冬の空の下で 9
「つーか、・・・なんでここに?」 緊迫した空気にいつもと違うもの感じたのか、マメが綾乃と翔に視線を送るように首を巡らしてから、くぅーんと鳴いて座り込んだ。 「翔の家、行ったんだ。話がしたくて」 もう一歩綾乃が翔の方へ足を進めた。ぎゅっと握り締めている手の強さが、見て取れる。 「そしたら翔、ちょうど出かけるところで。――――――それで・・・」 「つけてきたのか?」 「ごめん・・・でも、ちょっと見失って」 綾乃のパンツの膝辺りが汚れているのが翔の目に入った。もしかしたら、ころんだのかもしれないと思う。自分を探して走ったのかもしれない。 「なるほど。そっか」 「あの・・・っ」 「俺も――――そうすれば良かったな。兄貴の後、つければ良かった」 言葉が考えるより先に吐き出されてしまった。まだ心の整理がうまく出来なくて。 「そんな事」 「綾ちゃん、座りーさ」 柴崎がにこりと笑ってベンチに招く。 「綾ちゃんの分、なんか買ーてくるわ」 手に持った缶を見せながら柴崎が言うのに、綾乃は首と手を両方振った。 「あ、いえ、大丈夫、です」 「っていうか、柴崎さんと綾乃、知り合いだったんだ?」 「あ、うん。あの、僕が家出――――した時、偶然。で、何日か居候させてもらってたっていうか」 「そうなん、だ?」 翔が驚いた顔で、綾乃と柴崎を見比べると、柴崎は肯定するように頷いた。 「ふーん」 翔の胸の中が嫌な音をたてた。色で言えば、黒。 「翔は、なんで?」 「――――」 何故か言いたくなくて、黙ってしまう。 「翔が中学の時かな、公園で偶然。綾ちゃん時と似てるわ」 「そうなんですか?翔も、なんかあったんだ?」 「俺になんかあったら悪い?」 「翔っ」 つい拗ねたようなことを言ってしまい、翔はフイっと横を向いた。格好悪いっていうか、自分でも自分が嫌だと思うのに、体の中に溜まったもやもやを全部出さないとしょうがないというか、出してしまいたい。 自分の中だけで、うまく片付けられなくて。 自分の吐き出す言葉に綾乃が傷ついているのがわかるのに、止められない。 自分も、傷つけているのに。 「翔が怒ってるの、わかってる。本当にごめん」 綾乃が、頭を下げる。 「止めろよ!」 「でもね、2人は本当に――――っ、・・・ねぇ?お願い。薫の話聞いてあげて。薫凄い、しんどそうで。薫、翔には認めてもらいたいって思ってて、だからずっと悩んでたんだ」 「――――っ」 そんな事、言われなくてもわかる。わかってる。 ただ俺は。 「翔―――――そんなに、ヤ?薫と先輩の事」 なんだよ。お前だけが、味方なのか―――――!? 「・・・なんで?」 「え?」 「なんで薫が来ねーんだよ。なんで綾乃なんだよっ」 「それは・・・っ」 「俺だってわかってるよ。でも、お前に俺の気持ちがわかんのかよっ。自分だけのけ者にされた気持ちが」 「それはっ」 腹の底がカッとなった。 「綾乃は、2人の良き理解者ってわけだ?綾乃だけが!?」 「今日は僕が勝手に来たから」 ふるふると綾乃が首を横に振る。 「薫も兄貴も綾乃にだけは話してたんだろ!?俺だけが知らなかったんだからな!だから、俺は――――――っ」 「翔!」 黙って聞いていた柴崎が2人の間に割って入った。 けれど、翔は火が付いた気持ちを抑えられなかった。 「ムカツクんだよ!!」 言葉の刃が綾乃を突き刺して、立ちすくんだ。その言葉は、綾乃の忘れようとしている過去をゆっくりと引きずり出していく。 「なんでお前だけが知ってんだよ。なんで俺じゃねーんだよ!!俺だって、ずっと親友だと思ってたんだ。ずっと、小学校の時からの付き合いなんだぞ!!」 一度口について出た言葉は、もう翔は止められなかった。 それが子供じみた気持ちだとわかっていたけれど。 悔しかった。 悔しくて悔しくて悔しくて、悔しくて。 友人は多かったけれど、親友だと思っていたのは薫だけだった。その間に綾乃が入って来ても、3人で同等で何もかもを分かち合えると思っていた。 秘密なんか無いと思ってた。 3人で親友だと思ってたのに。 「綾乃がいなきゃ―――――――――っ」 俺が。 俺が最初に。 「翔!!」 真吾の声に、翔はハッと綾乃を見た。 「・・・ごめん、なさい」 顔色が真っ白になった綾乃に、俺は何を言った?今―――――――― 違う。 こんな事言いたかったわけじゃなかった。ただ、悔しかっただけ。 「綾乃、ごめっ、俺、あ」 言ってもらえなかった自分に。 頭の悪い自分に。 気づかない自分に。 置いていかれる自分に。 今頃気づいて焦ってみても順位は伸びなくて、気づけばもうすぐバラバラになっていく時期が迫っていた。 おいていかれる不安。 進路も、夢も強く持てなくて。 先の見えなさに。 そんな時、薫と兄貴の事を知って。 俺だけが知らなかったのを知って。 それで。 俺は。 「ごめんね、翔」 「違う、――――今の、無し!!」 慌てた言葉は、綾乃の無理やりの笑顔にかき消された。 「僕が、翔の事、傷つけちゃったんだね。ごめん、わかってなくて」 綾乃の足が一歩後ろを下がる。 傷つけたかった、自分が傷つけられた分だけ。でも、それがなんて馬鹿な事だったのか。どうしてこの顔を見るまでそのことに気づけなかったんだろう。 自分の汚さに、気づいた。 そうか、と思う。最低だと。 「綾乃」 踵を返して逃げ出そうとした綾乃の腕を柴崎が素早く掴んだ。 「あっ」 「アカン」 柴崎は言葉とともに、手を上げた。 バシン!!と乾いた音が公園に響く 「――――っ」 「あ・・・」 柴崎が翔の頬を叩いたのだ。柴崎の顔は、綾乃も翔もいまだに見た事の無いくらいの厳しいものだった。 「このまま別れたら、ほんまにそれでお終いやで?それでええんか?」 静かな柴崎の声だった。 「翔、ごめん。僕が悪いのにっ」 涙声で綾乃はそう言うと持っていたハンカチを出して、水場を探した。ハンカチを濡らそうと思ったのだろう。 駆けていく。 「自分の事傷つけたらあかん」 その場にへたり込んだ翔にあわせるように柴崎もしゃがみこんで、翔の顔を覗き込んだ。 「痛いやろ?ここ」 そう言われて、心臓をとんとんってされた。 否定は、出来ない。 「あほやな、ほんまに」 言葉とは裏腹に、優しく響く声に翔の目からぽろぽろと涙がこぼれた。 本当に本当にバカだ。 「あの、これ」 「ありがとう」 柴崎は綾乃からハンカチを受け取って、翔の頬にあてた。 「綾乃、本当にごめん」 「ううん、翔が謝ること無い。僕こそ、ごめん、気づかなくて」 「違う。俺、綾乃の嫉妬したんだ。それに、最低だけど、綾乃と初めて仲良くなった頃、守ってやらなきゃって思ってた。心のどこかで不幸な生い立ちなんだからって同情してた。でも強くなってよかったって本当に本当に思ってたんだ」 「うん」 「でも置いて行かれるのは俺のほうなのかなって思ったら、急に焦って不安になって、嫉妬して、そんな時薫の事知って、悔しくて。気持ちの整理つけれなくて」 涙で綾乃の顔が少しかすんで見える。 「拗ねて、ひねて。嫌いなヤツらとつるんで疲れて、しんどくなって、落ち込んで」 言葉にしたら、こんなに簡単に吐き出された。 「なぁ俺のこと、許してくれる?」 「そんな事!!謝るの僕の方だし」 「違うって」 「ううん。僕・・・鈍感じゃないほうだと思ってたのに、本当ごめん」 「だからっ」 「なぁ、お腹減らへん?」 柴崎の気の抜けた声で言われた翔と綾乃は一瞬言葉を無くしたのか、きょとんと柴崎を見つめ返した。 「今日子に、おやつ買って来るわぁ〜って言うて家出てきてん。買うて帰らなあかんし、みんなでお茶しようや、家で。な?」 柴崎はそう言うと、翔を立たせて。 「綾ちゃん、マメのリード持てる?」 「あ、はい。あ、でも」 柴崎は綾乃の言葉を聞き流して、立ち尽くしていた綾乃の手にマメのリードを握らせる。マメは、やっと動ける事ほっとしたのか嬉しそうにバフバフっと吼えた。 「ほな、行くで」 とんっと背中を押されて二人は歩き出した。顔を合わせられなくて、ぎこちなく前を向いたままに。 おやつは、公園と家の間にあるおばあちゃんがやってるお饅頭屋さんで、みたらしを10本買った。 何も言えなかった。 綾乃は泣いてないのに、翔は涙がこぼれるのを我慢することが出来なかった。 後悔だけが後から後から沸いて来て。 「ただいまぁ〜」 「バウゥ〜」 真吾の明るい声とマメの陽気な鳴き声が玄関に響く。 「遅かったな。――――なんだ、えらく大人数になってるな」 今日子は増えた二人を見て笑った。 「上がっといて。俺はマメを繋いでくるから」 真吾はそう言うと庭に回っていく。綾乃と翔は今日子に付いて廊下を入り、リビングへと通された。いわゆる、今風の和室となっているリビングは床暖のフローリングに掘りごたつ、高い天井が、開放感を作り出していた。 「今お茶を入れるから」 「あ、手伝います」 「ああ、いいよ。4人分いれるだけだから。寛いでなさい」 「あ、じゃあトイレ借りてもいいですか?」 「ああ」 綾乃は見知った家なのでトイレに向って廊下の奥へと進んでいく。一方初めて来た翔は、物珍しく顔を上げたけれど、いつもの様にキョロキョロと見渡したり、炬燵を抜け出して縁側から見える庭を覗いてみたりするような、元来持ち合わせている好奇心はなりを顰め。 ただじっと机を見ていると、今日子が茶を4つ持ってやってきた。 「あ、・・・すいません」 「いや」 目が赤く腫れているのに今日子は何も言わなかった。 「お待たせ〜」 「あ、ごめんなさい」 今日子と翔が茶を配っていると真吾と綾乃が戻って来た。 途端に翔はそわそわろ落ち着きを無くして、あさっての方向を向く。綾乃は翔の隣には座れなくて、斜め向かいに座った。微妙に視線が合わない場所。 机の上には茶と、二本づつ出されたみたらし。 「ごめんなぁ。餡餅売り切れて」 「かまわないよ。みたらしも好きだ。―――いただきます」 今日子はそう言うとみたらしに手を伸ばした。 「綾ちゃんも翔も食べや?美味しいで」 「・・・ますっ」 「いただきます」 口に入れたみたらしは、餅がモチモチしていて、少し漕げたところが香ばしくて甘すぎないたれがしつこくなく、なんとも美味しかった。 「美味しいやろ?」 「・・・うん」 「ところで、聞きたいのだが、どういう経緯でこうなったんだ?」 今更だが、今日子は3人と一匹で帰ることになった経緯を知らない。 「ああ。公園で翔と会って話してたら綾ちゃんが来てな。知り合いってことが分かってビックリ。で、家でお茶でもしよかぁってなってん」 柴崎はだいぶはしょった大雑把にもほどがある説明をするが、今日子はそれで納得したらしい。 「そうか。知り合いだったのか。――――世間は広いようで狭いな」 「な!」 「こないだ、ちょうど話をしていたんだ。二人を合わせたら友達になれるんじゃないかって」 え、っと二人が今日子を見る。 「ところが既に友達だったとはね。――――しかしまぁ、私が言うのもなんだが、二人とも見知らぬ人にはやたらついていったらダメだぞ。中には悪い人もいるからな」 今日子がいたづらっぽい顔で笑って言う。 「それ、今日子さんが言っても・・・」 「ホント」 「でも俺は逃げ足速いけど、綾乃は本気で危ないぞ」 「うっ・・・」 翔の本気らしい言葉に綾乃は思わず言葉に詰まる。ひどい言われようだと思うけれど、反論しづらくて、思わずじとっと翔を見てしまうと翔がニヤっと笑う。 「――――なんだ、仲良いんだな」 「えっ!!あ・・・う――――っ」 二人が思わず顔を赤らめて、そっぽを向いた。 そんな二人にほっとした様な表情を浮かべた真吾は肩をピクっとさせたかと思うと、場の空気もまったく無視して、 「あ、俺、ちょっとトイレ」 それだけ言うとさっさと立ち上がって廊下の奥へと消えていった。 |