希望と想いと嫉妬と不安 13




「このまま出ます」
 雅人はそういうと、終業式終了とともに後にした体育館から真っ直ぐに門のほうへと向かう。その行為に久保が驚きを顔に表した。
「雅人様?」
 若干の批判をこめて呼びかけた声を雅人はまるっきり聞こえていないふりをする。
「雅人様、そんなに次の予定は混んでいませんので、少しお部屋でお休みになれますが」
「次は内村さんとの会談でしたね?」
「はい。桔梗庵で」
「あの近くにホテルがりましたね。そこで休みましょう。部屋を取ってください」
 そう言いながらも雅人の足が止まる事は無い。
「雅人様っ」
「―――――綾乃は来ませんよ」
 校舎を出る、というところまで来てやっと雅人が止まった。
「え?」
「私が理事長室にいたところで、綾乃は来ない。あの子が学校で私に自分から近づいてくる事は無い」
 それならば、ここに留まっていたくは無かった。いれば、期待してしまう。理事長室の扉をノックして、綾乃が来てくれるんじゃないかと。
 そして、期待は裏切られる。
 そんな。
 そんな思いは今はしたくなかった。たぶん今は、耐えられそうにないから。
「・・・雅人様」
「あの子にとって」
 今だって本当は期待している。今にも駆けて、姿を現すんじゃないかと。
「私はなんなんでしょうね」
「雅人様っ!?」
 だから未練がましく立ち止まってみる。来るはずなど、無いのに。
「何もいらないのに。ただ傍にいてくれればそれでいいのに。ただ、一緒に歩いて欲しいだけなんです」
 雅人の瞳が、諦めたようにふっと靴先を見つめてから。
「それは」
 吹っ切るように雅人は待つ車を見た。
「私の我侭なのか?」
 ただ唯一、自分の意志で、自分の心からのわがままなのに。
 全てを与えられて、全てを決められた来た道。それを疑う事無く、期待通り歩いてきた。その事に不満は無い。自分は恵まれていると思う。だから何も自ずから望みを言わなかった雅人の。
 それはただ一つの、望んだ事なのに。
「行きましょう」
 雅人はそう言って、車の方へ足を向けた。
 その背中に、かかる声は無かった――――――――――――――






 その綾乃は――――終業式が終わって、ただ退場して行く雅人を見送るしか出来ないでいた。退場途中、やはり目が合う事は無かった。雅人は意識したように、前しか見なかったから。
 それが、雅人の拒絶のように映って。
 綾乃たち生徒会役員と、その他のクラス委員達は終業式の後片付けをして体育館を出たのはそれから1時間もしてからだった。
 ―――――もう、いないよね・・・
 本当は直後に追いかけて行きたかったけれど、出来なくて。きっともう理事長室にはいないだろうと思う。それに、本当は行く勇気も持てない。
 怖くて。
「――――」
 ―――――なんで、こんな事になっちゃったんだろう。
 綾乃は結論の出ない、答えの無いその問いを朝から何度も繰り替えし、それ以外考えられない頭を抱えて、ただ機械的に身体を動かして。
 人の流れにしたがって、整えられた体育館を出た。
 途端に吹いた風が、目に沁みた。
 夏休みを目の前に楽しそうにしゃべり合うほかの生徒を背中から見送って、綾乃の足は不意に止まる。
 生徒達がそんな綾乃に気づく事無く、次々と校舎の中に消えていく。
 誰も、綾乃には気づかない。
 ―――――もし・・・
 このまま消えてしまっても・・・・・・
「綾乃!」
「っ、」
「何してんだよ。行くぜ!」
「う、うん!」
 誰も気づかない、なんて事は無い。
 翔が振り返って、何してんだよって顔で笑って手を上げている。その声に高畑も振り返って歩みを止めた。
「ごめんっ」
 綾乃は慌てて渡り廊下を駆けて、翔たちに追いついた。その距離は、7メートルばかり。
 全然、遠くなんか無かった。
「風で目に何か入ったみたいで」
 遠くなんか無い。
「大丈夫か?」
 この7メートルを3倍くらいにしたら、理事長室までの距離だろうか?
「うん、もう平気」
 校舎に入ると、生徒はだいぶちりぢり解散になっていたけれど、先頭の方を歩いていた薫も階段を少し上がったところで足を止めて綾乃を見ていた。
「あのさ・・・」
「ん?」
「?」
 口から、勝手に言葉が出ていた。
「ちょっと先に行っててもらっていい?」
「どうした?」
 薫もいぶかしんだ顔になって、綾乃を見る。
「理事長室にちょっと用事」
「あ、やっぱ喧嘩した?」
「え?」
「やーなんかちょっと変な感じだったし」
「翔っ。・・・いいよ、行ってらっしゃい」
 翔の言葉をたしなめる薫も少し笑ってて、高畑もにやにやしている。どうやら皆、察するものがあったらしい。
 綾乃はその事に耳を赤く染めながらも、はっきり頷いて、今度は7メートルを3倍にしたくらいの距離を走り出した。
 会って、もう1度ちゃんと話をしよう。
 何を言っていいのか、まだよくわからないけど。でも、好きって気持ちを言いたい。一緒にいたいって気持ちをいいたい。
 ただ、顔が見たい。
 そう思って、辿りついた理事長室は。
 誰も、いなかった――――――――――
「・・・っか・・・」
 やっぱりもう、出ちゃったんだ。仕事。
 扉の向こうからは音一つしなくて、厚い立派な扉はまるでどんな来訪者も拒んでるように見えた。
 綾乃はしばらく、開きもしない扉の前でたたづんでいたけれど、こんな事をしていてもしかたがないと、やってきた勢いとは正反対にのろのろした足取りで歩き出した。
 生徒会室に行くために、階段を登る。
「――――あ・・・」
 俯いていた綾乃の視界に影がさして、ぼーっと顔を上げると。
 ―――――あ・・・、っと1年の・・・あー、名前なんて言ったっけ・・・
 そこには、新学期早々に綾乃に声をかけてきた1年生が友人らしい子といた。
「あの」
 なんの意識も無く掛けた声にその子は顔色をさっと変えて、逃げるように階段を駆け下りていった。それはもう、瞬く間の事で、ちょっと思考が鈍くなっている今の綾乃には到底付いていけるスピードでは無くて。
「え?」
 逃げられた、よね?と、首を傾げた時にはその姿の欠片さえも見られなくなっていた。
 ―――――なんだったんだろ・・・
 最初の自信に満ち溢れた、勝気な空気は一体どこへ行ってしまったのかまるで別人の様な態度に綾乃は面食らうしか無くて。
 よくわかんないな、と小さく呟いてから、薫たちの待つ生徒会室に向かった。












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