軌跡 4
「樋口君」 薫が会議が終わって部屋から出ようとすると、生徒会長である朝比奈透に声をかけられた。薫は3年2組のクラス委員として会議に出席していたのだ。 「はい?」 5年になった透を、薫は見上げた。会長になったからか、5年になったからかどうなのかわからないけれど春休み明けに見たその顔は、前よりも少し落ち着いて見えた。 翔とは違う、少し高めに身長に同じ黒髪ながら透は少し長めにしており、その瞳も切れ長いものだった。 「今年も順当にクラス委員に選ばれたんだね」 透の言葉に、薫は曖昧に笑った。 別に、今年もクラス委員になったのは薫だけではなかった。今日集められた第1回会議の中で、約6割が昨年もクラス委員をしていた顔ぶれだったのだから。 「弟と同じクラスだって?」 「はい」 「あいつは落ち着きがないから少し困らすかもしれないけど。悪い子じゃないから仲良くしてやってくれるかな?」 「はい」 わざわざ自分に声までかけて、弟の事って。ブラコンなんだろうかと薫は少し不審な思いで透を見た。 ――――バカな子ほどかわいいって言うけど・・・ そうだと少し笑えるなんて、思ってみる。 「ところで、樋口は遠足の事何か考えてる?」 「いえ、まだ」 遠足とは、今日のお題目でもあった。桐乃華では春に遠足があるのだが、その行き先は個々の学年で決めることになっている。 生徒の自主性や計画性、強いては自分達で決めさすことで遠足の意義を考えさせ議論させることを学校としては目的としているのだ。 「全然、何も?」 「はい」 「個人的に行きたいところとかは?」 「・・・個人的に、ですか?」 「そう」 「お言葉ですが、個人的に行きたいのであれば、個人で行けば良いのではありませんか?学校の遠足である以上、集団で行く意義と目的を考えなければいけませんから、ここで個人の見解を言ったところで意味がないと思います」 少し冷めた目で見つめた薫に、笑いを含んだ瞳で透は肩をすくめた。 「ただ、俺の興味だったんだけどな」 「会長の興味にお答えする必要はありません。お話がそれだけなら失礼します」 薫はそう言うと、一礼して素早く部屋から出て行った。再び呼び止められる前に、さっさと逃げてしまおうという心の内を表しているかのように素早く。 そのピシャリと閉じられてしまった扉を見て、透はしょうがないと肩をすくめた。 「振られたな」 全てのクラス委員が出て行ってしまった室内で、残っていた副会長である高原がにやりと笑って言う。結局、前副会長がそのまま副会長を継続したわけだ。 まだ、会計や書記などの生徒会メンバーが残っていたので、必然的に二人の会話は小声なのだが。 「うるさいです」 「冷たーい目で見られてたぞ、樋口に」 「だから、うるさいですっ」 透は口調とは裏腹に、口の端に笑みを浮かべている。本当に悔しがっているわけではなさそうだ。 「せっかくデートに誘うと思ってたのになぁ」 「面白がってるでしょう?」 「完全にな」 「ムカツク」 まるで、二人は言葉遊びを楽しんでいるかのようだ。 「どうも、嫌われてるみたいなんですよね」 「みたいだなぁ」 さっきまで会議で使っていた書類をまとめながら高原は言う。 「何かしたかなぁ?」 そんな高原を手伝うことも無く、透は首を傾げる。 「知らない間になんかしたんじゃないのか?・・・でも、珍しいよな」 まとめられた書類を高原は透に渡す。 「何がです?」 「樋口ってあんまり感情を表に出したりしないのに」 透は渡された書類を鞄に納めながら、肩をすくめる。 「だからこそ、なんかイケそうでしょ?逆意識、みたいなね」 「嫌い嫌いもってやつ?」 「そうです。そういうのって燃えるでしょう?」 「・・・お前なぁー。もし向こうがマジでその気になったらどうすんだよ」 「そうしたら俺の勝ち」 透がにやっと笑った。 「勝ちって。それでいいわけか?」 「もちろん。ゲームは勝たなきゃ面白くないじゃないですか」 透の言葉に、高原は何か言いかけたが、会計が書類を持って二人の傍にやってきてしまい話はそこで打ち切りになった。 高原は結局、言葉を発することなくただ呆れたように肩をすくめただけだった。 ・・・・・ その会議から二日後のHRの時間、薫は教室の前に立っていた。遠足の案をクラスで3つほどまとめて持ち寄る事になっているのだ。 薫はクラスをぐるりと見渡す。 「他に案のある人はいませんか?」 黒板にはいくつかの案が出されていたが。それは遊園地、動物園、東京タワー、またはお台場見学など、どう考えても学校行事というよりは遊びに近い。 「国会議事堂とかは?」 「つまんねー」 「野球観戦!」 「おお〜いいぞ、それ!」 口々に言われる案に、薫は密かにため息をついた。野球観戦にお台場ツアーって、一体何を考えているんだか。この中でまだましなものと言えば、動物園くらいだろうか?と、薫はぼんやりと考えていたら。 「俺、水族館に行きたいっ!」 ――――翔・・・ こういう場では珍しく、今まで黙っていた翔が手を上げて言った。 「水族館?」 「うん。海遊水族館に、ジンベイサメっていうのがいるらしいから見たい。あと、なんか、海のトンネルとかもあるんだって。すっごく綺麗らしいから行きたい」 「ああーそれ俺もテレビで見た!」 「俺も〜」 「じゃぁ水族館もいいんじゃねーの」 「え〜野球だろう?」 「でも野球って夜だし遠足じゃぁダメなんじゃん?」 「ああ〜」 「お台場ツアーはどうなったんだよ」 「遊園地―!」 ――――うるさい。ったく、くだらないガキみたいに騒ぐな。 目の前の、無秩序になっていく光景に薫は完全にバカにしたような視線を向けていた。同い年とは思えない。 薫は、ココらへんが潮時かとため息をついて。 「では、多数決を取りたいと思います」 「遊園地よかディスにーだろ!」 しかし、吐き出された言葉は、クラスメイトの叫び声にかき消された。 「ディズニーがいい!」 「じゃぁさ、いっそUSJとかまで行くとか!」 「それ、遠足じゃねーじゃん」 「お泊りオッケー!!」 「ばーか。朝一の新幹線で行って、最終の新幹線で帰ってきたらいいんじゃん」 ――――ばかは、お前だ! 「おお〜いいアイデア」 ――――いいアイデアじゃない! 「だろ?だろ?」 こうなってしまっては、クラスは既に収集が付かない。担任は、苦笑を浮かべて見守っているが薫はそれどころじゃない。 「お〜〜〜」 上がる歓声にイライラも限界に来て。 「つーかディズニーだぁ〜〜!!」 プチっと、何かが切れる音が聞こえた。 バン!! 「「・・・・・・・・・」」 突然の大きな音に、クラス全員が驚いて教室の前に目を向けた。薫が、持っていたノートで教壇に思いっきり叩きつけたのだ。 「多数決を取りたいと思います。挙手をお願いします」 シーンと静まり返った声に、淡々と冷たくさえ薫の声が響いて。 「まず、野球観戦は時間を考えても無理です。USJも同じです。学校の行事という事を考えても、ディズニーリゾートや遊園地、お台場は今回見送りたいと思います」 「えーっ」 薫の言葉に、クラスの何人かが不満の声を上げたが薫は見向きもしないで無視をした。黙殺したわけだ。 「残っているのは、水族館か国会議事堂、動物園ですが」 そこで言葉を切って、クラスを見渡す。 シン・・・と静まり返った教室の答えは、どれがいいですか?と挙手を取るまでもなかった。 「つーか、樋口の奴まじ横暴!」 放課後の誰の姿も見えなくなった廊下で、遊園地を主張していた伊藤が声を上げる。 「あーでもなぁ〜、まぁ学校の遠足だからな」 その伊藤の友達らしい、小林健二、あだ名はコバケンが薫をかばうように口を挟む。 「お前!樋口の肩持つ気かよ!」 「そういうわけじゃないけど。俺、1・2年同じクラスで、樋口はその時もクラス委員だったけど、結構がんばってたし?」 「俺はあいつの、あの目線が嫌なの。なーんかムカつく!」 伊藤はコバケンの言葉を聞き入れず、拳を振り回す。 「うーん・・・、―――お、あれ?翔じゃねぇ?」 コバケンは苦笑を浮かべていたが、前を歩く姿に指を指す。 「お、本当だ。翔っ!!」 階段に差し掛かった時に、階下に見えた翔と、そしてもう一人の後姿に、二人が声をかけると。 「おう、北側じゃん」 「伊藤くんに、小林くん」 翔の横に並んで歩く少年は、クラスメイトの北側太一。クラスの中でも物静かで目立たないタイプのその少年と賑やかな翔とでは、なんとなく珍しい組み合わせという印象はある。 「お前ら仲良かったんだ?」 「うん」 「そっか」 「うん」 「つーか、今日の樋口むかつかねぇ?」 「なんで?」 「伊藤・・・」 伊藤の言葉に、翔は首をかしげて、コバケンはあーあとため息をついた。 「だって、横暴じゃん!俺は遊園地が良かったのに!」 「でも、俺の希望は叶ったし」 いまだに悔しそうに怒る伊藤に、翔は笑って言う。 「・・・あ、そうか。水族館って言ったの翔だったよな」 「うん」 「俺としては水族館って言葉が翔から出たのがびっくりだなーてっきり野球観戦かと思ってた」 コバケンが意外そうにそういうと、翔はちょっと笑って。まぁなぁと、曖昧に見える笑顔を見せる。 「違うよ」 すると、今まで会話に口を挟まなかった北側が、小さな声を発した。 「違うって?」 伊藤の問いかけに同調するようにコバケンも北側に視線を向けた。 「翔は、僕の変わりに言ってくれたんだ」 「そーなん?」 「・・・うん」 「そっか」 今まで怒っていた伊藤も、何故か北側の言葉に―――というか、穏やかな空気に気を削がれたというべきか、それなら仕方ないなと妙に納得してしまって。 「水族館になるといいな!」 「うん」 まだ遠足は水族館になると決まったわけではない。他のクラスの意見も聞いてみないと、どうなるかわからないのだ。 「よし!もしこれで水族館じゃなかったら、樋口シめる!」 「ばーか」 伊藤の言葉に、他の3人はケラケラクスクス笑いを漏らしながら、階段を下りていった。 |