希望と想いと嫉妬と不安 14




「なんだか元気がありませんね?」
 道場の片隅で、暗雲を背負ってるようにしか見えない綾乃に誠一は声をかけた。
「夏川くん?」
「えっ、あ・・・あれ?雪人くん?」
 最初の声に気づかなくて、さらに近寄って呼ばれた声に雪人に呼ばれたのかとハッと顔を上げてみると、そこにいたはずの雪人がいなくて。
「雪人くんならあっちです」
「下田さん。え―――いつの間に?」
 誠一に指差された方を見てみると、一体いつの間にそうなったのだか、雪人がコバケンに空手の構え方を習っている。
 道場はいつの間にか休憩時間になっていたらしい。
 ―――――雪人くん、普段人見知りするのに・・・あ、そうか。
 そうだった、と綾乃は思い出す。あの2人、体育祭の時会ってたんだ。そういえば、結構気が合ってたかも。
 その時のことを綾乃はぼんやりと思い出してみる。でも、どうしても思考が集中出来ない。
「雪人くん、明るくていい子ですね」
「はい」
 雪人をいい風に言われて、綾乃は嬉しそうに笑う。
 その視線の先で、雪人がヤーと足を出してみたりして、コバケンがどうやら褒めているらしい。その周りに何人かの子供たちが集まっていた。
 楽しそうにしている姿がなんだか、嬉しい。
「で、夏川くんは何を思い悩んでいるんですか?」
「え?」
「さっきから心ここにあらずって感じですね」
「あ・・・」
 そうだっただろうか―――――いや、そうだっただろう間違いなく。
 綾乃は落としていた視線を上げて、再び雪人を見た。そこにまるで、雅人の面影を見ることが出来るとでも言うように。
 見えるはずなど、無いのに。
「私でよければ、いつでも相談に乗りますよ?」
「――――ありがとうございます」
 ―――――でも・・・
「でも、大丈夫です。これはきっと、僕が考えなきゃいけない事だから」
 そう。
 きっと自分で考えて、考え抜かなきゃいけないんだ。そうしないときっと、いつまでも帰って来てくれない。
「そうですか」
「はい。折角言ってくださったのに、すいません」
「いいえ。もし人に話を聞いて欲しくなったり、相談したくなったら私でよければいつでも聞きますから、それだけ憶えていてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
 綾乃は誠一の言葉に頭を下げた。
 こんな風に言ってくれているのに、きっと相談する事も話すこともできないんだろうと思うと、申し訳ない気持ちになる。
 けれど、雅人との事、家の事、そんな全部を誠一に話す事は綾乃には出来そうも無かった。
 そう思うと、知らず知らずため息がこぼれて綾乃は俯いてしまう。そこへ、雪人の相手を止め、子供同士に任せたコバケンがやってきた。
「よー」
 軽く手を上げたコバケンに綾乃も答える。
「雪人くんと遊んでくれてありがとう」
 コバケンと入れ違いに誠一が立ち上がって、子供たちのほうへと向かう。それを横目で見送りつつコバケンが腰を下ろした。
「いや。素直でいい子だなぁー。理事長の弟とは思えないね」
「そう?」
 コバケンの言いに綾乃がクスクス笑うと、コバケンがしみじみ頷いた。
「ああ。俺が思うところ、理事長は子供の頃から隙が無かったに違いない。それに可愛い系じゃなくてかっこいい系だろう、間違いなく」
「確かにね」
「それにあんな風にはならないな」
「ああ・・・」
 コバケンの言葉に雪人を見ると、女の子に話しかけられてなんだかもじもじしている。共学じゃないから女の子に慣れて無いんだろうか。
 そこへ男の子が来て、雪人はさらになんだかもじもじしている。
「なーんか、雪人って人なれしてないよな」
「え?」
 コバケンの言葉に綾乃が首を捻る。言っている意味が、よくわからなかったのだ。
「なんつーかなぁ・・・。うーん、たぶん夏川もそんなとこあるから、わかんないのかもな」
 コバケンはそう言うと、一人納得したように頷いたけれど、言われた綾乃がわからなかった。
「人見知りって事?」
「それもあるけど・・・うーん。そうじゃなくて、慣れてないんだよ・・・・・・悪い、言葉ではうまく言えそうに無いな」
 軽く肩を竦めたコバケンに綾乃はそれ以上の言葉が無くて。綾乃はそのまま雪人に視線を向けた。
 その雪人はやはり少し、会話に戸惑って見えた。
 ―――――もしかして、楽しくないのかな?
 綾乃は心配になって、傍に行こうかと腰を浮かせた。
「夏川?」
 それをコバケンが見咎める。
「あ、なんか困ってそうだし雪人くん」
「ばかか。これで夏川が行ったら意味ないじゃん」
「え?」
「庇ってやるのも大事だけど、そうしたらダメな時もあるだろう?」
 そういうコバケンを、綾乃はただ不思議そうに見つめた。そこには、何かを感じているコバケンと、わかっていな綾乃の差があった。
 それはたぶん、綾乃の所為では無いんだけれど。
 そんな綾乃にコバケンは、苦い笑みを浮かべて息を吐く。そして、小さな声で呟いた。
「・・・夏川もなぁー、本当はそうなんだよな」
「――――何が?」
 その呟きは、綾乃に聞こえてしまう。
 コバケンは、聞かせたかったのか、聞かせなくなかったのか。ほんの少し、困った顔をした。
「んー・・・、俺はさ、夏川のことダチだと思ってるぜ。そっちがそう思ってなくても」
「そんなことっ」
 無い、とはハッキリ綾乃は言い切れなかった。
 自分にとってコバケンは、どういう存在なんだろう?
「たぶん、薫とか翔はさ、言わないだろうけど――――俺も言っていいのかどうかわかんねーけど・・・」
 コバケンが、言いよどむように僅かに視線を泳がす。けれど、コバケンの性格上、"言う"ということに決めているのは間違い無い様だ。
 ただ、どう言っていいのか迷うのだろう。
「うん?」
「1年でさ、近づいてきたのいただろ?」
「っ、なんで・・・」
 その事、コバケンに話した記憶は無い。
「理事長、釘を刺したらしいよ。何したかとかまでは知らないけど―――――近寄ってこなくなっただろ?」
「うん」
「新学期の中田いたじゃん、臨時教師の」
「うん」
「地方の学校に飛ばされたんだって」
「・・・それも、雅人さんが?」
 驚きに目を見開く綾乃に、コバケンははっきりと頷いた。
「薫もさ、理事長も、夏川のこと守りたいってしてるの、すげーわかる。でもさ・・・俺はなんかそれって違うんじゃねーかなってちょっと思う。そんで、夏川も周りのそういうの、全然わかってねーみたいだし、それもどうかなって」
 浮かせていた腰が、ストンと床力なく落ちた。
「全然・・・」
 知らなかった。
「んで・・・」
 そんな事。
「酷いよ」
「それは違うだろ?」
「え?」
「夏川を守りたくてしてんだから、悪意があってしてるわけじゃないんだからさ」
 ―――――そうだけど・・・
「それに、気づかない夏川も悪いと俺は思うよ?」
「っ、・・・」
 コバケンの言葉が、綾乃の胸に刺さった。
 ―――――そう、なのだろうか?
 確かに自分はいつも、何も気づいていないのかもしれない。
 思い悩んだとき、いつも手を差し出してきてくれるのは薫からで、見ていてくれていることにも気づかない。心配も、大げさだってくらいで。
 雅人さんにしたって。
 もしかしたら。
 ずっと前からあんな風に思っていたのかもしれないのに、考えようとした事が無かった。考えてみようとした事が無かった。
 どう、思ってるかなんて。
 どんな事を考えてるか、なんて。
 いつも自分の事でいっぱいっぱいで。
 雅人さんがどんな風に思っているのか、雅人さんの立場になって考えた事無かった。
 好きって言われる言葉に安心して。
 雅人さんの気持ちになって考えた事無かったかもしれない。
 だから。
「僕が・・・」
 心配をさせていたのだろうか?

 その問は、誠一の号令に掻き消され、音としてコバケンにも、他の人にも届く事は無かった。






 帰りの車の中、綾乃はそっと雪人を見た。
「・・・楽しかった?」
「うん!!」
 綾乃の躊躇いがちな問いかけとは対照的に雪人の返事はすこぶる元気なものだった。
「そっか。良かったね」
「うんっ。あのね、やっちゃんがねっ」
「やっちゃん?」
「休憩のときしゃべってた、ちょっと背の大きい」
「ああ、うん」
 ―――――そういえば、話してた。確かコバケンが前、ヤスって呼んでた子だ。
「同い年なんだけど。空手漫画にハマって空手始めたんだって言ってて、僕がそれ知らないって言ったら、しょーがねーから貸してくれるんだって」
「そうなんだ」
「それにね、DSも持ってるんだって〜いいなぁ」
「でも雪人くん、PSP持ってるし」
「そーだけどさぁ」
 どうやら雪人はDSも欲しいらしい。唇を尖らした。確かのソフトとかも違うから、こっちがあればあっちも欲しくなるのだろう。
「友達と、貸し合ったりしないの?」
「・・・しない」
「そう・・・」
 ―――――そういえば雪人の口から友達の名前って出たことあったっけ?
 明るかった雪人の顔色が、なんとなく暗くなってしまった様な気がして気になって、綾乃はそっと雪人の手を握った。
 なんだろう。
 なんなんだろう。わからないけれど、雪人の顔随分昔の自分の顔と、何故かダブって見えた。
「じゃあヤスくんと、そんな風になれたらいいね」
 その言葉に雪人がパッと顔を上げた、それは、期待と願望と、諦めが滲んでいて。こんな子供がこんな顔をする事に綾乃は心を突かれた。
 もしかしたら自分は、何もわかっていなかったのかもしれない。
「合宿までにまた遊びに行こうね」
「うん!」

 綾乃は、雪人が何を期待しているのか、痛いほどにこの時わかった。












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