希望と想いと嫉妬と不安 2




「暑い・・・」
 綾乃の口から無意識のうちのその言葉が漏れた。
 電話で急に呼び出された場所は、少し下町風情の残る駅。電車を一歩出れば、冷房の恩恵は一瞬で醒めてうんざりするような太陽の洗礼を受ける。
 その上、人ごみの熱気。
 ―――――サラリーマンの人ってスーツで大変そう・・・
 横目で見とめた汗だくのサラリーマンをそんな風に思いながら、綾乃は改札を出た。
「ああ、あれか・・・」
 "改札出たら目の前にマックあるからそこで待ってる"
 確かに目の前にあるマックは間違いようも無く、綾乃はとりあえず自動ドアをくぐって2階に上がった。
 ―――――えーっと・・・
「おう!!ここ、ここ」
「あ、お待たせ」
 綾乃が店内をぐるりと見渡す前に、相手のコバケンが綾乃を見つけて手を上げた。目の前には、どうやら綾乃が来るまでに食べたらしい、ハンバーガーの包み紙が丸まっている。
 綾乃は前の席に鞄を下ろして財布を手に取った。
「ちょっと待ってて」
「おう」
 店内は思いのほか混んでも無くて、そのおかげか空調がほどよく効いていた。
 綾乃は1階に降りてコーラだけを頼んで、再び戻って来た。
「そんだけ?なんか食わないの?」
「お腹減ってないから」
 昼を食べて昼寝をしてただけでは、お腹が空き様が無いのだ。綾乃が曖昧な笑みを浮かべて椅子に腰を下ろすと、コバケンは不思議そうな顔をして頷いた。
 自分はまだ食べたり無い、というところなんだろうか。ポテトをむしゃむしゃやっている。
「悪かったな、急に」
「別にいいよ、暇だったし」
 ガシャっと氷の音をさせながらコーラを吸い上げる。
「でも、コバケン家ってここら辺だったっけ?」
 呼び出された場所に違和感があって問いかけると、やはりコバケンはそうじゃないと首を横に振った。
「チャリで20分くらい向こうなんだけどな」
「うん」
 一瞬コバケンの瞳が泳ぐ。どうやら何か、あるらしい。
 綾乃は再びコーラをすすって、コバケンが口を開くのを待った。その背後、どうやら子連れの人が入ってきたらしい、騒がしい声が聞こえた。
「・・・・・・あのさぁ」
「うん?」
「実はさぁ、ちょっと・・・頼みがあんだよ」
「頼み!?」
 コバケンが僕に?
 その疑問はストレートに顔に出たらしい、コバケンが苦笑を浮かべて頭を掻いた。
「実はさ、俺、空手やってんだよ」
「嘘!?」
「っ、なんだよ嘘って。間髪入れずに否定しやがった」
「え、だって。・・・本当?」
 だってなんか、そんな風には見えないのだからしょうがない。確かに、コバケンの身体自体は筋肉質で引き締まったものだとは思うけれど、強さとか厳格さとかそういうのは見えなくて。
 ―――――空手って、そういうイメージあるんだもん。
 姿勢正しく男っぽく、厳格なぁ・・・・・・もうちょっと硬派な。
「マジだよ。こんな事で嘘ついてどーすんだよ」
「ごめんごめん、だって」
 不貞腐れた横顔に綾乃は慌てて謝るのだが、それでもどうしても信じがたく思ってしまうのだ。それがわかるのか、コバケンは相変わらずぶーたれ顔だが、そうもしてられない。
「あぁ、いいよ。とりあえず俺は空手やってて、道場がこの近所なんだけどさ」
「へぇ。・・・あ、今その帰り?」
「まぁな。で、今って夏だろ?」
「うん」
「合宿があんだよ。3泊4日くらいなんだけどな」
「へぇ〜」
「あ、道場つっても本来は子供メインなのな」
「そうなんだ!?え、でも、コバケン・・・」
「俺は特別っつーか、付き合い長いし、子供の面倒とかも見てんだよ。教えたりさ。それで」
「へぇー凄い!!」
「ま、まーな」
 素直な綾乃の言葉に、ぶーたれ顔がちょっと赤くなった。
「そ、それでだっ。いつも子供20人くらいで、師範とコージさんと俺と、後かつての生徒でこういう合宿とかイベントごとのときとか手伝いに来てくれてた奴とが引率で行くんだけど」
「うん」
「そいつが今年どうしてもダメでさ」
「ダメって?」
「なんか夏いっぱいオーストラリア行くんだってさ。で、手伝えんと」
「・・・へぇー?」
 まいったよ、と肩を落とすコバケンは本当にほとほと困り果てたように見えた。
「でさぁ、しょうがないから他のやつらにも声かけたんだけど、浪人中だったり都合つかなかったりでさ」
「うん」
「困ってんだ」
「へぇー・・・、え?」
 なるほどねーって頷いていた綾乃に、コバケンの視線が。
「夏川、夏休み予定ある?」
「え、え!?」
 まっすぐ綾乃を捕らえて綾乃は驚いて慌てた。
「頼む!!!後生だから手伝ってくれ!!」
 一瞬身を引きそうになった綾乃の腕を、ガバっとコバケンが掴んで縋りついた。
「ちょっ、ちょっと待って!」
「もう頼めんのはお前しかいない」
「えぇ!?だって他に・・・っ」
「伊藤はそういうタイプじゃないし、薫もなぁ・・・だからさ、頼むっ」
「翔は!?」
「・・・アイツが引率とか出来るか?絶対一緒になって遊ぶに違いない」
「・・・」
 否定出来ない。
「そんなの意味ねーんだって。な?頼むーっ」
「って言われても」
 自分がそんなものに向くとも綾乃は思えず、おいそれと首を縦には振れない。
「お前なら絶対出来る。そういうタイプじゃん、面倒見とか良さそうだし」
 って、何を根拠に。
「ほら、体育祭のとき来てたー、雪人くん懐いてたじゃん」
 ―――――・・・確かに。
 コバケンの言葉に、子供と一緒にいるのは、嫌いじゃないかも、なんて思ってしまった。
 一緒にいるのは楽しくて。
「なー頼むよ。助けると思ってさ。子供たちもさー楽しみにしてんだよ」
 でも。
「で、でも、僕、その子達知らないし、よくわかんないし」
「そんなの」
「ひ、人見知りしちゃうし。やっぱり――――」
 自信無い。
「じゃあ今から行けばいいじゃん!」
「はぁ?」
 行く?どこに?
「道場すぐ近くだしさ、行ってみてダメって思ったら俺もこれ以上誘わねーし。とりあえず見るだけ、な?」
「・・・っ、でも・・・」
 コバケンの即決ぶりに、綾乃はうろたえた様に視線が泳ぐ。しかしコバケンの決意は固いのか切羽詰ってるのか、決まりとばかりにトレイを手にさっさと立ち上がった。
 ―――――どうしよ・・・・・・
 確かに子供は嫌いじゃない。可愛いと思うし。でもだからといって、いきなり知りもしない人達の間に入っていくなどと、綾乃には到底想像出来ない。
 心を閉ざす事はあっても、人に対して中々開けないのに。
「おい、行くぜ?」
「・・・ん」
「はーやーく!」
 行けないと言いたい。けれどここにきて、コバケンの顔を見て、行けないとは綾乃は言えなくて重い足取りでコバケンの後について立ち上がった。
 外に出れば、忘れていた熱気が襲ってきて。少しの歩みの間に、汗が出てくるのを止められなかった。
 ―――――あぁーあ、なんで出て来ちゃったんだろ・・・
 綾乃は炎天下の下歩きながらコバケンの呼び出しに応じて出て来た自分の行動を後悔しだしていた。
 ―――――気が重い・・・
 はぁ・・・と小さくため息をついた綾乃は無意識で、それを横目にコバケンが少し困った顔をしていたのには綾乃は気づかなかった。
 根っから明るく物怖じしない性格のコバケンと綾乃はある意味対極にいたのかもしれない。
「夏川、こっち」
 真っ直ぐ進みそうな綾乃に、コバケンはわき道を指差して曲がる。
 そうするとまた道はぐっと下町風情の、家々がごちゃっと立ち並ぶ景色になっていく。
 ―――――へぇ・・・なんか。
 その少し見覚えのある様な気がする景色に綾乃は目を奪われた。
 ―――――なんだろう・・・、なんか切なくて懐かしい感じ。
 ぎゅっと胸が苦しくなるような切なくなるような、悲しくなるようなよくわからない感情が綾乃の心に流れ込んできた。そのスピードに少しついていけないくらいに。
 昔、父と暮らした町に少し空気が似てる事にまでは、記憶を辿っている時間が少なすぎて気づかない。
「夏川?」
「・・・へ?」
「そんな珍しいか?下町」
「あ、いや。そういうんじゃないんだけど・・・ごめん」
 よほどきょろきょろしていたのか、コバケンの呆れたような驚いた様な声に綾乃は慌てて首を横に振る。
 その耳が、恥ずかしさに少し赤く染まった。
「いいけど。あ、こっち」
「うん」
 さらに角を曲がった、すぐ。
「あ」
「うん、ここ。俺の通ってる道場」
 それは、綾乃が想像するよりもずっとちゃんとした道場だった。
 その景色はちょっとしたものだった。その日本家屋っぽい建てには歴史をも感じさせたし、立派な石垣もまた威厳を放つ気がする。そのわりには看板が少し遠慮がちな気もしたが。
 それでも綾乃にとっては、気持ちをくじけさせて気後れさせるに十分な効力を持っていた。
 そんな綾乃を横目に、コバケンは慣れた様子で門を開けた。









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