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僕は母を知らない。
気がついた時、母はいなかった。父しかいなかった。
父は、少し浮世離れした様な感じの人で、線が細くて、青白くて。
子供心に、大丈夫かな?って思うくらいの人だった。
父はよく、部屋の片隅でうづくまっていた。
部屋の窓から空を眺めていた。
僕は父が好きだった。
寂しそうに笑う顔。
苦しそうに笑う顔。
泣きそうに笑う顔。
空気に溶けて、消えてしまいそうで、僕はいつも不安で父の手を握りしめていた。
父の目に、僕は映っていなかったけど。
今なら分かる、父には母が全てだったって事。
母が、この世からいなくなった時、父も死んでしまったんだって事が。




あれは僕が小学校にあがる年だった。
少し前にランドセルを買ってもらって、凄くうれしくて、ピカピカのそれが凄くうれしくて。小学校ってどん なところなんだろう、毎日どんな事が待ってるんだろうって、わくわくしてた。小学校へ行ったら、勉強も いっぱいして、もっともっといい子になろうって思ってた。
父に、頭をなでてもらうのが好きだった。
僕がもっといい子になったら、きっといっぱいいっぱい頭をなでてくれる。にこにこ笑ってくれるに違いないと思っていた。
でも、僕のそんな思いは、叶わなかった。
父が、いなくなった。
僕が幼稚園から帰ったら、家に父がいなかった。
今、思うと、父は仕事もしてなかった。いつも家にいたから。
でも、その日はいなくて、僕の本能が、それの意味するところが分かった。
もう、父は帰ってこないと。
あの日の僕の絶望はきっと誰にもわからない。
あの日、僕の世界は崩れた。
何もなくなってしまった。
涙も、でなかった。
そんな余裕もないほど、僕は真っ白だった。
そして僕は一人ぼっちになった。
親戚は、僕を施設に入れるか、誰かが引き取るかって事で揉めた。
結局叔父が僕を引き取る事になった。叔父の家はベーカリーチェーンを経営しており、都内に店を何店も持ち経済的にゆとりがあるから、という理由で僕を押し付けられたのだ。
そして叔父はなにより世間体を気にする人だったので、引き取る余裕があるのに、引き取ろうとしない冷たい人と世間で言われるのを非常に嫌ったのだ。
当然、僕は叔父一家になじむ事はなかった。

あの日から、僕の心は止まったまま。



叔父さんの奥さんは綺麗な人だったけれど、僕の頭をなでてくれた事もほめてくれた事も、叱ってくれた事も、笑いかけてくれた事もなかった。叔父さんの家には僕より2つ歳下の男の子がいて、さらに次の年、女の子が生まれた。
僕は完璧な部外者でしかなかった。
そして、さらに僕を落ち込ませたのは、そこに普通の家庭があった事。僕が今まで一度も触れた事のない、ちゃんとした家庭がそこにあった。
その事実が僕をうちのめした。
僕は、それを見せ付けられた。
お父さんがいて。
お母さんがいて。
おかえりって言葉。
ただいまって言葉。
勉強しなさいって怒る声。
わかってるよって言い返す声。
兄弟喧嘩。
夫婦喧嘩。
親子喧嘩。
お誕生日おめでとう。
あけましておめでとう。
父の日。
母の日。
ありがとう。
大好き。
愛してる。
愛してる。




ああ!!そんなもの、僕に見せ付けないで―――――――

お願いだから。

分かりたくなんかなかった。

知りたくなんかなかったのに。

僕には家族はいない。

家庭がない。

僕には、それらを与えられることはない。

分からせないで。

僕と父さんが家族なんかじゃなかったって事。

愛されてなんかなかった事。

捨てられたんだって事。

知りたくなかった。

出来れば一生知りたくなかった。

どうして、僕は生きてるんだろう?

どうして、僕は生まれてきてしまったんだろう?

神様、神様は僕に何を望んでるの?

どうして欲しいの?



どうしたら、楽になれるの?

死ぬ、勇気もくれなくて、生きていくしかなくて。

それなのに

僕から、全てを取り上げて、

一体僕をどうしたいんですか?

どうしろって言うんですか?

どうしたら許してくれるんですか?

どうしたらいいの?


ねぇ、お願い。


誰か、



答えを、




教えて?








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