立ち上がってバフ!!とまた鳴いて、走りだした。
「マメ!?」
 リールを話していた柴崎が慌てたように立ち上がる。
「おい、どこへ――――――って・・・あれ、綾ちゃん!?」
 マメが駆け出した方向を向くと、なんとそこには綾乃の姿が。
 マメが綾乃の足元を駆け回っている。
「綾乃・・・」
 翔の声が、ぽつりと響く。
「え?なんや翔、綾ちゃんと知り合いなんや?」
「柴崎さんこそ・・・」
 少し青ざめて見える綾乃が、ゆっくり近づいてきた。












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