希望と想いと嫉妬と不安 1




 7月のくせに長引いた梅雨の所為か、どんよりとした空が覆う校舎でいつも通りのチャイムが鳴り響いた。そのチャイムが、どこかいつもより開放的に聞こえる気がするのは、鳴ってる音の所為じゃなくてきっと聞いてる生徒の心持ちに所為だろう。
 どんよりとした空をも突き抜けるくらいの楽しい気分に聞こえるのは、これが期末テスト最終日、最後の科目が終わった後だからに違いない。
「終わったぁーっ!!!」
 教室の中で数名がそう言って両手を上に伸ばして、たった今過ぎ去ったものを忘れようとしている。
「出来はどうだった?」
 それを許さない笑みを浮かべ、その言葉に恨みがましい瞳を向けたのは誰でもない翔で、声をかけたのは薫。
「終わった直後に聞くんじゃねーやっ」
「何言ってんの。誰が試験勉強に付き合ったんだっけ?」
「うう・・・」
 小姑の様に目を吊り上げて言う薫に翔は口をへの字に曲げて、瞳を泳がす。確かに、壊滅的にやばい状況だったテスト前。それをなんとか形にしたのは他でもない薫と、綾乃。
 その扱かれた過去も、テストと一緒に忘れてしまいたい翔。
「あ、綾乃!!お前・・・・・・」
 どうだった?と続くはずの言葉は、綾乃も成績いいんだった、聞くだけ損だという思考が追いつく方が早くて。
「ん?」
 何?と首を傾げる綾乃に口を半開きにしたままの翔は続きの言葉を見つけられなくて、結局はため息に変わった。
 そんな翔に薫はクスクスと笑いを漏らして。
「笑うんじゃねー」
「だって」
「けっ」
「翔?」
 目の前の会話がよくわからないと綾乃は瞳を忙しなくまばたきさせた。
「いや、試験も終わって夏休みだねって話」
「そう?」
 言葉を探せない翔に変わって薫が言うと、そんな感じじゃなかったよ?と綾乃が納得しない顔をして翔に視線を向ける。
 教室は、まだ先生が来ない合間にとテストの結果の話や夏休みの話があちこちで交わされているのか、ざわざわと騒がしい。
「そうだよ。もしテスト結果が悪かったら補習授業だからさ、仲間が欲しい翔は綾乃は!?って思ったけど、綾乃が補習組みのわけないなぁーって思いなおして一人落ち込み中なんだ」
「っ、まだ補習と決まったわけじゃねー!」
「翔そんなに出来なかったの!?」
「っ、だから!!」
「ははははー」
「薫てめぇっ!!」
 本当はちょっと心配な翔の心をさっくりと抉った薫は楽しそうに笑って、綾乃はありえるかもしれないと本当に心配そうに翔を見る。
 だってあんなに壊滅的だったんだもんね、とその綺麗な黒い瞳が語ってる。
 翔がこの場合どっちからつっこみ入れるべきか思わず迷って歯をぎりぎり言わせていると。
「樋口」
 ―――――あ・・・っ
「水口、に山田」
 途端にドキンとしてズキンと綾乃の心臓が痛んだ。わずかに顰めた眉は、彼らにはちょうど背を向ける格好だったから見えなかったけれど、翔にはばっちり見えた。
「テストどうだった?って樋口に聞くだけ野暮かぁー」
「さぁ、どうかな。ま、10位内に入りたいとは思うけど」
 横に立っていた薫がくるりとその身体を反転させて、水口に向かい合う格好になりながら僅かに綾乃を背に隠した。
「そんな謙遜すんなよー」
「そうだぜ。あ――――夏川は?」
「え!?」
 キタって思ってビクっとしてしまった瞬間、翔と目が合って。
「夏川も結構成績いいじゃん」
「ほんと。うらやましーよ」
 翔が物凄く物凄くものすごーく怒ってるのがわかって、綾乃の肩から力が抜けた。だって翔、怒りすぎだしホント。
 その顔、おもしろいよ?
「んー僕は50位内に入れたらいいなぁってくらいだし」
 だからちゃんと振り返って、笑って言えた。
「そんな事言って中間も12番だったじゃん」
「・・・よく知ってるね」
 ちょっとビックリ。
「まーな。つーか俺らさ、もっと夏川と―――」
「あのさっ!俺ら生徒会の話あるから」
 翔の声が、水口の言葉を最後まで言わさず掻き消した。ダン!と立ち上がりついでに机を叩いた音付きで。
「え―――」
「そうなんだ、悪いけど」
 それにちゃんと便乗する薫との連携は当然のことで。
 けれど彼らもちょっとムっとした様な顔でなかなか立ち去らない。
「言ってる事わかんねぇ?」
 ―――――翔・・・ってば。
 怒ってくれてる翔が嬉しくて、綾乃は不謹慎にも笑みを浮かべてしまうのを止められない。
「じゃあさっきの話の続きだけどさ」
 綾乃は翔のほうを向き直って、翔を座らせて自分もしゃがみこんで内緒話するみたいに顔を寄せた。
 それは、態度での拒否で。
 薫はそんな綾乃にちょっとうれしそうな笑みを浮かべて、二人に習って自分もしゃがみ込んだ。
「翔が補習になったら、夏休み勉強みるね」
 怒ってくれた翔に綾乃が囁くと。
「むかつく」
「なんでー」
「お前、俺が補習になるって疑いなく信じてるだろ」
「え、だってテスト全然出来なかったんでしょ?」
「違うわい。ちょっだけ自信ない部分もあるってだけで」
「いつもそういうじゃん」
「薫っ。おーまーえーなーっ」
「クスクス」
 全然まったくこれっぽちも生徒会に関係ない内緒話。でもコソコソしてればきっと彼らには会話までは聞こえないから平気。綾乃がそう思ってると、彼らは諦めたのかどうでもよくなったのか、そんな3人から遠ざかっていった。
 綾乃は、彼らのことを薫に話した少し後に翔にも話した。聞いてしまった会話と、ちょっと落ち込んだ気持ちを。
 そしたら翔、真っ赤になって怒って、すぐに水口達のところにダッシュして殴りにでも行きそうな勢いで。慌てて薫と2人で宥める側に回ってしまった。それはもう機関車突進って感じで怒ってて。
 そしたらもう、本当に落ち込んだ気持ちも嫌な思いもどうでも良くなって笑えてしまって嬉しくなって。
 綾乃は精神的な落ち込みからはすっかり吹っ切れていた。まぁ、話しかけられたりするのは苦手で、顔に出ちゃうけど。
「こら〜席に着けーっ」
 そこへ丁度担任がやってきてしまって、綾乃や薫は他の生徒同様わらわらと自分の席に戻っていってしまい。
 翔は何か言い返そうと必死で考えた努力は実を結ばずに終わってしまった。




・・・・・・




「・・・・・・暇」
 試験休み二日目の午後。綾乃は少々不健康に真昼間からベッドにごろごろしながら、暇を持て余していた。
 雪人は試験休みというものがなくて、まだ学校。雅人も当然仕事で、家には松岡と綾乃しかいない。
 お昼にぶっかけうどんを食べてお腹も気持ちも満足で、綾乃はうとうとと瞼を閉じた。1学期は色んな事があったなぁーなんて少し思い返しながら。
 ―――――そうだ。
 新学期早々、中田先生が来て、なんだか回りは心配してたりしてたけど、良い先生だったなぁ。お元気かなぁ。新しい赴任先とか聞いてたら暑中舞い出せたのになぁ。
 そういえば、あの1年生達はあれから何にも言ってこなくなったけど、どうしたんだろう。あんなキレかたしちゃって、もしかして評判ガタ落ちしちゃって興味失せたとかなのかなぁ。廊下で会った時も、思いっきり目を逸らされたし。
 ―――――はぁ・・・なんだったんだよ。
 まぁ、その方がいいからいいか。
 その後は――――そうそう、体育祭っ。騎馬戦楽しかったなぁ〜なんか結構相手の帽子取れたし。途中ちょっと落ちそうになって慌てたけど、大丈夫だったし。翔とおんなじくらい活躍出来るのなんてきっとこれくらいしかないかも。来年もしようかなぁ〜!!
 薫はなんか物凄い心配してたけど、心配しすぎなんだよねぇ。
 そうそう、雅人さんってばすっごく慌ててたよなぁー。"怪我ありませんか!?"ってちょっと青い顔してたもん。ほんと、心配性すぎなんだよ。男なんだし、怪我のひとつやふたつくらいねぇー。
 大体怪我って、騎馬戦じゃなくてそのあとのリレーで走り終わった後に足もつれて転んで膝とか擦りむいたし・・・格好悪い。
 まぁ、あの時も雅人さん慌ててたけど。
 うーん・・・楽しかったなぁー・・・1学期も色々あったけど。
 まぁ悪くなかったかなぁー・・・・・・
 うん。
 ―――コンコン。
 夏休みは・・・ん?
 ―――コンコン。
「綾乃様?」
「あ!?っ、はい!!」
 うたた寝の世界に片足をどっぷりつっこんで、もう一方さえも漬けかけていた綾乃は、松岡の声に慌てて飛び起きた。
 別に悪い事をしてたわけじゃないのに、どうしてこういう時って慌ててしまうのだろう。
「ごめんなさい」
 ベッドから転がるように降りて、綾乃は扉を開けながら言う。
「いえ――――小林様からお電話がかかってますが」
「小林?・・・あっコバケンから!?」
 コバケンといわれたところで、松岡はその呼び名を知っているわけがないので、ただ微笑を浮かべただけだった。
「なんだろ、すぐ出ます」
 携帯を持っている綾乃に、南條家に綾乃宛の電話が入る事はまず無いだろうと、子機を置いていないのだ。第一、松岡がいるときに綾乃が出るなんてことは、絶対に無いわけだし。
 綾乃はなんだろうかと、慌てて階下へと降りていった。
 松岡もその背中に、雪人に言うように"廊下を走っちゃいけません"とは言わず、ただ穏やかな笑みを浮かべるのみだった。












next    kirinohana    novels    top