軌跡 9
どうしよう・・・携帯も、お財布もない――――― 「あ・・・どうしよう・・・・・・」 「樋口君?」 どうしよう――――連絡も出来ない。 「――――」 ――――こんなの大失敗だ。お金も携帯もなくて。僕がこににいる事を誰も知らない。 薫は、無意識にぎゅっと唇を噛み締めて、両手をぎゅっと握り締めた。 だって今までこんな事なかったのに。いつもちゃんと完璧にやれていたはずなのに。 「樋口君?」 どんどん顔色を失っていく薫を、心配そうに太一が覗き込んで呼びかけるけれど、薫にはもはやそんな声は聞こえなくなっていた。 どうしよう。 どうしよう!! こんなの絶対お爺様に怒られる。 幼稚園のとき、家族で初詣に行ったとき迷子になってしまった時も怒られた。2年生の2学期の数学の小テストで、平均点しか取れなかった時も情けないと怒られたのに。 こんな事したら。 こんな騒動起こして、しかもまとめるどころか巻き込まれてるなんて事になったら―――― 「――――どうしよう・・・」 なんて言われるんだろう。 どんな顔をされるんだろう・・・ きっと凄く怒って、がっかりして、落胆させて僕は駄目な子になってしまう。 その時ふいに、ポタっと薫の膝に涙が落ちた。 「樋口君・・・っ」 「おいっ」 ポタポタと、薫のパンツに丸いシミがどんどん増えていく。 だって、怒られるもん。 きっと、あーあって顔される。 ダメだねって言われちゃう。 きっとみんなだって、呆れて。 お父さんも、お母さんも、がっかりする。 「嫌われちゃう・・・」 お爺さまに、嫌われちゃう。 お父さんにも、嫌われちゃう。 お母さんにも、嫌われちゃう。 せっかく今まで一生懸命がんばってきたのに。 がんばって来たのに。 「次―、大山道―。次、止まります」 大きな声で、アナウンスが流れて。 「降りるぜ」 「う、うん」 翔の声に太一が頷いて、薫の顔を見るけど、薫は唇をぎゅって噛み締めてまだポロポロ泣いていた。 こんな事で、こんなところで恥ずかしいなんて考える余裕もなかった。もう何にも考えられない。本当にこのままどっかに行って消えてしまいたいよぉ・・・っ 「太一、先出て」 翔が座っているのは一番後ろ一番奥で、真ん中が太一で、一番手前に薫が座っているから、太一は薫の身体をよけるように通路に出ると、ちょうどバスが止まった。 「降りるぞ!」 「・・・」 「樋口!ほらっ」 俯いて固まっている薫の手を翔が取った。 「ほっといて・・・っ」 抗おうとする薫の腕を、翔はぎゅっと握り締めて無理矢理立たせて引っ張っていく。 「放っといてよっ」 「ばかっ。んなこと出来るわけないだろう!」 バスの先頭、出口まで行くと太一が待っていて。 「3人分お金払ったから」 「お、ありがとう。なんだ、ここでお金払うのか」 「そうだよ」 「太一物知りだな。あ、ありがとうございました」 翔は太一の行動に感心しながら、自分達を待っていてくれた運転手さんにお礼を言ってバスを降りた。 そしてゴソゴソ鞄を探って。 「ほら、もう泣くなよ」 翔は、ちょっと皺になっているハンカチを薫に差し出した。 「いい」 頑なに首を横に降って受け取ろうとしない薫の手に、翔は無理矢理押し付ける。 「涙ふけよ」 「うるさい・・・」 「いーから!」 強く言われて、薫は仕方なしに押し付けられたハンカチで目をゴシゴシとこする。こんなの凄く格好悪くて惨めで、自分らしくなくて、涙は中々止まらない。それでもなんとか頑張って。 ズズっと鼻をすすって上げた顔は、少し目が赤く腫れていて鼻の頭も赤くなっていた。 「樋口って意外に泣き虫だったんだな」 「うるさいっ」 「翔っ」 ぎゅっと握った腕を離さないで言う言葉は、翔なりの照れ隠しと、少しの申し訳なさがあったのかもしれない。 こないだの事で薫に腹は立てていても、薫がいつも一生懸命なのは翔だって知っていたから。 「もう泣くなよ・・・」 「・・・・・・」 「仲直りだね」 ちょっと弱った声で言う翔に、薫はうまく言葉を見つけられなくて黙り込むと、太一がこの状況には不似合いなくらい明るい声で言う。 「・・・ここ、どこ?」 まだちょっと涙声で薫が言うと、太一は周りを見回した。 「わかんねー」 これは翔。 見回した周りは、完全な住宅街。しかも、随分のどかに見える。都内からハズれた場所にあった水族館からさらに奥へ進んでしまったらしいバス。 3人はわかっていなかったけれど、それは千葉との境目あたりだった。 「どうしようっか・・・?」 「海が見たかったのに、山に来ちゃったなぁー」 「うん」 翔も、ちょっと困った顔で周りを見回した。 「とにかく歩くか・・・」 「うん」 ここまで来ては薫も異議を唱える事はなくて、むしろ一人でなんて帰れないしお金もないし。帰った時に反応が怖くて帰りたくなくなってきているのが今の率直な心境。 3人はとりあえず坂道を登り始めた。ポツポツとある民家、小さなスーパーを横目に見てどれくらい歩いただろうか。道の脇に小さなお寺を見つけた。 それは別に観光客がくるようなお寺ではなくて、たぶん昔お寺だったらしい、今はただその佇まいが残るだけの感じのくたびれた建物。 「ちょっと・・・怖い」 太一が眉を寄せて見上げて言うと。 「でも寝れそうじゃん!」 「ここで寝るの?」 「他に寝ると事なんかないじゃん」 「そーだけど・・・」 そうだけどでもと、ぶつぶつ小さく文句を言う薫の腕を引いて、翔は走り出す。神社の縁側によいしょと登って腰掛けると太一も小走りで近づいて並んで座って、結局翔を真ん中に三人が仲良く並んだ。 「なんか、静か」 「だなー・・・」 生い茂った木々が陰になって、ひんやりとした空気は少し寒いくらいに感じた。風で木々が揺れるたびに、振り落とされた葉がひらひらと舞い落ちる様を、3人は黙ってボーっと見ていたら。 ぐ〜〜 「あ・・・」 翔のお腹が鳴って、太一がクスっと笑う。 「腹減ったぁー」 「待って、僕お菓子持ってるよ」 太一は自分の鞄をがさがさ探って。見つけ出したスナック菓子とポッキーを翔に差し出した。 「俺は、ポテチ」 翔も鞄からコンソメ味のポテトチップスを取り出した。 「お茶はまだ残ってるし」 太一が水筒を振ると、チャプって音がした。 「お金もまだあるから、困ったらなんか買えばいいし」 「だね」 二人は顔を合わして、楽しそうに笑いあった。なんだか冒険でもしているような感じで、少しワクワクしているらしい。 「とにかく喰おうぜ」 翔はそういうと、掛けていた縁側に完全に上がりこんであぐらをかいて座る。太一は、今まで翔が座っていた真ん中のスペースに、お菓子の袋を開けて並べる。そうすれば3人ともお菓子が取りやすいから。 「食べよう」 「おう!」 翔は真っ先にポッキーに手を伸ばした。つぶつぶ苺チョコが甘酸っぱく美味しい。 「樋口君も食べて」 「いいよ」 「どうして?あ、ポッキー嫌い?」 ポッキーの袋を差し出した太一は慌ててポテトチップスの袋に持ち帰る。 「そうじゃないよ。でも・・・」 ――――僕は何も持ってないし。 「遠慮してないで喰えって。腹減るぞ」 ――――でも、・・・ 「あげるものがないから、貰うわけにはいかないよ」 人との付き合いはそういうものだって、お爺様に言われたもん。だから、今は僕が何かを貰う資格はないんだ。 「何言ってんの?鞄ないんだし、何も無いのなんか知ってる」 「・・・・・・」 「別に、貰うものなんかなくても」 「でも・・・」 それでも薫は言い淀んだ。 「あのね。うーんっと、うまく言えないけど。樋口君はいつも大変なクラス委員一生懸命やってくれてるよね。でも、僕達は別に何もお返しなんかしてないよ?」 「それは――――っ」 それは、別にみんなのためにやってるわけじゃなくて。自分のためだから。お爺様やお父さんやお母さんに褒めて欲しいから。 薫は偉いねって言われたいだけだから・・・ 「だから、ね?食べよう?」 「世の中は持ちつ持たれつだって父さんが言ってた。世話になることもあれば世話することもあるって。大事なのはー・・えーっと、恩を忘れない事なんだぜ」 「・・・恩?」 「そうだ」 だから忘れんなよ、と威張って言う翔に、太一はもうっと怒った顔になる。 「翔ってば。別に恩とか感じなくていいから。本当勝手に巻き込んじゃって、こっちが悪いんだから。ね?気にしないで食べよう?」 はいっと、さっきより前に差し出されるポテチからは良い匂いがしていて。 薫だってやっぱり食べたくて。 時間は3時で本当におやつの時間だから。 「・・・ありがとう」 薫は小さく呟いて、ポテチを一つ摘んだ。 「うん」 太一は嬉しそうに笑って、自分もポテチを口に入れて。 「なんか、普通のポテチなのに美味しく感じる」 「ばかだなぁ〜これは特別なポテチなんだぜ」 「そう?」 「そう」 「そうかもね」 クスクス笑う声と、パリパリポリポリ、サクサクという音が、静かだった空間に響き渡っていた。 |