軌跡、そして…2
「へぇ〜じゃぁー薫のクラスは帰国子女がいるんだ!!」 「まぁーね」 放課後。言われた通りに生徒会室へやってきた薫を出迎えたのは、翔だった。透と副会長は顧問に呼ばれて、少し遅くなるらしく、兄弟のよしみなのかなんなのか留守番を仰せつかっているらしい。 「やっぱり英語ペラペラかな?」 「だろうね」 帰国子女という言葉にワクワクするのか楽しそうな翔なのだが、それと正反対に薫はどんより暗かった。 「どうしたんだよ?」 そんな薫の様子にようやく気づいたのか、翔が心配そうな顔をして覗き込む。 「んー・・・、なんだかね」 「うん?」 「苦手そうなタイプだからさ」 薫は机に頬をペタっとつけて突っ伏しながら、憂鬱そうに呟いた。 「って、帰国子女が?」 「そう」 はぁーと盛大にため息をついた薫に、翔の顔が益々曇る。 「薫がそういう事言うの、珍しいよな」 「そうかな?」 「うん。薫って、そういうのあっても絶対言わないじゃん。そういうのは押し隠して、誰とでも平等にそつなくって感じなのに」 「それはクラス委員とかしてたから」 クラス委員が、クラスの中で好き嫌いを言うと即いじめや仲間ハズレに発展しかねないと思っていたから注意していただけだ。 薫はどちらかというと、人の好き嫌いは激しい方だと思っていた。 「薫は、どっちかというと人の好き嫌いがある方だもんな」 ――――・・・っ!? 「兄ちゃん!」 透と、副会長である奥田英明が笑いながら入ってきた。奥田英明は2年生で、透の副会長だけでなく、薫が生徒会長の時も1年副会長を勤めていた。 「会長・・・」 今、まさに自分が思っていたことを口にされた薫は内心驚きを禁じえなかった。何故、そんな事を会長がわかっているのか・・・そんな思いに襲われる。 「で、それがどうかしたのか?」 「いえ」 透の登場に薫の顔が急に固くなったのだが、幸いなのかなんなのか、翔はそういう事にはまったく気づかない。 「薫、クラス委員の帰国子女が苦手なんだって」 「ああーあの子か」 「知ってんだ?」 頷いた透に、薫は何故?って目線で問いかける。 「さっき職員室で会った。クラス委員の名簿を受け取りに行ったときね」 「なんか、憧れてますっとか言われちゃって、握手されてたよ」 英明がその時の様子を思い出したのかにやにやと笑うと、透は完全に苦りきった顔つきになった。どうやら嫌だったらしい。 「んー確かに、ちょっと一癖ありそうだな」 英明の続いた言葉に、薫の表情が再び曇る。 「そーなんだ〜。・・・薫、今のクラスにあんまり親しい奴もいないんじゃないのか?」 「うん」 そう、それも薫の憂鬱の一つだった。顔見知りや、過去同じクラスだった生徒も何人かはいたが、とりわけて親しくしていた者は誰もいなかったのだ。 「それ、まずいだろう?樋口は友達作るの下手だもんな」 透が言葉とともに視線を投げかけると、薫はそれを避けるように視線を床に向ける。しかし、透のその指摘さえも図星なのが悔しい。 「えー大丈夫かよ?」 俯いた薫を、てっきり落ち込んだのかと翔が心配そうに言う。 「・・・なんとかなるよ」 薫のため息混じりに吐き出した言葉は、本人が思うよりもずっと苦々しく響いていて、俯いていた薫は気づかなかったけれど、3人ともがとても心配そうに顔を曇らしたのだった。 その後。 「なぁ、樋口と何かあった?」 薫と翔が生徒会室を後にした途端、英明は開口一番そう言った。 二人の間に流れる微妙な空気を、英明はちゃんと感じ取ったのだ。さすがに、翔とは違う。 「・・・まーな」 英明の少しキツい視線に、透はどう読み取っていいのかわからない笑みを浮かべて肩をすくめて、そのまま窓辺へと歩み寄る。 「まーなって・・・」 近寄った窓から見下ろしていると、しばらくしてから昇降口から出た薫と翔の姿があった。並んで歩く姿に、透の視線は注がれる。 ――――2年会わないうちに、益々綺麗になったよなぁー・・・ 2年前は、綺麗というよりかわいらしさが強かったのに。無理矢理の無表情の下から、まだ幼い顔を見ることが出来たのに。 その顔に、惹かれたのに。 今は冷たい冴えた表情に、ワクワクする。あの顔を、赤く染めて見たい。しかし――― 「・・・怒るなよなー」 ――――キス、くらいでさ。 小さく漏らした言葉に、英明は眉をひそめる。 「やっぱり。ったく、何したんだよ」 「んー・・・怒らすような事じゃないはずなんだけどね」 入学式で、生徒代表で顔を合わすものだと柄にも無くドキドキしてたのに。それはちょっと劇的な再会っぽくないか?と思っていたのに。前へ進み出て来たのは別人だし、会計は断るし。 キスは、拒まなかったくせにさ。 家にだって一度も遊びに来なかった。俺が会いたいと言ってくれと言った言葉の後には、会いたくないという返事。 正直それにはさすがの透も凹んで、じゃぁ何故キスを拒まなかったんだとそう問いかけたかったけれど、それは出来なかった。情けない事に返事が怖くて。そしてそのまま会わずにずるずる2年と言う月日がたってしまったのだ。 「はぁ・・・あ」 感動的な再会を期待してたのになぁ。薫は怒らすと厄介だよなぁと、ため息つきながらも、透はどこか楽しそうだった。 今日会って見てわかったけれど、たぶん、脈はある。そう思えたから昨日より楽しい今日だ。 ――――頑なな相手を落とすのは、悪くない。 ・・・・・ そんな事があってから、数日。何事も無く過ぎていた様に見えていたその日。 ――――え・・・? 生徒会の話で2年の階に行っていた薫が戻って来て見ると、クラスには誰の姿もなかった。次は理科で、後2分ほどで始業のチャイムが鳴るというのに、ただの誰一人いない。 「・・・えっと・・・」 薫は教室の入り口で思わず立ち尽くしてしまった。黒板にも何も書かれていなくて、移動の連絡も聞いていない。 「あれ?樋口?」 そこへ廊下から声がかかって振り返ると、それはクラスメイトの一人だった。 「山口。・・・次、移動?」 教科書とノートを持っているのを見て薫が言うと、山口は驚いた顔になった。 「え!?聞いてないのか?次、第2理科室だぜ」 「本当に?」 「ああ。早く準備しろよ、一緒に行こうぜ」 「あっ、うん」 薫は山口に言われて慌てて鞄の中からノートと教科書、筆箱を掴んで廊下に出た。 「俺が通りかかって良かったよなぁ。ったく、倉田の奴だめじゃん」 新しいクラス委員にダメ出しする言葉に、まったくだと薫も思ったが一応笑みを浮かべてフォローに回る。 「僕もすぐに教室出たからね」 「でもさぁー。こういう時は黒板に書くとかしとかねぇーと」 山口は特に薫と仲が良いというわけではなかったが、気の良い性格なのか薫の気持ちを察してなのか、少し怒ってくれていた。 「まだ、慣れてないんだよ」 薫も、その意見には反論する気にはなれなくて苦笑を浮かべて。チャイムギリギリに二人は第2理科室に扉を開ける。 「間に合った」 「はは」 息を切らして山口が入り込むと、一瞬空気が奇妙に止まった。 ――――な、に? 「早く席つけよ」 この空気には気づかなかったのか、山口は一瞬固まった薫にそう言うと自分の席へと急いで行く。薫もとりあえずその後をついて、左奥の窓際の席へと座ってふと顔を上げると、倉田満と目が合った。 ――――・・・え? 一瞬、睨まれたとしか思えないキツイ視線は、先生の登場ですぐにハズされて。何事もなかったかのように、起立、と号令が響いた。 その後は、別にどうということはない、普通の授業が淡々と行われていた。本当に、何の変わりばえも無く。だから薫も、さっきの空気は気の所為だったのかもしれないと思い出していた。 授業もたいした実験ではなかったことも緊張感を和らげたのか、薫は30分を回った頃には退屈になっていて、何気なくその視線を窓の外にやった。 ――――会長・・・っ グラウンドでは3年生が体育の授業中で。透はサッカーのMFをやっているようだった。手を上げて指をさして何か叫んでいる。ボール裁きも悪くなくて、相手チームをかわして進んでいく。 ――――あっ 透を基点に回したボールが、綺麗にゴールネットを揺らした。わぁーと歓声さえも聞こえてきそうに集まって喜び合う姿。透はその輪にゆっくり近づいて、ゴールを決めた生徒の頭をくしゃりと撫でると、後ろから別の生徒が抱きついていた。 ドキ・・・と、心臓が少しだけ跳ねた。 顔は見えないけれど、きっと嬉しそうに笑ってるのだろうその顔が浮かんだから。 「・・・っ」 周りにも人気があって、慕われていて。仕事も出来て格好良くて。 ――――キスなんか、されなかったらきっと好きになれた。 遊びで、からかわれたキスなんだと知らなかったら、きっと尊敬出来る先輩として、好きになることが出来たと思うのに。 何故―――? その問は、薫の中に封印されている。 何故、自分にキスなどしたのか。何故、からかわれる対象になったのかわからない。 「樋口?」 ――――僕が、嫌っていたからだろうか・・・? 「おーい」 ――――・・・だから・・・? 「樋口!」 「―――え?あ、はい」 声に無意識に反応した薫は慌てて立ち上がってしまった。気づくと、目の前に先生が苦笑を浮かべて立っていた。 「実験はつまらなかったか?」 「いえ・・・あ、すいません」 その顔で、先生が怒っているわけではないのはわかるが。それにしてもぼうっとしすぎていた。 「体育・・・ああ、朝比奈のいるクラスだな。なんだ?一緒にサッカーでもしたかったのか?」 「いえ。去年の予算の計算がおかしかったので、聞きに行かなければと思っていました。すいません」 それは、嘘。予算の計算がおかしかったのは事実だが、そんな事は放課後でもいい事だから。しかし、ボーっとしてた理由を誤魔化すための方便が意外な事実を薫にもたらした。 「ああ〜昨年後半は朝比奈が会計も兼ねてたからなぁー計算が大雑把だったんだろう」 「そうなんですか!?」 ――――・・・それはマズイ・・・ 透は仕事も出来るし指導力や決断力、判断力だって問題ないのだが。細かい計算だけは少し苦手だ。やりたい構想があって、それに必要な準備も怠らないし、かならず成功させるのだが、予算を顧みないところがある。 そんな薫の心中を察したのだろう。先生は苦笑を浮かべた。 「はは。しかし卒業式は華々しかったぞ」 ――――それで今期分の予算にも手をつけてたら世話ないですけど・・・ その思いは一応透のために口にするのは控えておくが。 「それ、兄から聞きました!すっごい良い思い出になったって言ってましたよ」 同じ実験グループの橋が、うらやましそうに言う。 「そうか、去年は橋の兄ちゃんがいたな。そうかそうか、それは朝比奈も頑張った甲斐があったな」 「はい」 ――――その皺寄せで僕は大変なんですけどね・・・ 「でも・・・どうして会計決めなかったんですか?」 ――――その人が優秀だったらそのまま引き継いで、そうすれば僕が会計に呼ばれることもなかったのに。 そんな薫の問いかけを、先生は何を馬鹿なことをという顔になった。 「そりゃぁお前が入学してくるからだろう。5ヶ月間だけ頼んでお前に変えたら、明らかに繋ぎでしたって感じになるじゃないか」 「別に、僕じゃなくても・・・」 「おいおい、朝比奈はこのまま2学期の10月でお前を生徒会長に引き継ぐつもりなんだぞ?そのためには最初から生徒会にいたほうがいいだろう?」 「ええ!?」 「すげー!」 「――――はぁ!?」 不覚なことに、薫は周りよりも反応が遅れてしまった。一瞬頭がフリーズして理解できなかった。最後の声が、薫なのだ。 「なんだ、聞いてないのか?」 「全然聞いてません!」 「朝比奈は公言してたけどなぁ」 おかしいなぁと首をひねる先生の頭上に、チャイムの音が鳴り響いた。薫は、事の真偽を確かめなくてはと、終礼の挨拶もそこそこに教科書を掴んで教室を出ようとしたのだが。 「樋口、待て〜」 「なんですか!?」 ――――忙しいのにっ 「お前の所為で授業の後半が台無しだ。片付け、手伝え」 「えぇー?」 「えーじゃない。ほれ」 先生はそう言うと、机に上に並んでいる実験用具を指差した。薫は一瞬立ち尽くしたが、先生に逆らえるはずも無く、仕方なしに持ち上げた教科書やノートを一旦置いて、顔を上げると。 ――――あ・・・っ、また・・・ しょうがないと上げた視線の先に、また倉田のキツイ視線があった。目が合った一瞬後には、フイとそらされてしまったけれど。 薫にはそれだけで十分だった。 薫は、どうやら嫌われてしまったらしい事と、そして移動が知らされていなかったのはたまたまの落ち度ではない事をこの時はっきりと悟ったのだった。 |