・・・3・・・  


 次の日、綾乃は寝坊することもなく雅人と直人を見送ることが出来た。
「無理して起きて来る事ねーのに。朝ゆっくり寝てられるんは学生の特権だぜ?」
「そうですよ。雪人を見習ってのんびりでいいですよ」
 雅人と直人はそう口々に告げながら、仕事へと出かけていった。直人も学生なのだが既に仕事にかかわっているらしかった。
 綾乃はそんな二人を松岡と並んで見送ったのだが、綾乃が今日は寝坊することがなかったのはもう一つ理由があった。それは今日が、クリスマス・イブだから。
 綾乃が嫌いな日の、一つだからだ。
 世間では、イルミネーションが街のそこら中を飾り立て、テレビでは、クリスマス商戦にかける意気込みも凄まじい店々のCM合戦が凄まじい。
 買い物をする家族。
 プレゼントを買う祖父母。
 アクセサリー店を一緒に訪れるカップル。
 パーティー風景、ディナー風景、デートスポット風景。
 高級ホテルのCM
 レストランのCM
 大手スーパーが丸焼きチキンを写せば、電器店は最新ゲームを写す。
 人気の子供服店がCMすれば、化粧品店がクリスマスキッドをCMする。
 そこら中が、クリスマス・イブという日を煽り立てる。
 しかし、綾乃にはなんの予定もなかった。まったく関係のない日だった。
 というよりも、叔父の家ではクリスマスパーティーがあって綾乃は邪魔者で家にいるわけにはいかない日だったから。どうして1日を潰すかを考えなければいけない日だった。ファミレスで夜まで時間を潰したり、ゲーセンの片隅でぼーっとしていたり、マクドで1杯のジュースだけで粘ったこともあった。
 けれど今年は違う。朝出かけに雅人も直人も遅くなると言っていたし、雪人も友達の家でパ−ティーだと話していた。
 今年もいつも通り一人っきりのクリスマスに違いはなかったのだが、それでも去年までのように心が冷え冷えするような気分にはならなかった。
 それだけでも綾乃は気分が良いのに、今朝雅人から小遣いももらったのだ。それと一緒に綾乃専用の通帳と引き落とすカードも。しかも中には30万もの大金が入っていた。お正月のお年玉も全て叔父に渡していた綾乃にとってそれは考えられない大金で、最初はこんなの困ると断ったのだが、いちいち渡すのも面倒だし何もすぐ使うわけじゃない。必要な時に必要な分だけ使えばいい、何かどうしても必要な時のために少し多めに入れてるだけだからと言われ、渋々受け取ったのだ。
 そして綾乃はどうしても書店に行きたくなって、今南條家から一番近い大型書店にきていた。
 誰も知らない事だけど、綾乃は結構読書が好きだった。
 昔から好きというか、休みの日に家にはいられず、かといって遊び歩くお金もなかった綾乃はいつも図書館に行って時間を潰す事がつねだった。そこで色んな本を読んでいるうちに、読書が大好きになったのだ。
 休みの日、本屋で立ち読みをして時間を潰す事もよくあった。ただ、それを買いたくてもいつも我慢した。余分なおこづかいはなかったからだ。クラスメイトが自分が読みたいマンガや本を持っているのがうらやましかった。
 けれど、今日はそれらを買う事が出来る。
 綾乃にとって、自分で使えるお金があるという事はうれしい事だった。昨日の事といい、この今朝の事といい、綾乃は少しずつではあるがここにいてもいいのかな、という気持ちになって来ていた。それは淡い期待感だろうか。
 叔父の家にいた頃にはありえない気持ちだった。
 それでも無駄使いは出来ない。何を買うか、時間をたっぷりかけて慎重に選び、綾乃は数冊のマンガと小説を購入した。
 高校受験用の、参考書とともに。
 高校へ進学するかどうか、綾乃の中でまだ結論は出ていなかった。
 ただ、行きたくないわけではない。
 いや、むしろ行きたかった。
 行けないと諦めてはいたけれど、高校を出ていないという事が今の社会でどれほど不利になるか、ハンデになるか綾乃だって知らないわけではない。
 それに、この3ヶ月後社会に出る事への不安もあった。
 もし、本当に行けるなら、と思う。本当に行ってもいいと言ってくれるなら。
 ただ、桐乃華は綾乃のレベルでは、ギリギリでもないが余裕で通るというレベルでもないのだ。どっちにするにしても、準備しておいて損はない。
 そう思って購入したのだが、それでも買うまでにはその問題集を手に取っ手は置き、置いては手に取るという行為を何回もくり返し、逡巡の果てにやっと思いきったのだ。
 綾乃は購入した本が早く読みたくて、早足で家路を急いだ
 それでも、思った以上に本屋い長くいたようで、綾乃が家に着いた時は夕方になっていた。
 ドアを開けたら、松岡が出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ただいま、松岡さん」
「おかえりー」
「え!あれ、雪人クン!?え、今日は友達の所でパーティーって言ってなかった?」
 松岡以外お出迎えの登場に、綾乃驚いてしまった。
「うん、してきたよー」
「え・・・」
 ――――して、きた?
「お目当ての本は見つかりましたか?」
「あ、はい」
「それは良かった。ではすぐに食事にしますが、いいですか?」
「はい。じゃぁ部屋にこれ、置いて来ます」
 綾乃は松岡の言葉に、慌てて本の袋をかざして見せて2階へ上がろうとする。
「すぐ、降りてくる?」
「・・・うん」
「じゃぁ、リビングで待ってるっ」
「うん」
 リビングで待ってるってなんだろうと思いながらも綾乃は返事をすると、急いで部屋に戻り買ったばかりの本を置いて、上着を脱いで階下に降りていった。待たせるという行為への純粋な恐怖心もあったし、てっきり夜まで遊んで帰ってくるものだと思いこんでいた綾乃は、雪人が家にいる事を想定していなくて、内心かなり慌ててしまっていた。
 ――――帰って来て、良かったのかな・・・?ひょっとして、ああは言っても家族で何かするつもりだったのかも・・・・
 そんな思いが浮かんできて、綾乃はさっきまでの気持ちが一瞬で沈んで不安になってしまった。
 ――――あんまり、浮かれない様にしなきゃ。下手な失敗しないで、気に入られるようにしてなきゃいけないのにっ
 綾乃は気を引き締めるように唇をぎゅっと強く噛んで、ドキドキしながら雪人のいるリビングのドアを開けた。
「あ、綾ちゃん。こっち、こっちに座って」
 リビングに入ると、雪人は嬉しそうに笑って綾乃に隣に座るように手招きし、綾乃は言われるままに雪人の横に座った。
「これ、綾ちゃんの分。帰ってきたばっかしで寒かったでしょう」
 そう言って雪人が差し出したのは、ホットミルクだった。
「あ、りがと・・・」
 綾乃は雪人の真意がよくわからなくてどきどきしながらカップを受け取った。手でカップを持つと、それはちょうどいいくらいの温度になっていて、飲むと体中にじんわりとあったかいのが広がった。甘さ加減も丁度良くて凄く美味しくて、緊張して少しこわばった体もほぐしてくれた。
「おいしぃ・・・」
 ――――ホットミルクなんて、久しぶりだ。
「ほんとー?」
「うん」
「へへ―」
 しみじみと言われる綾乃の言葉を聞いた雪人は、とってもうれしそうに笑った。
「なんか、うれしそうだね、雪人くん」
「うん!」
「なんかいいことあったの?」
「う−ん、、、内緒」
 へへへーと照れたように雪人が笑う。
「そうなの?」
「うんっ」
 笑顔ながら何も話してくれなさそうな雪人に、綾乃は少し違い話題を口にした。
「今日は友だちの所でパーティーじゃなかったの?てっきり帰ってくるのは夜かと思ってたよ」
「夜はダメだよ〜雅人兄様に夕方6時までにはちゃんと帰ってきなさいって言われてるし」
「そうなんだ」
「うん、前に、ちょこっと遅刻しただけなのに松岡が雅人兄様に言っちゃって、凄い怒られたんだよー」
 黙っててって言ったのに、、、とその時の事を思い出したのか雪人はぶつぶつ言っている。その様子がかわいくて、綾乃は思わず笑ってしまった。
「はは、雅人さん怒ったりするんだ。なんかそんな感じしないのに」
「ううん、普段はとっても優しいの、でも、怒ると、すごーーーい恐いよ」
「そうなんだ!気をつけなくっちゃ!」
「そうだよ!気をつけてね。・・・それに、夜はみんな、自分の家族とクリスマスするから、友達とはお昼間だけだよ」
 けらけら笑って話してた雪人の顔が、一瞬少し寂しそうに翳る。しかし、次の瞬間にはまた笑顔に戻って綾乃を見上げる。
「綾ちゃんあんまり帰ってこないから、今日予定あって帰ってこないのかなって思っちゃった。良かった、帰って来てくれて」
「え?うん、帰ってくるよ。僕も予定ないからね。てっきり今夜はひとりかと思ってたよ」
「じゃぁー僕がいて良かったね」
「うん、良かった」
 一生懸命笑っている雪人の顔に、寂しさと不安と少しの安堵が滲んで見えて、こんな子供がこんな顔をするなんて・・・と綾乃は自分の事を棚にあげて悲しい気持ちになった。
 ――――こんな風に強がって。
 綾乃にしても、誰かとクリスマスの夕食を一緒にするなんて事は何年も、いや10年以上もなかった事だった。だから、雪人の寂しさが綾乃にははっきりわかった。
 ――――・・・僕でもいれば、少しくらい役に立つかな
 本当の兄とは違うけれど、少しは寂しさを紛らわすことが出来るかもしれないと綾乃は思った。そうして、少しでもここで役に立てれば、追い出される事も嫌な顔されることも、冷たくされる事もないかもしれないと思ってしまう。そしてもしかしたら、気に入ってもらえるんじゃないだろうかなんて事も。
 ――――なんか・・・打算的なだこれ・・・
 綾乃が微妙な気持ちに揺れていると、その時ドアが開けられ松岡が呼びに来た。
「お待たせしました。お食事の御用意が出来ました」
「わぁーい」
 きっとお腹減らしていたのだろう、その声を聞いて雪人がうれしそうに飛び出して行く。その後ろで綾乃は空になったカップを持って立ち上がった。
「どうしました?」
「あの、これごちそうさまでした。カップはどうしたら?」
「そこへ置いておいてください、後で片付けますから」
「あ、はい。すいません」
「いいえ、そんな事気になさらなくていいんですよ。それより、おいしかったですか?」
「はい」
「それは良かった。では、雪人様は喜ばれたでしょう。それは雪人様が御用意されたものなんです。今、お気に入りの飲み物で」
 松岡が少しおかしそうに笑う。
「え!そうなんですか?」
「はい」
 ――――雪人くんが・・・、僕に・・・
 松岡の言葉に綾乃の瞳が不安と戸惑いで大きく揺れ動いているのが、松岡にははっきりわかった。
 人に優しくされた経験の乏しい綾乃には、こんな風な言葉をかけられた時、どうしていいのかわからないのだ。それに、戸惑いの方が大きいのだろうと松岡は思った。
「綾ちゃーん、松岡ぁ、まだ!?」
 先に食堂に入ったはいいが、綾乃も松岡もなかなか来ないので、雪人がダイニングから声をあげる。
「はは、雪人様はとてもお腹が空いていらっしゃる様ですね。さ、食事にしましょう。これ以上待たせたら大変です」
 松岡がくすくす笑いながら綾乃を手招きする。綾乃も少しホッとしたような笑顔を浮かべて、促されるままにダイニングに足を踏み入れた。
「・・・凄い」
 そこには数々のごちそうが並んでいたのだ。
「今日はイブですからね、これくらいは。でも明日はもっとごちそうですよ。雅人様も直人様も揃ってのクリスマスパーティーですからね」
「・・・そうなんですか?」
「はい」
 驚いて尋ねた言葉は、松岡のにこやかな笑みに肯定されて、綾乃の顔には困惑の色が広がっていった。
 ――――そこに、自分はいていいのだろうか?いない方がいいのだろうか?
 綾乃は頭の中を回転させて、必死で考えようとしていた。
 ――――明日が本格的なものだから、今日は2人でとりあえず祝っておいて、明日は席をはずしてくれってそういう事なんだろうか?僕は明日の事を何も聞かされてないという事は、やはりそう考えるべきなんだろうな・・・・・・
 そう考えると、なんだか泣きそうになった。ちょっと期待した自分がばかみたいに思え凄く惨めな気持ちになったのだ。
「それに今年は四人分になるのですから、もっともっと料理も並びますね。腕によりをかけさせていただきますよ」
「・・・え?4人?」
「うん、綾ちゃんの、えーっと・・・カンゲイカイ!も、一緒なんだよねー」
「はい。ですから何かお好きな食べ物とかあれば、リクエストしてください」
「・・・えっ」
 綾乃は、雪人と松岡の言葉に絶句して立ち尽くしてしまった。
 ―――歓迎会?僕の??それこそ、何も聞いていない・・・・・・・・・それ、ほんとの事?
 何がなんだか、自分の中で考えがまとまらない綾乃は、ただ呆然と松岡を見上げていた。
「もしかして、明日何か予定入ってますか?」
 顔色を変えて黙ってしまった綾乃の反応を、松岡はそう勘違いした。
「あ・・・っと」
「えー明日、綾ちゃんいないの!?」
 途端に雪人が泣きそうな声をあげる。
「そうなんですか?」
 ―――どうしよう、どっちって言うのがいいんだろ?
 今の松岡の問いが、綾乃が断わりやすように仕向けた物なのか、それとも本気で聞いた物なのか綾乃は真剣に悩んでいた。
 大人の本音と建て前をうまく使い分ける。それをちゃんと見分けて今までは対応してきた。失敗しないように出来ていたのに。ここではそれがわからない。うまく見分けられないのだ。
「そ、いうわけじゃない・・・けど」
 綾乃は自分の喉がからからになっていくのが、わかった。
「良かったぁーじゃぁ一緒にケーキ食べれるよね!?」
「え・・・けーき?」
「ええ、明日が本番なので、今日はクリスマスケーキはないんですよ。明日用意するんです」
「そうなの−」
「・・・」
 綾乃は答える事が出来なかった。ほとんど泣きそうだった。もうパニック状態になってて、どう答える事が、雪人を、松岡を満足させられるのかが分からなかったのだ。
 そんな事、叔父の家ではなかった事だったのに。いつも、答えは簡単だったのに。
「とりあえず、御飯にしましょう。せっかくの料理が冷めてしまいますよ」
 はっきり様子が変わって青ざめている綾乃を、松岡はとりあえず食事の席につかせた。ここで問いただすべきではないと思ったし、またそれは自分の役目ではない事もわかっていたからだ。
「あ、はい」
 とりあえず話が打ち切られ、綾乃はあきらかにホっとした顔をした。
 綾乃が席につき、その後は何ごともなく雪人と二人で豪華な食事を味わった。
 雪人はうれしそうに色んな話をして、綾乃はもっぱら聞き役にまわっていた。食事が終わってからも、リビングで一緒にバラエティー番組を見て、笑ったりはしゃいだり、たわいもない話をして過ごした。
 はしゃぎすぎたのだろう、急に静かになったと思って雪人を見たら寝てしまっていた。
 綾乃は松岡を呼び、雪人を部屋まで運び風呂に入り、部屋に戻って、買ってきた本を読む事にした。
 それからどれくらいの時間が過ぎただろう、ドアが静かにノックされた。
「はい?」
「失礼してもいいですか?」
「雅人さん!はい、どうぞ」
 綾乃は慌ててベッドが降り、雅人を招き入れた。
「あの、おかえりなさい」
 部屋に入って来た雅人はまだスーツのままで、帰って間もない事が窺えた。
「ただいまかえりました。本を読んでたんですか?お邪魔でしたら、後にしましょうか?」
「いえ、大丈夫ですっ」
「では失礼します」
 そういうと雅人はベッドに腰掛け、綾乃にも座るように促した。
「今日は雪人がすっかり甘えてしまったみたいで、ありがとうございました」
「いえ、そんな」
「雪人は今年は綾乃がいるのがうれしくて、凄くはしゃいでいたみたいですね。毎年イブと言っても会社があって、私も直人家にはいないので。もちろん両親もです。ですから、雪人はいつもイブの日は一人で。それが今年は一人じゃない。綾乃いる。それだけでもう雪人はうれしくて仕方なかったようです」
「そう、なんですか・・・」
「あの子にはいつも寂しい思いをさせてしまって。ついつい甘やかすものだから、すっかり甘えたに育ってしまいました。綾乃にも我が侭を言うかもしれませんが、聞けない時は怒っていいんですからね」
「はい」
「そう言っておいてなんですが、私から一つお願いがあります」
「はい?」
「明日の事です」
「・・・はい」
 来た!っと綾乃は思った。何を言われるのだろうと一瞬にして体に緊張が走って、手を握りしめた。それは、自分では気付かないほど強く握りしめていて、手のひらに爪が食い込んでいて、後で見てみたら痕になっていた。
「松岡に聞いたと思いますが、明日、我が家ではクリスマスパーティーをします」
「はい」
「そこに、どうしても綾乃にいて欲しいんです」
「・・・え」
 ――――・・・なんて?
「松岡に聞いたところ、何か予定があるようだというのです。ですが、明日だけはどうしても予定を空けていただけませんか?」
「あの・・・」
 ――――・・・本気・・・?
「はい」
「その・・・本当に、いて、いいんですか?」
「もちろんですよ。何故です?」
 綾乃のこの問いは、雅人には思いもよらなかったものだったのか、心底不思議そうな顔をして綾乃を見つめ返した。
 その反応にまずい質問をした、と綾乃は思った。しかし、どうしても本心が判断できず、不安な綾乃には聞かずにはいれなかったのだ。
「・・・・」
 が、訪ねた理由を口にするのは躊躇われた。相手の思いを疑ったのだから。
「綾乃、言いたい事はちゃんと言ってもらわないと、私にはわかりません。わからなければ説明も出来ません。お願いです、どうか、ちゃんと話してください」
 真摯な瞳で雅人はまっすぐに綾乃を見つめた。そのまっすぐな視線に耐えかねて、綾乃は目を伏せ、一つ大きく深呼吸をする。少し、手が震えた。
「・・・叔父も、誘ってくれました。家族のクリスマスに」
「はい」
「でも、それは、建て前でした。叔父は僕の事をまったく無視するのは、たぶん気分的に嫌だったんだと思います。だから、クリスマスや、お正月や家族で出かける時、必ず声はかけてくれました。でも、叔父は僕が断る事を望んでいました。叔父だけじゃなく、家族も。それは、当然だと思います。僕は家族じゃないんですから」
 緊張に少し口調が早くなった。
「・・・」
「だから、僕はちゃんと叔父さんの望む返事をして来ました。でも・・・・・・今日の夕飯の時、雪人クンや松岡さんに聞かれて・・・僕は・・・どうしたらいいのかわからなくて」
「ええ」
「雅人さんも、直人さんも雪人くんも、松岡さんもみんな良い人で、僕は一緒にいたいと思って、・・・・でも、でもそれはやっぱり、家族じゃないのに、厚かましいから、やっぱり遠慮した方がいいのか・・・・わかんなくて」
 何を口走っているのだろうと思うのに、綾乃はしゃべる事を止められない。それはたぶん、心のどこかでこんな思いを否定して受け入れて欲しいと思っていて。居場所が欲しくて、ばかみたいにまた期待している自分がいるから。
「綾乃っ」
 綾乃は雅人の顔を見ることは出来ない。どんな顔をしているのかどんな反応が返ってくるのか怖くて、ずっと下を向いたままだったから、その時の雅人の顔を見ないですんだけれど、もしこの時顔をあげて雅人の顔を見ていたら、別の意味で恐怖したに違いなかった。
 あまりの、その瞳の冷たさ、その奥に宿った壮絶な怒りの色に。
「あの、だから本当はダメならそう言ってもらっても」
 ・・・全然平気、そう続く言葉は綾乃の口からは発せられることはなかった。その綾乃の頭をぎゅっと雅人が抱き寄せて抱え込んだから。
「もう、何も言わないでいいですから」
 この時、雅人は絶対の叔父一家を許すことはないと、硬く心に誓った。
 綾乃の話をしに行った時、向こうは南條家との繋がりを持てた事を露骨に喜んでいたが、それをいつか心の底から後悔させてやる。そう思うほどに。
 ギリッと雅人の奥歯が鳴った。
「雅人さん?」
 その音に思わず綾乃は顔を上げようとしたのだが、ぎゅっと抱きしめられていてそれが叶わなかった。
「すいません、今、私はたぶんとても怖い顔をしていると思います。だから見ないでください」
「・・・怒ってるんですか?」
「ええ、叔父一家に物凄く腹が立っているんです。あなたにそんな、そんな思いをさせてきたのかと思うとっ!どうしようもなく、腹立たしい!」
 そう、物凄く腹が立った。そんな自分にも雅人は少し驚いていた。綾乃は赤の他人なのに、何故こんなにも感情が突き動かされるのか。
「雅人さん・・・」
「いいですか?ここにいて、そんな事気にすることはまったくありません。確かに世の中には建て前と本音があり、ほとんどの大人がそれを使い分けています。私だって仕事上使い分けないわけにはいきません。しかし、私は綾乃にそんなものを使うつもりはまったくありません」
「はい」
 雅人は、ゆっくり綾乃の体を離し、その瞳を見つめた。
「家族の中で本音と建て前なんて必要ありません。つねに本音でぶつかってください。私も、本音で答えます。それは雪人も直人も、松岡もそうです」
「はい」
「ああ・・・ただ南條家は大きな家族です。親戚付き合いともなれば、本音と建て前の応酬ですが」
 その、苦々しい顔と声色に思わず綾乃は笑った。
「やっと、笑いましたね」
「え?」
「あなたはここに来て、まだ一度もちゃんと笑ってなかった。気付いてましたか?笑ってる顔を作っていても、笑ってはいなかった。やっと、笑ってくれましたね」
 そう、こんなことにも気づいてて気になっていた。
「雅人さん・・・」
 ――――不思議です。綾乃には、不思議な魅力があるようですね。
「それに、高校へも行く気になってくれてるみたいですし」
 雅人は机の上に置いておいた問題集を目ざとく見つけて言った。
「それは!・・・まだ、決めたわけじゃありません」
 綾乃は内心しまったと思いながら釘を刺したが、雅人に笑顔を受け流された。
「はい、分かってます」
 そういうと、もう一度綾乃を抱き締めた。
「では、下でやきもきしている松岡に、明日は四人分で間違いないと伝えて来ます。いいですね?」
 ――――今までこんなにも人を抱きしめたいと思ったことはなかった
「はい」
 綾乃は不思議な思いを運んでくる、その時雅人はそう思っていた。








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