軌跡 8 


 とにかく早く連れ帰さなければ。怒られるのは自分なのだと、焦る思いに駆られる。後は帰るだけだろうと思っていたのに。
 ――――何を考えてるんだっ
 その時の薫は、一度戻ってコバケンにも言わなきゃとか、先生に報告した方がいいとか、そんな事には考えが及ばなかった。それよりもむしろ、誰にもバレないうちに問題を解決してしまわなければと思っていたのだ。
 その焦りの所為で、自分自身が随分奥、公園の反対の出入り口付近まで来てしまっていたことには気づいていなかった。
 ――――あ・・・っ、いた!
「朝比奈君!!」
 薫はフェンスにガシャッっと音を立てて指をかける。
「樋口っ」
 ゲッとでも言いそうな顔で、翔は薫を見た。その距離僅か1メートルほど。けれど、その間には高いフェンスがあって手を伸ばすことが出来ない。
「何考えてるんだっ―――北側君まで・・・」
 そう、翔は一人ではなかった。一緒に、北側もいたのだ。二人ともリュックを背負っている。
「樋口君――――ごめん」
「え?」
 普段、大きく目立つことの無い、いたって普通のまともな北側が何故こんな事をしているのか、薫にはまったく理解出来ない。当然、その謝罪の意味も。
「太一、行こうぜ」
「うん」
 翔が北側を促して、北側はもう一度薫を見てごめんと謝ってから、翔と一緒に走り出した。
「待って!」
 ――――待てっ!
 もしここで二人を逃がしでもしたら、僕はきっと怒られて。役立たずにされてしまう。クラス委員としてクラスをまとめる事も出来ないと思われてしまう。
 きっと、お爺さまに怒られて、お父さんやお母さんを失望させてしまう。
「待ってよ!」
 それだけはダメ。それだけはなんとかしなきゃいけないと、薫はフェンスを伝って、開いたゲートを見つけて外へ抜けた。それが、二人も通った出口だとまでは気づかなかった。
 ただ、無我夢中で二人の後を追いかけた。泣きそうになりながら。
 だって、怒られたくない。
 だって、失望されたくなんかない。
 がんばりなさいって、お爺様には言われたし。
 お父さんだって、自慢の息子だって褒めてくれたし。
 お母さんだって、僕が頼りになるから仕事が出来るって喜んでくれた。
 だから、だから僕は失敗出来ないのに―――――っ
「待ってってば!」
 薫の足では翔には追いつけないけれど、北側よりは薫のほうが早い。小さく見えていた二人の背中が少しずつ、大きくなって。
「太一!あれ!」
 翔は北側の腕を引いて、前方のバスを指差した。
「うん」
「ダメ!」
 薫は二人の意図を察して、なんとか阻止しようと手を伸ばすのだが、二人は間一髪バスに乗り込んでしまう。薫は、すぐその後を追ってバスに乗り込んだ。
 プシュー・・・
「・・・え?」
 薫の背後で、バスの扉が閉まる。
「ちょっ・・・!」
 あろうことか、バスは扉を閉めて発車してしまったのだ。バスの運転手にしてみれば、乗り遅れそうになって走ってやってきた小学生達を親切に待ってから、出発したのである。
 それは、薫には有難迷惑な行為だったけれど。
「あ・・・」
 呆然と立ち尽くす薫を、北側―――太一が見上げて声を漏らした。
「とにかく、座ろうぜ!」
 何故か翔が落ち着き払って、ちょうど開いていた後ろの座席を指差した。
「うん。―――樋口くんも」
「・・・・・・」
 心配そうに見上げる太一にも、薫は言葉を返せないで、俯いて唇を噛み締めていた。
 それでも薫は二人の後に続いて後ろまで行って、並んで座る。
「次で降りるから」
 いらいらとした口調で言う薫に。
「どーぞ」
「翔っ」
「だって、別に樋口なんか関係ねーじゃん」
 ふてくされた様に言う翔は、まだ薫の事を怒っているらしい。薫を見ようともしていなかった。
「どーぞって、君たちも降りるんだよ!」
「やだね」
「やだねって!何言ってっ」
「俺達はこのまま家出すんの。ほっとけよ」
「いえ、家出っムガ!!」
 ビックリして声を上げた薫の口を、太一が慌てて押さえた。
「しーっ」
「―――っ!!」
 薫は思わず言葉を飲み込んで、怒った横顔で窓の外を見ている翔と、上目遣いにおろおろしている太一を見比べた。
「なんでこんな事・・・朝比奈君が首謀者?」
 そうして、太一が巻き込まれたのかと思うと。
「ううん、違うよ」
「え?」
「・・・僕が言い出した事なんだ・・・」
 俯いて言いよどむ太一を、薫は信じられないという思いで凝視した。
「それ―――」
 どういう意味か一瞬理解出来なくて、薫が思わず翔にも視線を向けると、翔は相変わらず怒っているのか窓の外を見ていた。
「僕ね、この遠足が最後に転校するんだ」
「えっ!――――え?だって僕、聞いてないよ?」
 そんなに間近なら、クラス委員の自分が担任から何も聞かされていないわけがない。それにそうなら、お別れ会みたいなものをしたって良かったのにと薫が思うと、それを察したのか太一はちょっと寂しそうに笑って。
「先生には誰にも言わないでくださいって言ってあったから」
「・・・・・・」
 なんで?声に出せなかった問を薫が無言で向けると。
「太一。こんな奴に言う事ねーよ」
 翔は太一の肩に手をかけて、キツい視線を薫に向けて言う。
「翔」
「だってこいつ・・・っ」
「何?」
 とがめるような太一の声。
「僕らの所為で樋口君を巻き込んじゃったんだから・・・」
 太一の言い分も分かるのか、翔はムっとしながらも黙る。でもその顔には納得しきれないのがありありと浮かんでいるけれど。
「あのね、・・・僕のお父さんとお母さん、離婚するんだ」
「え・・・っ」
 泣き笑いみたいな笑顔を浮かべた太一に、薫はハッと息を呑んで、翔の顔を見た。
 ――――離婚・・・
 あの例え話は、太一の事だったのだ。ああだから翔はあんなにもムキになったんだ。
「どうしてもダメなんだって。何がどうして、ダメなのか僕には全然わからないけど」
 へへっと、無理矢理作ろうとした笑顔が失敗して、太一の瞳からポトっと涙が落ちた。
「だっ、だからってこんな事――――」
「るせーよ!」
 こんな事したってしょうがないと続けようとした言葉に、翔は声をかぶせて打ち消して。
「とっとと降りろよ、樋口」
「なっ!」
「翔」
「だって、樋口にはどうでもいい事なんだろ?こいつには人の気持ちとかわかんねーんだよっ」
「翔、そんな言い方っ」
 涙を落とした太一だが、二人に挟まれて泣いている場合ではないとオロオロし出した。
「いーんだよ。俺、コイツ嫌いだもん」
「・・・っ、僕だって朝比奈君なんか嫌いだよ!」
「あーそー」
「そうだよ!!」
「二人とも!バスの中だからっ」
 静かにと言われて回りに目を向けると、斜め前に座っていたおばあちゃんがじーっとこっちを見ていて。薫は赤くなって俯いて、翔はフンっとまたそっぽを向いてしまった。
「早く降りればいいじゃん。ついて来いなんて言ってないからな」
「僕だってそうしたけど、バス止まらないんだから仕方ないだろっ」
「・・・そう言えばなんでこのバス、止まらねーの?」
 二人の間で太一は少し驚いた顔をして、クスっと笑った。二人は今までバスというものに乗った事もなくて、ボタンを押さなければ止まらないという事を知らない。そして、幸か不幸バスの乗客は少なかった。
「長距離バスとかじゃないの?」
「なんだよそれ」
「なんか、バスで名古屋とか大阪とかまで行くのがあるんだよ」
「マジかよ。新幹線とかじゃねーの?バスなんかしんどいじゃん」
「そんなのわかんないけど」
 喧嘩してたくせに、息を合わせて慌てだす二人に、太一はなんだか可笑しくなった。
「つーか、名古屋かぁ〜それもいいかな」
「良いわけないだろ!何考えてるんだよ」
「だーかーら、樋口なんか誘ってねーもん」
「あのね!」
「だから、バスの中!」
 また喧嘩を始めそうな二人に、太一は面白そうに笑いながら口を挟んだ。なんだかこの二人、本当は仲良しなんじゃないかと太一は内心思えてきて、くすくす笑っている。
「ふん!!」
 でも、翔はそうは思えないみたいだけれど。
「ところで、樋口君大丈夫なの?」
「え?」
 少し心配そうな顔で太一は薫を見た。
「樋口君はクラス委員だし、怒られたりしないかなって」
「――――あ・・・」
 ――――そうだ。僕はちゃんと今日を乗り越えて、何事も無く遠足を終わらせなきゃいけなかったのに。先生にだって、コバケンにだって連絡してないっ!
「携帯っ!」
「お前!」
 薫はようやくその事に気づいて、蒼い顔で慌てて周りを見渡すけれど、鞄がない。探ったポケットにも何も入ってなくて。
「・・・・・・あっ」
「んーだよ」
 ――――そうだ!コバケンに二人がいないって言われて慌てて探しに行って、そのまま後を追っかけてきたから・・・荷物置いてきちゃったんだ。






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