軌跡 7 


 ――――むかつく。
 なんなんだ。僕が可哀相?この僕が?
 薫は、手にしたタオルを腹立ちに乱暴に鞄に投げ入れる。
 明日は遠足で、その準備をしなくてはいけないから。タオルにハンカチ。財布に携帯。おやつに買っておいたビスケットと飴を鞄に入れる。  けれど、頭の中は他の事でいっぱいだった。
 ――――僕は、可哀相なんかじゃない。
 一通り詰め終わった鞄を部屋の隅へ追いやって、薫は部屋の真ん中に座り込んでいた。あの後、ずっと考えていて頭を離れない透の言葉とあの顔。
 だって、他人なんだから。
 僕らは子供なんだから。
 僕は何も間違った事は言っていない。
 友達なんて、そんなものはいないってお爺さまは言っていた。よく分からないけど、利害というのが一致しなければならないって。
 お父さんは弁護士だけれど、弱いものの味方というわけじゃないらしく。
 お爺様の話は難しいけれど。
 利用価値があるかないかで、人との付き合いは考えなければいけないから、今は友達なんて必要ないって言っていた。
 他人は何も助けてくれないからって。
 それに、なんでも一人で出来るようにならなきゃいけないって言っていた。
 そう。だから僕は間違ってない。
 間違ってなんかない。
 それなのに、なんでこんなに悲しいんだろう―――――?
「薫?いい?」
「あ、はい」
 いきなり掛けられた声に、ちょっと驚いて返事をした途端にドアが開く。
「母さん。もう帰ってたの?」
 夜の7時半。珍しく早い時間だったので、薫の声が少し嬉しそうに弾んだ。
「ええ。だって明日は遠足でしょう?お弁当は腕によりをかけるからね」
 真っ直ぐの黒髪を肩あたり切りそろえて、長めの前髪を横に流す姿は女優のように美しい。薫に向けられる笑顔も、優しい眼差しだった。
 手を伸ばして、くしゃりと薫の髪を撫でる。そんな母に、薫は心配げな視線を向けた。
「別にいいよ?母さんも疲れてるんでしょ。適当でいいから」
「薫っ。適当だななんて」
「だって。母さんの身体の方が心配だから」
 笑顔でそう言う薫に、母は寂しそうな顔をする。
「ありがとう。でも、大丈夫よ!何かリクエストはない?」
「ううん。本当に僕はなんでもいいから」
 元気よく言う母に、薫はそれでも頑ななまでに首を横に振る。なんでもいいからと。
「そんな事より、せっかく早く帰ってこれたんだからゆっくりした方がいいよ」
「薫・・・」
「ね?」
 だからね、お弁当なんてどっちでもいいから。僕の話を聞いて?
 学校であったこと。先生に褒められたこと。漢字のテストが満点だったこと。それから、それからね―――――・・・
「うん、ありがとう」
 明日は水族館でペンギンを見るのが楽しみなこと。イルカのショーも見ること。僕の作ったしおりが見やすいねって褒められたこと。
「僕ね・・・」
「でも、美味しいお弁当食べて欲しいから、お母さんがんばるわ」
「え・・・」
 電車に乗って行くのが、ちょっと楽しみなこと・・・
「薫も早くお風呂に入ってきなさい」
 ――――そうじゃないのに・・・
「・・・はい」
 今日、会長に言われたこと。僕が腹を立ててること。
 それが何故か悲しいこと。
 薫には、話したい事がいっぱいいっぱいあるのに。パンクしそうなくらいに胸に詰まったままになっているのに。

 薫の母は、薫の頭を優しく撫でて、部屋を出て行ってしまった。





・・・・・





「じゃぁここでお昼ごはんにします!」
 水族館に隣接された公園に、3年生全員が綺麗に整列した先頭で、先生が大きな声で言う。
「いいですかぁ、この広場から外には出てはいけません!奥の方へ勝手に進んでもいけません。ただし、広場の中でしたら持ってきたボールなどで遊ぶのはかまいません。休憩は1時半までですからね。わかりましたかー!」
「はーい!!」
 先生の言葉に、元気の良い返事が返り、先生はその返事に満足したのか解散の言葉を告げた。
 その声とともに、子供達は友達同士塊あいながら、銘々に散らばっていく。今から待ちに待ったお昼なのだ。そんな群れを、薫はホッとしながら眺めていた。
 ――――とりあえず、ここまでは問題なしだ。
 朝も遅れてくる生徒もいなくて、時間通りに出発できた。水族館の中でもとりわけて騒ぐ事も無く、イルカのショーも思いのほか楽しかった。この後はお昼を食べて帰るだけなのだから、もう大丈夫だろうと薫は少し楽な思いになっていた。
「樋口!こっち」
「ああ、うん」
 1・2年からのクラスメイトのコバケンに呼ばれて、薫は10名ほどの輪に近づいていく。その中には伊藤や翔の姿もあった。
 薫はコバケンの横に座って、背負っていたリュックを下ろしてお弁当を取り出す。ずっしりした重みのそれには、一体何が入っているのだろうか。
薫は少し、ドキドキしながら蓋を開けた。
「うわぁっ、樋口の豪華じゃん!」
「・・・・・・」
 ――――母さん・・・
 薫のお弁当は2段になっていて、そこには、タラコパスタ、からあげ、卵焼き、鮭の焼いたのは薫の好きなカレー風味になっている。それにタケノコのきんぴらに、ほうれん草のおかか和えが、彩りよく詰められて、ご飯はふりかけのおにぎりとゆかりのおにぎりになっていた。別の小さなタッパにはデザートの苺も入っていた。
 ――――僕の、好きなのばっかりだ・・・
 少し、切ない思いが込み上げてくる。朝、お弁当楽しみにしててねと笑った母の顔が浮かんで。
「いただきます」
 薫は、小さな声で呟いて、からあげを取り上げた。
 ――――おいしぃ
 薫は母の料理が大好きだった。嫌いだったものも、作り方や味付けを工夫してくれて、いつの間にか食べられるようになっていたりして。母は料理上手だと思って、自慢だった。そんな料理も、最近では忙しくて、日曜日くらいしか食べられないけれど。
「この後って1時間くらい時間あるんだよな?」
「うん、そうだよ」
 薫は、今度は鮭を頬張りながら頷く。
「何して遊ぶ?ボール持ってきてたんだよな!?」
 薫に確認した少年は、別の少年に今度は声をかけた。
「おう!サッカーしようぜ、サッカー!!」
「じゃぁフットサルだな。4組のヤツも呼んでさ」
「オッケー。じゃぁ早く食べちまおう!」
「だなっ」
 何人かの話がまとまった様で、少年らは急いでお弁当を食べ出した。それを横目に、薫はクスっと笑いながらゆっくりとお弁当を味わって食べた。
 薫が食べ終わる頃には、その少年らは既にフットサルを始めていて、人数も6対6より多い8対8になっていた。
その光景を、薫は見るとはなしに見ていると。
 "自分のために泣いてくれそうな、そんな友達"
 ふと、昨日言われた透の言葉が脳裏を過ぎった。
 ――――友達・・・
 自分にはいないと、薫は思っていた。誰かの為に泣けない自分が、誰かに泣いてもらえるわけがなくて。こうやって一緒に過ごしたりする友達はいても、特定の誰か、友達だと言える相手はいない。
 彼らは、互いのために必死になったり泣いたり出来るのだろうか?
 そんな相手のいない自分は・・・やはり"可哀相"な、事なのだろうかと薫はぼんやりと考えていた。
「なぁなぁ、樋口」
「え、何?」
 急にバタバタと駆け寄ってきたコバケンに、薫は今囚われていた思いに気づかれないように笑顔を作って答えた。
「あのさ、翔知らない?」
「朝比奈君?ううん、僕は見てないけど、どうしたの?」
「いやー、急にいなくなってさ。さっきまで北側とそこにいたんだけどなー・・・、あれーどこ行ったんだろ」
 薫がコバケンの視線の方を見ると、今は誰の姿も無い。薫は不審に思って立ち上がった。
「荷物も、無くない?」
 今までみんなでお弁当を食べていた場所に、リュックを集めて置いているはずなのに、その中に翔のものがないような気がする。
「本当だ。確か翔のって、アニメのキャラの人形がぶらさがってたよな!」
「うん」
 やはり、見当たらない。
「僕、ちょっとそこら辺探して見る。もしかしたらトイレとかかもしれないから」
「おうっ。俺も探してくる。見つけたらココに連れてくるって事で」
「わかった」
 薫は少し蒼い顔で、トイレのある少し奥まった場所へと駆け出した。トイレに行っているだけに違いないと思いながら、何か不安な思いに駆られていたのだ。
 それに、こんな途中で問題なんか起こして欲しくない。せっかくちゃんとここまでやって来たのに。
 慌てて駆け込んだトイレには何人かの生徒がいて、薫はその顔を確認しながら奥へと入る。
「朝比奈君!?」
 奥の個室に向けて声を上げてはみたものの、ドアの閉められた個室はない。
 ――――どこに・・・っ
「翔探してんの?」
「うん。知ってる!?」
 洗面所で手を洗っていた生徒に声をかけられて、薫はハっと振り返った。
「ああ、さっき、あっちの方へ行ってた。もう一人と一緒に」
 その少年が指差したのは、先生が行ってはいけませんって言っていた公園の奥。薫は、何故と思う間もなく少年にお礼を言って走り出した。








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