希望と想いと嫉妬と不安 5




"じゃあ僕は用事で一緒に行けないけど、くれぐれも気をつけてね"
 と、翔と道場へ見学に行くだけなのに、なんだか物凄く心配顔の薫と別れて、綾乃と翔は2人で道場へと向かった。
 ―――――だいたい、何を気をつけるんだろ?
 薫って時々わかんないな、と綾乃は内心で大きく首を捻りながら翔と電車に乗り、昨日降り立った駅に着いて。
「・・・たぶんこっち」
「たぶん?」
 不安気な翔の視線にさらに道に不安になりながらも、なんとか間違う事無く昨日の道場に辿りついた。
「ここ?」
「うん」
「へぇー結構立派」
「でしょ?僕もちょっと驚いた」
 翔は昨日の綾乃と同じ感想を口にして、ぐるりとその外観を眺め終わると、入ろうぜと綾乃を促す。
「う、うん」
 その時綾乃の脳裏に、孝次の事を話しておくべきだろうかと言う気持ちが過ぎったのだが、変な先入観が無いほうがいいかと結局口にせず、扉に手をかけた。
「こんにちはぁ」
「こんにちはっ」
 すると丁度稽古の時間だったらしく、子供たちの声が聞こえてきた。
 綾乃が入っていいものかどうか逡巡して玄関で立ち止まっていると、コバケンが顔を出した。
「翔っ!?なんでっ」
 そこに翔を見つけて、ゲっと言う顔をする。
「あ、僕が話したんだ・・・けど、まずかった?」
「いや、いいけど・・・」
 そういうコバケンの耳が少し赤くなっていて、もしかして少し照れてる?恥ずかしい?のかと綾乃は推察する。
「お前の勇姿、拝みに来たぜ」
「るせーっ」
「大体長い付き合いで空手してるなんか知らなかったし。――――入っていい?」
「ああ、どうぞ。今ちょうど基本稽古の手技やってるトコだから。静かにな」
「うん」
 綾乃と翔は頷いて、そっと中に上がりこんだ。
 そこには20人ほどの子供たちが、掛け声と共に手を前に繰り出していた。綾乃と翔は邪魔にならぬよう入り口付近の壁際にそっと座った。
 コバケンはそのまま孝次と並んで一番前に立ち、生徒達の手本となるように同じ動作を始めた。師範だけが、ぐるりと回った子供たちに声を掛ける。
 その乱れぬ動きと、掛け声しか響かぬ静寂に翔も綾乃も到底口を開く気にはなれず、一連の動作をじっと見ていた。
 室内には当然クーラーなどかかっていなくて、大きく開け放たれた窓から風が吹き込むのみで、汗がじとっと噴出してくる。その汗を飛ばしながら繰り出される拳、そして足。
 いつしか2人はじっとその動作を見入っていた。
「よし!!10分休憩」
「ありがとうございました!!」
 その声に、綾乃はハッと意識を戻した。すると目の前に影が差した。
「あ・・・」
「いらっしゃい。そちらはお友達ですか?」
「お邪魔してます。はい、同級生の翔です」
「朝比奈翔です。はじめまして。突然お邪魔してすみません」
 そういって、すっと頭を下げた仕草に綾乃が思わず驚いて目を開いた。だってそんな、そんな仕草をするなんて想像もしていなかった、薫ならまだしも。
「いえ、見学者はいつでも歓迎ですよ」
「ありがとうございます」
「あの、合宿の話をしたら翔も興味あるって言うので」
「そうなんですか?」
「はい。・・・単純に面白そうだなって感じなんですけど」
 綾乃は少し、唖然としたまま会話を聞いていた。
「それでかまいませんよ。ただ、基本はボランティアでお願いしてますので、旅費や食費を徴収したりはしませんが、バイト代なども一切出せないのですが、その事は健二からお聞きになってますか?」
「いえ、具体的には。でも手伝いって聞いてたのでバイト代とか貰うつもり最初から無いので」
「俺もです」
「そうですか。それで良ければ私はお2人とも歓迎ですよ」
「あ、あの。まだ行くと決めたわけではっ」
 なんだか話が決まってしまいそうな空気に綾乃は慌てて口を挟んだ。
「そうなの!?」
 それのコバケンが言葉を挟む。てっきり決めてかかっていたらしい。
「うん・・・、そのちょっと」
「――――もしかして、反対されてる?」
 コバケンが心配そうに眉を寄せるのに、綾乃は慌ててそうじゃないと首を横に振る。
「そうじゃないんだけど、実は雪人くんが一緒に行きたいって言ってて」
 なんだか薫のさっきの話を聞いたばかりだと、雪人を置いてまで合宿に参加する気に綾乃はなれないでいたのだ。
「雪人くんとは?」
 特にどこも行く予定の無い夏休みは、雪人にとってどういうものだろうかと思わないではいられない。
「あの―――親戚の子なんです。小学6年生の」
 親戚、と言っていいのかどうなのかかなり微妙ではあるのだが、それ以外の言葉を見つけられない。
「その子が一緒に参加したいと?」
「はい・・・」
 道場に通っているわけでもないのに、やはりダメだろうなぁと綾乃が窺うように誠一を見ると、誠一は軽く頷いて。
「かまいませんよ。折角の合宿ですから人は多いほうが楽しいでしょう。小学生なら少し空手に参加してもいいですしね」
「いいんですか!?」
「おいおい、そんな人数増やしてどうすんだよ。こっちは家族旅行じゃねーつーの」
「孝次」
「誰?」
 孝次に出現に翔がコソっと綾乃に聞く。
「吉見孝次さんって言って、コバケンと同じでお手伝いとかしてる人だって」
「へぇ〜・・・」
「いいじゃないですか。色んな人と触れ合う事は子供たちにとっても良い事ですよ」
「じゃあ決まりっすか!?」
 誠一の言葉に嬉しそうな声を上げたコバケンだが、孝次はどこか苦々しい顔をして綾乃たちの元を離れていった。
 その代わりに。
「お兄ちゃん、いらっしゃぁい!」
「こんにちは」
 昨日もいた子供たちが綾乃たちの周りに集まってきた。
 反対に昨日いなかったらしい子供は、誰だろう?という顔で見つめてくる。
「誰?」
「あのね、今度の合宿に一緒に行くお兄ちゃんたちだって」
「ふーん」
「夏川だ!!」
「こら、呼び捨てにしない」
 体の大きなやんちゃそうな男の子が綾乃を呼び捨てにするのを、誠一が怒る。やはり師範は怖いのか、男の子はウッと言葉に詰まらせる。
「えーっと君は・・・」
「大(マサル)。赤木大」
「大くんか、宜しくね」
 にっこり綾乃が笑って言うと、なぜか少し照れたよう黙ってしまう。それに別の子がからかいの声をかけた。
「あー大ちゃん照れてやんの」
「なんだとー!!」
「きゃぁー」
「こら!!」
 走り回りだした2人に今度は孝次が怒った声を出して、追いかけっこに参戦してしまう。どうやら怒っているよりも一緒に遊ぶ算段らしい。
「きゃぁー!!」
「ねぇねぇ、一緒に合宿行くの?」
 かなり騒騒しくなってきた喧騒をよそに、綾乃の前に座り込んだ女の子が綾乃の膝に手を置いて聞いてくる。
「行くんでしょ?」
 これは別の女の子。2人はどうも仲がいいらしい。
「そーだね、まだわからないけどたぶん・・・」
「俺も一緒だからねぇ」
 綾乃と翔がそう言うと2人はうれしそうにキャッキャと笑う。
「あ、もしそうなったら僕の親戚の子も一緒なんだ。小学6年生の子なんだけど。仲良くしてあげてね?」
「えー、その子もお兄ちゃんみたいに可愛いの!?」
「え・・・」
「ああ、可愛いぜ」
 女の子の質問に一瞬言葉を失った綾乃に代わり翔が面白そうに言うと、女の子2人は一層高い声を発した。
「さー休憩終了!!!整列!!」
 その声を引き金に存分に騒がしくなったところで、師範の声が道場に響き渡った。
 すると、たった今まで騒いでいた子供たちが一斉に静かになって自分の場所に戻っていく。その光景を綾乃は見つめながら、女の子ってよくわからない・・・と小さく呟いたのだった。










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