哀しい笑顔が切なくて -譲side- 2 



「確かに、俺は譲のことあんまし知らへん」
 腕を掴かんで逃げられないようにして、東城和弘は俯いた僕の顔を無理矢理覗き込んできた。その顔が、僕のよく知る、穏やかな顔だったことに僕はホッとする。
「俺が譲に興味を持ったんは、最初は泣き声やった」
「・・・泣き、声?」
「うん。夜、仕事から帰って風呂入って、冷蔵庫から缶ビールを出して、座り込みながらテレビのリモコンを探していたら、聞こえてきてん。声を必死で殺そうとしているのに出来なくて、苦しそうな嗚咽交じりの泣き声が」
「・・・・・・」
「俺は耳を澄ませて聞いた。途中気になってんけど、顔も知らへん相手にいきなり壁越しに声を掛けるんも躊躇われて。でも、テレビを付けて声を消してしまうには、苦しそう過ぎて出来へんかった。泣き声の主が泣きつかれて眠るまで、俺はじっとその声を聞いてたんや」
 東城和弘は、膝をついて、優しく僕の腰に腕を回して抱き寄せた。下から見上げられる視線は、穏やかで。その顔は僕を宥めるように優しく笑っていた。
「そんな事が、2、3回あって。そうしたらもうどうしても顔が見たなった。でも、譲は学校やし、俺は昼に起きて出かけて、帰ってくるんは夜中に近いしで、なかなか顔が見れへんかった。初めて見たんは、俺が休日にコンビにから帰ってきた時。譲がちょうど洗濯物を干してたんや」
「・・・・・・」
「お隣さんが高校生で、びっくりした。しかも、一人暮らし。俺の興味は益々増した」
「うん」
「それから3度ほど、スーパーでも見かけた。そしたら見てるだけじゃぁ物足りひんくなって、声が聞きたなかった。そう思うとどうしてもその欲求には抗えへんくって、思い切って声かけた。それがあん時」
「うん」
 そんなの、全然知らなかった。隣に誰が住んでいるのかなんて、僕には興味もなくて。きっと、見ようともしていなかったから。
「で、しゃべってみたらもっと興味が沸いた。ピーマン嫌いなお子様な割には、包丁使いは俺より上で。しっかりしてる様にも見えた。でも、時々フって笑顔が消える時があって、それ時の顔があまりに寂しげで。――――抱きしめたいって思った」
 そうだっただろうか?僕はいつでもちゃんと、笑えているはずなのに。
「いつも、笑っててくれたらええのにって思って。あの時、俺の中で譲は気になる存在から、好きって存在に変わったんや」
 ・・・わかんない。好きって、そんなに簡単なこと?
 僕はやっぱりわかんなくて、唇をぎゅっと噛んだ。
「それだけやったら、あかん?」
「・・・わかんない」
 僕にはわかんない。
 父さんも、昔は母さんが好きだった。だから結婚した。母さんだって父さんが好きで、だから僕が生まれた。なのに、今は父さんは別の人が好きで、母さんも別の人が好き。
 だから、わかんない。だって、東城和弘だって、すぐに別の人を好きになるかもしれないじゃないか。
「何が、わからんの?」
 ちょっと困った様な東城和弘の声。そんな声、しないで。
「みんな。わかんない」
 それなのに、僕はそんな事しか言えない。だってわからないんだ。
 圭は、ずっと佐々木が好きなの?
 佐々木はずっと圭を好きなんだろうか?
 東城和弘は、ずっと僕を好き?
 僕は、ずっと圭を好きでいる?
 好きって、何?
 全然、わかんない。
「俺のことは、嫌いちゃうねんな?」
「・・・うん」
 嫌いじゃない。
「譲は失恋したて?」
「したてっていうか・・・、だいぶ前だと思う」
 前から、知っていたから。
「そっか・・・、―――――まあええわ!聞きたいことはいっぱいあるけど、今はもうええ」
「え?」
 いいって、どういう意味?
 僕はぎゅっと手を握り締めた。だってそれって、いらないって事・・・?
「とりあえず嫌われてへんことがわかったし。あれ以来避けられまくってたから、嫌われてんのやと思ってたからな」
「・・・」
 ああ・・・、うん。
「とりあえず、良かった」
 ドキって心臓がした。東城和弘が、にこーって笑ったから。笑顔が、びっくりするくらい可愛くて優しかったから。東城和弘といると、時々心臓が跳ねるのがしんどい。
「やばっ!俺は今日も仕事やねん。うわっ、こんな時間やん!!」
 東城和弘は我に返ったように時計を見て、慌てて立ち上がった。確かに、もう2時を過ぎている。いつもは2時前に家を出てるのに。
「譲、明日暇やんな?」
「え?」
 さっきまで見下ろしていた東城和弘の顔を、今度は見上げる。
「明日。23日は休日やから俺も休みやねん。どっか遊びに行こうや」
「え・・・」
「なっ!」
 笑顔で、両手で頬を挟まれて――――鼻の頭にキス、された。
「・・・、っ!?」
 我に返って真っ赤になって鼻を押さえた時には、東城和弘の身体は僕から離れて、玄関扉に手を掛けて半分体を外に出していた。
「明日昼ごろ迎えに来るから」
 それだけを一方的に告げると、身体を滑らすように外へ出て行ってしまった。僕がしばらく呆然としていると、隣の部屋の扉の鍵の閉まる音がして、足音が駆け足で遠のいて行った。
 僕はといえば、そのままずるずるとその場にへたり込んでしまった。
 足に、力が入らない。
 なんか、いっぺんに色んな事がありすぎて。頭が付いていかなくて、思考回路もパンクしてしまっているようだ。
 佐々木に告白して。
 東城和弘に、告白された。
 嫌いって言った。
 好きって言われた。
 なんなんだろう今日は。
 ・・・・・・・・・・・・ああもう、全然わかんない。





・・・・・





 コンコン。
 呆然と座り込んでいた僕の耳に、小さく遠慮がちに叩かれたノックの音が届いた。その叩き方だけで、東城和弘ではないとわかる。
 誰だろう?・・・・・・セールスとか、かな。
 それだったら面倒だし。っていうかそれしかないか。僕を訪ねにココへ来る人なんていないんだから。僕はそう思って無視を決めこもうと思ったら。
「あれ?」
 ――――え!?・・・この、声。
 コンコン。
「冬木?いーひん?」
 なんで、佐々木がここへ!?
 もう僕はその事実だけで、パニックな頭が真っ白になった。もしかして、圭も一緒で――――?って、まさかね。僕は自分の思いを即座に笑って否定してみて。
 今日はもう、本当に朝からなんて日なんだろう。
 僕はのろのろと立ち上がって。佐々木のために扉を開けた。
「あ・・・、よう」
 僕が扉を開けたら、意外だったのか佐々木はちょっと慌てたような、驚いた顔になった。
「佐々木・・・」
 やっぱり、佐々木。声は、聞き間違えじゃなかったけど。その姿は一人で、圭とは一緒じゃなかった。その事に、物凄くホッとして。少し残念に思っている、わけのわからない自分がいた。
「話したくて来てん。入ってもええ?」
「・・・どうぞ」
 話、か。話ってやっぱり昼間のことだろうな。なんか佐々木はいつもと変わらない明るい佐々木で。僕の言葉なんかじゃぁ少しのキズもつかないんだと思い知らされた。
 それとも、圭に全部打ち明けて、慰めてもらったりしたのだろうか。
 佐々木を招き入れて、椅子を引いて振り返ると、佐々木は物珍しいものでも見るようにきょろきょろしていた。
「びっくりした?」
 別世界なんだろうなぁ。
「どうぞ」
「さんきゅ」
 机を挟んで佐々木と向かい合う。けれど、なんとなく僕は正面を向いては座れなくて、少し身体をずらしてしまう。
 少しの間沈黙が流れたけれど、僕はもうどうとでもなれと、かなりやけっぱちな気分で黙っていた。すると、沈黙に耐えかねたのか、佐々木が口を開いた。
「ここで、一人暮らしやってんな」
「うん。ここ・・・・・・圭に聞いて来たんだ?」
「ああ」
「そっか・・・」
 そうだよね。佐々木が知るはずないし。ってことはやっぱり圭に今日までの事とか、話したんだろうな。まぁどうせ圭は全部知ってるんだから、今更なんだけど。
「あ!圭には何も言うてへんから!」
「え?」
 ・・・え?
「冬木と今日話したこと、嫌がらせとか冬木の気持ちとか。勝手に言うたりしてへんからな!!」
 嘘。圭に、言ってないんだ?なんで?
 言えばいいのに。言って、僕なんか徹底的に嫌われてしまえばいいんだ。
 ―――――嫌だけど。
「あ、でも。圭からは冬木ん家の事情とか、ちょっと聞いた。勝手に聞いて、ごめんな」
 そっか。知られちゃったんだ。
「――――ううん、別にいいよ。・・・、笑えるだろ?」
「え?」
「結婚して、不倫して揉めて、いがみ合って結局離婚して、それなのにまた再婚するんだ。・・・大人ってわかんない」
 ああ、僕は佐々木相手に何を言っているんだろう。でも、知っているならもう隠す必要もなくて。でも、東城和弘には言えなかった事。言いたかったのに。言ってしまいたかったのに、怖くて言えなかったんだ。
 だから佐々木に言っているんだろうか?佐々木に言ったってしょうがないのに。
「俺には、冬木が経験した辛い事とか、わからへん。俺は、確かに親とは今は離れて住んでるけど。でも、大事にされてるんはわかるし。親も仲いいし。今だって、一人ちゃうから」
「うん」
 そんな、申し訳なさそうな顔しなくてもいいのに。そういう優しいところが、むかつくのに。
「でも、・・・でも、俺でなんか力になれることあるんやったら、って、思うねん」
「・・・・・・」
「なんも、ないかもしれへんけど。でも、ちゃんと友達になりたいなぁって」
「嫌がらせされたのに?」
 優しいんじゃなくて、バカなのか?
「うん。それはまぁ、ムカついたけど。でももう、終わったことやん」
 佐々木はそう言って、屈託なく笑った。笑ったんだ。嫌がらせをしていた相手に向かって。そして、手を差しのべようとしている。それも、恩着せがましくもなく、ただ純粋に心配してくれて。
「寛大だね」
 完敗、だよね。
「冬木・・・」
「圭になんか言われたから?僕と仲良くしてとかなんとか」
「冬木!」
「図星?」
 ああもう、なんでこんな言葉しか僕の口からはいつも出ないんだろう。だから誰も僕を好きにはなってくれないのかも。
「いい加減にしろや!確かに圭はすっごい冬木のこと心配してたし、そういう事も言われたけど。でも、だからって俺はここに来たわけちゃう!俺が冬木とちゃんと話したいって思ったから来たんや!」
「・・・・・・」
 うん。わかってる。わかってるけど。そういうの、辛い時もあるんだよ。
 素直にはなれないから。
 自分がバカで、間違ってるってわかってても、今それを認めたら僕は僕でいられなくなるような気がするんだ。
 でも、こんな僕だから。
 圭は僕じゃなくて、佐々木を好きになっちゃったのかな。
「――――ごめん」
 なんで!?なんで、佐々木が・・・・・・・・・謝るんだよっ!!
「佐々木が謝ること、ないだろ」
「・・・でも、ごめんな」
「佐々木っ」
 僕はそれ以上の言葉を聞きたくなくて、思わず佐々木を睨みつけた。その佐々木は、ちょっと辛そうな顔をして、僕を見ていた。
 こんな佐々木の顔、初めて見たかも。いっつも何にも考えてないみたいに笑ってるのに。
「・・・圭の事も。ごめんな」
「っ」
 その言葉には、僕の身体がビクっと揺れた。










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