軌跡、そして…1
――――どうして、キスなんか・・・ この2年。答えのない問いかけを、何度繰り返しただろうか。 遊びだと。落とすまでが楽しいのだと言った声が、その全てじゃないか。 そう思っているのに。 たった1度だけ、何かの用事で小等部に来ていた姿を見かけたことがあった。 ただの後姿に、無様なくらいにドキっとして。 悲しさと、よくわからない渦巻く感情が怖くて。 ただ会いたくなくて逃げるように帰った翌日。 生徒会室でずっと待っていたと聞かされた。 その理由が分からない。 遊びの延長? からかいの延長? どうして、僕なの? 祖父の手からかばってくれたのに。 あの背中が嬉しかったのに。 何故? 問いかけられない言葉と、答えのない疑問だけが、会うことの無い2年の間に降り積もって。 今はもう、前すら見えない――――――― ・・・・・ 小学校4年の終わりに別れてから2年。 再会したのは、中等部に入学した日だった。 「樋口!」 ――――っ!! クラス分けで1組になった薫が、教室についてとりあえず空いた席に鞄を置いた直後。廊下から名前を呼ばれた。 驚いたことに、その声を薫は忘れていなかった。 「お久しぶりです」 顔を上げて。なんとか無表情を整えた。妙にうるさくなった心臓の音など、無理矢理無視した。 突然の生徒会長の出現に、周りがざわめき立つのがどこか遠くに感じられた。 「2年ぶりだね」 上げた視線の先に、少し大人になった透が立っていた。最後に見たのが小等部6年。そこからの2年は急速な変化を及ぼすのだろうか。 「はい」 「―――翔とは、別れてしまったのか?」 クラスの中に弟の姿を見つけられなくて透が問うと。 「ええ、翔は隣の2組です」 薫の心臓は、まだ少しうるさかった。 「そっか。残念だね」 「はい」 透は、ゆっくりとした足取りで教室内に入ってきた。 「入学式、代表挨拶はてっきり樋口だと思っていたんだけど」 「僕は、首席ではありませんから」 まっすぐに見つめてくる透の視線を、薫はフっと俯いて逸らす。 2年間、忘れたくても忘れられなかった相手。気に食わなくて、ちょっと憧れて。そして、憎く思った相手だ。キスの意味を、問うことも責めることも出来ず。ただ、記憶の中から消し去りたくて忘れてしまいたくて、でも出来なかった人。 「でも、ずっと生徒会長だったのに」 「挨拶は、首席がするものです」 代表挨拶を薫に、という話は当然あった。けれど、薫はそれを頑なに断った。何度説得されても、その意思だけは変えなかった。 どうしたって、"うん"とは言えなかった。 「まぁ・・・いいけど」 少し試すよう響きに、薫は思わず顔を上げると、やはり真っ直ぐに視線を向ける透の瞳とぶつかった。 ――――冷静でいられない。 透は、中等部に入学してすぐ生徒会入りした。その時生徒会長だったのが、小等部でも前任の会長だった小泉で。そして小泉が3年で卒業と同時に、当然の様に生徒会長へとなった。もちろんその時1年生。 入学式で祝いの言葉を述べるのは、透。その透と僅か1メートル隔てて入学生挨拶をするなど、薫には到底出来なかったのだ。 「ところで、もしクラス委員に選任されても断ってくれ」 「・・・は?」 唐突な言葉に、一瞬薫は透の言葉の意味がわからなかった。 「樋口は、生徒会会計をやってもらうから。生徒会役員は他の役と兼務禁止なんだ」 「――――」 ――――な、に? 「出来れば放課後、生徒会室に顔を出して欲しい。生徒会室は隣の校舎3階にあるからすぐわかるよ。じゃぁ」 ――――生徒会、会計? 薫が透の言葉を頭で反芻している間に、透は来た時と同じゆっくりとした足取りで教室を出て行く。その後姿が完全に視界から消える前に、薫はなんとか我に返った。 「ちょっと・・・!」 薫は、慌てて後を追う。 その後ろで、クラス中が騒ぎ出していた。憧れの眼差しで見られる透の登場と、薫の抜擢。 口々に、生徒会だ!とか朝比奈会長かっこいいとか、さすが樋口とか、銘々好き勝手に言っている声が聞こえてくる。 けれど、薫にはそれどころじゃない。 「待ってください!」 「ん?」 薫の言葉に、3メートルほど先にいた透が、笑みを浮かべて振り返る。 「・・・お断りします」 「何故?」 その言葉を予期していたかのように即答で帰ってくる言葉。透は笑っていた。 「理由はお分かりのはずです」 薫は、一度も翔の家には遊びに行かなかった。何度誘われても。翔から、兄ちゃんが会いたがってんだけど?と言われた事もあった。それには、会いたくないと言って、とさえ言ったのだ。 それなのに―――――― 「悪いけど、俺にはわからない。それに、会長からの任命は絶対だ」 「――――っ」 横暴なもの言いに、カッと薫の顔が腹立ちに赤らむけれど、透はどこまでも涼しげな顔を崩さなかった。冷静に真っ直ぐ、薫を見ていた。 「じゃぁ、待ってるから」 そして、それだけ言い残して歩いていってしまった。 その後を、薫はなおも追いかけようとしたのだが、ちょうど担任が来てしまって薫はしょうがなく教室へと戻った。 ざわついた教室は、担任の登場でとりあえずは落ち着きを取り戻す。 担任は自己紹介や授業割り、クラブ活動などを説明した。中等部も基本はエスカレーターなのだが、小等部卒業の際あまりに成績の悪いものは進学出来ない。その代わり、中学からは数名の特待生が入学してくる。スポーツでも、芸事でもなんでもいい。何かに秀でていればいいのだ。後は、試験を受けた外部受験組み。こちらは学年の1割程度だ。 そんな説明を長々とした後。 「さて、クラス委員を決めなければいけないのだが。――――樋口は生徒会入りだな?」 「あ・・・」 「さっき、会長が来てました」 担任の断定的な口調に薫が答えに詰まると。別の生徒が何故か嬉しそうに勝手に口を挟んでしまう。 「ってことは、別に誰かなのだが・・・このクラスには経験者は無しか」 担任はクラスを見渡して言う。生徒も周りをキョロキョロ見渡すだけで、誰も手を上げないからそういう事なのだろう。 「さて、どうするかな」 担任が困った顔で首をひねると。 「僕、やりたいです」 一人の生徒が手を上げた。 「お前はー・・・倉田満(クラタミツル)だな」 「はい」 倉田といわれてその少年は、165cmくらいだろうか?少し薫より低いように見える。そして、サラっとした少し色素の薄い髪を耳が隠れるくらいの長さにして、前髪も少し長めだった。にっこりと笑う笑顔が、男の子離れしたかわいい印象を受けるのだが、その瞳は勝気に輝いていた。 「外部入学者か・・・」 「はい。ずっとアメリカに住んでいたので日本の事もよくわかっていないですし、学校にも慣れていません。だからこそ、みんなと打ち解けるためにもクラス委員をやりたいのですが、ダメでしょうか?」 へぇー帰国子女なんだ・・・そんな囁きが聞こえてきた。 「そうだなぁ。うん・・・他には立候補者はいないか?」 担任は決めかねるのか、クラスに声をかけるが誰の手も上がらなかった。 「そうか。じゃぁ、倉田に頼むかな。何かわからない事があったら樋口に相談しなさい。樋口は小等部の時1年生〜4年生途中までクラス委員をやって、その後生徒会書記、生徒会長をやっているから―――樋口もフォローしてやってくれ」 「はい」 話を振られた薫は、戸惑いつつも頷いて倉田を見ると、倉田はどこか挑戦的な笑みを浮かべていた。 「よろしく」 「よろしく」 ――――少し、苦手かも・・・ それが倉田に対する薫の第一印象だった。少し気の強そうなワガママそうな雰囲気を、薫が感じ取ったからかもしれない。 いや、もっと明確な敵意を、本能が敏感に察知したからなのかもしれない。 とにかくこうして、薫の中等部が始まった。 |